参加者(五十音順・敬称略)
*岩嵜博論 武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科 教授
*杉谷陽子 上智大学 経済学部経営学科 教授
*本條晴一郎 静岡大学 学術院工学領域 事業開発マネジメント系列 准教授
*水越康介 東京都立大学 経済経営学部 教授
*山野井順一 早稲田大学 商学学術院 商学部 准教授
*黒澤高次 博報堂クリエイティブコンサルティング局 局長
*司会:岡田庄生 博報堂ブランド・イノベーションデザイン局 部長
会場 UNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)
杉谷 もともとコミュニケーションという言葉の指す領域はとても広いのですが、今回の黒澤さんのプレゼンテーションは、従来のコミュニケーション概念の領域をさらに超えた、とても新しいご提案だったと思いました。
山野井 コミュニケーションに創造が伴う点ですかね。伝えるだけでなく、そこで何か新しいものが生み出されたり、変化させたりするという。
杉谷 そうです。しかもその創造の意味合いが、いわゆる「共創」よりも進んでいると理解しました。「共に」という関係性にとどまらず、その場があることで、初めて何かが創られるという。だからこそエコシステムという概念にもつながるのだと思います。
黒澤 たしかに、あらゆる境界が溶解しブランドのあり方が変質していく中では、その定義すら変えなければならないほど、コミュニケーションの果たすべき役割が変容していくと思います。誰も主権を持っていない生態系において、良いも悪いも含めてあらゆるものが共有物化していくプロセスの中で、良いものはより強く成長していくし、悪いものは淘汰されていく。空気や血液のように循環させていくそのやり取りそのものがコミュニケーションであると言わざるを得ない、という印象を持っています。
岩嵜 黒澤さんの図の中に、インターデジタルでは「双方向」だった流れが、アフターデジタルでは「対流」になるという表現がありましたが、「対流」は面白いコンセプトだなと思いました。双方向だと主体と客体、送り手と受け手といった二項関係が前提ですが、これからの時代は二項関係もあやふやになる。どこが主なのか従なのかわからないと。非常に現代的なテーマという気もします。
本條先生がおっしゃった「解釈の民主化」という概念も興味深いですね。
本條 少し説明しますと、杉谷先生がおっしゃったように、一般に「相手に正しく伝わること」がコミュニケーションの成功だと捉えられがちですが、私はもともと知覚の仕組みを研究していたので、「そもそも伝わるわけがない」という前提でコミュニケーションを捉えている面があります。
10年ほど前、「相手に意味が伝わると想定することがハラスメントの本質である」という主旨の論文を書きました。例えば、殴るという行為は紛れもなく暴力ですが、それだけではハラスメントとは言えない。しかし「これはお前のためだ」と言って相手を殴る行為は、ハラスメントに当たります。つまり行為そのものではなく、「意味が伝わるべきだ」という前提に立って、発信者側が受け手自身による意味解釈を否定し、自分にとって都合の良い意味解釈を強制することにハラスメントの本質があるということです。
私はこの観点をコミュニケーション一般に広げて考えていたのですが、受け手に意味解釈の自由があることが創造性の源泉にもなっているという積極的な部分までは、当時あまり理解されませんでした。そこで、個人としてはマーケティング研究に転身し、ユーザーイノベーションの研究に取り組み始めたのですが、最近は、自然に受け入れてくれる方が増えたと感じます。当時よりも情報が十分に流通し、誰もが必要な情報を得られる「情報の民主化」が進んだから、得られた情報を個々人のコンテクストで解釈する「解釈の民主化」という方向に、潮目が変わったのではないかと考えています。
岩嵜 つまり、「発信する側が伝えたいことをどう伝えるか」よりも、「受け手側がどう解釈するか」に重きが移った、それが解釈の民主化ということですね。
黒澤 たしかに、あるブランドをどんなイメージで捉えているかを自由に書いてもらうと、今はみんな結構違うことを書きますね。同じ色を見て「赤」という人もいれば「紅(くれない)色」だという人もいるのと同じで、人間には本来その自由が与えられている。一人ひとりがブランドの価値を自由に解釈した上で、自分の価値観に符合したり、距離を近くしてもいいと思えるブランドを選んでいくという傾向が強まっている。
杉谷 「受け手側の解釈に任せる」という、生活者の多様な価値観を許容するブランディングの在り方が、近年広まってきている点には同意します。一方で、解釈の多様性をある種の「誤解」ととらえた場合には、その誤解の幅をどのレベルまで許容できるか、という問題も生じますね。解釈は自由ですと言っても、例えば極端な話、あるブランドを「イノベーティブなブランド」と捉える人がいる一方で、「伝統的で権威主義的なブランド」だと認識している人がいたとして、その大きすぎる振れ幅をブランドは許容して良いのかどうか。そこまで差があると、コミュニケーションのミスがどこかで起きている気もします。
本條 たしかに「解釈は自由」が「なんでもアリ」になってしまうと困りますね。事実に基づかない解釈まで自由とされてしまうと、ブランド価値が毀損されるし、そもそもコミュニケーション自体が成立しない。解釈は自由だけれど、「同じ事実を見ている」という状況は絶対に必要で、そのうえで解釈の幅が担保されるということかもしれません。
山野井 あるブランドに関して、事実とは明らかに違う解釈をした人がSNSなどで何か発信したら、「それは違うでしょ」と指摘が入りますよね。企業側がやらなくても、デジタル時代だと個人間でもそういう指摘が起こるはずです。それを受けて、その人が自分の解釈を変えるか、あるいは「私はそうは思わない」と、そのエコシステムから退出していくことになるのではないでしょうか。
水越 論理的には、解釈の振り幅は無限とも言えるかもしれませんが、現実的には、そこまで多様になることはないですよね。ある程度の方向性が規定されるはずで、それがコミュニケーションの特徴なのだと思います。山野井先生のご指摘のように、あまりにピント外れのことを言えば、「それは違うんじゃない?」という指摘が出てくる。ただ、弱いブランドの場合はそれが出てこなくて、事実と異なる解釈も拡散してしまうのかもしれません。
本條 なるほど。「この方向は違う」ということが明確にわかるブランドが、強いブランドと言えるかもしれないですね。解釈の幅の狭さがブランドの強さだと思われがちですが、方向の明確さの方が大事かも知れません。方向が明確な場合は解釈の幅はむしろ広い方が良い、あるいは、方向が明確だからこそ解釈に幅を持たせることができるということも考えられそうです。
黒澤 あるいは自分たちがブランドで目指している方向と、人々が解釈している方向がズレていることがわかったとき、企業側がどれだけ意識的にスピーディに、共有物化が進む方向にブランドを変化させていけるか。これも重要になると思います。朝令暮改ももちろんアリで、朝決めたことを昼に変えてもいいというぐらいスピーディに変化に対応していく姿勢がますます問われるのではないでしょうか。
岩嵜 今の黒澤さんのコメントにつながりますが、アフターデジタルの時代において、企業側はコミュニケーションなるものをどうマネジメントするのか、そもそもマネジメントできるのかというのは大きなテーマですね。
本條 たしかに考えれば考えるほど、マネジメントが不可能にも思えてきます。先ほどの虫歯の例で言うと、2歳までにミュータンス菌を入れないことは大事ですが、どういう口腔内エコシステムを構築するかをマネジメントできているわけではありません。結果的にできあがったシステムが、安定的なアトラクター状態になっているというだけです。企業としても、さまざまなステークホルダー間のコミュニケーションの中で、安定的になっている部分を探して、そこを起点にビジネスを組み直すというのが現実的かもしれません。
水越 その意味ではさきほどのギターメーカーの例も、もとから何らかのエコシステムの萌芽があったのかもしれませんね。「楽器を買ったけど挫折してしまった。でも本当は上手くなりたい」という人たちがたくさん存在していて、その存在に企業が気付いたことで、結果的にエコシステムが構築されたのだと捉えることもできます。
山野井 プラットフォーム型のビジネスを利用するとき、ユーザーとしては長期的に利用できる方が望ましいので、このサービスがずっと続くのか、適切に改善されていくのか、見極めて使いたいと考えるはずです。楽器メーカーの場合、歴史や伝統の積み重ねがあって、そのブランドが目指すものが広く認知されていたから、ユーザーに選ばれたという部分もあると思います。
これはパーパスの話にもつながることで、そのブランドが今まで築いてきたことと、これから目指す方向性が、ブランドのコミュニケーションのあり方にも関係してくるかもしれません。
黒澤 あらかじめブランドの“核”があって、企業がそれを広げていくのが今までのコミュニケーションのイメージでした。これからはブランドの中に、対流していく可能性のある何らかの価値──歴史の蓄積や文化性であったり、サービスのアイデアみたいなものがあって、それが雪だるま式に広がって、対流の渦が大きくなっていく。そういうブランドが、これからパワーブランドと呼ばれる存在になるのではないでしょうか。
杉谷 そういう新しいコミュニケーションを企業はマネジメントできるのか、という論点に戻りますと、ギターメーカーの例は、ブランド側の押しつけ感がなくて、顧客同士のコミュニケーションを通じて勝手に雪だるま式に膨らんでいくプロセスが起きていると言えます。そこが一つのカギだと思います。
この点を考えるうえで、本條先生のハラスメント研究の視点が興味深いです。顧客にメッセージを「正確に伝える」ことを志向した旧来のマーケティングコミュニケーションやブランディングは、「顧客にこう思われたい」という押しつけがあって、それが今の時代ではある種のハラスメントにもなり得る。ブランドに対する解釈を顧客に押しつけず、自由にしておき、コミュニケーションが広がっていくことを許容する、という姿勢で臨むことが、企業にとって重要になっているのではないでしょうか。
山野井 そのコミュニティに参加すると楽しい経験ができる、参加するとハッピーになるというのも、強いブランドになっていく一つの条件かもしれませんね。ポジティブな感情を得られるものはずっと利用し続けたいと思えるし、その中で得た情報もポジティブに受け取りやすい。ハッピーな人たちが増えていくコミュニティという発想も大切かもしれないですね。
黒澤 たしかにそうですね。いろいろな境界が溶けるといっても、最後に選ぶのはどこまでいっても人間です。生活者のペインやストレスを取り除くだけにとどまらず、人間らしさとか、楽しいとか、ワクワクするような価値を良いかたちで共有物にできるブランドが栄えていくと思います。
本條 今、黒澤さんがコメントされた「ペインをなくすこと」と「楽しいことを提供すること」は果たして両立するのか、あるいはペインをなくすだけでブランドはつくれるのか、という点に興味を持ちました。静岡県のある楽器メーカーが、ブランディング専門の部署を初めてつくったのですが、これが結構うまくいっているように私には見えます。以前は信頼性や安定性といった、ペインをなくす方向のイメージをユーザーに持たれていたのが、今は「楽しさ」を打ち出すようになって、それがブランドに寄与している。
水越 さきほどのギターメーカーの例も、いくらサービスがよく出来ていても、ギターの練習自体はうまく音が出なかったり、あるいは指が痛くなったり、ペインが無くなっているわけではないですよね。それを楽しさに変換するような仕組みがあったりするのでしょう。
黒澤 ありますね。それこそ、つらいところにさしかかったときに「がんばれ!」とチアアップするような動画とかがたくさん用意されていたりします。じつはペインやストレスの裏側には、新しい楽しみやワクワクが隠れているのかもしれませんね。今までペインとされていたものも、解釈やインターフェイスを変えると楽しみに転換できる可能性がある。
杉谷 少し視点は変わりますが、本日のみなさんの議論をうかがっていて、コミュニケーションが変わると企業間の「競争」の考え方も変わっていくように思いました。今まで競合他社と呼ばれていた企業同士が、ひとつのブランドのコミュニケーションに次々加わっていく。すると楽器メーカー同士はもはやライバルではなくて、むしろ動画配信サービスなどが共通の新しいライバルになるかもしれません。競争のあり方が変わって、みんなで創ることを目指す価値観に、産業全体で変わっていくかもしれないという印象を持ちました。
黒澤 そうですね。競争の概念が広くなっていく一方で、最終的には、生活者にとって有限な時間・所得・知覚処理能力を奪い合うという意味では、ありとあらゆる競合があり得る、とも言えますね。
水越 一般論として、業界の区分が溶解して誰が参入してくるかわからない状態になると、その都度その都度で競合関係が生まれることになります。10年ぐらいの単位で見ると楽器メーカー同士が競争相手かもしれないけれど、もっと長期的にみれば最大のライバルは動画配信サービスだったとか。「動的な競争相手」みたいな感じになるのかなと思いました。
山野井 ここまでは企業と顧客のコミュニケーションを主に議論してきましたが、企業内でも当然コミュニケーションはあるわけですよね。企業の従業員が、顧客とコミュニケーションを取ることもあり得ます。黒澤さんはその辺りをどう捉えていますか。
黒澤 従業員は企業にとって、一番大事な最初の顧客であり、最も身内にいる生活者です。その意味でファーストターゲットに近いと思います。そのブランドが何を信じて何を提供するのかということに本気で共鳴して、一緒に行動してもらえないとこれからのブランドは作れない。まずは身内から、価値を心から信じられるかどうか。その意味で組織や人材はこれまで以上にブランディングにおいて重要になってくると思います。インターナルコミュニケーションがますます大事になるのではないでしょうか。
岩嵜 BXを推進する上で、【コミュニケーションは送り手と受け手の関係性を再構築するものになる】
今日の議論を通じて、これからは主体と客体、送り手と受け手といった二項関係では捉えきれないような関係性を前提としたコミュニケーションになっていくという点が特に重要だと思い、このようにまとめました。
本條 【BXを推進する上で、コミュニケーションは事実の尊重と解釈の多様性の推進である】
「解釈の多様性」がエコシステムをつくる上でのコミュニケーションのキーになると思いました。でも「なんでもアリ」ではかえって駄目で、事実の尊重が解釈の前提になります。あくまで事実を尊重した上で、解釈の多様性を認め続けることでブランドは強くなり、その結果として解釈の多様性が一層認められていくのだろうと考えました。
水越 BXを推進する上で、【コミュニケーションはブランド価値をつくる要素となる】
もちろん昔からコミュニケーションはブランド価値の要素だったと思いますが、その重要性が増していくのだという印象を持ちました。企業も生活者も、誰もそのブランドについてコミュニケーションしてくれなければ、そのブランドに価値はない。エコシステムとしてみても、コミュニケーションが活性化し、多様な解釈が生まれ、新しい価値が生まれていく中で、初めてそのブランドが強くなっていく。そういう意味においてコミュニケーションの意義が高まっていくのだと考えました。
杉谷 BXを推進する上で、【コミュニケーションは伝える手段ではなく価値をつくる場所になる】
もともとコミュニケーションは人間にとって、何かを伝えるだけでなく、楽しむものでもあったはずです。これまで、マーケティングやブランディングの文脈では、コミュニケーションはブランドコンセプトを的確に伝える手段と考えられてきましたが、これからはコミュニケーション自体がビジネスの起点であり、材料でもあり、その活性化によってブランドが作られていく場になっていくのだと思います。
山野井 BXを推進する上で、【コミュニケーションはドライバーとなるものである】
黒澤さんのプレゼンにもあったように、これからのコミュニケーションは「対流」になっていくのだと思います。企業や顧客の間で多様なコミュニケーションが行われ、ブランドに対する新しい解釈がうまれ、ブランドが強くなり、それによって新たな顧客がやってくる。コミュニケーションがないとブランドは強くならないし、ブランドのトランスフォーメーションも進まない。BXを駆動させる役割という意味で「ドライバー」という表現でまとめさせていただきました。
黒澤 今回のBXラウンドテーブルのプレゼンターとして、「アフターデジタル時代のブランドとコミュニケーションのあるべき姿を考える」というテーマを与えられたとき、「そもそもブランドとは何か」「環境を激変させているデジタル化の意味とは何か」をもう一度考えないと、これから向かうべき未来はイメージできないと感じました。なかなかつらい作業でした(笑)。しかしテーマを与えられたことで、自分の中で階層化されたイメージを描くことができ、さらに今日皆さんと議論ができたことで、よりその解釈が深まりました。とても有意義な時間でした。ありがとうございました。