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去り行く老兵から会社を辞めたい若者への“遺言”(連載:中川淳一郎の「博報堂浦島太郎」・最終回)

2020.08.20
ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんが18年ぶりに博報堂に帰ってきた! 久しぶりの古巣を歩きながら、中川さんが感じた変化や懐かしの話を自由に語っていただく連載「博報堂浦島太郎」。あの頃の博報堂がよみがえる様々なエピソードや、現在の博報堂へのありがたい叱咤激励を隔週で綴っていただきました。2020年夏、ついに最終回です・・・!

 まさかのギョーテンの18年ぶりの博報堂への業務委託契約での復帰から1年、今月で業務委託契約が終了し、セミリタイアすることとなった。これまで14回にわたって連載した『博報堂浦島太郎』、お読みいただきありがとうございました。

 過去の博報堂と現在の博報堂、変わったところと変わっていない点を毎回挙げてきたが、今回1年間同社とそこで働く人々と接してみて「あぁ、やっぱり戻ってきて良かったな」と思うことしきりだった。一つ確認できたのが、「クライアントの課題を解決するにはどうするか」を皆が誠意をもって取り組んでいる姿勢が強くなっていた点だ。私がいた1990年代後半は「なんか楽しそうな話が来たぞ」「いぇーい!」みたいなことの方が多かったように思う。私が入った1997年の前年である平成8年8月8日は8が3つ並ぶから「ハッハッハの日」だ、と「皆で大笑いするキャンペーン」を手掛けた、と同じ部署の先輩から聞いた。こんな楽しげなことがそこかしこで展開されていたのだ。

 2000年という節目の年は、CC局(現PR局)全体で「とにかく多くのクライアントを業界横断的に巻き込んだバカでかいキャンペーンをやろう」とK局長がブチ上げた。阪神ファンのW部長が「阪神タイガースが優勝する翌年は景気が良くなる。『いざなぎ景気』『バブル経済』はいずれも阪神優勝の翌年だ。だから阪神を今年は応援し、来年好景気にしよう」という多数のクライアントを巻き込む企画を提案。これが局としての公式企画になったことを思い出す。全国各地の駅に簡易的な「虎神社」を作り、そこに賽銭を入れてもらう案なども出た。どう考えてもただのこじつけなのだが、「いいですなぁ、ガハハハ!」と局の総意となったのである。

 今は様々な面において、時代があの時よりも厳しいだけに「この仕事をなんとしても取らなくては」といった危機感があるのをひしひしと感じた。そんな中のコロナ禍で会社の重要な収益源だったイベント関連業務は軒並吹き飛んだ。私自身も本当はもっと統合プラニング局「風の間」メンバーとして、クライアントの元に通ったり、会議をしたかったのだが仕方がない。

 今回、最後に書きたいのは「博報堂を辞めたい若者」に対する意見である。博報堂で活躍したクリエイターが独立していく様を毎年のように見ていると「自分もそこに続きたい」と思うものだ。あとは、機密情報を扱う業務特性上、博報堂社員という立場を明かしてのSNS利用には制限があることにもフラストレーションは溜まっていることだろう。そうした声はよく聞いた。

 私自身、会社を辞めたいと考える人を全面的に止める立場ではない。何しろ自分だって4年ぽっちで辞めているのだから。とはいっても、この1年で感じたのは「やっぱ商売の上流にいる博報堂は羨ましいな」ということである。何しろ私のような零細ヘッポコプランナーには来ないような大きな案件が次々とクライアントから相談される環境にいるのだ。

 これがいかにラッキーなことか! もしも自分がこの事実に会社を辞めた2年後に気付いたら「スイマセン、やっぱり会社に戻してください。今度は安易に辞めません」と言っていたと思う。ただ、気付いたのが18年後の2019年8月の博報堂復帰の後で、45歳になっていたのだ。もう遅い。

 会社を辞めたくなる若者の理由は以下に集約されるだろう。

【1】独立した方が収入が多くなるのでは?
【2】独立した方が自由に情報発信できるのでは?
【3】独立した方が“自分の名前”で世間で勝負できるのでは?
【4】独立した方が、余計な社内調整やら会議が不要となり、クリエイティブに専念できるのでは?
【5】独立した方が、人脈が広がり人生が楽しくなるのでは?

 多分、全部正しい。ただし「成功したら」という条件がつく。成功しなかった場合は、これらはいずれも達成されない。キツイ言い方になるが、フリーになり成功し、「先生!」とどこに行っても呼ばれるようになる割合は極めて低い。この19年間フリーでやってきた身としてはつくづくそう思う。広告・広報・デザイン関連で独立し成功した人々は元々いた会社で実績を作り「今の私だったらいける!」という自信をもって辞めることが多い。そんな人がさらに活躍している様を見ては「私だって……」と思う気持ちも理解する。

 だから、夢を見るも良し、実際に辞めてしまうも良し、だが博報堂の組織力をもう少し利用してみてはいかがか、とも思うのである。正直この1年、「うわー、今のオレの立場でその仕事の筆頭プランナーやりたかったぜ~」みたいな案件もあった。だが、私は社員ではないためそんなことはできない。

 思った以上に博報堂は「いい仕事」を獲得できる環境にいるのである。その有難味はフリーからすれば羨まし過ぎる。その一方で「忙し過ぎるんです!」という声も聞こえたが、フリーの身からすれば忙し過ぎるのは羨ましい。何しろこちらは忙し過ぎないと家賃も払えないんで……。だから過度に独立者を羨ましがるのではなく、互いに「隣の芝生は青い」をやりあっている状態だと考えてもいいのでは。今いる環境って案外悪くないよ、いや、実はいいよ、と考え直してもいい。

 会社側も、人事制度など、こうした優秀な人材を手放さぬためのさらなる優遇措置も考えた方がいいと思う。

退社直前の鬼怒川温泉への2泊3日送別旅行の様子

◆クライアントとは「戦友」になった方がいい

 あとは、クライアントとの人間関係だ。5月14日掲載の「客との付き合いはかくあるべし、と教えてくれた超絶優秀営業の教え」に登場したN氏と、私にとっての「親分」である嶋浩一郎氏がそれにあたるだろう。2人とも、クライアントからの信頼感がハンパないが、それは「発注者・受注者」という関係性はありつつも対等な「パートナー」であり「戦友」でい続けているからなのではないだろうか。

 N氏も嶋氏も自分が正しいと思ったことを理路整然と述べるし、「本当はクライアントの言っていることは効果薄いんだけど、やりたいって言ってるからまぁいいか」的な考えは持っていない。「ワシが思っていることが正解である」というゴーマンとも言えるほどの過度な自信がある。それで成功したら「さすがN氏!(嶋氏)」となるし、仮にうまくいかなかったとしてもクライアントの側は「一蓮托生でオレらやったから次挽回するか」と思ってくれるだろう。

 クライアントに対してはズケズケとモノ申した方が絶対にいい。「あいつは生意気だ」なんて言われるぐらいの方がいい。そのためには、先輩社員が若手に喋りやすくする空気を作ってあげることが大切だ。この春、競合プレゼンに参加した時、統合プラニング局のH氏がリーダーとして若手プランナーをまとめあげていたが、H氏が言うのはとにかく以下なのだ。

「いいね!」
「その視点が大事だね!」
「ヤマダ(仮名)のそのアイデアを核にもう一回考えてみようか」

 基本H氏は若手が出したものを肯定し、そのうえで、自分の経験から感じる別解も提示し、企画をブラッシュアップさせていた。若手が喋っている時に割って入ることもないし、議論で出た発言を最後にまとめ「つまり○○ということだね」と言語化する。

 思わず「Hさん、ワシのことも部下にしてください!」と言いたくなるほどであった。N氏も嶋氏もそうした態度で常に仕事をしてきたと私自身は感じている。

 多分、そうした姿を見ていたから私自身も「クライアントへの忖度」ってものはあまり考えずにフリーランスとしてはうまいことやってきたと思う。ここでは余計な謙遜はしない。だからこそ、最もフリーとしては付き合いの長いサイバーエージェントとの付き合いは19年、扶桑社も途切れた時期もあったが18年、小学館は10年、新潮社と中日新聞社は8年関係性が続いている。今はなき「R25」のメディア・シェイカーズともWEBR25の立ち上げ直後から終了までの9年間レギュラー仕事を出し続けていただいた。

 長く続く秘訣を教えてよ、と言われたら、“毎度毎度の仕事を「チャンス」と捉え、雇い主にズケズケとモノを言い、多分楽しそうに仕事をやり続けたから”と答えるだろう。とはいっても、所詮は私など一介のフリーライター・編集者である。博報堂の社員と比べれば動かす金額も権限も少ない。時代の最先端の次ぐらいのものにかかわる程度のことしかできない。

 やはり広告というものは、企業活動に直結しているだけにこれからの時代の「風」を作ることができるのだ。我々ライター・編集者は企業や広告会社が作った「風」を基にした記事を書くことしかできない。情報の大元を握る仕事を皆さんはしているのだ。

 そうしたプライドと使命感を持ち、これからも活躍してください。会社がイヤになることもあるかもしれませんが、多分博報堂よりもいい会社ってあんまりないと思いますよ。それは私が2001年に会社を辞めてから1度も就職活動をしなかったから言えることです。それでは良き博報堂ライフを! 本当に1年間ありがとうございました! 9月1日以降、私は暇になるので、もしも会社を辞めたい・独立したいと思い、相談したかったら誰かに私の連絡先を聞いてください。対応しますんで。

18年後、博報堂に復帰した中川さん

中川さん、ご執筆ありがとうございました!
「博報堂浦島太郎」全14回の記事は、こちらからご覧いただけます。

◆中川淳一郎/なかがわ・じゅんいちろう

1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)

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