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なぜ26歳派遣社員女性は勤務中に「ニャー! ニャー!」と叫んでいたのか(連載:中川淳一郎の「博報堂浦島太郎」)

2020.07.22
ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんが18年ぶりに博報堂に帰ってきた! 久しぶりの古巣を歩きながら、中川さんが感じた変化や懐かしの話を自由に語っていただく連載「博報堂浦島太郎」。12回目の今回は、呑気な同僚たちと「サザエさん一家」の登場です。

 こうして連載させていただいている『博報堂浦島太郎』は過去の博報堂と現在の博報堂を対比させながら今回12回目を迎えた。私が8月31日をもってセミリタイアし、博報堂の業務委託契約も終えるため、今回を含めてあと3回。14回という中途半端な回で終了するが、今回は「仕事人であっても呑気でいいじゃん!」という件について述べる。今や出勤さえままならない事態なだけに、やや浮世離れしているかもしれない。

 元々、会社員になったら「滅私奉公」とばかりに、一切の個人的感情を出すことなく、会社のため、世間様のために粉骨砕身しなければならない! と思っていた。よって、業務時間中は無駄話をするのはご法度であり、プライベートなことも出してはいけないと思い私は1997年4月に博報堂に入社した。

 それから1ヶ月の研修期間中、同期と一緒に過ごしたのだが、そこまで彼らが厳しい倫理観を持っているとは思わなかったものの「まぁ、新人だからこんなもんかな」と思っていた。むしろ、来たる配属後の人生の辛さについて我々は日々恐怖に身を悶えていた。まだこの段階では大学生活の延長で、我々を指導する人材開発局の方々についてさえ「サークルの先輩」的な甘っちょろい捉え方をしていたのだ。

 そして、ゴールデンウィークが開けた月曜日、配属が決まり私は同期で自分ひとりだけが配属されたCC局(コーポレートコミュニケーション局・現PR局)へ。このフロアには同期は一人もおらず、先輩社員達が仕事をしている。一気に緊張感が高まり、「これが社会人ってヤツなんだな……」と絶望した。

 完全に「親分!」みたいなヤクザ映画に登場しそうな風貌のS局長から「まぁ、お前、局長室に来いや、ガハハ!」と「金魚鉢」と呼ばれたガラス張りの局長室で言われる。そこに次々と訪れる背広姿のオッサン(部長の皆様方)から「これから頼むぜ」的な挨拶をしていただくにつれ「やべー、こりゃ、オレの人生一気にシリアスになってしまった……」と緊張感が高まり続けた。

 私が入ったCC局は、唯一の「新人一人部署」だった。いや、経理の同期も一人だけだったか。その他の部署は同期と一緒に局長室に挨拶に行き、その後様々な部長との挨拶をするのだが、私は徹底的に一人だった。元々、配属発表の段階で「一人になってしまった……。これにて学生気分は終了」と思ったのだが、局長室にやってくるオッサンを前にし、私は「もう一度大学に戻って大学院を受けさせてください!」と恐怖を感じたのである。

 しかし、大学院の入試は9月なわけで、こんなことが許されるわけもなく、私は正式にCC局に配属された。配属当日の夜は、所属部署の慣例として、まずは歓迎会をしたうえで、その後は二次会へ。三次会となる午前様となった段階では、一つ上の先輩が新人を飲み屋に連れて行き、様々な博報堂の事情やら新人としての心構えを説明(説教)することとなっていた。そして、その説明という名の飲みを徹底的にしたうえで、先輩の家で寝て過ごし、スーツのまま会社の定時である9:30に間に合わせなくてはならなかった。

 私には一つ上の先輩である1996年入社のY氏がおり、日付が変わった1時23分、彼と2人でどこかの飲み屋に行った。その後のことは本当に何も覚えていない。どうやら私はY氏に潰され、同氏の下高井戸の家へ。家に着いたのは恐らく5時ぐらいだろう。そして我々は寝た。9:30の定時に間に合うタイミングである8:30あたりでY氏はフローリングの上で寝る私にベッドの上からこう声を掛けた。

「中川、今すぐ会社に行け! 今だったら9:30に間に合う! オレはもう少し寝てから行く! 今日、ちゃんと定時に行くかどうかが本当に重要だ! 今すぐ行け!」

 かくして私は配属当日の「先輩からの洗礼」を受けたうえで、翌日はキチンと定時に出社できたことで「第一関門クリア」となったのだ。

 私は体育会系でもなんでもないため、正直このやり口には「やべー会社に入ってしまった……」とビビった(ちなみにY先輩も東大の理系出身のため、体育会では全然ない。一年間の博報堂生活で体育会的気質になったと思われる)。

 しかし、この日、突然の呑気なオファーが来たのである。私が入った「CC局情報デザイン部」の隣には「管理部」があった。この部署は、CC局全体の経費や出退勤を管理する部署なのだが、ここに属する1992年入社のO先輩(女性)がいた。

 17:30の定時直前にO先輩はこう言ってきた。

「ねぇねぇ、中川。今日ね、管理部のみんなと一緒に有楽町の中華に行くの。YOUも一緒に行かない?」

 当時のO先輩は、複数の派遣社員とともに仕事をしており、社員・派遣社員全員の幸せを考えた差配が必要とされていたのだろう。そろそろ派遣の方々にも愚痴を言う機会を作りたいし、それには新入社員が入ってきたこの日こそチャーンス! と思ったのかもしれない。

 私としては、正式配属の後は何があろうがプライベートな話はナシだと思っていただけに、一切の遊びの予定は入れていなかった。そんな状況なだけに、O先輩の話には「はい、行きます!」と答えた。

 すると、その10分後には、O先輩と派遣社員2人の女性がすでに会社を出る準備をしている。私もすぐに準備を整え、4人で有楽町に電車で行った。こちとら男7:女1という大学出身なだけに、女3:男1なんていう会合は経験したことがない。終始緊張しながらこの会は終わったのだが、結論としては「会社員だからっていちいちビジネスライクにしないでもいいんだな」ということが理解できた。

 人生初の「女の方が男よりも多い」という飲み会になったのだ、O先輩は終始「ねぇねぇ、中川、アンタ、ホタテは好き?」みたいなことしか言わない。結局、自分が頼みたいものを新入社員が嫌いかどうかを聞くだけなのだ。その後、O先輩とは時々食事を一緒にすることになるのだが、目黒のパスタ屋では「ねぇねぇ、中川、アンタ、ウニとイカを頼んで私に少しウニをくれない? 私は別の頼むけどウニが欲しいの」などと言うような状況だった。

O先輩「YOUも一緒に写りましょ」

 このO先輩の様子を見て、私は「会社員だからって特に常識人にならなくていいんだ!」ということが分かった。以後は完全に無茶苦茶な話になるのだが、1999年から所属するM氏をリーダーとする「Mグループ」では、完全にサークルのノリとなった。

「よーし、これからオレらはサザエさんの登場人物で呼び合おうぜ! もしも間違えたら100円の罰金だ! この罰金を飲み会の補填にしよう」

 これをMグループリーダーは提唱した。一体これが何かといえば、当時は固定電話に連絡が押し寄せていただけに、それを繋ぐにはより楽しい方がいい、と考えたのだ。あとは、仕事をするにあたり、より楽しい方がいいと考え、Mリーダーは「我々のグループは『サザエさん』の人々になる!」と決めた。よって、以後、お互いを呼び合うにはサザエさんの登場人物のようにしなくてはいけないルールを作ったのである。そのルールを破ると100円を貯金箱に入れる。以下、各人のロールである。

Mリーダー:波平
E氏:マスオさん
田中雅子さん:サザエさん
Y氏:カツオ ※前出・Y先輩のこと
私:中島君(メガネをかけていたから)
H氏:三河屋さん(彼はPR会社から出向していた)
T氏:タマ(派遣社員である彼女の名前が「タマ」に少し似ていたから)

 この時は、アニメ『サザエさん』の通りに呼ばなければ100円のペナルティになる、ということである。たとえば、私は中島君だが、電話が来たり、何らかのお願いをする時はこう言わなくてはならない。

「サザエさん」である田中雅子さんに対しては「磯野のお姉さん」である。一方、私の一つ上のY氏は「カツオ」のため、「サザエさん」である雅子さんに対しては「ねえさん」と呼ぶ。雅子さんはマスオさんであるE氏には「あなた」か「マスオさん」だ。波平であるMリーダーはY氏のことは「カツオ」ないしは「バッカもん!」だが、中島である私には「中島君」と敬称をつけてくれる。

 この役割を完全に果たさなくては100円の罰金があったのだ。こんな状況下、もっとも苦しかったのが、猫のタマであるT氏である。彼女は私と同じ年齢の26歳で、派遣社員だった。本当に呑気な人物で、このルールに従ったのだが、ネコのタマなだけに言えることは「ニャー」しかなかった。

 そのため、電話が来た時にT氏が電話を受けたら、その相手の方を向いて「ニャー!」しか言えなかったのだ。だが、「ニャー!」と言ってもその相手が気付かなかったら反応はされない。別の役割だったら「カツオ、電話よ」と言えるところなのだが、T氏は誰であろうが「ニャー!」しか言えないのである。

 私は彼女の隣だったため、自分に対して「ニャー!」と言われたらすぐに反応ができたのだが、少し離れた席の先輩方が「ニャー!」に反応できないのを歯がゆく思っていた。

 さすがにこれは「タマ」の負担が多過ぎると「サザエさんごっこ」はやめたのだが、その後は「作曲家ごっこ」が始まる。「ハイドン」「バッハ」「ガーシュウィン」「スメタナ」などの役割を各々が追うわけだが、自分が果たして誰なのかが分からず、電話に誰が出るのかがわからずトラブルもあった。

 いやはや、とんでもなく呑気な時代なのだが、1999年~2000年の博報堂のごく一部の部署はこんな呑気なやり取りがあったのだ。そして、この呑気なやり取り、自分の仕事人の人生として本当に幸せだったんだよな……。

 そして、先日T氏と5年ぶりぐらいに会った。彼女は様々な職場を派遣社員として渡り歩いたが「博報堂CC局の時代が私の仕事人生で一番楽しかったな~、今、こうして会える仲間もいるしね」としみじみと語るのであった。

20年後の「タマ」と「中島君」

◆中川淳一郎/なかがわ・じゅんいちろう

1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)

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