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不本意な部署に配属された……、いえいえそれは実はチャンスでしかない(連載:中川淳一郎の「博報堂浦島太郎」)

2020.06.25
ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんが18年ぶりに博報堂に帰ってきた! 久しぶりの古巣を歩きながら、中川さんが感じた変化や懐かしの話を自由に語っていただく連載「博報堂浦島太郎」、社内外の注目を集めながら第10回です。今回は若手会社員に向けて、配属先で身に着いた力をどう活かすべきか、中川さんがどう活かしてきたかを説いて頂きました。

 人生初の配属というものがもたらす影響について考えてみる。私は1997年にCC局(コーポレートコミュニケーション局・現PR局)に配属された後、4年勤務して退社した。その退社から19年、今、博報堂統合プラニング局のチーム「風の間」で業務委託として、PRの仕事をしている。

 立て続けに競合プレゼンの仕事にも参画させてもらったが、しみじみと最初に配属された部署の影響を感じるものだ。本題に入る前に、広告会社は営業への敬意をもっと持つべきだとは思う。最近一緒に競合に参画した博報堂の若手クリエイターは営業出身だと言っていた。その経験があるからこそ、クライアントが本当に求めていることを察することができるのかもしれないし、スタッフに求められる動きができるのかもしれない。

 思えば営業出身のクリエイターやプランナーは優秀な人が多いと感じている。私が2001年にライターになった後、立て続けに日本有数のクリエイターである佐々木宏氏と多田琢氏に取材し、取材している間、とにかく「素敵な人だ……」と思うことしきりだった。お二人の共通点は営業出身ということである。あとは佐藤雅彦氏も元々は営業出身だ。

 こうしたことから、『ドラゴンクエストIII』をはじめとしたRPGの「転職」システムのように、最初に入った部署とその後のキャリアを合わせることが広告会社社員にとっても必要なのでは? と思っている。今回書きたいのは、若手の会社員に向けての意見だ。広告会社に限らない。仮に配属先が不本意だったとしても、そこでキチンと仕事をしていたのであれば、別系統部署への異動を申し入れる。願いが叶った場合、あなたは同タイミングで同系統の部署から異動してきた同期に対するアドバンテージがあるかもしれない。

 何しろ、同じ仕事をしてきた同期とは経験が違うのだ。ただ、その同期が経験してきた同職種の経験には敬意を示し、彼らのキャリアにはこれから追いつかなくてはならない。

 今現在の私の肩書「ネットニュース編集者・ライター/PRプランナー」というのは滅多にいないヘンテコリンな肩書だと思う。それのベースが冒頭で登場した博報堂CC局なのである。この肩書きを簡単に言えば、「企業の広報部署の論理が分かっている編集者・ライター」ということだ。

 CC局は、実は私が配属された年の新人研修では新人から人気の局だった。K部長、Iディレクター、自分にとってもっとも身近だった先輩・田中雅子さん、そして現・執行役員の嶋浩一郎さんが局の紹介プレゼンをした。この時、新人達は「うぉぉ! この部署に入りたい!」とテンションが上がったのを思い出す。何しろこの4人のプレゼンがあまりにも面白かったのだ。

 当時は、配属先を決めるための「適性試験」があった。マーケティング、制作、PD(プロモーションデザイン)、CCのスタッフ部門がその対象だったと思うが、CC局の試験は「我が街のキャッチコピーと200文字以内のボディーコピーを作れ」というものだった。

 多くの同期はこれをコピーライターの適性試験だと思っていたのだが、のちに明らかになったのは、これがCC局の適性試験だったということだ。これには恐らく全員が仰天していたと思う。「オレはコピーライターの試験を必死に考えたつもりだったというのに、聞いたこともないような部署の試験だったのかよ!」と。

 だが、部署の紹介をするためにやってきた4人の話を聞いたところ、「こりゃ、かなり面白い部署みたいだぞ……」といった感覚を我が同期は抱くようになる。そのため、基本的にはマーケと制作と営業が人気部署だったと思うのだが、「CC局」が突然その人気レースに割って入ってきたのだ。志望順位3位まで書くことができたのだが、この研修を境にCC局を書く者が増えたと見ている。

 私も配属希望を提出する時は【1】マーケ【2】制作【3】CCという順番にしておいた。適性検査の結果などまったく知らないため、果たして希望が通るのかは分からないものの、この順番にしていた。自分自身、いわゆる“コミュ障”だと思っていたため、営業とメディア(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)は向いていないと思った。

 配属数日前の人事局の面談にて希望を伝えたところ、実際の配属はなんと第3希望のCC局だった。配属発表日は人事や経理といったいわゆる本社機能の部門から始まり営業→メディア→事業…といった順番で進むのだが、私の名前は最後まで呼ばれることがなかった。最後がCC局だったのだが、ここでようやく名前が呼ばれ、1997年入社組全員の配属が決まった。

 なんとなく面白そうな部署だから第3希望には入れたものの、いやはや、意外過ぎる部署に入ったものだ。他の部署は複数人が入っているのに、なんでオレだけ一人なんだよ。やべー、花形部署からいきなりはずれちまったよ。しかも、オレを迎えに来てくれた局長、これ、完全にヤバそうな人なんですけど……、と思った。

 柴田昌明局長(後に執行役員)は、ダブルのスーツを着たガッチリとした体格で、見た目は「親分!」と呼びたくなるような感じだった。しかもダミ声で「おー、お前か、今年の新人は、頼むな、ガハハハ」なんて言い、巨大な手で私の肩を猛烈な力で叩くのである!

 元々博報堂という会社のイメージについては、3000人の人々が机に座って一心不乱にコピーを書いている会社、というイメージがあった。だから自分もそれをやるかと思ったのに、CC局が担当するのは「広報・PR」ということだった。

 適性試験の点は私が最も高かったため、第3希望でありながらも配属されたが、この配属は良かった。何しろ博報堂の中でも「レアキャラ」でいられたし、退社後、雑誌のライター・編集者をやることになると「露出してください!」という相談を企業の広報や広告会社のPR部門、PR会社から受けることになるのだ。

 この時、私はCC局での4年だけの経験とはいえ、「メディアに出してもらいたい主体」(広報・PR部門)の考え方は分かっていたのである。だからこそ、エラソーではあるものの「出してあげる側」であるメディアの立場から売り込みに来るPRパーソンの気持ちを理解でき、雑誌の企画にほどよいレベルで商品情報を盛り込めるような編集をするようになったのだ。

 これはステマでもなんでもなく、あくまでも企画に合致する商品は企画の存在感を高めるために必要なパズルのピースであるため紹介しただけである。

 そんな形で編集業務を続けていたのだが、ある時、私がフリーで編集をしていた雑誌『テレビブロス』のK編集長が「ブロスが残したい世界遺産シリーズ」という特集を何回かに分けてやりたいと言ってきた。

 その中の一つが瓶詰等で知られるA社であった。K編集長は、同社のアニメCMシリーズのダジャレが大好きなようで、過去何十年もの歴史から紹介し、「世界遺産」と認定したいと考えていた。そこで私は同社の広報・M氏に連絡先をしたところ、非常に好人物かつメディアに対して協力的だった。M氏と二人で6ページの特集を作り上げ、表紙にも同社のCMキャラを登場させた。

 そこからM氏とは懇意になり、特集に応じて同社の商品をたびたび誌面で紹介させてもらった。

 結局、PRをする側にしても受ける側にしても、お互いが求めるものが何かを知っていれば仕事はスムーズに進むのである。今、競合プレゼンをしているだけにハッキリさせたいのが両者の求めるところだ。

【メディアの事情を分かっているPRパーソンが求めるもの】
・とにかく我が社の商品の露出をしてほしい
・ただし、広告費を払っているわけではないので、ゴリ押しはしないし、企画にハマる自然な形で紹介していただきたい
・妙な忖度をして読者の信頼を失うような「提灯記事」にはしないで欲しい

※ただし、メディアの事情を分からない無能なPRパーソンは無料の「パブリシティ」を「タイアップ」と誤解し、「我々の意図通りではない!」とメディアに抗議を入れて「だったらお前らのことは取り上げない!」とメディアに激怒される。

【PRを受ける側=メディア が求めるもの】
・今の時流に乗った最新のネタを企業の皆さんは我々にください
・商品を紹介するのはやぶさかではありませんが、過度なホメ言葉などは書きません。もしもそれをやってしまったら「ステマ」扱いをされます
・あなたの会社の商品だけではなく、他も横並びで紹介します。ただ、ネタ提供の発端である御社の商品は最初に紹介します

 これが幸せなPRのあり様なのだが、これが分かったのが、やはり最初にCC局にいたからだろう。メディアに対して「取り上げてください!」とお願いをするのだが、当初描いていたほどの大きな扱いではなかったりもする。その時は「いやぁ~、オレは失敗した」と思ったのだが、実際のメディアの側に回るとこの扱いについては妥当なのだ。

 さらには、テレビブロスの編集者を辞めた後は、フリーのPRプランナーとして、某コンピュータメーカーや出版社の広報を手伝うなど、最初のキャリアがここでもお金を稼がせてくれたのである。

 こうして両方を経験した私は博報堂で今、PRの提案をしている。まさにRPGでは「PR」と「編集・ライター」の両方を掛け合わせた仕事人がこの両方をハイブリッドさせた企画書を書いているのである。なんとかクライアントに私の提案が刺さって欲しい。だからこそ、今、編集者・ライターの仕事をしているが最初の配属がPRを行うCC局で良かったとしみじみと思うのだ。

◆中川淳一郎/なかがわ・じゅんいちろう

1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)

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