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経営のコトダマ 第15回 世代のコトダマ ひきたよしあき

2019.09.17
政治、行政、大手企業などのスピーチライターを務め、「言葉の潜在的なちから」をテーマに子どもからビジネスマンまで読める著作多数。
明治大学をはじめ様々な教育機関で熱弁をふるう博報堂スピーチライターひきたよしあきが、企業経営における言葉のちからを綴る。

1980年代は、学校が荒れた時代でした。

1982年に、家庭内暴力を扱った「積木くずし」
(穂積隆信 著/桐原書店)が発刊。大ブームを
巻き起こし、その後テレビや映画で放映される
までになる。
「学級崩壊」が社会現象となり、テレビや新聞に
「校内暴力」がしょっちゅう取り沙汰される。
学校は、校則を厳しくしていく。
なんとも息苦しい空気の中で、生徒の死に及ぶ
悲しい事件も起きるようになっていったのです。

「いくらなんでも、校則が厳しすぎないか」

社会からこういう声が上がり始めました。
ふと気がつけば、今後子どもの数が減っていく。
どの学校も、生徒を確保するために必死に
ならなければいけない。

時代なんて、パッと変わるものです。

気がつけば、女子高生のスカートは短くなり、
携帯もお化粧もOK。
先生との暴力沙汰は減った代わりに、
先生と生徒がタメ口で話す関係が加速して
いきます。

この時代の境目にいた人たちが、今は
ちょうど50代に突入しようとしている頃。

アバウトではありますが、
現在50代の人たちは、校則が厳しく、
上下関係もあり、スパルタ教育の先生も
いた時代。

それより下の世代が、急速に校則が
ゆるくなり、先生との上下関係が希薄に
なっていった時代を過ごしたと言えます。

これに現在、30代を超えたあたりを
トップとする「ゆとり世代」が続いている。
こちらもまた、上の世代とは違う教育
方針で育てられています。

もちろんこれは、大まかな話です。
都市部と地方によって、公立と私立に
よって、その学校の教育方針によって
かなり違いがあることは承知しています。

その上で、私が申し上げたいのは、
同じ国に育ちながら、私たち日本人は、
世代や時代によって、かなり違った教育を
受けているということ。

これを理解していないと、どうしても
自分の育った価値観で、上や下を見て
しまうものです。

私がこれを感じたのは、5年前に
小学校に教えに行ったときでした。

起立・礼・着席がありませんでした。
あったのは、座ったままで、

「先生の方におへそを向けて。
よろしくお願いします!」

と言って頭を下げるだけの挨拶。
なんでも「起立!」と言った時に
なかなか立たない子の自主性を守る
ために、こうした挨拶になったそうです。

こういう教育を是として育ってきた
人に対して、

「あいつは、あいさつもろくにできない」

と軽々しく言うことはできません。

自分の時代の価値観だけでははかれない
ほど私たちは多様になってきているのです。

経営にとって大切なこと。
それは、「世代のコトダマ」です。
自分の価値観を封印し、相手の
「世代のコトダマ」に思いを馳せた上で
対話をしていく。

この夏、今の小学生を教えにいった際、
また、これまでとは全く違った教育を
受けている子どもたちが育っていることを
実感しました。

それらの「世代のコトダマ」を受け入れる
ことのできる器量をもっていたい。
それを強く感じた夏でした。

<経営のコトダマ>
第1回 あなたの会社が終わるとき
第2回 徹底的に戦いを省け
第3回 サービスとホスピタリティ
第4回 文学は、実学
第5回 未来を五感で味わいつくせ
第6回 体調のコトダマ
第7回 座右のコトダマ
第8回 激励のコトダマ
第9回 未来のコトダマ
第10回 気くばりのコトダマ
第11回 変化のコトダマ
第12回 先輩のコトダマ
第13回 効率のコトダマ
第14回 短気のコトダマ

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