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広告界におけるトリックスターに
博報堂人物図鑑 第7回/生活者エクスペリエンスクリエイティブ局 戦略CD 中川悠

2023.03.27
上司、先輩に限らず、部下や後輩であっても、「この人のここが素晴らしい!」と、リスペクトしている人が社内には必ずいるもの。本企画は、博報堂社員だからこそ知っているオススメしたい博報堂のスゴイ人をリレー形式で紹介していきます。
第7回の推薦者は、前回登場したTBWA\HAKUHODO統合マーケティングディレクターの赤星貴紀。推薦するのは生活者エクスペリエンスクリエイティブ局 戦略CDの中川悠です。

■赤星からの推薦文
中川さんは、現在のTBWA\HAKUHODO に来る前の部門(統合プラニング局・当時)で2年半、一緒に仕事をさせていただきました。
思い返すと、自分の今の仕事スタイルに一番影響を与えたのが中川さんでして、尊敬する師匠として推薦させていただきます。
中川さんは「自分のスタイルを切り拓いていく人」です。戦略からクリエイティブまで一貫して責任を持ち、得意先との対話やチームビルドなどビジネスプロデューサー的な役割も担ってチームのハブとなるスタイルを間近で見させていただきました。枠にハマらない動き方を当たり前にしており、「ストプラ(ストラテジックプラナー)ってここまでやっていいのかな?」と勝手に枠を作っていた自分の常識が打ち砕かれていきました。また、そのようなスタイルを「戦略CD」と規定して社内で最初に名乗り発信しながら、社内の新しいロールモデルとして人を惹きつけています。
でも、中川さんは現状維持で満足する方でもないので、きっとまた次の進化したスタイルを模索している気がします。またいつか一緒にお仕事をさせていただき、新たなスタイルを見るのを楽しみにしています。そのときまでに自分も成長した姿を見せられるように頑張っていきたいです。

■「人の心を動かす仕事がしたかった」

——今回は、前回の赤星さんから推薦いただいた、生活者エクスペリエンスクリエイティブ局の中川悠さんの回です。中川さんは赤星さんにどんな印象をお持ちですか?

中川悠(以下、中川):一緒に働いていた時代から、彼は“すごい若手”だと思っていましたよ。頭もいいし、臆さずいろんなところに突っ込んでいくタイプで。普通頭がいいと奥手だったりしますけど、どちらも兼ね備えた人間で「僕とは真逆なタイプだな」と思っています(笑)。

——赤星さんにとって、中川さんは「尊敬する師匠」とのことです! 今回はそんな中川さんのバックグラウンドから深掘りしていきたいと思うのですが、これまでの職歴からお聞かせいただけますか?

中川:僕、キャリアのスタートはエンジニアなんです。大学を卒業して2000年に入社した会社で、3次元CADで携帯電話の図面を描いたりしていました。英語も話せない中でスウェーデン人と中国人と図面を通じてなんとかコミュニケーションを取りながら仕事をして。当時は真面目な理系の人たちの中で唯一金髪で、生意気な新人だったと思います。

——元々エンジニアのご出身とは意外です。それからなぜ広告の世界に?

中川:それっぽく言うと「プロダクトアウトじゃなくてマーケットインの仕事がしたかった」ということなんですけど、もう少し分かりやすく言うと「もっと人の心を動かす仕事をしたかった」。僕はちょっと天邪鬼なところがあって、新卒採用の面接で「人に影響を与える人間になりたい」なんて言っていたんですけれど、エンジニアでもできなくないと思いますが、もっと直接的に人の心を動す仕事がしたい、と感じるようになったんです。

■作業をするより、考えて、アイデアを生む時間が好きだった

——中川さんのキャリアとしては、エンジニアを経て博報堂に入る前に別の広告会社に勤めていらっしゃいますよね。

中川:そうですね。エンジニアとして働きながら広告学校に通って、当時の先生の導きもあって転職が叶いました。その会社は博報堂ほど大きくはなかったんですが、故にここではいろいろな経験を積みましたね。マーケティング、メディア、クリエイティブ、それから接待まで…。

——なるほど…接待はまた別の話としても、マーケからクリエイティブまで幅広く手掛けるというのは、今のお仕事に通じるものがありますね。

中川:確かにそうですね。礎はこの時に築いていたのではないかと思います。その時の会社にはそんなに長くはいなかったのですが、それでもエンジニアに戻らず広告の仕事を続けたいと思ったのは、やはり広告の仕事を「クリエイティブだ」と感じられたという部分が大きいです。エンジニアもクリエイティブではあるんですが、作業的な時間が圧倒的に多くなる。それよりも、考えて、アイデアを生み出す時間が好きだった。そっちを増やすためにも広告の仕事を続けたいと思いました。

——そこから2008年に博報堂に入社されるわけですが、当時どのような思いを抱かれましたか。

中川:まず圧倒的なクライアントの規模の大きさを目の当たりにしましたね。だからこそ、自分のやりたかった「人に影響を与えること」が確実に実現できるステージに近づけたかもしれないと思いました。政治家でもない、有名人でもない、一会社員なのに「社会を変られるかもしれないって、すごいことだ!」と。とは言え、ストプラとして入社してからはどんな仕事も一筋縄ではいきませんでした。

特に嶋(浩一郎)さん(現 博報堂執行役員)との仕事では、毎週100ページを超える企画書を作ったりと、今思えばなかなか凄まじかったですが(笑) 、だからこそ学ぶことも多かった。その仕事のチームにはいろんな肩書きの人がいて、戦略立案の段階から職種を越えて案を出し合いました。 PR発想で考える人もいれば、プロモーションや販促発想で考えてくる人もいる。そうした環境こそ、企画を考える時に必要なプロセスなはずだ、と身に染みて感じました。

■戦略CDこそ、広告会社の「トリックスター」

——つまり、そうした環境に身を置くことで、アウトプットから出目を考えつつ、戦略を考えられるようになったと。

中川:そうですね。2015年に当時の統合プラニング局の部長に突如任命されて、アウトプットでの成果も求められる中で、自分でもクリエイティブまでやってしまおうと思ったんです。クリエイティブを単に考えるんじゃなくて、実行するところまで。僕は戦略、この人はメディア、この人はクリエイティブ、ってバケツリレーするというスタイルそのものが、仕事のやり方として個人的にあまりしっくりこなかったというのもあります。

中川:でも、そうしていると自分が一体何者なのか分からなくなってきて。そんな時、当時の局長が会議中にポロっと言った「戦略CD」という言葉が、ストンと落ちた気がしたんです。ようやくラベルが付いた感覚だったというか。

——「戦略CD」という言葉がそこまで腹落ちした理由はなんだったのでしょう。

中川:博報堂の面接で言ったことを今でも覚えてるんですが、僕はずっと「トリックスター」になりたいと思っているんです。トリックスターって、神話の中に出てくる生と死の両方を一緒くたに語れる存在のことを指すんですが、現代の人だとチャップリンがイメージに近い。チャップリンはコメディアンだから、政治を批判するのもそれがエンターテインメントになって、大衆に受け入れられました。

広告にも商業芸術の要素がありますよね。売ろう、売ろうとしても嫌われるだけで、そこにエンターテインメントが加わることで、それが人に好かれて、受け入れてもらえるようになる。そういう意味では広告もトリックスター的であるべきだと思うし、この「戦略CD」こそ、広告会社の中のトリックスターだとも思ったんです。戦略と戦術、その両輪を動かすわけですから。

■愛され続け、習慣になるものこそが、いいアイデアだ

——中川さんは「ヒット習慣」を研究・分析する「ヒット習慣メーカーズ」のリーダーであり、何度でも買いたい仕組みを解説した著書『カイタイ新書』が、また今年の2月25日にはその第二弾となる、つい買ってしまいたくなる仕掛けのアイデア集『本能スイッチ』も出版されました。人の「習慣をつくる」ことにここまでこだわられる理由をお聞きしたいです。

中川:習慣をつくりたいという思いや、その先にある文化をつくりたいという思いは、広告という仕事への違和感から生まれたものですね。従来型の広告の仕事って短期間で、大きな花火をドンと上げて、それで終わり、というものも少なくない。せっかく考えたクリエイティブなアイデアなら、もっと後世に残るべきだし、愛され続けるものこそいいアイデアだと考えます。だからこそ、それが人の生活の中に習慣として残るようなものを生み出したいと思ったんです。

——実際に「習慣づくり」の実績も多数おありの中川さんですが、習慣づくり、文化づくりにはどのような要素が必要だと思われますか。

中川:文化をつくるって、僕一人でできることでは決してないと思うんです。僕一人が「こういう文化をつくりたい!」と奔走しても、所詮はそこにあるエネルギーは僕一人分だけ。でも、僕がいて、博報堂がいて、クライアントがいるからこそ、「文化をつくる」が実現できる。つまり、ひとつのアイデアを起点に 会社もクライアントも共々巴投げされて、それが世に出ることで大きなインパクトになって、新しい文化や習慣を生むことができるんだと思います。

ただ、大きなことを実現させようとするなら それを推進する戦略CD的な役回りの人は後ろでヤジを飛ばすだけじゃなくて、矢面に立たないといけない。「矢面に立つ」は、元々嶋さんからもらった言葉で、「どうすれば新たな事業を立ち上げるスキルが身に付きますかね ?」と相談した時に、「ただ学ぶよりも、いっそのこと矢面に立てばいい。そうすればいろんな機会が増えるから」というメッセージでした。それは、この「文化をつくる」ということでも同じことで、誰かと一緒に大きなことをしようとしているのであれば、自分が本気だってことを自分自身で体現しないといけないと思うんです。

■あらゆる戦い方を、過去や現在の事例から学び続ける

——戦略CDの未来予想図について伺えればと思います。長期的に見て、今後広告業界の中で戦略CDはどのような役割を担うべきだと考えますか?

中川:一言で言うと、もっと「広告クリエイティブ」ではなく「事業クリエイティブ」まで手がけられるようになるべきだと思います。僕もCEOやCMOの人たちと付き合ってきて分かったのが、当たり前ですけれど、そうした立場の方たちって、広告だけ見てるわけじゃないんですよね。広告、流通、営業、R&D、商品開発と、全部を見てる。だから、僕らももっと広い“事業”というくくりでアイデアを出していく方がいいと思うし、すでに求められてもいます。

——そのためには、どのような素地が今後の戦略CDには求められるのでしょう。

中川:僕らはもっと広告以外の作戦を知らないといけないし、磨かないとダメだという課題感はありますね。広告というものは、先に述べた通り短期スパンで終わってしまいがちです。短期スパンの戦い方と、その事業が1年、2年、3年かけて伸びていくときの作戦って違うはずでしょう。

じゃあ3年ぐらいのスパンで戦い抜く方法をどこから学ぶのか。それには過去のケーススタディを知ることが重要です。それは、単に過去の事業例だけでなく、スポーツや歴史から学ぶことかもしれません。桶狭間の戦いで2万5000人の今川義元軍に、4000人ばかりの兵を引き連れた織田信長がどうやって勝利したのか。もしくは、もっと長いスパンで徳川家がなぜ15代も続く江戸時代を築けたのか。そういった過去や現在に散らばるあらゆる事例からヒントを見つけ出していくべきだと思います。

■1%の自分らしさが、風を吹かせてくれる

——最後に、戦略CDを目指す若手にメッセージをいただければと思います。

中川:僕は「村野の1%」という言葉で説明をよくするんですが、村野藤吾さんという建築家のエピソードがあります。建築家も広告会社と同じで、あくまでクライアントがいて、クライアントの希望を叶えるための建築物をつくるわけですが、村野藤吾という建築家は、99%はクライアントの言うことを聞いても、1%は必ず“村野らしさ”を入れたそうです。

この成熟社会の中で、ひとつの仕事に関わる人ってたくさんいるじゃないですか。そんな中にいると、いつの間にか自分がなくなっていってしまうと思うんです。だから、ほんの少しだけでも自分らしさを入れておく。そうすれば、なんとなくでも自分の行きたい方向に風は吹いていくのだと思います。これは戦略CDに限らず、かもしれませんけどね。

<コラム>
▼仕事のモチベーションが高まる!「リフレッシュ法」教えてください!
僕は落語が大好きで、立川談志師匠の影響をだいぶ受けているのですが 、今回は落語ではなく神社参りにしたいと思います。中でもおすすめは秩父の三峯神社。僕が知りうる限りの一番のパワースポットです。「気」を感じる…というとちょっとピンとこないかもしれませんが、僕らの周りには「天気」「やる気」「元気」「勇気」とか「気」が付くもので溢れているんですよね。そんな「気」みたいなものが溢れた、素晴らしい場所です。

取材・執筆=田代くるみ(Qurumu)、撮影=杉能信介

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