永井 一史(ながい かずふみ)
アートディレクター/クリエイティブディレクター
HAKUHODO DESIGN代表取締役社長
――経済産業省と特許庁が「デザイン経営」の重要性を提言した「『デザイン経営』宣言」(以下、『宣言』)を発表して3年。なぜ、いまこの本を出版しようと思われたのですか。
永井
『宣言』は、自分も委員を務めた「産業競争力とデザインを考える研究会」で1年以上議論を重ねて、2018年に発表したものです。ただ、デザインも経営もそれ自体に奥行きと幅があるものだから、短い委員会の期間で「デザイン×経営」を本当に捉えることができたかと言われると、そうではなかった。自分の中では、消化不良な感じがありました。
発表後は委員一人ひとりが自分の領域で普及啓発に取り組んでいるのですが、自分もそういう活動をしながらも、「もういちどデザイン経営を考え抜きたい」「考え抜いた上で、世の中に広めていきたい」という思いがずっと消えなかったんです。
デザイン経営に関心を持っている人は多く、そんな人たちから、断片的には分かるけど全体像がよく分からない、結局何をやればいいのか分からない、という声をよく聞きました。自分がそれを伝えられないだろうかと思ったのも、本を作ろうと考えたきっかけです。
――3年越しの思いだったのですね。本では、「そもそも『デザイン』とは何か」というところから詳しく説明されています。
永井
経営にデザインを取り入れたいと思っても、そもそも、デザインという言葉の意味する基本的なところが理解できていなければ、効果的な活用は難しいですからね。
もともと『宣言』は、デザイン経営に取り組んでいる先進的な企業数十社にヒアリングして、その事例を分解、再整理するような形で作られているので、デザイン経営の本質は何かという部分や、具体的にどうやればいいのかという部分にはそれほど踏み込めていないんですよ。だから、どこかでそれを伝える必要があると思っていて、それがこの本のコンセプトになっています。
――なるほど。経営者であれば、そこが知りたいと思いますよね。
永井
もうひとつ、特に伝えたかったのがブランディングに関わる部分です。『宣言』は簡単に言うと、デザインを活用したイノベーションとブランディングを大事にして企業の競争力を上げていきましょうという提言です。しかし、当時の委員会ではイノベーションの議論が中心で、ブランディングについてはほとんど掘り下げられていなかった。『宣言』の中にもあまり反映されていません。
僕自身はデザインによるブランディングに長年関わってきた人間として、ブランドとイノベーションの関係だったり、デザイン経営におけるブランディングについては自分がきちんと補完してまとめ直さねばと思っていました。
――強い使命感を感じていた。
永井
使命感ともいえるし、僕たちデザイナーって「全体を理解できていない」という状態が単純に心地悪くて。それもモチベーションになっていたかもしれません。
――本をまとめている途中に、新型コロナが発生したのですよね。何か影響はありましたか。
永井
世界が一気に変わり、僕の周りでも一旦すべてが止まりました。少ししてビジネスが動き出した頃、今こそデザイン経営だ、今こそ世の中に伝えていかないと、というスイッチが入った感覚があったんです。あらゆる経営者が“羅針盤なき世界”で舵取りをしていかねばならない局面にさらされた中で、デザイン経営は、事業を再構築していくときの大きなヒント、拠り所になるはずだと。
――本の内容を変更したり、書き換えたりする必要もあったのでしょうか。
永井
それは全くなかったですね。実はそのことにも、デザインの本質が表れていると思っています。デザインのやり方やアウトプットの形は時代や流行でどんどん変化するけれど、「美と調和を大事にする」とか「創造性を大事にする」といったデザインの軸となるような部分は、世の中がどんな状況だろうと変わらない。だから、デザインを起点に構成したこの本も、もちろん「『デザイン経営』宣言」も、全く変える必要がなかったということだと思っています。
――本の中身についてうかがいます。200ぺージ以上にわたり「デザイン経営」について体系的に解説されていますが、最初はどこから着手したのですか?
永井
64ページに載せた8の字の概念図(下図)を完成させたのが、まず一歩目でしたね。この「デザイン経営モデル」と呼んでいる図は、デザイン経営の全体像を構造的に捉えて、一枚絵で表現したキーチャートなんです。
――オリジナルのチャートなんですね。このモデルを中心に置いて、何を語るべきかを考えていったと。
永井
そうです。本当は巻頭の見開きカラーで強調したかったくらい大事なモデルです(笑)。この話は図のこの部分に相当する内容だなとか、常に照らし合わせて考えながら、書き進めていきました。
――図の“価値創造の円”と“組織文化の円”をつなぐ真ん中に、「パーパス」がありますね。本当にいま、パーパスが求められる時代になってきています。永井さんは、この潮流をどう見ていますか?
永井
僕はずっと昔から、ブランディングとは「思いをカタチにすること」と説明し続けてきています。「思い」にあたる部分が、「パーパス」という言葉で世の中の共通認識になってきたという感覚ですね。デザイン経営の中心にあり、組織の指針となるものは、間違いなくパーパスです。このモデルで示す通り、パーパスを真ん中におきながら、それを基点とした組織文化を生み出し、新たな価値を創造し続けていく経営手法――それがデザイン経営ということです。2章の「パーパスから始めるデザイン経営」でも詳しく説明しています。
――本をまとめていく中で、難しかったのはどんな点ですか。
永井
デザインと全く接点のない経営者の方に「デザイン経営っていいかも?」と思ってもらうにはどうすればいいかについては、かなり考えましたね。いろいろと検討した結果、この本は「デザインを真ん中にして経営を考えていきましょう」というマニフェストのような位置付けの本にしました。そのために、なぜデザイン経営をやるべきなのかという“WHY”の部分に注力したのと同時に、デザイン経営を導入するとどういう効果が得られるのかを最初に説明することにしました。また、国内企業を対象に行われた大規模な調査の結果も紹介しています。デザイン経営のプラスの効果が客観的に分かる、興味深いデータです。そうしてデザイン経営に目を向ける企業が増えていけば、きっと社会全体にも良い影響が生まれていくでしょう。
――企業がデザイン経営を活用することが、社会全体にどう影響していくのでしょうか。
永井
コロナによって人の価値観や企業存在のあり方など、あらゆることが今までの世界と変わりましたよね。そんななかで、きっとデザインは、ものすごく根底のところで役に立てる思想であり方法論だと思うんです。現状に対して「このままでいいのか?」という問いを投げかけ、さらに良くしよう、あるいはもっと違う可能性がないかを探ろう。それも独りよがりにではなく、社会と人との関係の中で生み出していこう、というのがデザインですから。デザイン経営のような視点が企業に浸透すればするほど、社会全体がもっとアップデートしていくんじゃないかなと考えています。
――本書では「デザイン経営モデル」だけでなく、永井さんのブランディングメソッドや、デザインセンスの3つのポイントなど、読者が活用できそうなフレームもたくさん紹介されていますね。
永井
そう、自分自身がこれまでに培ってきた考え方や手法は全部投入した感じです。すべてのエッセンスを絞り出したので、これ以上出せるものはないかな(笑)。
ただ「デザイン経営」については、本が完成に近づくほど、もっとここを深く掘り下げたい、もっと追求したいという思いがどんどん広がるのをこらえなければならない葛藤がありましたね。葛藤というか、締切りとのせめぎ合いというか……。全体と細部を行き来しながら考えるのが自分のやり方なので、ディティールから全体に戻った時に、やっぱりここが足りない、などということはよくありました。編集担当者やプロデューサーからは、「その話は次の本でお願いします」と何度も言われました。
――永井さんを知る人間としては、何とも永井さんらしいエピソードだと感じます。この本はどういう人に読んでほしいですか?
永井
経営に関わるすべての方、大企業から中小企業、自治体の方まで、多くの方にぜひ読んでいただきたいと思っています。なかでも日本の99%を占める中小企業の経営者の方々――高い技術やこだわりはあるものの、新しいチャレンジに踏み出せていなかったり、自分たちのあり方をうまく定義づけられていない経営者が「デザイン経営」を知ることで、いろんなことが変わっていく可能性があると思っています。すでに読んで下さった方からは、「経営者に向けた、分かりやすい本だった」とか、「全体像が理解できた」などの言葉をかけてもらっていて、ありがたいです。
――経営者ではない人に向けてはいかがでしょうか。
永井
本では、デザイン経営という経営スタイルの話だけでなく、デザインの素養を「これから大事になる思考方法」としてたくさん語っています。これからはどんなビジネスパーソンも、ロジカルシンキングだけでなく、創造性や感性など右脳的な考え方も身に着けていく必要があり、そうすることで考え方や発想の幅はぐっと広がっていきます。個人の関心ポイントに応じて活用してもらえるといいなと思います。
――最後に、今後の目標をお聞かせください。
永井
今後は、デザイン経営の実装に取り組んでいきたいですね。具体的な取り組みの成功例が、デザイン経営を浸透させていくのだと思います。また、デザイン経営を伝える役割としても、昨年から立ち上げたTCL(多摩美術大学クリエイティブリーダーシッププログラム)の先生方との共同研究などが動き出しています。これからもデザイン経営の可能性を拡げていきたいと思っています。
――楽しみにしています! 今日はありがとうございました。
著者:永井一史
仕様:四六判 224ページ
定価:1,848円(税込)
発行:クロスメディア・パブリッシング
書店発売日:2021年3月1日
Amazonリンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4295405078/
1985年多摩美術大学美術学部卒業後、博報堂に入社。2003年、デザインによるブランディングの会社HAKUHODO DESIGNを設立。様々な企業・行政の経営改革支援や、事業、商品・サービスのブランディング、VIデザイン、プロジェクトデザインを手掛けている。
2015年から東京都「東京ブランド」クリエイティブディレクター、2015年から2017年までグッドデザイン賞審査委員長を務める。経済産業省・特許庁「産業競争力とデザインを考える研究会」委員。
クリエイター・オブ・ザ・イヤー、ADC賞グランプリ、毎日デザイン賞など国内外受賞歴多数。著書・共著書に『幸せに向かうデザイン』、『エネルギー問題に効くデザイン』、『経営はデザインそのものである』、『博報堂デザインのブランディング』など。