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「消齢化社会」ってなんだ!?-年齢に関係なく価値観でつながる時代を生きる
博報堂生活総合研究所×谷川嘉浩氏トークイベントレポート

2023.12.06
#トレンド#リサーチ#生活総研
博報堂生活総合研究所(生活総研)は今年8月、書籍『消齢化社会 年齢による違いが消えていく!生き方、社会、ビジネスの未来予測』(集英社インターナショナル)を刊行しました。30年におよぶ長期時系列調査「生活定点」の膨大なデータから、生活者の意識・好みや価値観などについて、年齢による違いが小さくなってきていることを発見。その現象を「消齢化」と名付け、これまでの研究内容を書籍にまとめました。出版を記念し、哲学者の谷川嘉浩さんをお招きして開催された、東京・下北沢の「本屋B&B」でのトークイベントの様子をレポートします。

ゲスト
谷川嘉浩氏
哲学者
京都市立芸術大学美術学部デザイン科デザインB専攻講師

内濱大輔
博報堂生活総合研究所 上席研究員

植村桃子
博報堂生活総合研究所 上席研究員・コピーライター

司会
原カントくん
本屋B&B運営、ラジオパーソナリティ

生活に関わるあらゆる分野で、世代間の違いが縮小している


本日は、生活総研の新著『消齢化社会 年齢による違いが消えていく! 生き方、社会、ビジネスの未来予測』の出版を記念して、「消齢化」をテーマにお話をうかがっていきたいと思います。

ゲストにお越しいただいた谷川さんは哲学者で、大学の美術学部の講師でもいらっしゃいますが、具体的にどのようなことを教えていらっしゃるのですか?

谷川
美術学部のデザイン科で、制作指導をしています。例えば「机や照明をつくりたい」「母国で弔いの新たな文化をつくりたい」という学生たちがいる。その子たちのやりたいことのアイディア展開を助け、考えなくていい課題を除外したり、制作に見合った手段や表現を提案したりすることが多いです。実物のモデルをつくって、やりたいことができているか具体的に検証することもあります。一見哲学から遠いんですが、「これは目標につながっていないのではないか」「こういう見方もできるのではないか」とリフレーミングするのは、古代ギリシアのソクラテス以来、哲学の得意としてきたことでもあるんです。


哲学とデザインがそのようにつながっているのですね。とても興味深いです。
生活総研のお二人は、今回なぜ谷川さんとお話しされたいと思われたのですか。

内濱
テクノロジーが進化して、コミュニケーションの速度もどんどん速くなり、なにかと“わかりやすさ”を求める風潮が強まっている中、谷川先生が『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)というご著書の中で、「答えに安易に飛びつかずに考え続ける、問いを発し続ける力」について説かれていました。博報堂のフィロソフィーである「生活者発想」の考え方に近く、ぜひお話ししたいなと感じたことがきっかけです。


今回のテーマである「消齢化」とは、具体的にどのようなことを意味しているのか教えてください。

植村
生活総研では、1992年から「生活定点」をいう長期時系列調査を実施しているのですが、その膨大なデータを分析していた過程で、生活者の意識や好み、価値観の年齢による違いが小さくなっていることを発見しました。その現象のことを「消齢化」と名付け、研究を続けています。ビジネスの場でも、年代ごとにターゲットを設定したものの効果が見えづらいなど、実感されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。


具体的にどのようなジャンルで消齢化が進んでいるのですか。

内濱
例えば食分野では、かつての高齢層は和食を好む人が多い傾向がありましたが、今は「ハンバーグが好き」と答える60代の方が20代と変わらないほどいます。ワークライフバランスやジェンダー平等についても、若い人だけでなく60代にも理解を示す人が多くなっていて、かつてより若年層と高齢層の意識の差は縮まっている。30年間データをとり続けてきて、徐々にこの傾向が進行しています。

谷川
たしかに、先日、私が持っているのと同じTシャツを学生が着ていてびっくりしました(笑)。

植村
ファッションは非常にわかりやすいですよね。上の年代だからといって、いいものを長く着る人が多いというわけでもなくなり、短期間で服を買い替えるので、娘が母親の服を借りやすくなっているようです。それから特に顕著なのは歌。カラオケで『ルビーの指環』をよく歌うという若者がいましたが、今の楽曲と比べると「愛してる」など歌詞がストレートなのが新鮮、という話でした。映像に関しても、子どもが80年代に流行った映画を観ていたりします。ストリーミングサービスなどでアクセスできるので、今の若い人は新旧関係なく、純粋におもしろいと感じたものを視聴しています。

谷川
今はたしかに、時代を超えたコンテンツがフラットに並んでいますよね。新しい人気作品は話題になればみんな知っているけど、昔の作品の方が「自分が見つけ出した」という特別感もあるし、自分から遠い分、新鮮に感じるのかもしれません。「自分より遠いもの」が昔なら地理的な遠さになりがちだったけれども、今だと時間的遠さにも向かいやすいのはおもしろいですね。

「消齢化」が私たちにもたらすものとは?


この消齢化という現象は、日本経済にプラスなのでしょうか。マイナスなのでしょうか。

内濱
少子高齢化なので日本経済は基本的にはダウントレンドですが、人口減で量は減っても、価値観としては違いが小さくなり、質的には大きな塊になっているので、メガヒットが生まれるかもしれないという意味ではプラスになると考えます。例えば、以前新聞に書かれていたのですが、大ヒットした映画『スラムダンク』は、30~40代の少年マンガ好きはもちろん、女性や高齢者など大勢の方が観に行ったことがヒットの機運を生んだ、と。ただ、必ずしも20代から60代までが同じような見方をしたわけではありません。原作がど真ん中だった世代は、登場人物の過去のいきさつなどを知った上で観る楽しみがあり、若い人たちは原作は未読でも、スポーツアニメとしてのダイナミックさに惹かれていたりする。同じコンテンツでも人によって惹かれるポイントが少しずつ違うので、そういう作りこみが今後は必要になってくると思います。

植村
YOASOBIなどのヒット曲を上の世代も結構聴いているようですし、世代を問わず感覚が似通ってきているのはチャンスではないかと思います。先日レストランで食事をしていたら、80歳前後の男女のグループがリスキリングの情報交換をしているのが聞こえてきたんです。「あそこの学校に入り直したけど単位とるのが大変だった」とか、「オンラインはモチベーションを保つのが難しい」とか、学生と同じような話をされていてびっくりしました。そういう需要も幅広い年代に広がっているのだなと実感しました。


高齢になっても若者と同じような経験を楽しむことが自然になってきているので、そういったことは増えていきそうですね。
消齢化が進んだ背景については、どのように分析されていますか。

内濱
消齢化の背景は大きく3つあると考えています。1つ目は、戦前生まれの方の人口が減り、戦後に生まれた人たちが上がってきたこと。その結果として、古い価値観も薄らいできました。2つ目は、シンプルにバイタリティのある元気な高齢の方が増えたということ。そして3つ目は、かつて世代ごとに趣味が分断されていた時代から、何歳になってもどんな趣味を持っていてもいいという世の中になったこと。例えば今は、アイドル好き、BL好きといった枠に若い人も高齢の人も入ってくるようになりました。
この3つの背景から消齢化が進んでいると考えています。結果として、「いい年をして」とか、「年相応の」とか、「適齢期」など、人を年齢で縛っていたような言葉は死語になっていくかもしれませんね。


社会全体としては、同じ趣味嗜好の人たちでつながり、それごとに分断された状態になっていくということなのでしょうか。谷川先生はどのようにお考えですか。

谷川
分断はある程度起こるし、手を取り合おうとする営みもなくならないと私は思います。人は面倒な生き物で、「みんなと同じだ」と横並びでありたい気持ちと、「あいつらとは違う」と特別でありたい気持ちが常に両方ある。哲学者のカントはそれを「非社交的社交性」と言っています。むしろ同じ趣味嗜好や属性でつながっている人たちの中での分断が際立つのかもしれない。ファンダム内での分断、学歴の分断など、数少ないかもしれないけど重大な分断が一層強調されていくんじゃないでしょうか。生まれた家庭の年収など、ある種の階層の再生産が起こるとの指摘もあるため、これから分断は大きな課題になる気もしているのですが、そのあたりはどのように思われますか。

内濱
大阪大学大学院教授の吉川徹先生は、「大学進学率が高止まりし、親が大卒なら子も大卒、親が高卒なら子も高卒と学歴が継承され、大卒か非大卒かでセグメントが分かれていくだろう」という話をされていました。ただ日本の場合、相対的な格差は小さいので、おそらくそこまで明確な分断はないと考えています。

人のことを気にせず、心惹かれる趣味を楽しむ世の中に


消齢化社会において、老後はどうなっていくのでしょう。

内濱
私の祖母は戦前生まれで、自分が長寿になることを想定していなかったので貯金もなかったし、子に頼るという生き方をしていましたが、私の親世代である今の高齢者は自分の親の介護体験もあり、自分がやがてそうなるということを予期しています。ゲームでいうと1周目をクリアして、2週目に入っているような状態という意味で、私たちは「長寿社会の第2世代」と言っています。彼らにインタビューすると、90歳、100歳まで生きるかもしれないから仕事もできるだけ続けるとおっしゃるし、そのときの収入もある程度想定できていたりする。そうすると、消齢化のもう一つの効果として、例えば、70歳を過ぎてからプログラマーになるとか、起業する人だって増えてくるかもしれません。

谷川
一方で、FIRE(若いうちに経済的自立をして早期リタイアをすること)したいという若者もいて、矛盾したトレンドがありますね。

内濱
谷川先生も書籍で「ポストフォーディズム」について書かれていましたが、工業中心の社会だと一度身につけた技術は一生使える一方、サービス産業中心でしかも移り変わりが速い社会だと、今使っているスキルは役に立たなくなるかもしれない、ずっとリスキリングし続けないといけない、という短期的な思考になってきます。若い人にしてみれば、それをあと50年もやり続けなくてはならないと絶望し、FIREみたいなことにすがるのだと思います。逆に高齢の方にとっては、今まで培った技術やスキルとは違うことに挑戦することで新たな希望になる可能性もあります。


なるほど、仕事やそのスキルに関しては、若者と高齢の方で捉え方が違ってくる可能性があるんですね。
谷川先生はご著書の中で、「孤立というのは1人で何かを夢中になってやっている時間、孤独というのは自分と対話している時間」であるとして、常時接続の時代では孤独の時間が失われつつあるとおっしゃっていますね。これは消齢化社会でどう変わっていくと思われますか。

谷川
大筋は変わらないんじゃないでしょうか。消齢化よりも、デジタルデバイスやSNSの方が影響力として大きいと思います。ハンナ・アーレントという哲学者は、孤独を「他人ではなく自分自身と一緒にいること」と表現しているんです。それは年齢とはあまり関係なさそうですよね。年齢に関わらず、孤独を持つ人は孤独を持てる。
『スマホ時代の哲学』では、孤独と言っても難しいので、没頭できる何かを通して持てばいいと指摘し、それを「趣味」と呼びました。例えば、趣味としてスイカを育てている場合、日々の天気によってやることは変わるし、予期せぬことも起こる。そういうことに試行錯誤していると、結果として名誉や評判、他人との比較も気にしなくなり、自分自身と過ごすことになると思うんです。何かの試行錯誤に夢中になっているとき、誰かにちやほやされるとか、バズるとかはどうでもいいでしょう。
消齢化社会で『スマホ時代の哲学』が影響を受けるとすれば、孤独ではなく「趣味」の方です。消齢化によって、「年齢に応じた趣味の形」という固定観念が崩れるとすれば、より他人の目を気にしなくなる点でいいことだと思います。年齢というわかりやすい生き方の指標がなくなれば、高齢の人だって、そば打ちとかゲートボールといった、かつてイメージされていたその年代らしい趣味に急に飛びつく必要はなくなるから、本当に心惹かれる……例えば渋谷のクラブに行くなんて趣味がもっと自然になるかもしれません。

これからのヒットに必要なのは、「没入型」と「交流型」の両方に刺さること


消齢化社会において、メガヒット、ロングヒットを生み出すにはどんなことが必要になるのでしょうか。

内濱
年齢ごとの価値観の差が小さくなっているとしたら、逆に差が大きくなっている属性があるのか、生活定点のデータをさらに分析してみました。すると、「交流型」の人と「没入型」の人がいて、その間で価値観の差が広がっていることがわかりました。例えば、ある同じコンテンツが好きな人がいたとして、それをネタに人と話をするのが好きなタイプと、ひたすら一人で掘り続けるのが好きなタイプがいるわけです。今後メガヒットを生み出すためには、どちらのタイプにも刺さるようなものを作る必要があるでしょう。


「没入型」と「交流型」の両方に刺さるものを作るのは難しそうですね。

植村
先日コピーライターの尾形真理子さんに消齢化社会についてインタビューをしたのですが、「コピーライターは、ある特定の個人の心をきちんとシミュレーションできなければ、多く人の心に刺さる言葉は書けない」、「ざっくりと『消齢化』と生活者をひとまとめにしてしまうことには違和感を覚える」とおっしゃられました。私たちは今、あえて生活者の塊に注目しているわけですが、尾形さんは、「その後は個に注目が集まるというような揺り戻しが来るんじゃないか」とおっしゃっていて、なるほどと思いました。

谷川
近年、主題化される対象として「個」が際立っている印象はあります。自分と似た人が出ているからメッセージが届くわけではないと思うんです。例えば、漫画の『海を走るエンドロール』は、パートナーと死別した高齢女性が映像制作を志す話ですが、私の属性はこの主人公とほとんど重ならない。それでも、特定の個に強くフォーカスし、その体験を詳細に伝えている物語だからこそ、私も感じ入るところがありました。何が言いたいかというと、特定の個人のディティールを描く方が、誰にでもピンときそうな話をするより、かえって深く届くということはある。ほかにも、社会学者の岸政彦さんの『東京の生活史』や『大阪の生活史』といった聞き書きのプロジェクトもそうです。知りもしない人の人生の細部なのに、私たちの心にまっすぐに届く。映画でも、インタビューでも、そこに出ている人を自分の属性の代表者とみなす必要がなくなったという意味で、尾形さんの指摘を実感しています。

内濱
たしかにそうですね。尾形さんは、「『消齢化』はあくまでも仮説として持っていたら役に立つのではないか」ともおっしゃっていました。今20代に向けて売っているものが、もしかしたら60代にも受けるかもしれないと考える。そのための最初の仮説として活かせばいいのではないか、と。
また、谷川先生のご著書『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』では、例えば人種による対立構造があるとき、性別や趣味などによって連帯できる可能性もあると書かれていましたね。連帯する可能性があるという仮説をたくさん持つことは、さまざまな場面で役に立つだろうと。「消齢化」もその一つとして捉えていただき、皆さんの日々のお仕事において何らかのヒントとなればうれしく思います。

『消齢化社会 年齢による違いが消えていく!生き方、社会、ビジネスの未来予測』
著者:博報堂生活総合研究所
仕様:新書判 224ページ
定価:880円(税別)
発行:集英社インターナショナル
発売日:2023年8月7日
Amazonリンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4797681292

■消齢化 紹介動画

https://www.youtube.com/watch?v=Jrd8sTx6TPI

■消齢化ポータルサイト「消齢化lab.」
https://seikatsusoken.jp/shoreikalab/

谷川 嘉浩 氏
哲学者、京都市立芸術大学美術学部デザイン科デザインB専攻講師

京都市在住の哲学者。1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。2023年より現職。『信仰と想像力の哲学』(勁草書房)『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)『〈京大発〉専門分野の越え方』(ナカニシヤ出版)など著書多数。翻訳に、シェリル・ミサック『真理・政治・道徳』(名古屋大学出版会)、マーティン・ハマーズリー『質的社会調査のジレンマ』(勁草書房)がある。

内濱 大輔
博報堂生活総合研究所 上席研究員

2002年博報堂入社。マーケティングプラナーとして、多様な市場カテゴリーでのブランディング、商品開発、コミュニケーション設計に従事。2015年より現職。研究所のリサーチ全般のプロデュース、生活変化の研究業務などを担当。

植村 桃子
博報堂生活総合研究所 上席研究員・コピーライター

2016年博報堂入社。博報堂クリエイティブ・ヴォックス、クリエイティブ局にてCM制作・コピーライティングを中心に携わる。2022年から現職。

原カントくん
本屋B&B運営、ラジオパーソナリティ

1975年生まれ。博報堂の関連会社・博報堂ケトルの執行役員として働く一方、BS12トゥエルビやラジオ日経、「渋谷のラジオ」などでレギュラー番組を持つ。

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