THE CENTRAL DOT

経営のコトダマ 第9回 未来のコトダマ ひきたよしあき

2019.03.12
政治、行政、大手企業などのスピーチライターを務め、「言葉の潜在的なちから」をテーマに子どもからビジネスマンまで読める著作多数。
明治大学をはじめ様々な教育機関で熱弁をふるう博報堂スピーチライターひきたよしあきが、企業経営における言葉のちからを綴る。

中学受験の勉強をしていた12月に
交通事故に遭いました。
右の鎖骨を折って入院。
小4からやってきた受験勉強は、
実ることがありませんでした。

当時はかなり落ち込んで、

「勉強なんてやっても何も意味がない」

と思うようになりました。

中学は休みがち。
家で音楽を聴いたり、本を読んで
暮らす毎日を続けていました。

実力がなくて落ちたなら諦めが
つきます。
しかし、交通事故で受けられなかった
となると、どうにも諦めがつかない。

おかげでこの頃から、奇妙な考え方が
身についてしまったのです。

『「過去」をいくら積み上げても、
それが「未来」になるわけではない。
「未来」は突然、気まぐれな通り雨の
ように降ってくるものである』

これが13歳で獲得した私の人生論です。

ローティーンだったこともあります。
当時はかなり世の中を斜めに見て、

『いくら努力したって「未来」に
つながるものじゃない」

と捨て鉢の気持ちに支配され、
いろんなことから逃げていた。
ただひたすら読書と音楽鑑賞に明け暮れた
ことが、今から思えば私の「過去」に
なっていったのです。

大学に入った頃から、この考えに変化が
起きました。
文学部に進みたかったのに、周囲から
法学部の方が偏差値も高く、就職でも有利
だなんて言葉を聞いて、安直に法学部を
選んでしまった。

しかし、興味のない勉強ほどつまらない
ものはありません。
憧れて入った大学なのに、キャンパスが
砂漠のように見えました。

「これはダメだ。なんとかして文学で
身をたてるように軌道修正しよう」

と決めて、生まれて初めて自分から
「未来」を設定したのです。

「文章を書くを生業にし、人を感動させたい」

真剣にこう考えて、学部編入も視野に入れて
学びはじめたのです。

ふと文学部のキャンパスの掲示板に
「第8次早稲田文学」編集スタッフ募集
というチラシが貼ってありました。
論文試験があり、私は三島由紀夫に関する
話を、夜を徹して書きました。

「未来はこうなりたい。そのために
今すべきことはこれだ」

やはり「過去」は関係ありません。
未来をありありと決めること。
そして、その未来で、自分がすでに
働いている姿を描くこと。
疑うことなく「未来は現実になる」と
楽観的な確信をもって書き進む。

結果は、合格でした。

この合格は、雑誌編集者になるだけでなく、

「未来は気まぐれに降ってくるものではなく、
未来は、自分がなりたいと設定したものを
ひたすら手繰り寄せて実現するものだ」

という生き方を選ぶきっかけになったのです。

未来とは、一人ひとりの脳みそのスクリーン
で上映される「未来の私の姿」という映画の
ようなものです。そのシナリオを書くのは自分。
主人公も自分です。
その映画の内容を、徹底的にリアルに、
ポジティブに、面白く描く。それが実現されると
信じ込む。
こうすることによって、現実の自分が、
未来の方向へと舵を切り、走りはじめるのです。

今でも、昔あった交通事故のような不幸な
アクシデントもありますが、それはシナリオを
少しばかり面白くするスパイス程度のこと。

私の描く未来が、今の私を決める。

「未来の私は、こうなっている!」

というコトダマが、今の私を自然と動かすのです。

多分これは、経営についても言えること。
未来のコトダマが、世間体のいい美辞麗句だけで
できている企業に、望ましい明日はこないと
私は確信しています。

<経営のコトダマ>
第1回 あなたの会社が終わるとき
第2回 徹底的に戦いを省け
第3回 サービスとホスピタリティ
第4回 文学は、実学
第5回 未来を五感で味わいつくせ
第6回 体調のコトダマ
第7回 座右のコトダマ
第8回 激励のコトダマ

FACEBOOK
でシェア

X
でシェア