
宮澤 正憲
博報堂 執行役員
はじめに、「マーケティング」とは何かということについて、あらためて考えてみたいと思います。博報堂が2023年に、750人の社会人を対象に「マーケティングに関する調査」を実施し、「マーケティング」と聞いて思い浮かぶ言葉を自由想起で答えてもらったところ、圧倒的に多かったのが「(市場)調査・リサーチ・アンケート」で、ほかに「販売・販促・プロモーション」「営業(戦略)」「広告・宣伝」といった答えが挙げられました。現状のマーケティングの認識は、リサーチと販売戦略に偏っていることがわかります。
マーケティングとは何かについての定義は様々ですが、マーケティングの本質は「顧客の創造」であると言ったのはピーター・ドラッカーです。このことをとらえて、際限のない需要の創造が過剰な消費と生産を生み出し、資源の枯渇や環境問題、貧困や格差、無責任な消費主義を作り出してきたと非難する人も最近では少なくありません。また、フィリップ・コトラーも「利益至上主義のマーケターの行き過ぎた非論理的な行動により、従業員や顧客が持つマーケティングのイメージは近年悪化の一途を辿っている」と近著で書いています。
「マーケティングに関する調査」では、マーケティング活動に対する印象も尋ねました。その結果、15%近い人がマーケティングにネガティブな印象を抱いていることがわかりました。その理由として最も多かったのが、やはりマーケティングは「消費者を騙すための操作活動だから」というものでした。
コトラーが指摘しているように、日本でもマーケティングに対する不信感が高まってきているということなのだと思います。この傾向がこのまま加速していくと、マーケティング活動の未来はたいへん暗いものになってしまうでしょう。では、どうすればいいのか。「マーケティング」そのもののマーケティング、あるいはリブランディングが必要なのではないか。そう私は考えます。

マーケティングの定義や考え方は、歴史とともに変化してきました。コトラー自身も、マーケティング1.0から5.0と進化させてきました。1960年代のマーケティング1.0は「製品中心」「売り手主導」であり、続くマーケティング2.0で「顧客中心」「買い手主導」にシフトしました。その後のマーケティング3.0において「価値中心」「人間主導」「ブランド重視」といった要素が重要になったと指摘しています。さらにマーケティング4.0では「デジタル」が中心となり、マーケティング5.0の時代には人間的価値があらためて見直されて「テクノロジー×ヒューマニティ」をキーワードにしてきています。
AMA(アメリカマーケティング協会)の定義もまた時代とともに変化しています。1985年、2004年、2007年において、以下の図のように変遷しました。

このようなマーケティングの変化とともに、近接する領域であるブランドやブランディングに関する考え方も大きく変わっています。高度成長期のブランドの考え方は「to C(カスタマー=顧客)」でした。それが低成長期になると「From C」、すなわちブランディングとは顧客のニーズや思いを起点とした取り組みであると考えられるようになりました。近年では、「With C」、つまりブランドとは顧客とともに創造していくものであるという考え方が主流になりつつあります。

今後マーケティングはどこに向かっていくのでしょうか。私は、3つの潮流を捉えることが必要であると考えています。「成長ではなく定常」「ニューノーマルとしての持続可能性」「企業から生活者へのパワーシフト」──。その3つの潮流です。
1つめの「成長ではなく定常」から見ていきましょう。日本は人口が大幅に減少する局面に入り、経済成長が限界を迎えつつあります。一方、生活者の側でも成長を求めるマインドが弱まってきています。メディアに対する信頼も低下傾向にあり、従来型の広告手法だけでは以前ほど効果を発揮しなくなってきています。
これらの事象は、日本社会が「成長」から「定常」にシフトしつつあることを意味します。これまでのマーケティングのモデルは経済成長を前提としたものでした。成長が当たり前ではなくなった定常型経済社会にそのモデルを適用することはできません。マーケティングのOSを書き換える必要があるのです。
このことはしかし、マーケティングに未来がないことを意味しません。定常化の時代とはまた、イノベーションの時代でもあるからです。京都大学の広井良典先生は、「量的な拡大がない世界は、変化がない世界ではない」「定常化時代には文化イノベーションが起こる」と述べています。これは、マーケティングの大きなチャンスです。力点を「物質的拡大」から「文化」や「心の豊かさの拡充」にシフトさせることによって、新しい時代のマーケティングが成立するでしょう。マーケティングの1つ目の潮流「成長ではなく定常」のキーワードは「コト重視」「心の豊かさ」「文化創造」です。
2つ目の潮流が「ニューノーマルとしての持続可能性」です。近年、企業、投資家、生活者の社会意識が非常に高まっています。企業はCSR、CSV、SDGsへの取り組みを経営の1つのテーマとするようになり、投資家はESG投資を重視するようになっています。生活者もまた、企業やブランドの倫理性や社会性を重視するエシカル消費、応援消費を実践する傾向が加速しています。
博報堂が2021年に従業員100人以上企業の経営者を対象に行った「会社と私の本音」という調査では、「経済的価値と社会的価値の両立を目指している」という答えが8割以上を占めました。また、経済的価値よりも「社会的価値の創出を優先している」という答えが15%もありました。

日本は昔から企業の社会意識が高かった国です。近江商人の「三方よし」、あるいは「論語と算盤」、つまり社会性と経済性の両立を重視した渋沢栄一の思想などはすべて、日本型マーケティングの特徴を表していると考えられます。創業200年以上存続している企業の数において、日本企業が世界の6割以上を占めている点を見ても、日本企業は常に社会性を重視しながら「持続可能なビジネス活動」に一貫して取り組んできたと言ってもいいでしょう。
社会価値と経済価値の両立を目指す日本型マーケティングがあらためて注目されるべき時代になってきている。その2つ目の潮流のキーワードは「中長期視点」「持続可能性」「社会性」です。
3つ目の潮流が「企業から生活者へのパワーシフト」です。企業が情報を保有し、それを生活者に提供していく。それが以前の企業と生活者の関係でした。しかし近年は、生活者の情報優位性が増すことによって、その情報の非対称性が完全に崩れています。それによって、ブランドは企業だけのものではなく、生活者とともにつくり上げるものになりつつあります。
日本マーケティング学会の初代会長で神戸大学名誉教授の石井淳蔵先生は、中央で静的に管理するのでなく、生活者や社会の動向とともに動的に変化していくブランドを「進化するブランド」と表現しています。これはまさにNFTやブロックチェーンといった「中央集権型」から「自律分散型」に大きく変化しているWeb3.0の時代に対応した変化です。
この時代におけるマーケティングでより重視されるのは、心の豊かさや社会性、生活者との共創などです。一方、マーケティングとはさまざまな活動を統合したものであり、仕組みづくりが重要であるという点自体はこれまでと変わらないでしょう。以上がマーケティングの3つ目の潮流「企業から生活者へのパワーシフト」を見る視点です。キーワードは「生活者共創」「自律分散型」「動的管理」です。

マーケティング活動の変化によって、今後はブランドがこれまで以上に重要になると考えられます。セリングが「売り込み方を考えること」であるとすれば、マーケティングとは「売れる仕組みを考えること」であり、ブランディングとは「売れ続ける仕組みを考えること」です。ここ数年、マーケティングのセリング化が進んできました。しかし、今後のマーケティングはよりブランディングの方に近づいていくことになるでしょう。
では、ブランドとは何でしょうか。これからのブランドとは人々が価値を共有する「場」である──。それが1つの定義になると思います。「場」としてのブランドを中心にビジネスが設計され、コミュニケーションによってビジネスのシステム全体のいわば血流が促進される。それがこれからの企業とブランドとコミュニケーションの関係になると考えられます。
ブランドを多くの人々が共有する「場」と考えた場合、その射程は社会のさまざまな領域に広がっていくことになります。アメリカでは、社会変革活動に関わるブランディング、いわゆる「ブランドアクティビズム」が一種のムーブメントになっています。すべてのブランドがそのような動きを目指す必要はありませんが、あらゆるブランドに社会意識が求められるようになっているのは確かです。最近の主流になりつつあるパーパス経営は、その社会意識を表現したものと言えるでしょう。パーパスを支持してくれる人が増えれば、結果としてブランドが強くなることになります。
もう1つ、これからのブランドを考える際に必要なのは、ブランディングやマーケティングの対象は「“消費”者ではなく“生活”者である」という視点です。企業の役割は「消費」の創造ではなく、社会における「生活」の創造であり、生活者から「応援」されることによってブランドは成長していく。その考え方を示すのが「With S」という言葉です。Sは生活者や社会(ソサエティ)を表しています。先ほど、「To C」「From C」「With C」というマーケティングの変遷を紹介しました。これからは「With S」がマーケティングの基本的なスタンスになると私は考えています。

マーケティングが「With C」から「With S」に変わることによって、さまざまな変化が生じるでしょう。対象は「消費者・顧客」から「社会・生活者」に、主目的は「買ってもらうこと」から「応援されること」に変わり、主従関係は「企業>生活者」から「生活者>企業」となります。中心的商材、中心価値、関係期間、プロセス、ブランド、コミュニケーション、コミュニティもそれぞれ以下のように変わります。そしてマーケティングの成果に関する考え方は、「ビジネス成果中心」から「ビジネス成果と社会成果の両立」に変化するでしょう。

現状では、こうした「With S」の活動はまだまだ始まったばかりですが、今後、このようなの動きが加速していくことになるでしょう。企業が一方的に商品やサービスを売るための「セリングマーケティング」から、生活者が応援したくなる「ブランドマーケティング」にシフトしていくことによって、マーケティングは社会的意義のある活動として続いていく。そう私は考えています。
水越 康介氏
東京都立大学 大学院経営学研究科 教授
「応援消費」という言葉が使われ始めたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。近年では一般に広く知られる言葉となり、マーケティングのキーワードにもなっています。学生の皆さんに聞いてみると、ブランドや店舗を支援するだけではなく、お気に入りのアイドルを支援する「推し消費」なども応援消費として捉えられていることがわかります。

私たちは最近、応援消費をテーマに3つの調査を行いました。「どのような企業やブランドが応援されているのか」「人々はどのような理由で応援消費を行うのか」「応援することにはどのような行動をともなうのか」「応援される企業やブランドになるためにはどうすればよいのか」といった点を明らかにすることが調査の目的でした。
1つ目の調査は、東京都立大学の学生を対象にしたアンケートです。221人の学生に、応援している人と企業・ブランドを挙げてもらい、その理由を記載してもらいました。結果を見ると、応援している人は芸能人やスポーツ選手、応援している企業はサービス業も製造業も同じようにありました 。企業を応援する理由として圧倒的に多かったのが「製品品質の良さ」でしたが、ほかに興味深い理由として「過去の記憶・経験」や「批判や苦戦に対する応援」などがありました。子どもの頃に最初に履いた靴のブランドを応援している人、インフレの中で値上げをせずに頑張っている企業を応援している人などがいるようです。

次に、一般の方々9名を対象に、1人につき30分程度のオンラインインタビューを行い、応援している企業やブランドについて、その理由とどのように応援しているかを尋ねました。応援する理由については、製品が優れているというだけではなく、居住地から近い、環境保護活動を行っているなど、さまざまな理由が複合的に組み合わさっていることがわかりました。また応援の具体的な行動については、直接的な購買だけではなく、応援している企業やブランドについて日常会話の中で話したり、SNSで情報を発信したりしているといった回答がありました。
3つ目の調査は、一般の方々302人を対象にしたオンラインアンケートです。応援する企業やブランドを最大3つ挙げてもらい、その理由を記載してもらいました。私たちは、以上の3つの調査結果を集計・分析して、「応援されるブランドの6つの条件」として整理しました。最も重要な条件は「製品品質」です。ほかに、生活者が企業やブランドとのつながりを感じる「セルフ・アイデンティティ」や「愛着」、日常的に利用されている「デイリー・ライフ」といった条件も応援の要素になると考えられます。一方、「社会貢献」「逆境・困難」など、企業のパーパスや経営の姿勢に関わる要素も応援されるために欠かせない条件です。

応援というテーマと従来のブランドを構成する要素は、どこが共通していて、どこに違いがあるのか。どうすれば多くの人々の応援を得られるようになるのか──。そういったテーマを明らかにしていくことがこれからのマーケティングには求められると思います。私自身、応援消費について引き続き探求を進めていきたいと考えています。