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tide対談企画「潮流のつくり方」第5回 / ゲスト:太田雄貴さん(公益社団法人日本フェンシング協会会長)

2017.12.21
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WEB・雑誌の編集者、TV・ラジオのプロデューサー・ディレクター等のメディア・キーパーソンと連携し、ニュース性の高いコンテンツを開発するプロジェクトチーム「tide(タイド)」。tideチームリーダーの川下和彦が、時のキーパーソンの方々と「潮流のつくり方」を語るシリーズです。

第5回のゲストは現在公益社団法人日本フェンシング協会会長を務める元フェンシング選手の太田雄貴さん。フェンシングの新しいファンづくりのために現在取り組んでいることや、オリンピックへ向けての展望などについてうかがいました。

フェンシング協会会長就任後初めての大会運営で、新しい演出にチャレンジ

川下:太田さんとは共通の友人である松嶋シェフ(KEISUKE MATSUSHIMAオーナーシェフ)を介して知り合いましたが、今回こういう場に来ていただけて本当に嬉しいです。

太田:こちらこそ、ありがとうございます!最初の出会いはお台場でしたね(笑)。それからよくご飯も一緒に食べに行ったりして。そのときは、ロンドンオリンピックの後で、東京オリンピック招致前でしたので、確か2013年だったと思います。

川下:そうですね。それから太田さんは2016年のリオデジャネイロオリンピック出場後に引退を発表されて、2017年8月に日本フェンシング協会会長に就任、現在フェンシングの振興のためにさまざまな取り組みを始められています。今年11月に行われた高円宮牌フェンシングワールドカップでは、早速新しい取り組みにチャレンジされていましたよね。

太田:そうですね。告知ポスターのビジュアルから、スポーツプレゼンテーションのパフォーマンス、LED照明を使った演出など、自分たちで改めてどんな「見せ方」ができるかを考え、形にしてみました。結果的に、去年の250人を大きく上回る1600人の観客の皆さんが会場に足を運んでくださいました。
そもそも今回、僕らはなるべく自分たちの手や足を動かしながらこの大会をつくるということを考えていました。イベントって、広告会社さんに全て任せることも出来るかもしれませんが、そういう姿勢のままだと、お客さんを集めて大会を成功に導くためのノウハウが自分たちには一切蓄積していかないんですよね。フェンシングだけでなく各競技団体にも言えることだと思いますが、このままだと、2020年の後、オリンピック熱が過ぎ去ってマーケットが冷え込んだときに、大きなしっぺ返しが来るような危機感を感じているんです。
ですから、設営をはじめ一部は外部のプロフェッショナルにお願いしましたが、基本的には一つのチームとして、まずどんな大会にしたいのかを自分たちで考え、具体的なイメージを描き、それを実現させるにあたって、協力してほしい方々に自分たちで声をかけていくという方法をとりました。

川下:そうやってチームビルディングされていったんですね。観客数以外ではどういった手ごたえがありましたか?

太田:今回、すごくいい空気がつくれたという実感はあります。フェンシングをやったことのない方、観戦が初めてという方もたくさん来ていただけて、楽しんでくださっているお客さんの熱量を感じることができました。お客さんにとってはこの大会がスタンダードになりますから、これからはよりプロ意識をもって、大会をベターにしていくしかないと思っています。
それから今回は僕が会長になって初めての開催でもありました。実施するまでは、おそらく「本当に雄貴に任せて大丈夫なのか?」と思っていた方もいらしたと思いますが、言葉を尽くして「頑張りましょう」「協力してください」と言っていくよりも、この空気を一度体験してもらうことが何よりも重要だと改めてわかりました。皆が関わって、一緒にいいものをつくりあげていくという意味で、協会というチームがまとまるいいきっかけにすることができたのではないかと思います。
一方で、選手とお客さんが幸せになって帰ってもらうためにどうおもてなしするか、どう空間をつくるかといった点では、まだまだ課題が残りました。オリンピックに向けてのマイルストーンでいうと、今はまだ8%くらいしか成功できていないと思います。残り2年で、どうやって100%にしていけるかが、これから問われると考えています。

今年11月に行われた高円宮牌フェンシングワールドカップの様子。

太田雄貴流をつくるのは、「人が好き」な性格と、フェンシングで磨かれた「見極め力」

川下:太田さんの企画力やプロジェクト遂行力にはいつも驚かされますが、現役を引退してすぐにマネジメントとしての手腕を発揮されるアスリートは珍しいですよね。

太田:確かにそうかもしれないですね。でも、引退後のことを先送りしてもしょうがないと思っていました。現役を退いた後の僕がもっとも力を発揮できるは、フェンシングを盛り上げていくことがことだと認識していたので、シンプルにいまやれることをやっているだけなんです。

川下:なるほど。そして、マネジメントという観点で言えば、いままさにフェンシング協会の組閣に力を注がれていますよね。

太田:はい。公益社団法人のトップはどれだけのものを無条件、無報酬で与えていけるかが基本的に求められるので、給料だとか待遇だとかの前に、フェンシングをこういう存在にしていきたいという大義が不可欠になります。一方で、競技が好きな人だけで構成しても組織はうまく運営できません。ですから僕としては、いかに外の血をうまく混ぜていけるかがポイントだと思っています。
僕自身、基本的に「人が好き」というのがあるんです。川下さんとの出会いも、最初は共通の知人であるシェフの方に紹介していただいて……そのあとは、「この人はどんな仕事をしてるんだろう」「どんな考えなんだろう」という興味と好奇心が膨らんでいきました。
会長になる前はマーケティング委員だったのですが、同じ委員の中にヤフー執行役員でショッピングカンパニー長の小澤隆生さんや、メディアアーティストの落合陽一さん、ほかにもヘッジファンドにいらした方、コカ・コーラでマーケティングを担当されていた方など、がっつりスポーツ界にいるわけではない方々にお願いして、マーケティング委員になっていただいたんです。こんな面白い顔ぶれがそろっている競技団体はフェンシングだけだと思えるくらいです。

川下:太田さんは人を見る目が非常に鋭い印象がありますが、いかがですか。

太田:人事においてはもちろん個人的な好き嫌いは関係なく、純粋にその人の能力だけで見ていますね。たとえば事業委員会に必要な能力はこれ、普及委員会に必要な能力はこれという風に、その役職に紐づく能力を最初に明確にする。そこからは、資質と能力だけを見て、一番ふさわしいと思う方にお願いする。そうすると結構うまくいくんです。

川下:人の見極めは難しくないですか?

太田:だいたいは、会った瞬間に分かります。何といっても、長年一対一の対戦スポーツで世界中の人と対峙してきましたから(笑)。見極めが早いと言われることもありますが、人に対する直感は99%合っていると思います。

川下:それはすごい(笑)。
ものごとを深く考え、目標を実現するために戦略的に行動する。そんな太田さんのキャラクターは、どのようにして形成されたのでしょうか。

太田:もしかしたら、僕が末っ子気質なこともあるかもしれません。いつも兄や姉が先に行動するのを見てから、うまくいく方法を自分で選択していましたから(笑)。あと、戦い方、戦略の作り方、あるいは人間関係の築き方など、参考にしている先人のアスリートはいます。

川下:ちなみにどなたですか。

太田:勝手にベンチマークさせてもらっているのが、野村忠宏、北島康介、為末大、皆川賢太郎の4人です。この4人がどんなキャリア、年の重ね方をしているかを、後ろから見させてもらっている。この4人は4者ともロジックといわゆる感覚のバランスが違っていて、北島さんは8割感覚2割ロジック、野村さんは6割感覚4割ロジック、賢太郎さんは6割ロジック4割感覚、為末さんは、8割ロジック2割感覚といった感じなんですね。中でも僕自身は賢太郎さんタイプなのかなと思っていて、かなり影響も受けている(笑)。会長職を勧めてくれたのも賢太郎さんでした。

川下:皆川さんからは具体的にどんなアドバイスをされたのですか?

太田:「水は上から下にしか流れない」ということ。フェンシング界から離れることなく、組織の上流にしっかり根を張っておけば、いずれ個人としてフェンシングを通して何かをやろうとしたときに何かとスムーズにいくからと。

川下:なるほど、そうなんですね。

2020年東京オリンピックへ向けて、なるべく多くのタッチポイントをつくっていく

川下:太田さんはアスリートとして、試合に向けての「最高のコンディションのつくり方」というのは意識されてきたと思いますが、東京オリンピック招致委員会のプレゼンのときなどは、どういう風に自分をつくりこんでいったのですか?

太田:プレゼン自体は、おそらく練習すればうまくなるものなので、教わった通りにやればいいんです。でも僕に与えられた大きな役回りは、チームの雰囲気をつくることだったんじゃないかなと思っています。というのも、あの招致委員のなかで、スポーツをやっているのは僕と佐藤真海さんだけでした。なかでも僕は団体スポーツをやっていたし、チームの空気づくりみたいなことを期待されていたのではないかなと思っていて。それで、ときにはおちゃらけてみたり、おバカな空気を出してみたりと、チームの明るい雰囲気が出るように心がけていました。

川下:IOCのロゲ会長が「TOKYO」と読み上げ、招致委員会のメンバーがわっと沸き立つシーンは、何度もメディアで流されましたね。みんなで抱き合って喜んでいる様子から、チーム感がすごく伝わってきました。

太田:あのときは本当に嬉しかったですね。非常に感慨深い仕事でした。フェンシングもプレゼンも一人ずつしか戦えない。でも団体戦でもある。似たものを感じていました。

川下:その東京オリンピック開催までもうあっという間だとは思いますが、現時点で何か具体的に考えている企画や戦略はありますか?

太田:今回のオリンピックのフェンシング会場って、7000席あるんです。午前と午後合わせて、一日に14000席ある。これが9日間続くので、合計13~14万席をどうやって埋められるか。それを今から考えています。
まずは、あと約2年の間にどれだけフェンシングに関わる人間をつくっていけるか――タッチポイントをどれだけつくれるかが鍵になります。お客さんは、やはり何らかのきっかけがないことには見に行こうと思わないので、運営側がどれだけ集客する努力をし続けるかが問われます。それから、一般企業向けにフェンシングのパフォーマンスと僕の講演をセットにして、インナーマーケティングに積極的に取り入れてもらうということも進めていきたいと思っています。そうやって企業のトップだけでなく、社員の皆さんにも認知を広げていければと考えています。
それから、一般の人がフェンシングを楽しめる場をつくるということも構想しています。競技自体が超ユニークなので、「フェンシングやってる」と言えば間違いなく受けますし(笑)、ちょっと変わったスポーツをしてみたいと思っている大人の方々に参加してもらえるような場づくりを考えています。

川下:最後に、改めてフェンシングとは、どういった魅力があるスポーツだと思われているか。太田さんのお考えをお聞かせください。

太田:最初はとっつきにくいかもしれませんが、実際に始めてみれば、痛い思いもせずに、駆け引きや対戦を楽しめる知的なスポーツです。子どもたちだって、当たり前のように落ちてる枝でチャンバラごっこもしているわけで、絶対日本人のDNAには響くはずなんですよ。侍の血が流れている以上は、相性がいいはずです(笑)。

川下:本当ですね(笑)。
これからも、太田さんのますますの活躍に期待しています。今日はありがとうございました!

<終>

太田雄貴(おおた・ゆうき)
公益社団法人 日本フェンシング協会会長

1985年11月25日生。
2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得。
2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。
2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど、数多くの世界大会で優秀な成績を残す。4大会連続となる2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。
2016年には日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任。同年に現役引退。
2017年6月、日本フェンシング協会理事に就任。
2017年8月、日本フェンシング協会会長に就任。
2020年の東京オリンピックに向けて、日本の顔として日本フェンシング界を牽引していく。

川下和彦(かわした・かずひこ)
PRディレクター /tideプロデューサー

2000年博報堂に入社。マーケティング部門を経て、PR部門にてジャンルを超えた企画と実施を担当。自動車、食品・飲料、IT、トイレタリーなど、幅広い領域で大手クライアント業務を手掛ける。「tide(タイド)」を発足後、積極的に社外のコンテンツホルダーと連携し、幅広いネットワークを持つ。著書に『勤トレ 勤力を鍛えるトレーニング』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等がある。

★バックナンバー★

第3回 / ゲスト:川村元気さん(映画プロデューサー、小説家)
・前編
・後編

第2回 / ゲスト:中村貞裕さん(トランジットジェネラルオフィス代表取締役社長)
・前編
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