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【清田隆之(桃山商事)×博報堂キャリジョ研】
恋バナ収集ユニット「桃山商事」がみる男女の違いとは?(後編)

2021.01.15
#ジェンダー#博報堂キャリジョ研
「桃山商事」の活動を通じ、多くの恋愛相談を受けながら女性の思考を分析する清田隆之さんとの対談企画。恋愛相談における男女の違いや、職場でのコミュニケーションの男女差についてお話しした前編につづき、後編では夫婦間コミュニケーションやこれからの女性の幸せについて語ります。

職場でのマネジメント力を家庭で発揮できない男性たち

信川:
清田さんは双子ちゃんの育児の真っ最中ということですが、家事・育児の配分や、夫婦間でコミュニケーションとるときのポイントってありますか?

清田:
本当に日々試行錯誤って感じではあるんですけど、時間や体力といった限りあるリソースの中で家事や育児をなんとか回していけるよう、どちらが何のタスクを担うか臨機応変に話し合って決めているという感じです。ただ、いまだに「男は仕事、女は家事育児」っていう慣習は残っていて、そもそも男の方が随分甘い設定になっている。ちょっと積極的に子育てをやればイクメンとか言われたり、ごみ捨てとか皿洗いをすれば家事をやる夫みたいに言われたり。まさしく「特権」とか「下駄」と呼ばれているものだと思いますが、自分自身もそういうものの上にあぐらをかいていないか、自戒を込めつつという感じではあります…。
その一方で、例えばSNSの育児アカウントなどを見ていると、「ずぼらママ」とか「さぼりママ」という言葉がやたら目につく感じがあり、中にはアカウント名にそういう言葉を入れている人も少なくない。これは個人的な推測ですが、女性の肩には高い要求がのしかかっているからこそ、「わたし全然できてません」「サボってすいません」というような卑下やエクスキューズが発生しているのではないか…。どれだけやっても足りないという人たちと、ちょっとやるだけですごいね、と言われてしまう人たちでは、立ってるスタート地点が本当に違いますよね。
そういう男女がじゃあひとつの家庭を営みましょうってなったとき、まず基準を揃えるところからスタートしないと、こっちは十分にやってるつもりでも、あっちは全然足りてないと思ってる、みたいなことが平気で起きてしまうと思うので。

信川:
それは根本的な問題ですね…。こんなにも家事・育児に対する男女の意識差が大きい中で、スタート地点を揃えるには、どうすればいいんでしょう?

清田:
結論から言うと話し合うしかないとは思いますけれど、何を話し合うかといえば、例えば家事だったら、家のこの状態を暮らしやすいと感じるかどうか。一方は散らかってると感じるけど、一方は結構きれいだと感じるみたいな「感覚のずれ」が結構あると思うんですよ。じゃあこの状態をキープするためにどれくらいの仕事量があって、誰がどのくらい担っていくかをひとつひとつ擦り合わせていく。細かなルールや習慣を二人でチューニングしながら作っていくために、最低でも2〜3年はかかるかもしれない。粘り強く、丁寧にコミュニケーションしながら基準を揃えていかないと、簡単にすれ違っちゃう問題だなと感じています。

松井:
でも、今のお話って清田さんのような男性だからできるのかなとも思いましたけど。話し合いたくても話し合いにならないというか、男性が擦り合わせに応じてくれないんじゃないかなって懸念はありますよね。諦めて、もういいや、だったら私がやったほうが早いとか(笑)。

清田:
自分もどこまでできているか自信はありませんが…でも、男性だって例えば職場でマネジメントをする役職についている人だったら、全体を俯瞰してあそこが足りないとか、いつかのために今これをやっとかなきゃとか、いろいろ考えると思うんですよ。この仕事だけやってればいいなんて、よほど贅沢な状態じゃないですか。仕事では当たり前にやっているのに、家のこととなると途端にできなくなってしまう…そういう男性の話をよく聞きます。女性側が家事や育児のマネージャー的役割を担っていて、男性は割り振られた仕事を単発的にやっているだけという家庭も多いようです。与えられた仕事だけやるのと、全体を考えて労力を振り分けてやるのは全然違うことだって、たぶん仕事をしていれば分かると思うんですけどね…。

松井:
とある漫画でも同じようなことが描かれていました。定年ぐらいの年齢になった男性が、家庭で全然コミュニケーションがとれていなくて。でも、仕事では相手が何を考えているか察して、相手のために提案してっていうのを当たり前にできてたわけですよね?って、なぜそれが家庭で発揮されないんですか?みたいに突っ込まれるシーンがあって、まさにそのとおりだなって。やっぱり家庭にも職場と同じように「教育や育成」が必要なんですかね。

清田:
共通のルールも習慣もないまま他人同士がいきなり生活を始めましょうとなっても、様々なすれ違いやいさかいが起きてしまうはある意味で普通のことだとは思います。なので、ある程度同じ土台を共有した上で暮らしを営んでいくほうがうまくいくとは思うんですが、そのための教育とか研修とかってないですもんね…。しかも、現状では夫の育成コストも女性が担わされているというケースも多く、それも大きな問題だと感じています。

シンパシーよりエンパシーの「共感」で違いを受け入れる

松井:
そういう最初の話し合いの場が当たり前に設けられるといいですよね。最近は婚前契約をするカップルも少しずつ出てきているようですが、そうした話し合いにネーミングが付くとそういう習慣が生まれたりするのかもしれないのですけど。

清田:
いろんな習慣って違って当たり前なのに、どうしてもこっちのほうがいいとか、それは変だとか、優劣や善悪みたいなのが入ってしまいがちだと思うんですよ。そうすると途端に「価値観の否定」みたいなところにつながり、かたくなになってしまう。どれだけ近しい人であっても究極的には異文化コミュニケーションみたいなものだと思うので、「わかり合えないからこそ話し合う」というスタンスでコミュニケーションしていけたらいいですよね。

松井:
正しいとか間違っているではないですもんね。昔の結婚相手の条件は「3高」なんて言われていましたが、今キャリジョ研では「3共」を提唱しています。共通の金銭感覚と、家事を共有できるかと、共感できる価値観という「3共」。その辺の擦り合わせができないと結婚できないって、今どきの冷静な女性たちは考えはじめているんですよね。

清田:
いま出た「共感」ですが、英語では「シンパシー」と「エンパシー」というふたつの言葉があるそうです。シンパシーとは「同じ気持ちになる」ということで、その気持ち分かるなとか、同じような思いをしたことがあるな、みたいな意味での共感。一方のエンパシーとは、自分とは異なる考えや感情に対する想像力のことで、「同調はできなくても理解はできる」という共感を意味します。
日本で共感っていうと、シンパシーみたいな捉え方をついしてしまうけれど、実際はみんな考え方も背負っている文化も価値観も違うんだから、その前提をまずは理解した上で、何がどう違っていて、どうすればいいかを考えていく。エンパシーっていう意味での共感が大事なんじゃないかと思うんです。シンパシーは同調するという心の状態だから鍛えることはできないけれど、エンパシーは能力だから身に付けることもできるし、鍛えることもできる。これはブレイディみかこさんが『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本に書いていたことで、とても参考にしています。まずは自分の価値観をいったん置いておいて、相手の言っていることを論理的に理解するっていうのが、エンパシーの第一歩なんだろうと思います。

男性の“生きづらさ”で感じる、対抗馬弱すぎ問題

松井:
日々働く女性の研究をするなかで、本当に男女差って存在するのだろうかというのが個人的なテーマでもあります。脳の構造が違うとか、狩猟採集時代からの役割分担の名残があるとか、いろいろな説がありますが、それについて清田さんが感じていることはありますか?

清田:
生殖をめぐる身体の機能や、全体として見た場合の体格差など、生物学的な男女差はもちろんあると思います。でも、脳の構造における男女差は科学的根拠がなく、「ニューロセクシズム」という言葉で批判もされているし、「男は狩り、女は採集」という役割分担も単なる俗説に過ぎず、実は女性も同程度に狩りをしていたという考古学の調査が最近発表されていました。
なので生物学的性差(=セックス)を根拠にした役割分担に関しては眉唾だなと感じていますが、社会的・文化的に形成された性差(=ジェンダー)に関しては男女で大きな違いがあると個人的には考えています。社会がどう扱うか、周囲からどう扱われるかに関しては、もう本当に目まいがするぐらい男女で異なっているように感じられて仕方ありません。

松井:
なるほど。私たちも、職場での関係は性差というより世代差の方が大きく感じます。キャリジョ研では世代論も研究していますが、マーケティング上は20〜30代と一括りにしがちでも、今は5世代に分けたりしているくらいです。
また、私たちはキャリジョ研として女性についての発信をしていますが、女性ばかりが主張していてちょっと不公平というか、男性だって大変なんだとか、男性の生きづらさもあるんだみたいな意見もあるとは思うんですよね。

清田:
#MeTooや#KuToo、フラワーデモや生理をめぐるムーブメントなど、女性からの異議申し立てによって社会が変化した事例はこれまでもたくさんあり、近年はとりわけクローズアップされる機会が増えているように感じます。そういったものに対し、「男だって生きづらいんだ」という声がぶつけられることも多いのですが、それって本来おかしなことですよね。もちろん男性にも男性特有の生きづらさはあると思います。でも、それは男性自らが言語化し、ひとつのイシューとして社会に訴えるべきものですよね。売り言葉に買い言葉みたいな感じで声を上げている女性にぶつけるものでは決してないはず。
以前、桃山商事の配信番組で生理をテーマにしたことがあります。毎月何日も体調の悪い日があるとか、ナプキンを一日何度も変えなきゃいけないから大変というエピソードが寄せられ、それらを紹介しながら我々男性の無知や無理解について考えるという内容だったんですが、中には「男だって毎日ひげをそらなきゃいけないから大変」「男の性欲だって同じくらい面倒くさい」などという男性からの声もありました。
生理に限らず、女の人が「こういうことが苦しいし、つらい」と言ってるときに「それを言ったら男だって〜」と持ち出す謎現象は他にも結構あるんですが、事例として挙げられる要素がヒゲとか性欲とかことごとく的外れかつしょぼいという…これを桃山商事では「対抗馬弱すぎ問題」と呼んでいます(笑)。
そういった出し方ではなく、もしも男性ならではの苦しみを感じているならば、それはそれとして社会に訴えていくべきではないかと考えています。

これからの女の幸せの条件は、お金と仕事と女友達!?

信川:
私たちも男性側の立場や意見を知りたいので、男性側の本音もぜひ発信してほしいのですが、清田さんは基本のスタンスとして男性の反省から入っていますよね(笑)。

清田:
桃山商事は「女性の恋愛相談をきく」というのが活動のベースにあるので、どうしても反省的になりがちというのはあると思います。相談者のほとんどが異性愛者の女性なので、必然的に男性のダメな話とか嫌な話をきくことになり、男ってなんなんだろう…みたいな気持ちになってしまうというか。元々は本当にただ恋バナをわいわい語らうユニットだったんですが、次第に男性性やジェンダーの問題を避けては通れなくなり、現在のようなスタンスになっていったという経緯がありました。「桃山商事は女に甘い」と批判されたことも少なからずありますし、例えば女性向けメディアの取材などで「なにか女性に対してお叱りの言葉をください」なんて言われることも結構あるんですけど、何と答えていいのか本当に難しいなっていつも思っていて。

松井:
たしかに、いろいろな女性の話をきいている清田さんだからこそ、女性へのアドバイスをもらいたくなる気持ちはよく分かります。お答えが難しいかもしれませんが、女性たちが幸せに生きていくために、これからどんなことが必要か、清田さんなりのメッセージをいただけますか?

清田:
そうですね…個別具体の悩み相談なら話は別ですが、女性全般に対して「これをしたほうがいい」「あれはやめたほうがいい」みたいなアドバイスは持ち合わせていないというのが正直な本音です。桃山商事で話を聞くのはアラサーからアラフォー世代の女性が多いんですけど、彼女たちの語る「幸せの条件」みたいなものを総合すると、「お金」と「仕事」と「女友達」っていうことになるんですよね。彼氏や夫はいらないから、種だけ提供してもらって子どもを産んで、女友達とルームシェアしながら子育てしたいと語る女性が冗談ではなく一定数いて、ある種の「男性不要論」をひしひしと感じます。話も通じないし家事能力も意識も低い男より女友達のほうが断然いい、と…。それは切実な叫びで、制度や常識が変わればどんどんそっちのほうに進んでいくのではないかと感じるぐらいです。女の人たちの抱える「男性に対する諦めや絶望」にはなかなか深いものがあって、女性どうこうよりも、我々こそ変わらねばならないときではないかと個人的には考えています。

松井:
選択肢が増えたということなんでしょうね、経済的にも自立して安定してきている今の女性たちだから言えること。老後は男抜きで女性同士で暮らそうという「互助会」の話は、物語でも現実でもよく聞くのですが、まだ老後が来ていないので、実際どうなるのかは私も気になっているトピックです。

清田:
様々な選択ができるようになったのは本当にいいことですよね。めまぐるしく変化している時代の中で、我々男性はどうしたらよいか。反省や内省はもちろん必要だと思いますが、希望ある男性性のあり方も同時に模索していけたらと考えています。

清田隆之
きよたたかゆき
文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。

1980年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。『yomyom』『QJWeb』『精神看護』『すばる』『現代思想』など幅広いメディアに寄稿。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。著書に『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)。2021年1月に桃山商事としての新刊『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)が発売される。
Twitter→@momoyama_radio

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