
──まずは自己紹介と、ケトルとのこれまでのかかわりを教えてください。
太田
代表取締役社長 共同CEOになりました、太田郁子です。博報堂に入社して数年はストラテジックプラナーとして、ナショナルクライアントを中心に担当してきました。入社5年目ごろから木村さんとも嶋さんとも仕事をする機会があったので、2006年にケトルが立ち上がる直前から、マーケティングの領域を越境してクリエイティブを考えるような業務に一緒に携わってきました。
その後もケトルとの仕事が多く、2012年に正式に参加して、今もマーケティング戦略の業務とクリエイティブディレクター(以下、CD)の業務を半々くらいで担当しています。加えて15年から、ケトルのPR力をさらに強化するというミッションの下でPRチームを率いたり、SPIKES ASIAのPR部門審査員を務めたりもしてきました。
船木
代表取締役 共同CEOの船木です。僕は実はデザイナー職として博報堂に入社したものの、きみはデザインよりもプランニングがいいよ、ということでデザインの仕事を一切せずにCMプラナーの道を歩んだ、当社初の人材です(笑)。
しばらくCMプラナーとしていろいろなCDと仕事をした後、4年目くらいからADとしてデザインの仕事もするようになりましたが、すぐに博報堂クリエイティブ・ヴォックスに呼ばれ、また数年して2006年に嶋さん木村さんに呼ばれてケトルの創立メンバーに加わりました。僕は太田と違って、2人のことを全然知らなかったんですが、呼ばれたら行くことにしているのでポンと入りまして。ケトルは創立当初から「手口ニュートラル」を掲げていたので、それなのに“デザイン”という単一の手口に括るのはどうなんだと思ってADの肩書をそこで捨て、以降はCD業務や並行して事業開発にも携わったりと、多岐にわたる仕事をしてきました。
──嶋浩一郎、木村健太郎の両名からケトルを引き継いで、まだ数カ月ですが、率直に今の気持ちは?
太田
そうですね、強いところは維持しながら、新しいチャレンジも進めたいと思っています。
まず強みでいうと、先ほど船木が話したように、手口ニュートラルが昔も今もケトルの根幹にあります。今でこそ、手法論に捕らわれずに横断的にマーケティングコミュニケーションを考えるべきだ、と様々な会社が謳っていますが、2006年当時はまだまだそういう考え方は稀でした。またPRについても、今はその効果や重要性が理解されていますが、ケトルは最初からPR発想で、世の中の情報のシナリオを描いてそこにクリエイティブを載せていく……というプランニングを続けてきました。
目的に応じて、どんな手口もニュートラルに使っていく考えをベースに、統合コミュニケーションとPR発想のプランニングを先駆者として実践してきたケトルの強みは、今後もさらに磨きをかけていきます。

──チャレンジの部分は?
太田
具体的には、2つあります。ひとつは、ケトルがいち早く模索してきた統合コミュニケーションもPRも、今やそれが広告業界での主流になっているので、私たちはさらなる遠心力を持って今現在の業界の際を破壊していきたいと思っています。広告業界以外の“血”を入れたりしながら、もっとトランスフォーメーションしていきたいなという思いがあります。
もうひとつは、手口ニュートラルを適用するレイヤーを拡張していきます。もともとの業務はあくまでコミュニケーション上の課題解決でしたが、最近では事業レベルのソリューションだったり、企業のビジョンやミッション、パーパスの実現について相談を受けることも増えてきました。そうした課題にも、今までよりも広い視野を持って最適な答えを返して、ハッピーな状態を提供できるケトルを目指したいと思っています。
──船木さんはどうですか?
船木
手口ニュートラルの強化については太田と同じですね。付け加えると、創業時よりだいぶ人数が増え、これからさらに領域の異なる方々を迎えるにあたって、僕らも改めて手口ニュートラルを捉え直そうと思っています。手口ニュートラルは、平たくいうと「手段を選ばず何でもやろう」ということなんですが、やはりどこかケトル流というか、ケトルのDNAに基づいた考え方、実行の仕方がある。それを今まではあえて言語化せず、個々が暗黙知的に吸収して発揮してきたところがあるので、この代替わりを機に立ち返り、言語化できるところは言語化しながら外部へも伝えていきます。
捉え直す必要があるなというのは、内部的なことだけでなく、外部的な要因でも僕らの仕事の内容が変わってきているから、というのもありますね。以前は、広告コミュニケーションやケトルが得意としてきたPR領域は、商品が世の中に出ていくときの最後だけを担っていました。そこにこれくらいの予算があるから、何ができるか、と。
でもそれが、今ではもっと商品やサービスが生まれるところから携わるようになっています。そうなると時間的にも長期になるし、フェーズによって考えるべき観点も打ち手も変わります。その大きな変化も、社内の皆と共有できればと思って。

──「越境しよう」という以前からのケトルの動きの一方で、企業にもそれが受け入れられるようになっている?
船木
そうですね。マーケティングの最後の部分から、より上流へ、さらに事業開発や、太田が言うような企業の存在意義に関してまで、僕らのアイデアが求められることが多くなっています。
──先ほどの企業の変化の話にも通じますが、ケトルが設立した2006年から15年近くの間に、PRの在り方も変わってきています。どのようにご覧になっていますか?
太田
PRは一時期は“バズらせて情報をリーチさせる手法”のように捉えられていましたが、言うまでもなくそれは本来のPR、パブリックリレーションズではないですよね。その点に皆さん気づき始めているなと思います。そして、「世の中と合意形成する」というPRの本質があらためて重要になってきているなと感じています。日本経済が停滞する中、イノベーションの重要性が語られ、技術的革新もなかなか起こらないとなると、概念で革新を起こすしかない。技術的革新があったとしても、みんながその革新を「いいよね」と受け入れなければ市場は転換しない。新しい行動や、価値観、概念に対して、より多くの人が「それ、いいよね」と思ってくれる状況をつくるということが合意形成であり、これからのPRが担う役割だと思っています。
船木
僕らがお役に立てる範囲が広がるにつれて、PRが機能する範囲も広がっています。事業レベル、企業レベルで上流からPR発想の種まきをしていく。嶋さんがまさにそうだと思いますが、本質的なPRを実践できるPRディレクターってすごく優秀で、社内外含めてそういう方と組むと、最初から最後まで世の中のことを見通しながら人の意識に訴えかけていけるんです。
太田
そうですよね。ケトルに新しい“血”を取り込みながら、また外部とも協業しながら、クライアントと一緒に2020年以降の世界の主流になるような新しい概念をつくっていきたい。ときには、ケトル発でもそれに挑戦したいと思っているところです。
──新体制になってから、すでに複数の新しい取り組みが発表されています。いくつかうかがえますか?
太田
ひとつは、まさに1月から始まるテレビ東京のドラマ『絶メシロード』ですね。このドラマはケトルのCDの畑中翔太がプロデューサーを務めています。CDの仕事の領域を飛び越えて、広告の外に出ていくわかりやすい例になりました。
もともと畑中と、プロデューサーの日野昌暢のペアが、群馬県高崎市のシティプロモーションとして絶やしたくない絶品グルメを紹介する「絶メシリスト」というキャンペーンを手掛けていたんですね。これはドラマ化できるのではと、全国の絶メシを訪ね歩くというコンセプトで2人がテレ東さんに自主プレゼンをして、たくさんのドラマ企画の中から選ばれて制作に漕ぎ付けました。

太田
それから、渋谷の東急東横線の線路跡地に開設した「TRAIN TRAIN TRAIN」も、初めての試みです。ストリートオフィスと呼んでいるんですが、ここにケトルがサテライトオフィスを置くほか、クリエイティブ系の会社にも3社入居いただいています。その他、コワーキングスペースやカフェ、スナックなどもあります。
これはCDの大木秀晃が手掛けていて、社内外のクリエイターが集まる場として育てようと、今まさに模索中ですね。クライアントから業務を受注して、オリエンを待って始まるという従来型の商流ではなく、クリエイター同士の化学反応からプロジェクトが生まれ、そこにクライアントが参画してくださるような仕事を生み出せないかと考えています。



──11月下旬には、オウンドメディア「ケトルキッチン」を開設しました。この狙いは?
船木
ケトルって、それぞれのメンバーは一応肩書きはあるものの、企画から実行まで何でもやるので肩書きでくくれない部分が多いんです。博報堂社内からも僕らは“ケトラー”と総称されていたりして(笑)。企業や業界の方々にも、これまでは各種のアワードや社外セミナーで知ってもらう程度の接点しかなかったので、各メンバーの活動や考えていることをコンテンツ化して発信していくことで、ケトルについてちゃんと伝えていければと思って立ち上げました。
先ほどの「絶メシ」の制作日記もありますし、僕も太田もそれぞれ連載を持っています。また、コンテンツのひとつの「やかんのこんかん」というコラムは、前述の「手口ニュートラルを言語化しよう」という取り組みの一環です。
──いろいろな個性が垣間見えるわけですね。
太田
そうですね。私たちがイメージしているケトルは、商店街なんです。個々の商店がそれぞれの持ち味でお客さんを持ちながら、街としてもにぎわっているような。八百屋さんに来たついでに隣の焼き鳥屋ものぞいてみようか、という感じで私たちのことを知ってほしい、それを体現したひとつのチャレンジが今回のケトルキッチンです。
で、私たちは2代目の町内会長、というのがしっくりくる立ち位置です(笑)。自分でも個人商店を持ちながら、盆踊り大会を企画したり地域交流をしたり、外にすてきなお店があったら招致したりしながら、商店街全体を盛り上げていきたいなと。そんなふうに捉えています。
船木
ケトルとして手口ニュートラルを強化していく、とお話ししましたが、一方で今太田が話した“個々の商店”も、今後はもっと強くしていこうと皆に話しています。ケトルはもともと一人ひとりがのれんを掲げている集団ですが、人数も増えてきたので、前以上に強みと持ち味がはっきりしていないと存在感が薄くなってしまう。何でもやっていいからこそ、ここは誰にも負けないという強い軸足がないと、自分流の手口ニュートラルができないんですよね。
──何でもやっていいからこそ、軸足がないと。
船木
そう、逆説的ですが。で、多種多様な仕事を引き受けたり、自分たちで新しい仕事をつくり出していくためには、お互いの軸足を知ることも大事です。
少し余談ですが、それには年1回おこなっている全社員参加の合宿研修も役立っていると思いますね。毎年幹事を決めて、必ず何らかの体験型のアクティビティーを盛り込んでいて、神戸でテーブルマナーを学んだり台湾で小籠包を包んだり、富山の雪山でうさぎ追いをしたりしてきました。
皆が初心者なので、たとえば僕がグレイシー柔術で後輩に投げ飛ばされたりと、仕事を離れたフラットな状態で、それぞれの一面がわかる。あと、前CEOの二人が正反対の志向性なんだな、とか。
太田
嶋と木村は、グループ分けのために「白が好き?黒が好き?」「パン派?ごはん派?」みたいなクイズを10問やったら、全部違っていたんですよね(笑)。私と船木もキャリアからものの見方や考え方まで正反対に近いので、そういう2人体制がいいのかもしれない。
合宿は、単純にインプットという点でもすごく刺激になりますが、実は手口ニュートラルの文化の維持にも貢献していると思います。大人になると、新しいことにトライして失敗して怒られて、みたいな経験が少なくなりますよね、年次が上がると特に。するとおのずと、自分が以前やって成功した道しか選ばなくなってしまう。
でも、手口ニュートラルで課題を解決しようとすると、前例のない提案や交渉が次々と出てくるので、縮こまってはダメなんです。合宿で初めてのことに挑戦すると、後輩に抜かされたり先生に怒られたりするんですけど(笑)、その“下っ端感”を取り戻すことが、実はケトルの仕事にとても大事だなと感じています。
──では改めて、今後の抱負を聞かせてください!
太田
町内会長としても、個人商店の主としても、両方がんばっていきたいです。特に、日本発で世界に通用するアイデアを今まで以上に模索していきたいと思っています。アワードを通して、世界の皆さんにも一定の評価をいただいてきたので、これまでのケトルの良さを失わずにパワーアップして、これからも“boil the world”していきます。
加えてもうひとつ、まだ構想段階ですが、ケトルとして「クリエイティブの力で社会をよくする」ことに取り組みたいですね。クリエイティブやコミュニケーションでは解決できない部分も当然あると思いますが、できる部分もあるはずなので、社会がよりよくなることにコミットしたい。その思いに共感して一緒にチャレンジしてくれる方、絶賛募集中です!
船木
僕は太田とは逆に最近はドメスティックに関心が向いていて、国内の地域の企業とものづくりをしたり、事業ヴィジョンを一緒に考えたりもしています。またケトルキッチンでも企業の社長と対談したりしていくのですが、経営者のみなさんすごくいろいろ考えていらして50年以上の歴史があっても気持ちの上ではスタートアップな企業がたくさんいらっしゃいます。そもそも日本の企業が元気にならないと楽しくないですし。グローバルに関して一番大きな壁は、私自身が英語があまり話せないことです。技術の発展でコミュニケーションの壁が日々なくなってきているのはうれしいことです。壁が取り払われた瞬間、これまで培ってきた発想力とクリエイティブの力が、意外とポンとグローバルに広がるかもしれないな、と。
そのとき、僕も太田がいうような取り組み、ソーシャルアクションは大事にしていきたいです。それを軸に、社内外のクリエイターや世界のパートナーと気軽にアイデアを模索できるといいなと思いますね。

2001年博報堂に入社。ストラテジックプラナーとして、様々な企業の経営戦略、マーケティング戦略の立案や商品開発に参画。2012年博報堂ケトルに出向。クリエイティブディレクターとして、様々な企業の統合コミュニケーションを構築。2015年、博報堂ケトルにPR専門チームを設立、そのリーダーを務める。主な受賞歴として、カンヌライオンズなど多数。2018年SPIKES ASIA PR部門審査員。

1996年博報堂入社。博報堂クリエイティブ・ヴォックスを経て2006年博報堂ケトル設立に参加。アート系出身ならではの視点を活かし、クリエイティブディレクターとして企業の事業開発からCM、イベント、PRまでメディアにとらわれず手がけている。
受賞暦にカンヌライオンズシルバー、クリオゴールド、ニューヨークADCゴールド、D&ADイエローペンシル、スパイクスゴールド等。