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國分先生、人間は「暇」とどう向き合うべきなんでしょう?【後編】~BranCo!2019~

2019.01.25
#BranCo!
BranCo!」は、博報堂の次世代型コンサルティングチーム「博報堂ブランド・イノベーションデザイン」と東京大学教養学部教養教育高度化機構が共催する、“大学生のためのブランドデザインコンテスト”。課題となるテーマについて様々な視点から調べ、その本質を考え抜き、魅力的な商品やサービスブランドのアイデアをつくりだして競い合う、チーム対抗形式のコンテストです。今年のテーマは「暇」。『暇と退屈の倫理学』の著者である、東京工業大学教授の國分功一郎先生と、博報堂ブランド・イノベーションデザインのボヴェ啓吾と岩佐数音が「暇」をテーマに語り合いました。

★前編はこちら

消費と浪費の違い

ボヴェ
『暇と退屈の倫理学』では、消費と浪費の違いを論じている箇所も印象的でした。消費社会の真っ只中にいる広告会社として、真剣に向き合わなければいけないテーマだと痛感しました。

國分
消費は止まらないということがポイントです。グルメブームが一番わかりやすい例ですよね、Aという店が流行ったらAに行く、B店がブームになったらBに行く。そういう人は、食事そのものを楽しんでいるわけではなくて、Aという店に行ったという情報を消費しているだけです。
ボードリヤールという思想家は、人類はずっと浪費を楽しんできたと言っています。浪費とは、モノそれ自体を十二分に享受するということです。ところが、20世紀になると、人間は消費を始め、消費社会が生まれるわけです。
モノをそれ自体として享受することは、前編で話したような、自分が自分のもとにいることとすごくつながっている。やっぱり自分のもとにいられない人は、消費の論理に振り回されやすい。消費社会はそれをうまく利用するわけですよ。対して、自分のもとにいる人であれば、これはおいしいなとか、これはおいしくないなというところから判断が始まる。それは浪費家のあり方なんですね。
でも、消費社会のロジックを続けている限り、僕らはそういう浪費家になることを許されず、消費者になることを強制されてしまう。もしみんなが浪費家になってものを楽しんで享受するようになったら、いまとは違う経済が始まるんじゃないか。
この本を書くにあたっては、そうやって実存の問題と社会の構造問題の両方を扱った本を書きたいという思いも強くあったんです。

楽しむためには訓練が必要だ

ボヴェ
浪費とともに、「贅沢」もキーワードとして出ていましたね。

國分
たとえば、これはいい靴だと思えれば、何度も手入れをして履く。30万円の革靴を買い、手入れをしながら何十年も履き続ける。革もいい感じになってきて、そこにはものすごい快楽がある。その快楽を味わうことが贅沢ということです。
でも消費社会に身をおくと、そういういい靴と何十年もつきあうという贅沢が奪われてしまう。だから、もっと楽しめ、贅沢しろ、快楽をむさぼれと言いたいんです。そうすればそうするほど、社会の構造に変革がおとずれるはずだという直感があるからです。

ボヴェ
快楽をむさぼるためには、むさぼり方を学ぶことが必要だとも書かれていますよね。

國分
「楽しむためには訓練が必要だ」という一節ですね。たとえば食事にしても、いろんなものを食べるから、味の違いがわかるようになる。だから、学ぶとは楽しみ方が増えるということです。学んでモノのよさがわかれば、快楽が増えていくわけです。ビニールの合皮の靴と牛革の靴を見て、学んでいない人はどちらも大して違いがないと思うかもしれないけど、靴に詳しい人は牛革の靴をすばらしい靴だと思って、そこから大きな喜びを掬いとることができますよね。

岩佐
そこに企業ができることもあると思うんです。企業の活動が、誰かにとっては楽しみ方の訓練になる。そういう試みとして思い当たることは何かありますか。

國分
たとえば本や映画、番組をつくることのなかにだって、楽しむための訓練になる要素はたくさん入れることができますよね。もっと、こういう楽しみ方をしてほしいという思いをもって何かをつくったら、やっぱりその思いは表れるでしょうし。
売れるとか売れないということだけを考える人がつくったものは残らないんですよね。いまこういう考え方が必要なんじゃないかとか、新しい楽しみ方を提案しようとか、そういう気概をもって企業が動いたら、社会のあり方も大きく変わっていくんじゃないでしょうか。

人間がAIに近づいている

ボヴェ
暇というテーマにからめて、労働という問題についてもうかがいたいことがあります。AIの普及とともに労働が奪われるという話もよく出ますが、はたして人間は、労働しなくていい未来を目指すのが一番なのか、それとも人間は労働を手放してはいけないのか。國分先生はどのようにお考えですか。

國分
僕はベーシックインカム反対なんです。ベーシックインカムって、複雑な社会保障の制度を単純化して、一本化して最低限度のお金をあげるからあとは勝手に生きてくださいという制度ですよね。だから全然優しくもなんともない。
まず、ベーシックインカムみたいな制度ができると、働きたいのに働けない人に対してなんもできなくなってしまうんですよ。たとえば、障害者にもベーシックインカムを給付すればいいでしょ、となりかねない。
でも障害があってなかなか働きにくいけれども、働きたいという人はたくさんいます。それは、働くことが大きな充実感を与えるからです。一説によると、「はたらく」という言葉は、傍(はた)、つまりほかの人のために何かをするところから来ていると聞いたことがあります。
その真偽はわかりませんが、働くことはほかの人たちとつながって生きていることの証でもあるし、僕自身も大学で教えることから大きな満足感や充実感を与えられています。

岩佐
一方で、現代日本を考えると、働きすぎで暇な時間がなさすぎるような気がします。暇はないけど退屈な状態を、仕事をやることで気晴らしをしている。それは余暇を楽しむ訓練をしていないからではないでしょうか。

國分
もしかしたら休暇が怖いのかもしれません。でも、そんなものは法規制で休暇を取るように決めたら、意外と1年ぐらいで大きく変わるんじゃないかという気もします。
おっしゃるように、とにかく働き過ぎというのは日本の問題の根源にあります。民主主義と言ったって、時間がなけりゃ何もできない。仕事をして疲れて帰ってきて、選挙なんて行くわけないですよね。
驚くべきことに、イギリスは選挙の投票日が平日なんです。だけどみんな投票に行ける。それぐらいの余裕があるということですよね。

ボヴェ
AIと労働の関係についてはどう思いますか。

國分
人間の仕事がAIに奪われるかもしれないという話に、なぜ多くの人がビビッドに反応するかというと、自分の仕事だったらAIにできるかもしれないと想像するからですよね。それは、AIが人間に近づいているんじゃなくて、人間がAIに近づいているんですよ。つまり人間がアルゴリズム化されているということです。

たとえば今の接客業では、顧客に対してどういう場面で笑うかということまでマニュアル化して教えます。そういうことならべつにAIでもできる。働いている人、一人ひとりの個性を生かした仕事の仕方があれば、絶対機械に負けるわけがないんですけど、そういう個性を排除したところで仕事が成立しているから、個性のある人は排除され、どこに行ってもなんでも言うことを聞くアルゴリズムのような人が労働者として働いている。
でも、アルゴリズム化を強いられている人の場合、自分の仕事がAIに取って代わられるんじゃないかと恐怖を抱いても不思議はありません。

ボヴェ
最後に、今回のBranCo!に参加する学生たちに対するメッセージをお願いします。

國分
暇について考えることは、自分の労働について考えることと結びついているはずですから、このコンテストを通じて勉強したことを、ぜひ自分が将来働くときに生かしていってほしいし、なにかおかしいなと思うことがあったらきちんと意見してほしいと思います。
このBranCo!は、グループで活動するところがすごくいいですよね。グループで一緒に考えることは、本当に楽しいし、「暇」というテーマだと勉強しなきゃいけない。勉強を促すようなテーマになっている点もとてもいいと思います。
スピノザという哲学者は、物事を理解すると、その理解したものじゃなくて、理解の仕方も学ぶといいます。つまり勉強は常に二重になっているんですね。このコンテストでもそういう学びが得られることを期待しています。

■BranCo!2019公式ウェブサイト
https://branco.h-branddesign.com
■ファイナルイベント申込ページ
https://branco2019-final.peatix.com

構成=斎藤哲也

■プロフィール

國分功一郎(こくぶん・こういちろう)

1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。主な著書に『中動態の世界──意志と責任の考古学』(医学書院、2017年、第16回小林秀雄賞受賞)、『民主主義を直感するために』(晶文社、2016年)、『近代政治哲学──自然・主権・行政』(ちくま新書、2015年)、『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞受賞)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書、2013年)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店、2013年)、『スピノザの方法』(みすず書房、2011年)。訳書にジャック・デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店、2004年)、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫、2008年)などがある。

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