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「エフェクチュエーション」 起業家の意思決定プロセスから探るマーケティングの未開領域(前編)

2018.11.20

*「博報堂マーケティングディレクター」とは
市場の成熟化と技術革新が交錯する複雑な環境を生き抜くために、これまで以上にマーケティングへの期待が高まっています。
一方で、教科書的なマーケティングの概念では語り尽くせないテーマも増えています。
変化の激しい経営・事業環境と向かい合いながら、マーケティングを進化させて、その新しい可能性、拡張性をリードしていく。
そんな活動をしているのが「博報堂マーケティングディレクター」です。

闘区・第3回のテーマは「エフェクチュエーション」。2000年以降、起業家研究の分野で最も注目を集める概念だ。「優れた業績を成し遂げた起業家たちの多数は、STPマーケティングが想定するような思考・行動のプロセスには従わない」というそのテーゼは、マーケターにとって大変刺激的である。
果たして起業家の意思決定プロセスの理論であるエフェクチュエーションは、マーケティング理論と対立するのか、あるいはマーケティングの可能性を押し広げるのか。また現実のマーケティング活動と結びつけた場合に、どのような実効性を持つのか……。エフェクチュエーションの先端的研究で知られる神戸大学大学院栗木契教授と立命館大学吉田満梨准教授、2人の有識者と博報堂マーケティングディレクターズが議論を闘わせた。

エフェクチュエーションとは何か

博報堂MDr. 米国における起業家研究の第一人者であるサラス・サラスバシー教授が、著書『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』で提唱している理論は、我々マーケターにとって大変興味深いものでした。企業を取り巻く経営環境が劇的に変わる中で、マーケティングが担う領域も一層拡大していくべきである、という課題認識を我々は持っており、起業家の発想を取り込むことはその大きな契機となるかもしれません。

しかし一方で、「予測や計画よりも直感や行動を重視する」「マーケティングは失敗を避けるが、エフェクチュエーションは失敗に学ぶ」といった論旨に、ただ素直にうなずくわけにもいかないと感じたのも事実です。

栗木 我々研究者としても、エフェクチュエーションの理論が現実の市場創出の局面でどれだけ実効性を持つのか、非常に関心を持っています。ぜひみなさんとの議論を通じて明らかにしてきたいと思います。

博報堂MDr. そもそも「エフェクチュエーション」は、学術研究としてどのような特徴を持つのでしょうか。

栗木 まず大きな特徴として、「熟達研究」の手法を起業家の行動分析に取り入れた点が挙げられます。熟達研究とは、例えばチェスのプロ棋士や一流音楽家、トップアスリートといった各分野のエキスパートの思考・行動様式を詳細に分析する研究手法で、その多くの成果がすでにコンピュータやロボット、AI(人工知能)の性能向上などに活かされています。

サラスバシーが行ったのは起業家の熟達研究です。対象となるのは米国で「最も成功した起業家」のリストから抽出された、偉大な業績を残した一流の起業家たち。サンプル数は20〜30人程度です。

博報堂MDr. つまり実証研究というより、ケース研究に近いと考えてよいでしょうか。

栗木 その通りです。ただし、分析対象としては十分な抽出方法とサンプル数です。高名な起業家たちにケーススタディをやってもらい、彼らがどのようにビジネスを発想し市場を創出していったかを分析したものです。その結果、彼らはSTP(註:セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)マーケティングのような思考・行動のプロセスを採っていなかったというのがサラスバシーの結論です。

もちろん、マーケティング理論の不完全さを指摘してきた研究者はいくらでもいます。サラスバシーの研究が興味深いのは、STPマーケティングが有効に機能する局面とそうでない局面の違いはどこにあるのか、また機能しない局面で起業家たちがとる戦略や行動はどのような原則に基づくのか、理論的に体系づけていることです。

博報堂MDr. STPマーケティングが機能する局面・しない局面とは?

栗木 サラスバシー教授は、米国の経済学者フランク・ナイトの議論として有名な「不確実性」の議論を引きながら、不確実な状況を図のような3種類に整理します。

 第一の不確実性は「先験的確率」。これはあらかじめ数学的に発生確率が計算可能です。第二の不確実性は「統計的確率」で、これも試行を繰り返し、データを蓄積することで発生確率の推定の精度を高めることができます。

これらに対し第三の不確実性は、そこに関わる人間の行動自体が結果に影響を及ぼすようなケースで、何が起こるかの予見の一般化が難しい。これをナイトは「真の不確実性」と呼んでいますが、ビジネスにおいてはプレイヤーが自分の都合の良いようにルールを変えたり、ライバルと思われた主体がパートナーになったり、という事態はむしろ当たり前に起こるものです。

STPマーケティングでは、事前調査に基づいて市場を細分化し(セグメンテーション)、対象となる市場を選び(ターゲティング)、競合他社と異なる自社の価値を明確にした上で(ポジショニング)、マーケティングミックスを展開します。事前調査によって予測の精度を高めることができれば、より実現性の高い緻密な戦略計画の立案ができます。ここでは「予測」や「計画」が極めて重要な役割を果たしています。これは「戦略計画型アプローチ」と呼ばれます。

博報堂MDr. しかし「第三の不確実性」においては、事前の調査も予測も成り立たないから、戦略計画型のSTPマーケティングが機能しにくいのではないか、ということですね。

栗木 はい。優れた起業家たちはこうした局面で「予測」や「計画」を用いず、「直感」や「行動」を先行させているというのがサラスバシーの見立てです。これは「戦略直感型アプローチ」と呼ぶべきものです。

博報堂MDr. 計画よりも行動を優先したエフェクチュエーションが成功したという事例は、実際にあるのでしょうか。

栗木 じつは最近のマーケティングの成功事例と言われるものの中には、この発想を取り入れているケースが少なくありません。その一つが、ネスレ日本がオフィス向けに展開している『ネスカフェ アンバサダー』。オフィスに無料でコーヒーマシンを貸し出し、アンバサダーと呼ばれる管理人が定期的にレギュラーソリュブルコーヒー入りのカートリッジを発注し、利用者から代金を回収する。ネスレにとってはマシンではなく、カートリッジの販売で稼ぐビジネスモデルです。

博報堂MDr. すばらしい成功事例です。

栗木 興味深いのは、綿密な市場調査や計画に基づいてこのビジネスに参入したのではなく、失敗からの軌道修正によってたどり着いた点です。

マシン自体は2009年に家庭向けに発売し、国内で最も販売台数の多いコーヒーマシンになりました。しかしネスレの目標は、減少傾向にある「ゴールドブレンド」などの家庭向けコーヒー需要を補うことであり、その程度のヒットではまるで足りない。そこで法人向けにマシン販売を始めましたが、オフィス内にはすでに自販機などもあるし、メインテナンスの負担もあり、総務部に売り込んでも見向きもされなかったようです。結局、マシンを無料配布するアイディアが生まれたのは、たまたま東日本大震災の被災地にボランティアとして訪れた社員が、仮設住宅の集会所にマシンを寄贈して好評だったことがきっかけだというのです。こうした試行錯誤を経て、新ビジネスとして現在のような成功を遂げました。

博報堂MDr. マーケティングのプロセスとしては確かに定石通りとは言えないかもしれない。しかし、もし事前調査に基づいた綿密な計画にのみこだわっていたとしたら、果たしてこの成果に到達できたのか、ということですね。

栗木 エフェクチュエーションの成功事例をもう1つ。リクルートグループが提供している学生向け学習サービス『スタディサプリ』です。

スマートフォンなどを通じていつでも人気講師の授業を低価格で受講できるオンラインサービスで、累計会員数は約65万人。その人気ぶりに他社も追随して同様のサービスを開始していますが、なぜ教育業界ではなく、リクルートグループがこの市場を開拓できたのか。本業を考えれば、最初から教育ビジネスを想定していたはずはありませんし、そのための市場調査もしていません。各種の学校などの進路を紹介する紙媒体のために、たまたま地方の高校生たちの生活や悩みをインタビュー調査する中から、オンライン学習サービスの着想を得たといいいます。結果的にビジネスとして成功を遂げましたが、広告主となる教育産業と競合するような新事業ですから、マーケティングの提案としては簡単ではないはずです。

博報堂MDr. たしかに、事業ドメインやステークホルダーとの関係を大きく見直すような新事業は、非常にハードルが高いはず。こうした局面では、マーケターの発想転換が求められるだけでなく、企業組織のあり方にも課題がありそうですね。これものちほど議論いたしましょう。

栗木 サラスバシー教授は、起業家に見られる行動原則を図のような5つに整理しています。まだ市場が成立するかわからない局面で事業をスタートさせるために、事前予測には頼らず、できるだけ小さく試しながら徐々に市場を探っていくというアプローチです。

これに照らせば、『ネスカフェ アンバサダー』は<④レモネードの原則>を、『スタディサプリ』は<③クレイジーキルトの原則>を活用した例と言えそうです。

STPマーケティングの緻密なアプローチに比べれば、洗練されているとは言えませんし、エフェクチュエーションが万能だというわけでもありません。ただ、国内市場に閉塞感が強まる中、綿密な計画に基づいたSTPマーケティングが機能しにくくなっているのは事実です。未知の領域に果敢に切り込み、イノベーションを生み出してくことが求められる中では、エフェクチュエーションは有効な手法の一つではないでしょうか。

参考資料:
『デジタル・ワークシフト~マーケティングを変えるキーワード30~』(発行:産学社、編著:栗木契、横田浩一)

後編へつづく

Profile

栗木 契(くりき けい)
神戸大学大学院経営学研究科 教授

1997年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了後、岡山大学経済学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科助教授などを経て、2012年より現職。専攻はマーケティング戦略。役に立つだけではなく面白い研究をと心がけてきた。現在、日本マーケティング学会理事、日本消費者行動研究学会理事。テレコム社会科学賞、日本商業学会優秀論文賞などを受賞。『日本経済新聞』『プレジデント』などの紙誌で連載を担当してきた。代表的な著書・共編著に、『デジタル・ワークシフト』(産学社)、『デジタルで変わるマーケティング基礎』(宣伝会議)、『1からのグローバル・マーケティング』『明日は、ビジョンで拓かれる』『ビジョナリー・マーケティング』(碩学舎)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』『マーケティング・リフレーミング』(有斐閣)、『ゼミナール・マーケティング入門』(日本経済新聞出版)『リフレクティブ・フロー』(白桃書房)などがある。

吉田 満梨(よしだ まり)
立命館大学経営学部 准教授

2009年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了後、首都大学東京社会科学研究科経営学系助教を経て、2010年より現職。専攻はマーケティング論。
特に、新市場の形成プロセスに関心を持つ。
代表的な著書・共編著に、『デジタル・ワークシフト』(産学社)、『ケースで学ぶケーススタディ』(同文館出版)、『マーケティング・リフレーミング』(有斐閣)、『ビジネス三國志―マーケティングに活かす複合競争分析』(プレジデント社)など、訳書に、『エフェクチュエーション―市場創造の実効理論』(サラス・サラスバシー著、碩学舎)など。

博報堂マーケティングディレクターズ

執行役員
安藤元博

博報堂DYMP
メディアマーケットデザイン局
浮田俊彦

ブランド・イノベーションデザイン局
宮澤正憲

第3プラニング局
北村忠則

第2プラニング局
下川隆吾

第1プラニング局
土屋亮

データドリブンマーケティング局
中村信

第2プラニング局
井手宏臣

第3プラニング局
江藤圭太郎

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