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P.コトラーが問う。日本企業は、創造への 情熱を失っていないか。

2018.01.17
テクノロジーの目ざましい進展と、スマホをはじめとするデジタル機器の爆発的普及にともない、マーケティングは大変革のときを迎えている。そのような時代にあっても、企業が本質を見失わずにビジネスを発展させていくために重要なこととは何か?「近代マーケティングの父」と称される世界的経営学者、フィリップ・コトラー教授が日本に向けた、意外なメッセージとは──。

デジタル・マーケティングのカギは 「インサイト」と「価値」の見極めだ

安藤 マーケティングは今、大きな変革のときを迎えているという実感を、日々感じています。
コトラー教授、あなたは近著『コトラーのマーケティング4.0』(朝日新聞出版)で、マーケティング3.0から4.0への移行を述べておられ、デジタル・マーケティングの重要性を強調されていますね。
一方で日本企業のデジタル・マーケティングの現状はどうかといえば、効率追求に終始している感があります。私はその現状に満足していません。
というのも、デジタルを含むマーケティングはすべて本来「価値創造」のためにあるのではないか、と思うからです。教授は、デジタル・マーケティングを推進しようとする企業はどのような点に留意すべきと考えていらっしゃいますか。

コトラー ご指摘の本の原書副題は「トラディショナルからデジタルへの移行(Moving from Traditional to Digital)」です。
多くの企業が、スマートにデジタル・マーケティングを成し遂げていくことになるのは間違いないでしょう。ただし、デジタル・マーケティングへの転換費用は決して安価とは言えません。いわゆるマス・マーケティング時代のセグメントごとの顧客だけでなく、「個」の顧客とも関係を創造していかなければならないわけですから、当然と言えば当然です。
「個」の顧客との関係づくりには、膨大なデータの収集に加え、生身の顧客の購買動機をしっかりと理解していかなければなりません。
デジタル・マーケティングに伴うツールの種類も負けずに膨大です。
重要な2つのキーワードは「インサイト」と「価値」です。マーケティングを行う方なら、価値創造における「価値」がいかに微妙な性質を持つものか、それがとてつもない数の要因から成り立っていることを知る必要があります。
テラバイト規模のビッグ・データから、ダイナミックな相互作用を読み取り、新たなインサイトを見きわめていくことが「価値」創造につながります。

顧客自身が自分で気づいていない欲求を探ること

安藤 購買動機を理解しようとするとき、そうした多様で複雑なアプローチをとるべきだ、ということですね。教授はかつて『コトラーのマーケティング3.0』(朝日新聞出版)で<マインドとハートと精神を持つ全人的存在>を説かれています。私たち博報堂では1980年代から「生活者発想」というコンセプトを掲げ、30年以上にわたって大切にしてきました。日本語の「生活者」は「購買者」や「消費者」のような限定的な意味ではありません。人を、単に「消費者」として捉えるのではなく、多様化した社会の中で主体性を持って生きる「生活者」として全方位的に捉え、深く洞察することから新しい価値を創造していこうという考え方です。

コトラー 確かに。生活全体とは、購買のみではありません。もっともっと広い、人そのものです。

安藤 そうですね。そして相手を「生活者」と捉えるとき、一般的な「消費者」という捉え方とは異なるアプローチが必要とされるのではないでしょうか。私たちは、デジタル・テクノロジーの発達が、この「生活者発想」に基づくマーケティングを理想的に実現する可能性を広げてくれると考えているのです。4年ほど前から「生活者DMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)」をつくり、多くの企業で活用してもらっています。
コトラー教授は、顧客の抱える問題を解決することがマーケティングにとって重要であると言われていますね。しかし、顧客が必ずしも自分自身のことをよく知っているとは限りません。顧客本人にとっても未知な価値を創造する上で、デジタル・テクノロジーや新しく生成するデータは重要性を増していくと私は考えているのです。

コトラー そのとおりだと思います。実際のところ、顧客本人が自らの欲求に直接触れられない。このことは、顧客についての新しい知見であり、新発見のカギとなる部分だと言ってよいでしょう。
顧客が自分で気づいていない欲求を探ることを、私たちは、「ニューロ(神経)マーケティング」とも呼びます。私の同僚にモラン・サーフ教授という第一級の神経科学者がおられます。サーフ教授は、本人と深い関わりがありつつも、本人さえ知らずにいることを見つけ出してしまうのです。
考えてみれば不思議なものですね。マーケティングを行う方々も、ご本人が何を求めるかはっきりしない、そんな人々を相手に日々の仕事をしているわけですから。

安藤 提供者にとっても受容者にとってもともに未知の価値を探り、共創的に浮かび上がらせる。テクノロジーが可能にするマーケティングの本質と意義はそこにあると思います。

マーケターの重要な仕事は「何を創造するか」の 意志決定に変化している

安藤 教授はかつて、日本企業はCMO(最高マーケティング責任者)を設置すべきと述べられていました。たしかに残念ながら、日本ではまだCMOは必ずしも一般的ではありません。私たちは、デジタル・テクノロジーが進展する環境下でこそCMOが必要であり、一歩進んでデジタル・マーケティングにおいて主導するリーダーであるべきとも捉えています。

コトラー CMOの仕事は多岐にわたります。すぐに思いつくのは、三つのごく基本的な仕事、すなわち広告、営業チーム編成、販売促進で、通常の企業ならどこでも行っているでしょう。世には、この三つさえしっかりとマネジメントすればよしと考える風潮もあるようですが、それは間違いです。
CMOが行うのは、それらすべての次元をさらに上げていく仕事なのです。しかも、あまり省みられなかった背景からしっかりと支えてくれるようなスキルをも整えていく必要があると思います。そのスキルの中でも大事なものの一つが、デジタル技術です。
私たちにとって、マーケティングの見方は大きく変わりつつあります。従来であれば、マーケティングと言えば、製造したものをどれだけ多く売るかとほぼ同義でした。現在ではどうでしょうか。「何を創造するか」の意志決定はマーケティングの重要な一部です。
あえて言えば、マーケティング担当者の仕事は、あるときを境に、たくさん売ればよしとする仕事から、企業成長の推進をつかさどる仕事に変わったのです。
どのような意味か、おわかりでしょうか。
例外なく、あらゆる企業は自ら変化しなければならないということなのです。少なくとも、変化を尊重する姿勢が求められるのです。
考えてみてください。顧客が変わらない前提で経営する企業などありうるでしょうか。仮にあるとしたら、かなりおめでたいと言わざるをえませんね。
誰もが変化に対して敏感であるべきなのです。変化に敏感であるかどうかによって、自ら製造するものだけでなく、未来に何を提供しうるかも変わってしまうのです。それを称して「イノベーション」と言うのです。
2016年、私は、日本の優れた経営者と本を書きました(『マーケティングのすゝめ』中公新書ラクレ)。この本では「マーケティング」「イノベーション」について述べています。両者は分離不能なものです。
日本の方々はピーター・ドラッカーから多くを学んでおられますが、ドラッカーが常に述べ続けたことはそのことなのです。偉大な企業を創造しうる機能は、マーケティングとイノベーションの2つのみであると。その他の機能はすべてコストに過ぎないとドラッカーは述べています。
私たちの本でも、柱をなすのはマーケティングとイノベーションにほかなりません。企業のマーケティング部門がなすべき仕事は、まさにマーケティングとイノベーションにある──それが言いたかったことでした。

日本人は本来、創造的であるはずだ

安藤 教授は日本企業の可能性についても触れておられましたね。

コトラー 日本企業はアメリカ企業より上手にマーケティングしていると思いますよ。日本企業はどこへでも出向いていって、事業を立ち上げていきます。「もっとよくするにはどうすればよいか」、そのように日々ものごとを高めていく、あらゆるものを少しずつでもよくしていくといった哲学をお持ちですね。

安藤 あなたは1980年代に「最強のマーケターは日本人」という文章を書かれています。しかし私は、実は日本人は自分たちの成功のカギが「マーケティング」にあると自覚できていなかったのではと思うのです。

コトラー そうですね。それはごく自然になされていたのでしょう。

安藤 結果として、創造につながる「マーケティング」が意識に上ることなく、軽視されてきたという歴史があると思います。

コトラー かつて日本というと、模倣を得意とするという見方があったのも事実です。模倣や改善に秀でつつも、創造するのはさほどでもないと見られてきました。
しかし、現在そうでないことを私たちは知りつつあります。ある雑誌の記事で目にしたのですが、日本の子どもたちの奇抜なアイデアに驚かされました。
若い人たちのものの考え方はどんどん変わっていますね。私の講義に出る学生も2割は既存の企業には就職したくないと言います。むしろ自分で事業を起こしたいと考えているのです。若い人たちが自分たちの生活を、これまでになかった方法で高めようとしてくれている。これはいい兆候だと思います。
その点で言えば、私は誰に対してもMBAを授与するのに懸念がないわけではありません。MBAは言うなれば、「あなたはビジネス管理のマスター(修士)です」と言っているわけですね。けれども、私は自ら事業を起こしたい人々には異なるプログラムを提供したいし、学位も「起業家修士(起業家のマスター)」と呼ぶべきではないかとも思うのです。
私の勤務するノースウェスタン大学では、今まで聞いたことのない学位がひしめきあっています。自身で新しい事業を立ち上げるのに必要なプログラムは、それまでにないものになるからです。

安藤 なるほど。新しい世代への期待とともに、創造へのシフトが必要ということですね。

CEOこそマーケティングを学ぶべきだ

安藤 最後に、日本の企業の経営者に対して、助言をいただけるとしたらどのようなものでしょうか。

コトラー CEOは企業成功の要です。何と言っても企業のトップにいるわけですから。だからといって、マーケティングをわかっているとは限りません。実際に、財務畑や法務畑からCEOになる方も少なくありません。
そこで、お聞きしたいのですが、一人残らず財務畑の人からなる社会と、一人残らずマーケティング畑の人からなる社会があるとします。どちらを選びますか?

安藤 もちろん、後者です。

コトラー そうですよね。リスクを引き受ける案件について、財務畑の人なら多くについて「できません」と一蹴せざるをえないでしょう。結果として見れば、成長の機会は摘まれてしまうでしょう。それもあって、私はCEO向けのマーケティング・プログラムが大切だと考えているのです。

安藤 マーケティングこそが経営の中心にくるべきだ、という声が、日本でもこの数年、強まってきたように思います。

コトラー まず言えるのは、CEOにもっとマーケティングを前向きに学んでほしいということですね。
それにも増して重要なのが情熱と志です。優れたCEOにはあらゆる人々の生活を高めたいという志があります。同時に、何としてでも志を実現するだけの情熱も兼ね備えているものですから。

安藤 本日はデジタル・テクノロジーの進化にはじまり、創造への情熱という話に至りました。日本の企業家、経営者への大切なメッセージをいただけたと思います。ありがとうございました。

対話を終えて(安藤元博)

「デジタル化か、死か(Digitalize or die.)」コトラー教授が日本の聴衆の前で強く問いかけたのが約2年前。正直に言って、違和感があった。私を含め多くのマーケターがその著書『マーケティング・マネジメント』に学ぶことからキャリアをスタートさせた「近代マーケティングの父」。世界的な大家も御年80歳を優に超えている。さすがに「先端」のリーダーとは言えないだろう、漠然とそう思っていた。臆見を恥じなければならない。この日の対話からもまた、近年の教授の著述や発言と同様、テクノロジーによって変化する環境と貪欲に格闘する真摯な姿を見せつけられた。

だが、なぜ「変化」を語ることが重要なのだろう。デジタル技術でターゲティングや施策最適化のスキルが進化したから?そうではない。彼はマーケティングのあり方そのものを言っている。変わり続ける生活者と常に向き合うことが可能なデジタル環境のもとで、マーケティングの重心こそが変化する。製造したものを「どれだけ多く売るか」ではなく世の中に向けて「何を創造するか」。価値創造こそが新たな核心だ。

新たなテクノロジーの環境下で手段を駆使して生活者と対話しながら、自らが変わる。自らが提供するものを、今のみならず未来に向かって変えていく。世の中が向かう途を照らす自身のビジョンを持ち、変化することをいとわなかったグローバルプレイヤーたちは、この20年、新たな流れを好機と捉え、力強く成長してきた。変革に取り組むには、自らの弱さに向き合い一歩を踏み出すエネルギーが必要だ。輝きを失ったと言われて久しい日本企業に、そのエネルギーは残っているのか?新たな成長はできるのか。教授は、それは可能だと言う。模倣や改善ばかりが得意と見られてきた日本社会に「創造」の芽を見出し、鼓舞する。

超過密のスケジュールの中、対話の席についた教授は、お疲れにもかかわらずまったく澱みなく、強くはっきりした口調でマーケティングの進化を語り続けた。彼自身が、情熱と創造の人だ。「財務畑の人だけでできている社会とマーケティング畑の人だけでできている社会、どちらを選ぶ?」というIfは、マーケティングこそが世に価値を問い創造する仕事だ、と情熱を持って語るコトラー教授だからこその視点と言えるだろう。

私もまた、マーケティングは企業活動の核心だと考えている。マーケティングに関わる者として、それが企業と生活者の間に、経済社会に新たな価値を生み続け、実効性を持つことにこだわって進んでいきたい。

対話を終えてスタッフが機材を片付けている傍らのわずかな隙間時間、広告会社の立場からマーケティングに携わっている私の立場を知る教授が、耳元で囁いた。「ところで、広告の未来についてはどう思う?意見を聞かせてくれ」。「父」は、どこまでも貪欲だ。

日本の企業家は、私たちは、この情熱に応えることができるか。

Profile

フィリップ・コトラー
シカゴ大学で経営学修士号、マサチューセッツ工科大学で経営学博士号を取得した後、ハーバード大学で数学、シカゴ大学で行動科学を研究した。
主な著作に、『コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント』、『マーケティング原理:基礎理念から実践戦略まで』、『コトラーのマーケティング入門』などがある。
2017年には『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』を発表した。

安藤 元博
1988年博報堂入社。ACC(グランプリ)、Asian Marketing Effctivenss(Best Integrated Marketing Campaign)他受賞多数。ACCマーケティングエフェクティブネス、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバル(メディア部門)等の審査員を歴任。著書『マーケティング立国ニッポンへ―デジタル時代、再生のカギはCMO機能』(共著)(日経BP社)等。東京大学大学院・学際情報学府修了(社会情報学)。

関連リンク

【特別インタビュー】CMOのこれからの役割は 顧客との接点すべてに責任を持つこと-モハン・ソーニー教授に聞く「デジタル時代のCMOの役割」
(聞き手:博報堂 安藤元博、山之口援)

安藤が監修する「“生活者データ・ドリブン”マーケティング通信

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