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FOR2035来るソロ社会の展望を語る – vol.3後編 / ゲスト:僧侶・精神科医 川野泰周さん ソロ社会に必要なのは、語らいと自分を愛する体験

2017.06.14
#ソロもんLABO

第3回のゲストは、臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんです。川野さんは、著書『「あるある」で学ぶ 余裕がないときの心の整え方』(インプレス)や講演活動などで、マインドフルネスの重要性を説いています。前編では、未来のソロ社会において必要なのは、「セルフコンパッション」と「対話」というお話がなされました。引き続き、後編では、「対話」の場の重要性とともに「アイデンティティ」の話にまで触れていきます。

たくさんの人とつながって自分の中の“小さな自分”をつくる

荒川:ソロ社会化が進行するのは避けられないと思いますが、だからこそ私は「ソロで生きる力が必要です」と本の中でも言っています。これは、何も無人島で一人で生きる力ではなく、逆説的なんですが、人とつながる力です。人とつながらないと自分自身を愛せないし、考え方も偏屈になって誰とも化学反応を起こせない。

川野:その通りですね。

荒川:例えば今日対談したことによって、川野さんと話をした「小荒川」が今ここに生まれたんですよ。川野さんに会わなかったら、この「小荒川」は生まれていなくて。人と対面して対話をすることとは、新しい小さな自分が生まれることだと思うんですね。

川野:小さな自分ですか、良いですね!

荒川:「この人が嫌い」と思うのは、その相手自身が嫌いというよりも、その人と対話をして生まれた小さな自分のことが嫌いなんじゃないか、と。でも、小さな自分が生まれるということを客観的に見られないと、「悪いのは相手だ」とすり替えてしまう。自分が嫌いとは思いたくないからですよね。でも、対峙する相手によって小さな自分が生まれたと考えれば、「ふーん。自分のチビはそう思ったんだな」と部分的なもので終われる。自分全体を嫌いになる必要はないわけで、その方がよっぽど心が楽じゃないですか。

川野:それは非常に大事なことですね。人間は、自分の嫌いな部分がさらけ出されてしまうタイプの相手がいたら、その相手が悪いと思う傾向があります。仏教的には、それは自分に全て内包されていて、相手に引き出されるものだと言われています。今対談をして生まれた“小川野”は、全部荒川さんが引き出してくれた私の一部なので、その一部も認めてあげることが大事だと。その意味でもやっぱりセルフコンパッションが重要ですよね。

荒川:そうやって引き出され、生まれてきた小さな自分はたくさんいるんです。けど、その全員を愛さなくても良いと思うんですよ。好きな自分をピックアップして、その構成比が増えれば、自分を愛せることにつながりますよね。でも、相対する相手がたった一人だけしかいなくて、その小さな自分もたった一人しか生まれてこないとなると、その唯一の一人を絶対に愛さなければいけないと考えがちです。だから苦しくなるのかなと思っていて。アイデンティティが一つしかないと考える方が窮屈じゃないですか。

川野:私は「アイデンティティは自分が作るのではない」とよく言っていますよ。人が見た自分がどういう風に見られるかによって作られる。私の場合は、マインドフルネスの先生とか禅のお坊さんとか、いろいろ言われますが、人がそう見てくれているのならそれでいいやって何とも思わないんですよね。

荒川:お医者さんとして相対した相手、お坊さんとして相対した相手に、別のアプローチもできることは素晴らしいですよね。そういうアイデンティティを一人一人が多層的に持っていると、相対する相手からいろいろな小さな自分が引き出されますよね。

川野:そうですね。精神科医として悩んだ時も禅の教えに助けられることもありますから、色々なアイデンティティを持っていることは良いと思いますね。

ソロ社会に必要なのは、語らいと自分を愛する体験

荒川:いろんな人とつながって対話することは、外に広がるだけではなく、自分の内側に新しい自分を生み出すという内への広がりにもなるんです。そうした多様性のあるアイデンティティを構築していったり、自分への慈悲の精神を培ったりするために、何が必要だと思いますか?

川野:語らいの場だと思いますね。お釈迦様のサンガにもう一度立ち戻ってみる。アルコール依存症の方は、断酒会といって、断酒を維持するために皆で語り合うことも治療なんですよね。「飲まないのは大変です」「このあいだちょっと飲んじゃって」と、とにかく話すことで自分が孤独じゃないことに気が付く。ソロ社会では、孤独じゃないことを自覚する語らいの場が必要なのにありませんよね。

荒川:語らいの場は必要ですよね。とはいえ、リアルではなかなかできないから、みんなSNSでつながって満足を代替えしている感じもあります。

川野:文章と写真だけで実際にその場を共有していないSNSで本当の慈悲が育まれるのか、私には分かりません。今、ビジネスマンを対象にしたマインドフルネスセミナーを都心で開催しているんですよ。語らいと言うとハードルが高いんですが、とにかく一緒に過ごす。すると、オープンな気持ちになって、帰り際に声を掛け合ったりします。そうやってサンガが構成されていけば良いな、と。別に瞑想である必要もないと思っています。

荒川:それは良いセミナーですね。「自分に対する慈悲は悪いことじゃない」ということを多くの人が知るべきです。まず自分を愛せないと他人も愛せないという話ですから。

川野:自己愛を健全に満たすということですね。

荒川:ボランティアとかもそうですが、人のために何かをやること、自己を犠牲にしてでも、利他行為が尊いと思われていますよね。そうではなくて、その前に、まず自分を愛することが大事ということが知られていない。

川野:そうなんですよね。仏教の世界では、自分か他者かということではなく、その二元論から解放された時に自由に人や自分を愛せて、本当に慈悲の心が持てると考えます。「自分が犠牲になって人を助けてあげる」という考えではなく、「自分に優しくある時は人にも優しくできる」んだと。

荒川:自分を愛せたら、自然と行動は結果として利他に通じるのであって、利他のために何かをやろうとするのは順番が違うのかなと。

川野:断捨離ブームもそうですよね。物を捨てれば元気になるのは間違いで、利他や慈悲の精神を理解せずに、物だけ捨てると大事な思い出もなくなって心が病んじゃうんですよ。最低限の物で満たされることが本当の断捨離だと思うんですが、意味をはき違えると良くないですよね。

荒川:時代によって、新しい解釈がされたり、場合によっては、意味が逆になることって往々にしてよくありますよね。

川野:インドから中国に入っただけでも仏教は大きく変わったと言われていますからね。逆に言うと、その国に合ったものにどんどんカスタマイズされていくということなんですけれども。

荒川:それで良いと思いますよ。日本はそういう多様性をそのまま受け入れてきた国ですから。初詣も除夜の鐘もクリスマスも、それぞれの良い所を都度楽しむのが日本人のいいところですしね。すべてのものに神が宿るという「八百万の神」にもあるように、異質な価値観の存在を認め、多様性を認めて併存してきた社会だったと思うんですよ。そういう柔軟な考え方を、自分のアイデンティティにも当てはめてほしいですね。自分の中にはたくさんの「小さな自分」がいるんだから、ケースバイケースで楽しもうよ、と。

川野:それを子どもたちに伝えられる絵本があると良いですね。最近私は子どもたち向けにもマインドフルネスを教えているんですよ。荒川さんの言う「小さな自分」についても、子どものうちから「嫌いな自分もそこにいていいんだよ」と教えると良いと思います。嫌いな自分を、どこか脇に埋めておくから心のしこりになり、それが肥大すれば精神疾患になってしまうので。

荒川:絵本、いいですね。そういうものを子どもたちに読み聞かせすることで、実は親や大人たちが納得するってこともあると思うんですよね。もしかすると、子どもたちよりも、自己肯定できないソロの人たちの方に刺さるかもしれないです。でも、それでもいいと思っていて、大人だけとか子どもだけとか年齢や世代で分けるのではなく、ソロも子どもたちもその親たちも一同に会して、自分を愛するワークショップで対話をする場があってもいいかもしれません。そういった場に、企業を参画させるようなアクティベーションになっていったらいいな、と思いますね。

川野:そうですね。ただ「ここで対話をしてください」って言ってもハードルが高いので、なにかの対象があると良いんですよ。私は毎年秋に、瀬戸内海に浮かぶオリーブのふるさとの小豆島で1泊のリトリートを行っています。自然の中で自分と向き合い、参加者と対話をする。そういうきっかけや対象があると、広まりやすいのかなと思っているんです。

荒川:楽しそうですね。今度参加してみたいです。そうやって、性別や年齢、学歴や育った環境関係なく、交流できる場があることは大切ですよね。
とかくみんな、ソロも既婚も一緒ですが、職場や家族だけに人間関係が閉じがちじゃないですか。そうすると、企業人としての自分、親としての自分、そういう単一の自分の殻に自らを追い込んでしまう。それって、自分の中の多様な可能性を自分自身で排除しているのと同じなんですよね。人とつながり、対話し、小さい自分を生み出して、自分への慈悲を体験すること、それが重要だと思います。
本日はいろいろとありがとうございました。

川野 泰周(かわの たいしゅう)

2004年慶応義塾大学医学部医学科卒業。臨床研修修了後、慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。2011年より大本山建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行。2014年より臨済宗建長寺派林香寺住職となる。現在は寺務の傍ら精神科診療にあたっている。薬物療法や既存のカウンセリングなどに加え、マインドフルネスや禅の瞑想を積極的に取り入れた治療を行う。またビジネスパーソン、看護師、介護職、学校教員、青少年、子育て世代など、様々な人々を対象に講演・講義を行っている。著書に「あるあるで学ぶ余裕がないときの心の整え方」(インプレス、2016年)。監修多数。RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長。精神保健指定医・日本精神神経学会認定専門医・医師会認定産業医。

荒川 和久(あらかわ かずひさ)

博報堂ソロ活動系男子研究プロジェクトリーダー
早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。

★アーカイブ★
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/series/solo/

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