
金:本連載を始めるにあたって、いつもお世話になっている鳴海先生にご登場いただきました。まずは先生の研究分野について改めてご紹介いただけますか。
鳴海:僕はバーチャルリアリティ(VR)という分野を研究しています。「バーチャルリアリティ」と聞くと、仮想的な世界に行って、ゲームなどの体験をして「ああ、楽しかった」と帰ってくるのが一般的なイメージになっていますが、改めてこの言葉について考えてみると、バーチャルとは「実質的にそう感じる」こと、そしてリアリティとは「われわれが現実をどう捉えているか」ということです。
ですからVRで「違う世界に行って楽しかったな」と思う裏側には、「人間はこういう感覚情報にリアリティを感じて、現実だと思ってしまう」という人間の仕組みの理解がある。そういった人間の仕組みを理解して、工学的なものづくりに生かす研究をしています。

金:なかでも先生は「クロスモーダル」の研究に力を入れています。これはどんな現象なのでしょうか。
鳴海:VRでよく例に出るヘッドマウントディスプレイ(いわゆるVRヘッドセット)は映像と音、つまり視覚と聴覚の体験を提供していますが、現実の世界での我々は、それ以外にも触ったり、匂ったり、味わったりと五感をフルに活用して生きています。
クロスモーダルとは「視覚・嗅覚・味覚など複数の感覚が相互に影響し合う」という現象です。目に入った情報は「視覚」として処理されて、音の処理や味の処理には影響しないと思いがちですが、じつは五感はお互いに影響を与えています。例えば、「イチゴ味」や「メロン味」だと思って食べているかき氷のシロップの多くは、味は一緒で、着色料と香料が異なるだけです。この場合は「見た目(視覚)」と「匂い(嗅覚)」が「味(味覚)」に影響していることになります。
こういった五感の相互作用が分かってくると複数の感覚を組み合わせることで驚くような感覚体験が設計できるようになるので、「クロスモーダル」はとても注目されている分野なんです。
伊藤:Humanity Labでは感覚に関する生活者の意識調査を行いました。
「デジタル化が行き過ぎて、人間として大事な感覚・感性が失われている」という項目において、20代-60代の方のうち43パーセントの人が「そう思う」と答えており、なかでも30代女性では半数以上の人がそう感じています。
スマートフォンやSNSを通じてすごい量の情報から刺激を受けている一方、どこか身体性に根ざした感覚・感性が失われている、という実感をこれだけ多くの人が持っていることは、私たちHumanity Labにとっても重要な課題と捉えました。

また「最も心の豊かさを感じる感覚」の質問では、特定の五感に集中することなく、感覚がそれぞれ分散しました。「空気が澄んでいる山に行った時に、視覚で癒され嗅覚で自然を感じ、触覚で涼しさや水の冷たさを感じた」のようにいくつかの感覚をかけ合わせた体験を挙げる人が多くいました。この結果から、私たちは「五感のフル活用」が心の豊かさを育むカギになっていると考えています。
鳴海:いまの2つのお話を聞いて、「変化が感じられる機会」が少なくなっているのかもしれないと思いました。例えば、僕と伊藤さんが2人だけで話すときと、こうやって4人で一緒に話すときとでは話し方が変わりますよね。このように環境と人はある意味セットになっていますから、「新しい環境に行くこと」は「新しい自分と出会うこと」でもあります。
たしかにSNSからは刺激的な情報が流れてきますが、あくまで視覚的な表現です。画面のなかの情報が切り替わっても自分がいる場所は変わらないし、周りから「新しい自分」が要求されている感覚もない。
それに対して、旅をして新しい場所に訪れ、普段使わない言語でコミュニケーションを取るときにはすごく頭を使うし、新しい自分が要求されます。「デジタル化によって感覚・感性が失われている」と感じるのは、この「新しい自分が要求される」体験が少なくなったことによるのかもしれません。
伊藤:なるほど。先生が仰る「新しい環境で、新しい自分を要求されること」は、五感をフル活用するスイッチにもなりますね。
ところで、スマホでライブ配信や観光スポットの動画を見ることと、VRヘッドセットをつけて仮想空間に行くことでは「スクリーンからデジタルな視覚情報を受け取っている」点は変わりませんが、VRのほうが没入感があるように感じます。この2つにはどんな違いがあるのでしょうか?

鳴海:「自分が置かれたコンテクスト(文脈)」を人間が理解する仕方が重要だと思います。私たちは、スマホで動画に集中しているときにも、その動画の内容情報だけでなく、「家でスマホで見ている」という状況の情報を同時に処理しています。一方で、ヘッドマウントディスプレイはあたかも「本当にそこにいるような感覚」をつくろうとしているので没入感がある。これは「Sense of Being There」とも言い、VRの重要なキーワードになっています。
伊藤:単なる視野の広さだけでなく、「自分が動くと背景も動く」といったインタラクティブ性も没入感や「Sense of Being There」につながるのでしょうか。
鳴海:そうですね。視覚や触覚などいくつかの感覚がちゃんと連動することや、自分の動きに連動して世界も動くことで「自分は正しく振る舞えている」と感じられたり、物を投げたときに想定した物理法則を裏切らなかったりと「期待した通りの反応」が返ってくることも、環境の認識にすごく重要だと考えられています。
金:これまでに鳴海先生とは、ビールのおいしさを増幅する音楽「CROSS MODAL : BEER」や、皮膚テクスチャーで心豊かな触り心地を提供する「HUMAN TEXTURE」、人間の感覚特性を活用した発想ヒント集「Humanity TIPS」など、科学的でかつ感性的なアプローチで共同研究を行ってきました。
鳴海先生にとって、Humanity Labとの一連のコラボレーションはどんな意味を持っていますか。

鳴海:まず、科学的に積み上げてきた知見が、生活の現場でどれぐらい使えるのかを確認していくことは重要です。それに加えて、いろいろな知識と技術を持った現場のプロの人たちに科学的な知見を使ってもらえると、もっとクリエイティブな創作・製作活動ができるようになるはずです。Humanity Labとの協働は研究と実業をつなぐブリッジになる、すごく重要な取り組みだと考えています。
伊勢山: 私がデザイナーとして今回の展示のディレクションをするにあたって考えていたことは、先生と歩ませていただいている「感覚の旅」を、訪れる人々の身体感覚へとつなぐ「架け橋」のような場にしたいということでした。例えば「CROSS MODAL : BEER」は、「しゅわっとしたのどごし」などビールの特徴に意識をフォーカスすることで、より美味しくビールを飲める音楽を作ったプロジェクトですが、今回の展示空間でも、感覚を研ぎ澄ますことで初めて浮かび上がる「感覚の世界の繊細な美しさや豊かさ」を、ビジュアルとして表現しようとしました。
鳴海:科学的な知見を専門外の方に伝えるにあたってはなんらかの「補助線」が必要です。その意味で「こんな感じかな」と研究のイメージがつきやすい、とても良い展示にしてもらって嬉しいです。
僕たちが研究対象にしている「感覚」は、国籍や文化によらず人々が共通して持っているものです。例えばHUMAN TEXTUREなら、直接触ってもらうことで「人間の皮膚ってこんなに違いがあるんだ」「触覚に意識を向けるのってなんだか落ち着くな」みたいに実感できる。Humanity Labとの協働は研究成果が日常感覚と結びついているだけに、いろんな人に興味を持ってもらえやすいプロジェクトになっていると思います。
伊勢山:感覚には人それぞれ違う感じ方をする部分もあるけれど、共通している部分もあるということは私たちにとって希望ですね。話は大きくなりますが、共通する感覚を手がかりにすることで世界平和にもつながるのでは、と感じました。

鳴海:感覚は誰でも持っているものだからこそ、逆に共通点と相違点を見落としがちです。同じ赤の色を見たとしても、僕と伊勢山さんでは違う色に見えているかもしれませんし、同じ色に見えていても意味づけが違うかもしれません。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという生物学者が唱えた「環世界」という概念があります。これは「私たち生物は、外部から感覚として入ってくる情報に対してどんなアクションをとるかによって、世界と結びついている」という考え方です。
感じることからアクションが生まれ、どんなアクションを取り得るかが人間を形作っていく。そう考えると「自分と他人では感覚の仕方が違う」ということに対する想像力を持っている人ほど、利他的であったり、振る舞いの幅が広かったりと、人間性が豊かになっていくのかなと思います。同じところと違うところを見つけて面白がることは「自分はこういうことを楽しめる人間なんだ」という発見にもつながり、自分自身を理解するきっかけになると思います。

金:先ほども「感覚・感性が失われている」という調査結果を話題にしましたが、当たり前すぎて普段は意識せずに過ごしている自分の感覚にちゃんと向き合うと、自分自身や、自分を取り巻いている世界を新鮮な気持ちで見ることができるんですね。
伊藤:私たち現代人はどうしても頭で考えすぎる傾向があるけれど、そこで改めて身体性を伴う感覚の解像度を上げたり、それにひも付く感情・感性にフォーカスしたりすることで生物としてのヒトに戻っていける。私たちもHumanity Labの活動を通じて、文字通りHumanity(人間性、人間らしさ)に向き合う機会をつくり出していきたいです。
鳴海:昨今AIがブームですし、いずれ人間ができることの多くはAIでもできるようになるのかもしれません。そのときに我々が人間らしく喜んだり、時には怒ったり悲しんだりすることを大事にしようとするのなら、世界を、そして自分を感じることがすごく重要になりますね。
究極的には人間は「感覚の生き物」だと思いますし、僕自身もやっぱり人間に興味があるので、これからも感覚の研究を続けていくつもりです。
■Humanity Lab(ヒューマニティーラボ)
「感覚が、生活者発想を進化させる」を信念に、ひとが本来持つあらゆる感覚や感情を活用し、生活者に豊かな体験を創出するための研究開発プロジェクトです。「感覚研究」と「生活者発想」をかけ合わせ、クリエイティブ×テクノロジー×サイエンスで「感覚」にアプローチし、生活者理解と生活者体験創造を深化・進化。さらに、研究から得た知見を活用し、生活者が心豊かになる商品開発、体験創出等、企業に向けたソリューション開発に取り組んでいます。
https://humanity-lab.com/

2006年東京大学工学部システム創成学科卒業。2008年同大学大学院学際情報学府修了。2011年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。2011年より同大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻助教。2016年より同大学同専攻講師。2019年より同大学同専攻准教授。現在に至る。博士(工学)。バーチャルリアリティや拡張現実感の技術と認知科学・心理学の知見を融合し、限られた感覚刺激提示で多様な五感を感じさせるためのクロスモーダルインタフェース、五感に働きかけることで人間の行動や認知、能力を変化させる人間拡張技術等の研究に取り組む。文部科学大臣表彰若手科学者賞、日本バーチャルリアリティ学会論文賞、グッドデザイン賞など、受賞多数。

2024年より生活者発想技術研究所。研究・技術にクリエイティブをかけ合わせ、新たな体験を創造する業務をメインに従事し、プロダクトやサービス、研究開発を幅広く取り組む。書くを楽しむボード「Write More」やビールのおいしさを増幅させる音楽「CROSSMODAL : BEER」、呼吸するクッション「fufuly」などを開発。CES Innovation awardsを始め、Innovative Technologies、d&adなど、国内外で受賞多数。日本バーチャルリアリティ学会理事。

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業後、博報堂にアートディレクターとして入社。化粧品や自動車をはじめ、多様な企業のビジュアル開発を担当。
その後、ブランド・イノベーションデザイン局にてブランディング業務に従事。ワークショップを通じた共創型デザインを実践し、プロジェクトに伴走する新たなクリエイティブの形を探求した。
現在は、これまでの経験を統合し、生活者発想技術研究所にて「感覚」をテーマに、美しく豊かな体験の設計に取り組んでいる。
受賞歴:London International Awards、ACC賞など

博報堂入社後、ストラテジックプラナーとして企業のマーケティング・コミュニケーション戦略支援に従事し、2025年より現職。
生活者や社会の幸福・ウェルビーイングをテーマに、「豊かさ」の研究やソーシャルプロジェクト開発を行う。
共著に『SBNRエコノミー 「心の豊かさ」の探求から生まれる新たなマーケット』 。ACC Creative Innovation部門受賞。ウェルビーイング学会員。