

柿﨑
僕がNOTA_SHOPを知ったのはSNSがきっかけで、どうしても行ってみたくなって、最初は東京から車で来たんです。そのときの体験も素敵でしたし、加藤さんとお会いして話した際に感じたことも、この「DESIGN QUEST」で模索したいことと共通する部分があるなと思って。それで、対談を依頼させてもらいました。
門田
僕は初めましてで、今回は電車で来ましたが、最寄り駅から歩く道のりも楽しかったです。
ショップは焼き物ばかりかと思っていたら、木工やガラスの作品、洋服やオブジェなども扱われていますね。さらに、海外の作家を招いて作品展もされている。お店の空間自体、僕も一瞬で好きになりました。

加藤
ありがとうございます。ここはもともと、親戚の製陶所だったんです。そこをリノベーションしました。NOTAの由来としては、粘土同士をくっつけるのり状の接着剤を「ノタ」といいます。それと、not a shop=ただの店じゃない、という意味も込めています。
柿﨑
加藤さんは、以前は東京でデザインの仕事をされていたんですよね。いつからこちらに?
加藤
2008年、25歳でした。それまでは東京の広告制作会社で、映像制作やグラフィックの仕事をしていたんです。その後、同じくグラフィックデザインをしていた妻と一緒に地元の信楽に戻り、家業の製陶に携わってから、2015年にデザイン事務所「NOTA&design」として独立しました。それから2017年に「NOTA_SHOP」を開きました。
柿﨑
なぜ、信楽に戻ろうと思われたんでしょう。もともとUターンを決めていたとか?
加藤
いえ、そういうわけではなかったんですが、東京でしばらく働くうち、「情報って都市部に集中しているんだな」と感じるようになって。同時に、当時はSNSが広がり始めたころだったので、地方でも何かできないかと思ったのがきっかけでした。
僕、基本“あまのじゃく”なんです。皆が都市部を向くのなら、僕はそうじゃない方向に行こうと思って。信楽を拠点に、東京でできないことをしようと思いました。概念的なことにしても、クリエイティブのようなものにしても、何でも“そうじゃない”方向へという志向は常にありますね。
柿﨑
わかります。僕も同じアートディレクターがいたら、着地を同じにしたくないというのはいつも思っていました。だから同じカメラマンには依頼しないとか、やり方を変えるとか、意識しています。成功事例をスタディして、何をずらせば違う領域に行けるのか。

加藤
そう、いつも新しい必要はないんですけど、常に変化していくのが人のおもしろさですよね。もちろんそのためには基本を知る必要がありますが、その上で、じゃあ自分がどうポイントを置くかを考えています。
門田
東京でできないこと、というのがこの広さだったり、ラインナップだったり。
加藤
そうですね。仮にこのスペースを東京で構えると、家賃を賄うためにどうしても「売れるもの」を扱わないといけない。すると、こちらが届けたいものではなく、売れるものの比重が増えてしまいます。加えてここは、自然が豊かなことも大きいです。時間帯や季節によっても、景色が移り変わっていくのがこの地の良さですね。
とはいえ、どっちが上とか下とかではなく、それぞれの場所の強みを生かしていけるといいと思っています。

柿﨑
NOTA_SHOPには、自分たちでつくれるという側面と、外部の作品をセレクトしている側面の両方がありますよね。
加藤
はい。ただ、自分たちの作品の比率はかなり低く、特に器は作家のものを優先したラインナップです。また、NOTA&designの事業にはショップのほかに2つの柱があります。そのひとつが工房で請け負うクライアントワークで、器や什器、タイルなども製造します。もうひとつはデザインディレクションで、ブランディングのためのデザインから内装インテリアまで手掛けます。
門田
どうして、そんなふうに幅広く手掛けられることになったんですか?
加藤
単純に人的リソースが少ない環境で、自分で「どうやって美しく見せるか」を考えたりするうちに、守備範囲が拡張してきたというのはありますね。建築や内装のことがわかっていったのも、クライアントワークでチャレンジさせてもらいながらその連続で今があるという感じです。

柿﨑
製造されるプロダクトの中で、かなりスケールの大きいものもありますよね。椅子やテーブルだったり、空間の演出も大きいテーマになると思います。その経験がまた小さいプロダクトに落ちてくる、といったこともありますか?
加藤
はい、行ったり来たりですね。もともと信楽でとれる土の特徴として、他の焼き物産地に比べて大きなものがつくれるんです。壺や火鉢なども有名です。だから、僕も大きなものをちゃんとつくりたい思いがあります。小さいプロダクト、たとえばコップなど万人受けするいわゆる売れそうな型は、実はやらないんです。

柿﨑
加藤さんのつくるものに対して、すごく“鮮度”を感じるんです。デザイナーって、基本的にその職務の中で「何か新しいのください」と求められているじゃないですか。そのアウトプットが新鮮かどうかが、デザイナーが生きる価値を左右するとも言える。そんな鮮度が、この場所には満ちていて、そこに僕は強く惹かれています。加藤さんの“あまのじゃくさ加減”が要因ではないかと思います。
門田
加藤さんはご自身を、アーティストではなく「デザイナー」だと思われていますか?
加藤
そうですね。なので柿﨑さんのおっしゃる「何か新しいのください」というデザイナーの要件は、僕もよくわかります。アーティストは自分の内側から表現したい欲が出てくる人だと思いますが、僕も、一緒に工房をやっている妻も、その意味でアーティストではなくて、やはり何らかの“お題”に取り組んでいる感覚です。ここに問題がある、正しく伝わっていない、これと組み合わせたらいいんじゃないか、という思考が強いですね。考え方は、かなりデザイン的ではないかという気はします。
ただ、「〇〇デザイナー」という細分化された肩書きはしっくりきません。もともとは「デザイナー」はいろいろと幅広く手掛ける役割だったと思います。効率化のためにデザインが細分化したことで、弊害もあるんじゃないかと。

門田
たしかに大量生産、大量消費の社会になる中で分業が始まって、たとえば工業製品なら意匠的なことを手掛ける人を「工業デザイナー」と呼ぶようになり、量産できるシステムが機能してきたと思います。でも、改めてデザインを広義に捉えたら、何もそういう見方をする必要がない。職業名が細分化していると役割分担やコミュニケーションはラクになりますが、全然そこから離れていいんですね。
加藤
そう思いますね。僕たちがやっていることって、効率とは正反対の価値観なんです。水を飲むコップはプラスチックでも十分で、焼き物だと重たいし割れるしデメリットしかない。でも、焼き物で飲む水はおいしそうだという、この“そう”の部分で僕は仕事をしていると思っています。
門田
効率化や生産性ばかり追いかけていくと、デザインとしてこぼれ落ちていくものがありますよね。壊れないものを安く大量生産するなら、エンジニアとシステムだけでいい。機能的なものを超えて、デザイナーが介在する余地があるとすると、やはりそこにどんな意味やストーリーを込めるか、になるんじゃないかと。そこが僕らの仕事のいちばん大事なところかもしれません。

門田
ちょっと話は変わりますが、NOTA_SHOPに置いてあるものや、事務所やアトリエの空間の構成に、すごくセンスを感じます。加藤さんのセンスは、いろいろなご経験で培ってこられたと思うんですが、どこでいちばん養われたのでしょうか?
加藤
大元は、やはりこの町で生まれ育ったことだと思います。信楽では、保育園でも小学校でも図工の時間がすごく長くて、本物の粘土を使いたい放題で。小学校には窯があって、よくできた作品は焼いてもらえたんです。で、高校に入って別の出身地の子たちと一緒になったら、美術の時間で明らかに信楽出身の子がうまいんですよ。
柿﨑
それはおもしろい!
加藤
やはり、小さいときから粘土を触っていたことが大きかったんですよね。あわせて、普段からいろんな焼き物の素材、テクスチャーを見たり触ったりしているので、それもあると思います。また、個人的に中学生くらいから音楽や雑誌が好きでした。

柿﨑
よくわかります。僕も学生時代に深夜の音楽番組をかじりついてみていました。でも今はそうした音楽も配信サービスやSNSにいくらでもあるから、余計に、ある種の希少性をどうデザインしていくか、が価値を持つ可能性がある。そのヒントがNOTA_SHOPにあるように感じます。
門田
この場所に来るまでが、もうそういうふうにデザインされている気がします。電車を降りてからここまで、あ、とんぼが多いなとか、セイタカアワダチソウを久しぶりに見たなとか思いながら、楽しんで歩いてきました。
加藤
敷地が広いので、草刈りが本当に大変で。でもやりすぎると人工的になってしまうので、若干残しておく。そのバランスが大事だったりします。
門田
若干、というその感じが、心地よさを生んでいるんですね。

加藤
ある意味、人の目を信じて、人の能力を信用しているところがあるかもしれません。図面で全部お膳立てするのではなく、感じ取る力に委ねる。お店を開いてから徐々に、本当にいろいろな方が訪れてくれるようになって、若い人も含めてすごくポジティブな意見を残していってくれるんですね。全員が買い物をしなくても、10年後くらいにまた興味を持って来てくれたらいいなと、そのくらい長いスパンで考えています。なので、僕たちから「こうです!」と押し付けるより、それぞれの方が感じ取れる余白が残るように意識しています。
柿﨑
見た目だけのおしゃれさのような、「側(ガワ)」からつくっているものは、フィジカルな気持ちよさに欠けて、どんどん淘汰されていくと思います。なので、加藤さんのような原体験を持っていることに価値があるし、ちょっとうらやましいですね。
加藤
たしかに、フィジカルは大事にしています。たとえば内装のスタイリングをする際などは、CGを立ち上げてVRヘッドセットで確認しているんです。僕は建築が専門ではないので、平面図を見てもサイズ感がはっきりしないのですが、VRだとサイズ感を身体的に把握できて、すごく助かっていますね。
門田
手でつくるものの場合も、デジタルツールを使うことがあるんですか?
加藤
そうですね、機械に置き換わっても問題ないところ、たとえば単にまっすぐな線を引くとかは機械でやります。ただ、基本的には手でつくるか型でつくりますね。型でつくるものも、最終的には手で仕上げることが多いです。
門田
工業製品のデザインも、昔は手作業で製図や立体モデルの製作を行っていましたが、CADが出てきてから“形”の質が変わったように感じています。やはりアナログの過程って、目で見るだけではなくて、手で触りながら形を作っていくんですよね。そうやって作り手が手で考えた形は、受け手にとっても触りたくなるような、身体的な魅力をもったものになるのだと思います。

加藤
まさに今、現代美術やデザインの世界で、マテリアル感が強いものがすごく増えてきています。ここ10年くらいで焼き物も世界的に評価されています。スマートフォンがすっかり浸透した今、リアルな質感のほうに惹かれる気持ちはすごくわかる。この現象はブームで終わるかと思ったら、むしろ加速しています。
でも考えてみれば、僕たち自身がデジタルじゃないから。
門田
体の中に、直線ってないですからね。肉体を持って生まれている限り、リアルへの憧憬はずっと残っていく気はする。
加藤
それから、時間軸の豊かさも再認識されてくるかもしれない。デジタルのデータって瞬間的な利点はありますが、ときどき速すぎて、やっていることを見失ったりします。スマートフォンでも、フリック、スワイプでどんどん流れていく。皆、あまりにもすぐに求めすぎですよね。家でたまに写真のアルバムとかを見ると、時間軸を経験している感覚があります。この時代だからこそ、「長いスパンで、ゆっくり成長していくほうがうれしい」みたいな価値観もあるのではないかと思いますね。
門田
自分たちのつくったシステムに乗せられて、逆に自分の人生がデザインされてしまうことも起きていそうです。そう考えると、加藤さんは自分で「この場所」と決めて、ここにある自然や環境をうまく取り込んで生活と仕事をデザインされている。うらやましいです。

加藤
でも、不安もありますよ。たとえば10年前、僕たちのようなお店は少なかったですが、今ではだいぶ増えました。このまま続けてもおもしろくない、と感じる一方、自分も20、30代から40代になって、年齢と社会のズレを感じてもいます。自分たちの構想が陳腐ではないか不安で、保守的になりそうな気がします。
門田
旬のものや先端のものへのセンサーが、どうしても鈍くなるところはありますよね。流行商売じゃないけど、やはり押さえる必要はあるから。
加藤
その、鈍らないためにどうすればいいかなと。50代に向けてのこの10年は、「自分が変わらなくなることを前提で変わること」とか「終わりに向かうこと・次につなげること」を考えたいと思っています。

柿﨑
僕も、加藤さんのおっしゃる“ズレ”は感じています。たとえば、AIにはまだできなくて人間ができることのひとつに「世の中に出す最適なタイミングを見定める」ことがあると思うんですが、その勘がちゃんと働くまでは、仕事を続けたいですね。そのために、考え方やアウトプットの新鮮さをできるだけ保っていたいなと。
一方で、年を取ったからこそできることが、デザインの領域では昔よりも増えているんじゃないかとも思っています。
加藤
同感です。特に焼き物だと、焼き方や火の扱いに関する知見は、経験値がものを言います。薪で火を炊く薪窯なんかは、最たるものですね。焼くことだけを考えたら電気やガスのほうが安定しますが、薪窯だと窯の中で天然の灰が降って、作品に景色ができる。偶発性があるんです。無駄といえば無駄ですが、そこに遊びがある。豊かさがある気がします。そして、そこには経験値が必要です。
……僕、先ほど「自分はデザイナー」と言いましたが、60歳を超えたらアーティストとしての活動も模索したいですね。そのために経験を積んでいるような気もします。
門田
内発な創作意欲のあるアーティストに、ということですね。本当にやりたいことを追求すると、そうなるのかもしれない。

加藤
そこで権威主義的にならず、作品を通していいコミュニケーションができるようになることが課題です。あと、追われるより、追っている側でいたいです。
柿﨑
僕も同じく、常に挑戦的でいたいと思っています。最後に、今後の展望についてうかがえますか?
加藤
海外のアーティストを招いたり、海外からのお客さんにもっと来てもらったりして、海外との関係を深めていきたいです。日本の人口はどうやっても減るので、焼き物の産地として保つためにも、この町を海外の方にも知ってほしい。同時に、僕も海外の焼き物産地をもっと訪ねたいですね。焼き物という共通言語があるから、外からの視点で、日本の良さや自分たちの活動のおもしろさを再発見することもあると思います。
だって、日本はこんなにものを作れるんです。この状況を残さないと、世界が皆、ファブレス(工場(fab)を持たずに製品の企画・開発・販売に特化し、製造は外部の会社に委託するビジネスモデル)に行ってしまう。

柿﨑
その土地の文化をどう守り、残していくかも、ある種のデザインと言えるのかもしれません。たとえ血のつながりがなくても、ファミリーと呼べる人たちがいることでカルチャーが保たれていく。たとえば加藤さんのチームや、海外からアーティストが来ることもそうだし、僕や門田さんに部下ができるようなこともそうだろうと。
加藤
そうですね。人間も結局、長い歴史の中で点でしかない。僕たちが先人に影響を受けてきたように、次の世代に何かおもしろいものを残せる存在になりたいですね。
門田
文化が継承されていく。その文脈の中に、僕らもいるんですよね。そういう視点に意識的になって、残せるものは残していきたいと思います。
Photo by 末長 真

1984年、滋賀県信楽町生まれ。大学在学中にデザインを学ぶためロンドンへ留学。東京の広告制作会社に勤務後、地元の信楽に戻り陶器のデザイン、制作に従事する。2017 年に自社スタジオ「NOTA&design」、ギャラリー&ショップ「NOTA_SHOP」を設立。陶器を作る際に粘土同士をくっつけるのり状の接着剤「ノタ」のように、人と人、人ともの、時代や業種など、あらゆるものと考えをつなぐことをテーマにしながら、 陶器の制作を中心にグラフィック、プロダクト、 空間などを手掛け、 ギャラリーを併設した「NOTA_SHOP」では、工芸、アート、デザインを分け隔てることなく、様々な作家や商品を紹介している。

グラフィック、CI、プロダクト、商品開発、アパレルブランドやレストランの企画実装、メタバースなどの広い分野をアートディレクションによってリードし、ブランドに人格と意思を与える仕事を得意としている。東京ADC賞、ACC グランプリ、D&AD、カンヌ国際広告祭、ADFEST、SPIKES ASIA、グッドデザイン賞、日本パッケージデザイン大賞、日経広告賞 大賞、毎日広告デザイン賞 最高賞、朝日広告賞、読売広告大賞、電通賞 ほか多数受賞。

国内デザインファーム及び外資系メーカーにて製品デザインを担当したのち、quantumに参画。インハウスデザインスタジオMEDUMを主宰し、プロダクト、グラフィック、UI/UXデザインなどの境域から幅広い分野の新規事業開発を牽引する。手掛けたプロダクトは、iF Design Gold、Cannes Lions Gold、Dezeen Awards Project of the Yearなど数多く受賞の他、Pinakothek der Moderne (独)のパーマネントコレクションに選定されるなど国内外から高い評価を集めている。D&AD Awards(英)2025 プロダクトデザイン審査員。