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データ・クリエイティブ対談【第16弾】
「目的」と「思い」がテクノロジー選択の基準となる  ゲスト:テクノコア 松尾公也氏

2025.11.07
各界の識者を招き、広告ビジネスを越えたテクノロジーやデータ活用のあり方について対話する連載「データ・クリエイティブ対談」。今回は、長年テクノロジーメディアに関わりながら、独自のコンテンツ制作と発信を続けている松尾公也さんともに、テクノロジーと「人」や「思い」の関係について語り合いました。

松尾 公也氏
テクノコア
テクノエッジ編集部 シニアエディター兼コミュニティーストラテジスト

篠田 裕之
博報堂
メディアビジネス基盤開発局

島野 真
博報堂
研究デザインセンター

亡き妻の声や姿を再現するプロジェクト

島野
対談コンテンツ「データ・クリエイティブ対談」は今回で16回目となります。今回は、「テクノエッジ」編集部 シニアエディターとして活躍している松尾公也さんをお招きしました。松尾さんはテクノロジー領域の編集者・ライターとして活躍される一方で、近年は生成AIの可能性に注目。2023年には「AIアートグランプリ」にて、亡き妻のイラストや音声を使ったミュージックビデオ「Desperado by 妻音源とりちゃん[AI]」でグランプリを受賞されました。はじめに、松尾さんのこれまでの歩みをお聞かせいただけますか。

松尾
当時「マイコン」と呼ばれていた個人向けのコンピューターが登場したのは、僕が大学生の頃でした。僕はそれ以前からシンセサイザーを使って演奏をしたりしていたので、コンピューターを使って音楽をつくってみようと考えました。今でいうDTM(デスクトップミュージック)です。

大学卒業後は、ソフトバンク(当時は日本ソフトバンク)に入社していくつかのPC雑誌に携わったのちに、ウェブ媒体の立ち上げなども担当しました。それ以来、テクノロジーメディアに関わりながら、記者や編集者の立場で最新のテクノロジーに触れ、それを紹介していく活動をずっと続けています。

島野
「妻音源とりちゃん」のプロジェクトを始められたきっかけは何だったのでしょうか。

松尾
妻は、結婚する前から私の音楽づくりのパートナーでした。2007年に初音ミクが登場してボーカロイドに注目が集まり、その後YouTubeやニコニコ動画で誰もがコンテンツを発信できるようになってから、僕たちもボーカロイドを使ったりしながら一緒に音楽をつくって発信していました。その妻が、がんで他界したのは2013年でした。彼女はたくさんの音楽トラックの断片を残したので、それを組み合わせて曲やミュージックビデオをつくろうと考えたのが「妻音源とりちゃん」を始めたきっかけです。

島野
生成AIを使い始めたのはいつ頃からですか。

松尾
最初に使ったのは、2022年に公開された〈Midjourney〉でした。しかし、それを僕のプロジェクトに役立てることはあまりできませんでした。僕がやりたかったのは、妻の写真を増やすことです。数百枚の写真が残っていたのですが、そのほぼすべてをミュージックビデオに使ってしまい、新たに使える写真がありませんでした。そこで、既存の写真から新しい写真を生成したいと考えたのですが、当時の〈Midjourney〉ではそれが難しかったので、ほかの方法がないか模索しました。

そんなときに登場したのが、プロンプトから画像を生成できる〈Stable Diffusion〉でした。これによって、妻の写真をもとに新しい画像を生成することが可能になりました。さらに、生成AIのボイスチェンジの技術で、僕が歌った歌を妻の声で再現することも可能になりました。その方法でつくったミュージックビデオ作品をAIアートグランプリに応募したところ、グランプリを獲得することができました。そこから一気に注目していただけるようになりました。

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