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生活者発想技研の研究所案内vol.5
生活者発想×感覚研究で実現する、心豊かな世界

2025.08.08
2024年9月1日に新設された生活者発想技術研究所。生活者発想技術研究所所長補佐で100年生活者研究所所長の大高香世をナビゲーターに、「生活者発想」を探求する博報堂の多彩な研究所の代表に話をきく連載企画です。
5回目となる今回は、「Humanity Lab」(ヒューマニティラボ)リーダーの金じょんひょんとアートディレクターの伊勢山暁子をゲストに迎え、「Humanity Lab」における研究内容やこれまでの事例、今後の展望などについて語ってもらいました。

感覚研究の価値をプロダクトとして生活者に届けていく

大高
リーダーの金さん、「Humanity Lab」の設立目的について教えていただけますか。


「Humanity Lab(ヒューマニティラボ)」は、2018年以来クロスモーダル知覚(五感の相互作用)研究を行ってきた「Human X(ヒューマンクロス)」が今年5月にリニューアルしたもので、あらゆる感覚や感情を活用し、生活者に豊かな体験を創出するための研究開発を行うプロジェクトです。

人間は目で見たり、触ったり、音を聞いたりといった身体感覚を通して、自分自身や他者、世界を認識しています。そんな“感覚”にはとても大きな可能性があると私はずっと思ってきました。博士課程では情報理工学研究科に所属し、大きな筆記音を聞きながらだと筆記効率が上がるという研究をしていて、博報堂入社後に、「Write More(ライト・モア)」という具体的なプロダクトとして商品化することもできました。

たとえば、人は悲しいから泣くのもありますが、涙が出ることで悲しくなるという、身体的な反応で感情が誘発されることもわかっています。感覚を追求していくと自ずと感情や気持ち、行動へとつながっていく。その研究の面白さ、価値をきちんと世の中に届けていきたいという想いのもと、「感覚の豊かさを研究開発する」というスローガンを掲げ、体験やソリューション開発、研究者と共に感覚の可能性を議論するコミュニティ活動などを行っています。

大高
ありがとうございます。そして伊勢山さんは、このプロジェクトにおけるもう一人の重要なメンバーですね。

伊勢山
3年ほど前に金さんに声を掛けられ、一緒にこのプロジェクトを進めることになりました。
以前は、デザイナーとして多くの声を丁寧にまとめながら、納得感のあるビジュアルをつくることが主な役割でしたが、「Humanity Lab」における研究開発では、生活者の感情の動きや、ふとした瞬間の気持ちの変化までを丁寧にすくい取るような、より繊細で感覚的なデザインが求められます。そこに純粋に喜びを感じますし、可能性を感じているところです。

大高
「Humanity Lab」のアウトプットを見ていると、ビジュアルの力が重要だということを改めて思い知らされます。

伊勢山
アートディレクターとしては、私たちのプロダクトを前にした人に、少し不思議で、新しく、何か面白そうな、体験したことのない豊かな体験が得られそうだと感じてほしいと常に思っています。
実際に体験してもらって初めて伝わることも多いからこそ、最初に目にするビジュアルには、その入り口としての大きな役割があると感じています。

研究内容×クリエイティブの掛け合わせで生まれるユニークな感覚体験

大高
「Human X」時代からこれまでに開発したプロダクトについて教えていただけますか?


先述したように、最初のプロダクト「Write More(ライト・モア)」は私の博士課程での研究をもとにしており、専用ボードの上で字や線を書くと、カリカリ、サラサラといった筆記音が大きくなるという学習支援ツールです。筆記音を通して「自分はいま字を書いている」という自己主体感を得られ、字を書く楽しさを味わってもらうことができます。こちらはグッドデザイン賞やD&AD賞など、広告の枠にとどまらずさまざまな賞をいただくことができました。

「pacoo(パク―)」は、食べるのが楽しくなる食育フォークです。野菜を食べた瞬間をセンサーで感知し、かわいらしいオノマトペの音声が流れてくることで、野菜の記憶をポジティブにする体験を提供します。

伊勢山
「クロスモーダルビア」では、泡のクリーミーさ、しゅわっとした炭酸感、のどごしといったビールのおいしさの要素に一つひとつフォーカスし、それらを増幅させる5種類の音楽を制作し、味わいにじっくり向き合えるような体験を設計しました。
さらに、「INTO BEER」では、その音楽を細かな泡の動きなどを表現した映像と組み合わせ、視覚と聴覚の両方からアプローチしました。
全国3,000店舗のファミリーマートに設置されたサイネージで実証実験を行った結果、「ビールが買いたくなった」「飲みたくなった」といった回答が多数ありました。
視覚と聴覚を通じて味覚や触覚を刺激することで、感情や行動に変化が生まれることを実証できた事例でした。


「Humanity TIPS」は、東京大学大学院情報理工学系研究科の鳴海拓志准教授と共同開発した、人間の感覚特性を活用したアイデア創出ソリューションです。感覚研究の内容を50のTIPSにわかりやすくまとめてあり、商品開発などのアイデア発想に活用していただけます。たとえば、Sonic Seasoningの研究では、高い音は甘い味、低い音は苦い味と結びつくという人間の特性が明らかになっており、音によって味わいが変化することが示されています。実際、自分で苦い漢方薬を飲みながら、高い音を聞いたり低い音を聞いたりして味の変化を試したら、高い音で苦みが減ることが確認できました。そんなふうに感覚を基点にすることで新しい発想の糸口を得られるというもので、実際に得意先で試してみたところ非常に好評でした。

大高
ベースとなる研究内容がそもそもあるので、アイデアとして面白いだけでなくそれを裏付ける確かなエビデンスがあり、第三者に説明しやすいことも大きなメリットですよね。商品開発などのアイデア出しに適しているのがわかります。

伊勢山
また、大手日用品メーカーが手掛けた冷たいアイマスクの製品に合わせて、「ひゅー」という風の音をあらわすオノマトペや、涼しさを感じるという「H」や「I」の音、水の中の氷の音などを使って、心地よい涼しさを感じながら聞き続けられるような音楽をつくりました。日比谷音楽祭で、クールダウンできる場所として特設スペースを設置し、その音楽を聴けるようにしたところ、行列ができるほど好評でした。

大高
面白いですね。直近の事例だと何がありますか。

伊勢山
人間の皮膚テクスチャーを活用した「HUMAN TEXTURE」というソリューションです。コロナ禍で人とのコミュニケーションの機会が減ってしまったこともあり、人とふれあうことの心地よさや安らぎを感じられるようなものを生み出したいと考えていました。そこで思いついたのが、人肌を再現したプロダクトです。皮膚のキメって、よく見ると体の部位によってすごく変化があるんですね。そこで、特殊なレンズを使って大人や赤ちゃんの体のさまざまな部位を撮影し、それぞれのキメや模様を調べ、特徴的だった5つの部位の肌を発泡印刷を使って立体的に再現しました。

商品化はまだ途上ですが、たとえばティッシュの表面に同じような凸凹の加工を施すとか、ハンドルやドアノブ、肌着やおむつ、浴室のタイルなど、人がよく触れる部分にコーティングすることで、安心感を覚えてもらったり気持ちよさを感じてもらえるのではないか、などと考えています。7月には、各部位のテクスチャーの違いによって触れた人がどう感じるのかを調べるための実証実験も予定しています。

大高
もとになる研究のすばらしさを、クリエイティブを掛け合わせることでちゃんと生活者の役に立てたり、楽しめる体験に落とし込んでいるところが、このチームの強さですね。さらにこのチームは、テクノロジーを基点にしつつ、目には見えない「感覚」という切り口から、生活者にどんな価値をもたらすことができるかを突き詰めている。生活者の特性で区切った研究が多いなかで、非常にユニークな存在だと感じます。

ちなみに感覚研究を進めるにあたり、社内の反応はどうでしたか。


もともと博報堂自体、声を上げたら応援してくれるカルチャーがありますから、非常に協力的でありがたかったです。また、社内で「Write More」を試してもらったときは、皆さん生活者の一人として体験してくださり、すぐに「これはいいね」と言ってくれました。体験すると瞬時にその価値がわかるのはこの研究のいいところだと思います。一方で、実際に体験しないとなかなか伝わらないという側面もあります。まずは感覚研究のすばらしさをどう言語化していくか、そして、いかに体験の場所を設けていくかが課題だと考えています。

7月には、博報堂のUNIVERSITY of CREATIVITYと共催で「HUMAN TEXTURE」の公開実験・体験会を実施しました。参加者には各部位のテクスチャーに実際に触れて、どう感じたかアンケートに答えてもらいましたが、「発想や体験が面白い」「贅沢で良い時間だった」「慣れ親しんだ安心する感覚なので、いろんなものに派生しやすそう」のような感想をいただきました。社内はもちろん、社外からも様々な業種、職種の方に面白がって体験いただけてよかったです。アンケートの回答を踏まえて、今後のソリューション活用の可能性を広げていきたいと思います。

HUMAN TEXTURE公開実験・体験会の様子(Photo by 渡邊竜輔)

自分の感覚に向き合う時間は、誰にも邪魔されない幸せな時間

大高
研究所として大事にしていることは何ですか。


感覚研究と生活者発想を掛け合わせて、半歩先の未来をつくることです。研究の世界においては、研究の成果が生活にすぐに役立てられなかったり、生活から遠いところにとどまりがちです。私たちは、研究を活かして、誰もが応用できるもの、生活に即した体験をつくることを大切にしたいし、それこそ「Humanity Lab」にしかできないことだと思っています。

伊勢山
私たちが開発したものを世に出すことで、本当に生活者の暮らしが豊かになり、幸せにつながるのか—それを常に考えることが大切だと思っています。
世の中はさまざまなノイズや刺激にあふれていますが、そうした中で自分の感覚に静かに集中する時間は、誰にも邪魔されない、かけがえのない幸せなひとときになり得ます。
生活者に、感覚を通じて心を動かされるような、豊かで印象に残る体験を届けていくことに、これからもこだわっていきたいと考えています。

大高
なるほど。では「Humanity Lab」の研究は、世の中のビッグウェルビーイングにどう貢献できるでしょうか。


感覚研究は、生活者像に合わせてさまざまな活かし方ができるものです。たとえば音と味覚の感覚特性を使って、日本酒が好きな人に合わせた、あるいはチョコレートが好きな人に合わせた体験などをつくりあげることができます。人間本来の特性を理解したうえで、それぞれの生活者に対して、感性に訴えかけるような、かつ科学的なアプローチを試みていく。そのパイオニア的な存在として、社会のさまざまな側面で幸せで豊かな体験を生み出すことができるのではないかと考えています。

伊勢山
きっと1万年前の人類も、いまの私たちと同じような感覚を持っていたはずです。たとえば、雨が降る前のあの独特の感覚、時代や場所は違えど、同じように「もうすぐ雨が来るな」と空を見上げていたのではないでしょうか。
そう考えると、感覚はすべての人を包み込めるテーマであり、人を分断したり差別することのない、やさしいテーマともいえる。本当のビッグウェルビーイングを実現する可能性のあるテーマだと思います。

大高
世界平和にもつながりそうな、大きなテーマですね。


目で見るとか、手で触れるとか、体に備わっている機能は昔もいまも同じです。赤い色を見て必ずしも全員が同じ赤だと認識しているわけではないけれど、それでも「赤」であるという共通認識は持つことができますよね。その共通認識をたくさん発見していけたら、幸福度の上がるビッグウェルビーイングの実現につながるような気がします。

伊勢山
これまで、自分の感覚についてうかがうインタビューなども実施してきましたが、応えてくれる方々は語りながら優しい気持ちになっていくのがわかるんです。自分の感覚に向き合うということは、自分自身を見つめることでもあるし、自分だけの幸せを感じることにもつながる。そこにもこの研究の希望があると思っています。

大高
聞けば聞くほど素晴らしい研究ですね。今後はどのように展開させていきたいですか。


「クロスモーダルビア」を体験した方が、「ビールをこんなに味わって飲んだことはなかった」と言ったことがありました。自分の感覚と向き合いながら、じっくり味わって飲むという体験は、皆でワイワイ楽しんで飲む体験とはまた違った、豊かな体験となっていたのではないかなと思います。そうやって一人ひとりの幸福度が高まり、生きる力になっていき、社会全体にその幸福が波及するといいなと思います。

伊勢山
日本の文化を背景に持つ私と、韓国の文化を背景に持つ金さんの2人では、まだまだ世界のウェルビーイングまで想像が及んでいない部分が大きいと思います。なので、日本にこだわらずに、感覚と向き合う幸せや豊かさを海外でも多くの人に知ってもらえたらうれしいですね。展示やイベントなどで得られた反応や声をふまえ、さらにプロダクトをいいものにしていけたらと思っています。

大高
目指すは、全世界の人を幸せにするためのグローバル展開ということですね。素晴らしい目標を聞かせていただけました!本日はありがとうございました。

金 じょんひょん
Humanity Lab リーダー

2024年より生活者発想技術研究所。研究・技術にクリエイティブをかけ合わせ、新たな体験を創造する業務をメインに従事し、プロダクトやサービス、研究開発を幅広く取り組む。書くを楽しむボード「Write More」やビールのおいしさを増幅させる音楽「CROSSMODAL : BEER」、呼吸するクッション「fufuly」などを開発。CES Innovation awardsを始め、Innovative Technologies、d&adなど、国内外で受賞多数。日本バーチャルリアリティ学会理事。

伊勢山 暁子
Humanity Lab アートディレクター

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業後、博報堂にアートディレクターとして入社。化粧品や自動車をはじめ、多様な企業のビジュアル開発を担当。
その後、ブランド・イノベーションデザイン局にてブランディング業務に従事。ワークショップを通じた共創型デザインを実践し、プロジェクトに伴走する新たなクリエイティブの形を探求した。
現在は、これまでの経験を統合し、生活者発想技術研究所にて「感覚」をテーマに、美しく豊かな体験の設計に取り組んでいる。
受賞歴:London International Awards、ACC賞など

大高 香世
博報堂 生活者発想技術研究所 所長補佐
博報堂 100年生活者研究所 所長

1990年博報堂入社。30年間にわたりマーケティングの戦略立案や、新商品開発、新規事業開発などを手掛ける。また、1,000回以上の様々なワークショップでファシリテーターとしての実績を持つ。2013年、「生活者共創マーケティング」を専業にした株式会社VoiceVisionを博報堂の子会社として起業し、代表取締役社長に就任。2023年より博報堂100年生活者研究所所長就任。巣鴨でお客様のお話を聴くカフェを運営し、ひとり一人の声から新しいしあわせの探求を産官学共創で目指している。

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