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博報堂シニアビジネスフォース流『未定年図鑑』刊行記念
三嶋(原)浩子×内多勝康氏トークイベントレポート
「定年対策、リスキリング、何をしたらいいの!?」

2023.07.27
博報堂シニアビジネスフォースは、40 代~50 代をコアターゲットとし、「未定年」時代にどう働きどう学ぶべきかの参考になるエピソードを収録した『未定年図鑑~定年までの生き方コレクション~』を出版。刊行を記念し、博報堂シニアビジネスフォースメンバーで、コピーライターでありながらキャリアコンサルタントでもある著者の三嶋(原)浩子と、「国立成育医療研究センター もみじの家」のハウスマネージャーであり元・NHKアナウンサーの内多勝康さんによるトークイベントが、紀伊国屋書店新宿本店アカデミック・ラウンジにて開催されました。その様子をご紹介します。

ネクストキャリアを考えるヒント満載の『未定年図鑑』

三嶋:今日はお集まりいただいた皆さんに「未定年」というものを意識し、「定年」に対して何らかの希望を感じていただければと考えています。そしてぜひ、ご自身の中にある願望に気づき、定年後にどう生きたいのかに結び付けていただけたら幸いです。

ゲストにお越しいただいたのは、本書『未定年図鑑~定年までの生き方コレクション~』にも登場いただいた元NHKアナウンサーの内多勝康さん。内多さんは53歳で早期退職をされて、現在は「国立成育医療研究センター もみじの家」のハウスマネージャーとして活躍されています。私自身は博報堂のクリエイターであると同時にキャリアコンサルタントの資格も取得し、非常勤講師として勤務している大学では学生の就活相談も行っています。

早速ですが、「未定年」というのは、「100 年生活者」発想でシニアビジネスを開発・実施している、博報堂シニアビジネスフォースのメンバーで発案した新しい概念の言葉で、40歳から50代をコアターゲットに、人生100年時代、定年後の時間をどう働きどう生きるかについて社会に発信していくキーワードになります。未定年の「未」は、「いまだ」という意味であり、未来の未でもあるので、希望を感じてもらえるコピーライティングではないかなと思っています。

この本を書くに至った背景もお話します。いま時代が大きく変化していて、すでに65歳までの雇用確保が企業に義務化されていますし、2021年に高齢者雇用安定法が改正され、70歳までの継続雇用が努力義務になりました。このように長く働ける環境が整備されてきているということは、言い換えれば、65歳以降の老後が長いということ。一方で年金は少しずつ目減りし、受給開始を遅らせてほしいというのが現実です。こうした状況を鑑みると、好むと好まざるにかかわらず、元気なうちは働けるように準備しておく必要があるんです。私たちの親世代には終身雇用制度があり、1社に尽くすことが美徳とされていましたが、そこも変わってきました。だからこそ未定年の時期にどう準備し、どういう心構えでいたらいいのかをまとめたのが本書です。

『未定年図鑑』の1つ目の特徴は、未定年のロールモデルを27名取材し、彼らの「未定年アクション」を紐解いていることです。今、未定年の人たちにはロールモデルがいませんから、本書でご紹介する意味は大きいと思っています。たとえば50代で、定年後を視野に入れて自発的に「未定年アクション」を起こしている人や、知らず知らずのうちに行ったことが「未定年アクション」になっている人などが登場します。さらに本書では“ちょっと残念な人”も紹介しており、その失敗例からも何かを学んでいただけるのではないかと思っています。定年対策、リスキリング、学び直しなどが言われる中、具体的に何をしたらいいのかわからないという方に、参考にしていただける一冊となっています。

2つ目の特徴は、お悩みジャンル別索引をつけたこと。編集者である浜田さんの発明で、自分に当てはまる箇所をピンポイントで読むことができ、お悩みからの脱出スピードを上げられる工夫になっています。「昔からの夢を叶えたい人」、「生涯現役で働きたいなら」、「何をすれば良いか分からないなら」、「思い切った方向転換事例を知りたいなら」など、お悩みをジャンル化し、読んでほしい章とページを示して道しるべをつくりました。

もう一度生きがいと仕事を一つにできるかもしれない――そう思ってチャンスに飛び込んだ

三嶋:では、いよいよ内多さんに話を聞いていきます。2016年、内多さんが53歳の時にNHKのアナウンサーから医療型短期入所施設に転職されたわけですが、まずはその理由と心境について振り返っていただけますか。

内多:振り返れば、絶対に転職しようと思っていたわけではなく、知らず知らずのうちにそういう種をまいていたということになります。まず50歳を過ぎて、NHKの中でも思うような仕事ができなくなってきたと感じ始めていました。それまではどんどんスキルを身につけ、希望する番組を担当できたり、自分の提案がいくつも採用されたりと非常に充実した仕事ができていたのですが、気づけばこの年になり、「サラリーマンとしてはそろそろ若い世代に道を譲るべきなのかな」と思って過ごすようになっていました。僕自身、まさに終身雇用が当たり前だった時代に社会人になりましたから、多少仕事に対して思うことがあったとしても、定年まで勤め上げるんだろうと思っていたのです。
そんな折、「クローズアップ現代」という番組を通して、在宅医療が必要なお子さんを取り巻く現状について取材をし、病気のお子さんが一旦は退院しても、その後の長い年月を、ご家族が大変な思いをして自宅でケアし続けているという現状に強い問題意識を抱いたのです。ただ、アナウンサーとしては一つのテーマだけを追いかけ続けるわけにもいきません。何かモヤモヤしながらも粛々と仕事を続け、定年したら福祉業界で仕事をしようと割り切っていました。その、半ばあきらめの境地に至った頃に、取材を通して知り合った方から国立成育医療研究センター「もみじの家」の話を耳にしたんです。医療的ケアを必要とする子どもとその家族を支える短期入所施設が開設される予定で、常駐するハウスマネージャーを外からリクルートしたい、ついては私にやってみる気はないかというお誘いでした。

アナウンサーも、少しでも社会をよくしたいとか幸せにしたいという気持ちで、夜な夜な情報を取材したり一生懸命コメントを書いたりしています。でもそうした現場にあまり恵まれなくなり、少し寂しい気持ちを抱えていたタイミングで、支援が必要な人に直接自分が何かできるかもしれないという話が舞い込んできた。非常に大きく心が動きました。もちろん家族の了解を得るとか収支の折り合いをつけるとかのハードルはありましたが、いろんなピースがはまる感じがあり、断る理由がなくなっていた。そこに飛び込むことで、もう一度生きがいと仕事をひとつにできるような気がしたんです。実際は非常に厳しい現場で、そんな軽い気持ちで飛び込んではいけなかったと思い知ることになるんですが(苦笑)。結果的には非常に満足しています。

三嶋:ありがとうございます。今のお話から私たちが参考にしたいのは、人生においてヒントや種になる何かは“ちょっと不機嫌な顔でやってくる”ということ。たとえば現場に想いを残しながらも、後進に道を譲らなくてはならないというような、ネガティブで不機嫌な顔をしてやってきた出来事から目をそらさずに向き合ってみる。そこからある種の価値転換ができればいいと思います。
もう1つは、偶然が決めるということ。内多さんの場合はたまたま「クローズアップ現代」で福祉の現場を取材をされたことがきっかけになりました。不機嫌な顔をした出来事と向き合う。偶然が何かを決めてくれる。この2つを少し意識しておくことで、次のステップに進むヒントが見つかると思います。

「自分はどう生きたいか」の軸からネクストキャリアを考えていく

三嶋:次の質問です。新たな挑戦をしてみての達成感や、転職して良かったかどうかについて教えてください。

内多:達成感はものすごくあります。僕が持っている社会福祉士の資格では看護師や保育士のような直接的なケアはできないので、主に事務的な仕事をしながら笑顔でご家族を迎えるわけですが、それだけで「こういう施設を本当に待ち望んでいました」と心から感謝されるんです。前職では、「自分は何のためにここにいるのか」「今後何をして生きていくのか」が見えなくなって、なんとなく目の前に靄がかかっていたような状態でしたが、「もみじの家」の現場はまさに支援のど真ん中にあり、自分が何のために仕事をしているか、どう役立っているかということがはっきりと実感できる。こんなに恵まれた仕事はありません。この転職話は、まるで宝くじが当たったようなものだとも思っています。もし僕がまだNHKで満足いく仕事が続けられていれば同じような話がきてもきっと断っていたでしょう。

三嶋:やはり、偶然が決めたということでしょうね。

内多:アナウンサー人生30年という節目の年に前職を辞めることになったのも、何かめぐり合わせのような感じもします。ただ、そうやって夢と希望をもって転職したわけですが、現実は厳しくて(苦笑)。事務的なスキルを何も持ち合わせていなかったので、会議資料ひとつつくるだけでも大変で、1年目はパソコンの得意な後輩に教わりながら何とかやっていました。仕事自体は人に喜ばれるのでやりがいを感じる一方、具体的な業務においてはまったく無力であることを思い知らされました。その後少しずつ事務スキルも向上し、仕事を効率よく進められるようになっていきました。

三嶋:いざ新人として未経験の現場に入ると、それだけ大変なこともあるわけで。内多さんも決して早期退職を勧められているわけではないですよね。

内多:はい。同じ職場できちんと勤め上げるということを決して否定する気はありません。僕はそれができなかった男として、素晴らしいことだと思っています。

三嶋:この話のポイントは、内多さんが生き方の軸やテーマを、はっきり持っていたからこそ早期退職を選ばれた、ということじゃないでしょうか。辞める辞めないではなく、人生で何を優先するかから考えるということ。内多さんの場合、自分の想いをぶつけられるような現場仕事へのプライオリティーが、おそらく高かったわけですよね。

内多:そうですね。実際、もともとアナウンサー志望だったわけではないんです。昭和61年当時のNHKが、それまでのアナウンサー像を覆すような人材を採用しようとしていた時期で、ディレクター希望だった僕もアナウンサーに採用されました。もし始めからアナウンサー志望だったら、どんな現場であれやりがいを感じられただろうと思います。また、たまたま取材で、それまでの人生でまったく接点のなかった障害福祉の世界に触れることになり、「これこそが自分のフィールドだ」と明確にわかったのも幸せなことだと思います。その後はいろんな番組をやりながらも、障害福祉を追い続けるという軸はぶれることなく、医療的ケアへと関心が結びついていきました。やりたいことを一つに絞るのは勇気がいるし、本当にそれが正しいかどうか自信が持てないこともあるでしょうが、一度決めてしまうのもありかもしれません。

三嶋:そうですよね。現場主義というのが内多さんの中にずっとぶれずにあったんでしょうね。どう生きたいかの軸を持つというのは、学ぶべきところです。つい辞める辞めないといった話に終始しがちですが、自分で知らず知らずのうちに全うしてきた生き方の軸のようなものがあるとして、それを明文化することができたら、決断も合理的になり、悩む時間も短くて済むかもしれません。

被害者意識にとらわずに行動を続けることで、次のステージにつながっていく

三嶋:それでは最後の質問です。ご著書『53歳の新人~NHKアナウンサーだった僕の転職』に、「生きていくということは、人生のちょっと先に向けて、知らず知らずに種をまいていくことなのかもしれません」という名言がありますが、この思いをお話いただければ。

内多:転職に結びつくまでの軌跡を振り返ってみると、結局そういうことだったんだろうなと思ったわけです。アナウンサーになったことで障害福祉のフィールドにつながったし、社会福祉士という資格も、別に転職を見越していたわけではなく、定年後に“福祉のおじさん”になれたらいいなと思って取得していたものです。実は名古屋に単身赴任した際、3年経てばすぐ東京に戻れると思っていたのですがそのまま4年目に入ってしまい、かなりふてくされた時期がありました(苦笑)。仕事に対しても後ろ向きになってしまっていたんですが、どうせなら前から気になっていた資格でも取ろうかなと思ったんです。結果的に、現在福祉の現場で責任者として働く上ではアドバンテージになり、役立っています。仕事には良い時も悪い時もありますが、そのつど自分が打ち込めることや好きなことを突き詰めたり、勉強したことが、振り返れば全部つながっている。今僕が打ち込んでやっていることもきっと、5年後、10年後のための種まきになるはずです。もう還暦で、あと何年務められるかわかりませんが、今僕が最高出力で仕事をしていることが、この先何らかの形で花咲くといいなと思いながら、日々仕事をしています。

三嶋:今のお話に2ついい学びがあります。内多さんがすごいのは、自分ではどうすることもできずに非常に辛い時間だったにも関わらず、被害者意識にとどまらずに、「じゃあ、ふてくされついでに資格を取ってやれ」と行動を起こしたこと。ここでも、次につながる人生の種は不機嫌な顔でやってくるんだなという学びがあります。もう1つは、今最大限で仕事をしていることが、また次のステージにつながっていくということ。本当に辛い時には無理する必要はないと思うのですが、基本的に被害者意識は人を弱くすると思うんです。そこであえて前を向いて、抜け出していくことが大事です。

セカンドキャリアの種を探すための「人生の見落とし点検」

三嶋:『未定年図鑑』の102ページに、「人生の見落とし点検」表というものがあります。自分のことは自分が一番わからなかったり、忘れていることも多い。過去から現在で「セカンドキャリア」の種になる貴重な何かを見落としている可能性があるんです。そこで、セカンドキャリアにつながる貴重な種を「後から思えば」ではなく、未定年期に拾い上げて今から育てるというアクションを提案したいのです。内多さんの場合は「後から思えば」ですが、これを計画的にできれば、なりたい自分になるまでのスピードが速くなるのではないでしょうか。

「人生の見落とし点検」表は、「仕事時代」と「子供・学生時代」に横の時間軸が分かれていて、縦軸は「①成果」「②失敗」「③出会い」「④気持ち」という4つのジャンルで分かれています。ここに、良いことと悪いことを書いてみてください。

私もやってみたところ、忘れていたことをいくつか思い出しました。たとえば学生時代、鍋の販売営業を電話で行うバイトをしていて、売り上げナンバーワンだったんです。卒業後は正社員になってくれと言われたほどでした。もしかしたらこれがネクストキャリアの種になるかもしれません(笑)。教員採用試験も受けたのですが、今ありがたいことに大学で非常勤講師をやらせてもらえています。講師をやってみようと思えたのはこの経験があったからです。あるいは、競合プレゼンで負け続け非常に辛い時期がありましたが、その時浮いた時間で勉強しようと決意し社会人大学院に通いました。そんな風に書いてるといろいろと思い出していくものです。皆さんもぜひ埋めていってください。過去の嫌だったできごとを良い行動につなげることができたり、セカンドキャリアの種になるような何かを思い出すことができるかもしれません。

未来に希望を持ち、願望に気づき、未定年アクションにつなげていく

三嶋:最後に、キャリアコンサルタントとしての知見をお話します。
スタンフォード大学の心理学者、ジョン・D・クランボルツ教授が提唱しているキャリア理論に、計画的偶発性理論というものがあります。簡単に説明すると、キャリアの8割は偶然で決まるというもので、偶然を引き寄せることこそが重要であるという考え方です。そして予期せぬ出来事を創出し、活かすために心掛けるべき態度として、好奇心、持続性、楽観性、柔軟性、冒険心の5つが提示しています。ふてくされずに新しい機会を模索し、屈せずに努力を継続する。ポジティブな思考で考える。時代の変化に合わせた概念や行動変化を持ち、不確実でもリスクを取っていく。これらすべてが内多さんに当てはまるような気がしています。偶然というのは口を開けて待っていても起こらないもので、こういう気持ちを持つことで、よい偶然がやってくるのです。

これまでの人生の積み重ねに未定年アクションの種が隠れています。難しく考えて悩むよりも、ごくカジュアルに「人生見落とし点検」というライフ・パトロールをしてみてはいかがでしょうか。過去の自分と今やっていることを振り返って見ると、もしかしたら過去の自分が今の自分を助けてくれるかもしれないし、今いやいややっているようなことも、次のステージの種になるかもしれません。ぜひ気楽に、希望をもって未定年アクションにつなげていただきたいです。そして、自分はどう生きたいかという願望に気づいていただければ幸いです。

最後に、内多さんからもお言葉をお願いできますか。

内多:僕の場合「もみじの家」の話が来た時に、躊躇なくキャッチできたところは良かったのかなと思います。ほかにもっといい職場がないかとか、別の可能性を調べてからピックアップするという行動も可能だったと思いますが、まさに「もみじの家」が間もなく立ち上がるという偶然のタイミングに、反射的に飛びつくことができた。自分の感覚に正直に、アクションにつなげられたという感覚があります。なぜそれができたかというと、やはりNHK時代に、何度も取材や準備を重ね、放送に値すると思ったら提案するというトライアンドエラーを重ねてきたからではないかなと思うんです。動きながら考えることを継続するうち、自分のアクションの打率、成功率が少しずつ上がっていく。そういう感性が身についていたからこそ、「もみじの家」の話が来た時にぱっとキャッチできた。確かに不確実なリスクはありますが、ある程度自分の感性、感覚に正直に動いてみて、結果が出たらそこから学習していくという習慣を身につけることが、結構大事なことだったんだろうなと今は思います。飛び込んでみて、だめなら次にいけばいいわけですから。そのうち年齢と共に足腰も弱って行動力が衰えていきます。大事な局面で反射的にアクションを起こせるような体質を養っておくことも結構大事なのではないかと思います。

三嶋:大事な局面での反射神経を養う、大切なことですね。まだまだお話を伺いたいですが、お時間となりました。
内多さん、ご来場の皆さん、本日はありがとうございました。

三嶋(原)浩子 (みしま(はら)・ひろこ)
博報堂 関西支社CMプラナー/ディレクター/コピーライター/動画ディレクター
博報堂シニアビジネスフォース ディレクター

テレビCM・新聞広告・WEB動画制作で活躍する一方、高齢化社会において「シニアの人生をクリエイティブする」ため、キャリアコンサルタント(国家資格)を取得。

内多 勝康さん
(元・NHKアナウンサー、国立成育医療研究センターもみじの家ハウスマネージャー)

1963年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局。2016年3月に退職し、同年4月より国立成育医療研究センターの医療型短期入所施設「もみじの家」ハウスマネージャーに就任。著書に『「医療的ケア」の必要な子どもたち 第二の人生を歩む元NHKアナウンサーの奮闘記』(ミネルヴァ書房)『53歳の新人―NHKアナウンサーだった僕の転職―』(新潮社)。     三嶋(原)の著書『未定年図鑑』では、未定年におけるロールモデルの一人として紹介されている。

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