紫式部が描いた、既読スルー!?

市耒健太郎(以下、市耒) スプツニ子!さん、谷中にお越し頂き、ありがとうございます。今日は特別に、由緒正しい日暮里の天王寺でお話をお願いします。これからの時代に特に大事だと思う「Creativity=創造性」の話を一緒にしたくて、この場所を選んだのですけど、実はこのお寺、歴史は鎌倉時代から750年くらい続いているのに、建物が、寺院建築と現代技法を織り交ぜたRC構造に建て替えていて、コンクリートを型枠に流し込むだけじゃなくて、木造っぽく「組む部材」として建築しているんです。

このお寺、間合いが素敵じゃないですか?創造性への仮説として、時代において「変わらないもの」と「変わるもの」の交差に答えがあるんじゃないかって考えていて、伝統と未来がぶつかっているこのお寺にしてみました。

スプツニ子!(以下、スプ子) すご~い。こんな場所が東京にあるんですね!日本のデザインってかっこいいなぁ。やっぱりディテールと引き算の設計に秀でていると思うんです。西洋的な響きがあるせいか、デザインって言葉からはヨーロッパの建築やバウハウスとかが連想されがちなんだけど、こういう身近にある日本の引き算のデザイン、素晴らしいですよね。

市耒 西洋のデザインは、物理と機能のパターン分析が優れていますよね。合理的で合目的な。それに対して、日本は、圧倒的に「間」の設計が優れている。

スプ子 まさに。とっても洗練されていますよね。ヨーロッパは装飾そのものに目がいきがちなのに対して、おお、この余白。まさに「間!」ですよね、こういう日本人の感覚ってどう培われるんだろう。でも、日本人はこんなにかっこいい間の美学を持っているのに、どうして日本の友達の家に行くと、ごちゃごちゃしてるんだろう(笑)。

市耒 ごちゃごちゃ見えちゃうのは、残念ながらきっと物理的に狭いからじゃないでしょうか。一方で、「間」のデザインってのは、今でも、息づいていると思うんですよ。暖簾とか、門とか、障子とかを、揺れる布や紙で表現したりとか、コンテンポラリーの飲食店や旅館にもそういう「揺れる境界」が息づいていますよね。

ところで、今日の話。ぼくは『恋する芸術と科学』っていうサイエンスアートのデザインラボをやっているんだけど、スプツニ子!さんみたいに、ロンドン大学で数学を専攻した後に、RCA行って、アーティストになって、MITメディアラボに行って、東大の生産研で先生になっちゃうっていう、まさにサイエンスアートを地で生きてらっしゃいますよね。そこでお聞きしたいのが、今、日進月歩でメディアやテクノロジーが進化している中で、人間の持つ「創造性」ってどこに行くんでしょうということなんですね。ぼくらの世界のなかでは、「なにが変わっていって」「なにが変わらない」んでしょう?

スプ子 私はテクノロジーやサイエンスに関わる人が周りに本当にたくさんいるおかげで、幸運にも日々いろいろな新しいものに接することが出来るのですが、そういう先端研究に接していて私が一番実感するのが、変わらないものの面白さなんですね。たとえば「源氏物語」って、変わらないものの象徴が沢山詰まってるなって。

市耒 お、いきなり飛んだね、1000年!

スプ子 いきなり飛ぶけど(笑)。例えば「源氏物語」が書かれた時代の物語って、すごく思いをこめた手紙を書いて相手に読まれないとか、読まれているとか、読んだのに返事が返ってこないとかで、登場人物がやきもきしたりしますよね。それって、今わたしたちがLINE既読スルーや未読スルーでどぎまぎしているのと変わらないでしょ?だからテクノロジーうんぬんで一喜一憂するけれど、恋やコミュニケーションの本質って1000年たっても変わらないなぁって思っちゃうんです。

市耒 確かに!1000年前の既読スルーなんだね、紫式部が描いたのは(笑)。

スプ子 そうなんですよ。週刊誌が騒いでいるような、誰かのLINEが流出したとか恨まれたとか、そういう人間の内面のドロドロや、それを見たいっていうゴシップ好きな感じも、紫式部の時代から1000年くらい変わってないと思います(笑)。

市耒 それでは、逆に「変わる」って部分は?

スプ子 それが、ついさっき(大学で)講義して来たばっかりだから、すごく頭にあるんですが、その話をしてもいいですか?

市耒 ぜひ。

今のAIの議論に感じる違和感

スプ子 例えば人工知能の話をみなさんするときって「人工知能によって効率が良くなるよね」とか「合理的になるよね」という話が多いと思うんです。その流れで「では、AIが裁判官をやったらどうだろう」という議論もよくされます。AIが法律や過去の判例から瞬時に検索したりパターン認識したりすることができるから。それを元に、この人は、無罪とか有罪とか、AIが判決を下せるようになるかもしれないということ。
でもですよ。わたしが、人工知能に託すのが一番危ないと思っているのは、モラルなんです。人間って常にモラルを議論し、衝突しながらアップデートしてきた歴史があるじゃないですか。例えば、たった100年前は女性は参政権を持っていなかったとか、数十年前までは人は肌の色で差別されていたりして、そこに女性運動家やマーティン・ルーサー・キングが出てきて、そういう過去の常識をアップデートしていった。マーティン・ルーサー・キングが出てきたときに、もし社会がモラルの基準を完全にAIに頼りきっていたら、過去データを見れば有色人種が差別されていたわけだから、マーティン・ルーサー・キングの価値の転換は否定されるし、社会のモラルもそのまま固定化されてしまうんですね。

市耒 本当にそうですよね。AIは、過去を踏襲した最適解を作るのは得意だけれども、新しい価値創造は苦手ですよね。宗教論争や同性婚に関しても、そうですよね。

スプ子 今のAIの議論で欠けているのはそこで、モラルや価値観はグレーだし曖昧だし、AIで正解が分からないんだ!ってこと。そういう人間の、何が望ましくて、望ましくないかっていう物の見方は、常に議論しアップデートされないと危ないっていう授業をさっきしてきました。

市耒 僕らが物事を考えるときの、時間軸の目盛りの幅ってすごく重要で、今日のヒットチャート的な考えもあるけど、この100年、1000年単位でどうなのっていうスケールも重要。自然に対する解釈とかも、20世紀的な考え方と21世紀的な考え方は全然違う。「美しい」という概念すら、そうですよね。「切れ長の目が美しい」というときもあれば、「ぽってりした唇」の時もある。歯だって「白いのが美しい」ときもあれば、「オハグロがセクシー」って時代もあった。

スプ子 美意識も変わっていくと思うし、倫理にもいろんな正解がありますよね。せっかく今日はとても日本的な場所にいるので、また違ったAIの話をすると、人工知能を一神教的な「全能知的なもの」と思ってる人って結構多いなと思うんです。「AI(単体)が全ての答えを知っている!」という感じですね。でも、AIをもっと八百万的に捉えて、多様な価値基準から答えを出す複数のAIと相談しながら、最終的に自分自身が答えを出す、というスタイルのAIとの向き合い方があり得るなと。

市耒 うん。アニミスティックな。

スプ子 そう。視点や考えが、多次元的に提示されるような。例えば「美」の解析に対しても、いろいろな視点があるわけだから、それぞれのAIと相談しながら、最終的に「自分が」判断するみたいな考え方で育たないといけないと思うんです。

市耒 一つは、これからの社会が、もっともっと分散型になっていくんだということが大事で。つまり価値観や美意識のマンダラみたいなものを、どう文化的に醸しながら形成していけるか、ということ。もう一つは、コンピューテーションって「答え」をくれるでしょう、一瞬で。でも、これからの時代に大事なのは「問い」そのものだよね。問い自体が間違っていて、じゃんじゃん答えが出てきても仕方ないよね。仕方がないというか、つまらない世の中になっちゃう。AIのためのAI、デジタル金融のためのデジタル金融なんて、要らないよねというか。気をつけなきゃいけないのは、そこにある投機性が強いから、経済力のある人や、世間的に声の大きい人が一気に押し進めちゃう危険性もある。だから、クリエイターこそ、「答え」を出す側から、「問い」を生む側に回らなきゃいけないって感じているんです。

スプ子 インターネットの黎明期も、すごく夢にあふれていました。世界中の人が自由に繋がって相互理解が深まり、これで平和が訪れるんだろうって多くの人が希望を持っていた。MITメディアラボを創設したニコラス・ネグロポンテが、「インターネット」をノーベル平和賞にノミネートしようとしていたり。でも「どんな情報にもアクセスできる」という環境は、フェイクニュースやヘイトスピーチの拡散に繋がり、相互理解どころかコミュニティの分断に繋がってしまった。技術ってなかなか期待したとおりに使われないです。

市耒 人工知能って、多分ここからなんでしょうね。人間が中心なアーキテクチャーを創るためには、この「人工知能」という呼び名自体が、なにかピントがどこかずれている気もするんですよね。チューリングテストの延長で、人間の知能を語るような名前をつけちゃっていいのかなぁって。さらに、インテリジェンスの主体を、人間からコンピューターに渡してどうするの?って感じもしちゃう。目的を「for AI」じゃなくて「with AI」にしなくちゃいけないし、ぼくらがより創造的に、より美しく生きるための、最高の仲間になってくれないと困っちゃうでしょう。smartphoneとかも、人間と電話どっちがsmartになってんのって、たまに旅行先なのにスマホ画面を眺めてる家族とか見ると、感じちゃいますよね。

スプ子 似たようなことをメディアラボでも議論したことがあって、Artificial Intelligenceと呼ぶのをやめて、Extended Intelligence(拡張された知能)にしようって話がありました。smartphoneも、時と場合によっては、dumb(馬鹿な) phoneになってることはありますよね(笑)?

ボーダーラインにいる人に恋して

市耒 結局、主体がどっちなんだ?ってことが大切なんだと思う。今後、AI、IoT、ビッグデータ化が進んで、計算とか最適化とか自動識別が、どんどん社会のインフラに埋め込まれていくほど、やっぱり「創造性」っていうものが人間の一番大きな資本になると思うんですよね。スプツニ子!さんにとっての「創造性」って、なんですか?

スプ子 自分でもなんなんだろうっていつも考えているんですが、「この人、クリエイティブだな」って思う瞬間があるんですよ。もちろん、わたしが決して偉そうに、だれがクリエイティブで、だれがそうじゃない、ってジャッジできる立場ではないですが…でも、わたしがクリエイティブだなって感じる人っていうのは「ボーダーラインにいる人」が多い気がするんです。もっと言うと、文化と文化の境目とか、芸術とファッションの境目、倫理と法律の境目、定まっていないものってグレーゾーンがあるじゃないですか。定まっているものは、もうはっきりしたルールがあって、そのルール通りにみんなが動くと思うんだけど、クリエイティブな人って多分そのルール通りに動くのに退屈しちゃって、新しいルールや価値を探したり、創ったりする人なんじゃないかって、思うんです。

市耒 退屈ね~、よくわかる…

スプ子 ルールを与えられるっていうのは、やっぱり……

市耒 うん、嫌い。

スプ子 でしょう?つまんなくなっちゃう。

市耒 壊したいよね(笑)。

スプ子 そうすると、世の中のボーダーラインが集まっているところに行くと、面白い人に会いやすいんですよ。科学でも、法律でも、芸術でも、デザインでも、際(きわ)にいる人が、結局一番面白いなって思う。

Is that Art or Not? Is that Science or Not? Is that Legal or Illegal?みたいなところに、例えば新規事業でさえも、UberでもAirbnbでも、新しいものは、合法・非合法で物議を醸しながら、法律が整備され社会インフラになっていくでしょう。そういえば市耒さんが主宰している「発酵醸造未来フォーラム」も、え?アート?サイエンス?これ、なにっ?て感じですよね。

市耒 確かに、発酵醸造未来フォーラムも、「食」というボーダーを壊そうとしてるかも。アーティスト、デザイナー、シェフ、醸造家、科学者、建築家たちと、いろんな視野をどばっと持ち込むことで、なんかクラクラした渦を作りたいんですよ。「発酵醸造は、最高のバイオアートと社会システムが出会う場所」と、あえて抽象的な呼びかけをすることで、なるべく業界限定されないように育てています。

スプ子 そうなんですね。そういえば、最近MITメディアラボ内でよく使われる「創造性のクレブス回路」というのがあって。

市耒 ぜひ、教えて下さい。

スプ子 創造性は、Art、Science、Design、Engineeringの4領域が相互連関しながら強化されるという話なんですね。

市耒 なるほど。基礎研究︎⇄実用、思考⇄クラフトの2軸な感じで、ぱっきりと……綺麗ですね。

スプ子 はい。でもわたしは、こう感じることがあるんです。英語圏って、なにかもやもやした思想を言葉にすることや定義したりすることで、パワーをどんどん増幅していくところがあるじゃないですか。言葉にすることで、たくさんの人がそれについてロジカルに議論し、理解、共有することができるから。

でも、創造性の議論で感じるんですが、言葉にしないことや定義しないことによって豊かさを保つものが沢山ありますよね。だけど言葉にされないと議論ができないので、思想が拡散されづらかったりする。ただそういった「まだ言葉にできないもの」こそ、新しさや面白さが詰まっていて、しばしば私のヒントになります。正直このクレブス回路を見たときも「創造性まで図にしちゃうのかよ!」って思いました(笑)。この図はよくメディアラボの中で使われてましたけど、当時の私や私の研究室の学生は「これはどうだろう」と話していました。世界をこんなすっきり4領域に分けて捉えるのが賢明なのかと。本当に創造的なら、定義を避け、複雑なものを複雑なまま、捉えられないのかと。
というか、私、やっぱり、定義づけるのが好きじゃないんですね、どんなことにしても(笑)。定義からもれてしまうなにかに、惹かれてしまうんだと思います。

対談後記 written by 市耒健太郎

AIが発展すればするほど、価値の創造や新しい美への新陳代謝を促すことが、これまで以上に「人間のもっとも重要な仕事」になっていく。だからこそ、広告という枠を超えて、デザイン業界を超えて、クリエイティブ産業は、これから空前の盛り上がりを見せていくだろう。

そんな中で、スプツニ子!さんとの話は、「時代」と「創造性」の関係について考えさせられた。Society 5.0、人工知能、ビッグデータといった流行のテーマが世の中にあふれかえっているけど、そんなもの『源氏物語』から引き継いだ「恋へのときめき」と較べたらなんでもないかもよ?という、いたずらチックな問い。

彼女は、時代をテクノロジーで煽らない。人間の欲求の本質を、楽しく見抜こうとしている。世界のイノベーションのど真ん中に住む彼女のそんな「かろやかさ」は、テクノロジーへの義務感で、独自の美意識を失いがちな企業や政府へのくすぐりのようにも感じる。

どの時代も「しなきゃ」よりも「したい」の方が強い。

Sputniko! (スプツニ子!)
1985年東京都生まれ。東京大学RCA-IISデザインラボ特任准教授。ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学部を卒業後、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で修士課程を修了。2013年からマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教としてデザイン・フィクション研究室を主宰し、2017年より現職。RCA在学中より、テクノロジーによって変化する社会を考察・議論するデザイン作品を制作。最近の主な展覧会に,「Japanorama」(ポンポドゥー・メッツ,フランス)、「NEW SENSORIUM」(ZKMアートセンター,ドイツ)など。VOGUE JAPAN ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013受賞。
2016年 第11回「ロレアル‐ユネスコ女性科学者 日本特別賞」受賞。
2017年 世界経済フォーラムの選ぶ若手リーダー代表「ヤング・グローバル・リーダー」に選出。
2016年4月よりスーパープレゼンテーション(NHK)のMCを務める。
著書に「はみだす力」

市耒 健太郎
博報堂にて、CMプランナーを経て、CD。2011年、ソーシャルデザインとニュークリエイティブを融合する『恋する芸術と科学』ラボ設立。『恋する芸術と科学』編集長。これまでの特集に「新しい世界制作の方法」「モノヅクリはモノガタリ」「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない」「エコ・エゴ・エロ」「Tokyo River Story」「非言語ゾーン」「食のシリコンバレー|jozo 2050」など。食文化の未来をデザインする「発酵醸造未来フォーラム」の代表も務める。