博報堂クロスバウンド・ビジネス・ラボの外国籍スタッフが解説「クロスバウンド成功の鍵」
ゴールデンルートの先へ:インドは日本インバウンドの次なる「ブルーオーシャン」

中国、韓国、タイと続いたコラム、「クロスバウンド成功の鍵」第4弾は、急速に伸びているインドからの訪日客についてみていきたいと思います。日本のインバウンド市場といえば、長らく韓国、中国、台湾といった東アジアが主役でした。インバウンド戦略もこれら主要市場を中心に設計されてきましたが、その陰で、14億人の人口と急拡大する中間層を擁する巨大市場「インド」が静かに、しかし確実に動き始めていることに気づいていた人はほとんどいなかったでしょう。今、インバウンド市場においてインドの存在感は無視できないものになっています。 2025年、訪日インド顧客数は約31万5,100人を記録しました。これは前年比39.6%増という高い伸びになります。また、経済貢献額は推定784億円に達しました。しかし、本当に注目すべきは数字の規模以上に、彼らの「日本との関わり方」にあります。より長く滞在し、より深く消費し、お土産ではなく「ライフスタイルそのもの」を持ち帰る——。 日本で暮らすインド人の一人として、私はこの変化を肌で感じてきました。家族や友人が旅行案内サイトではなくYouTubeのVlogで日本を発見する姿。チャパティ(インドの伝統的なフラットブレッド)をスーツケースに詰め込み、Airbnbに賑やかに押し寄せるインド人家族の楽しげな混沌。そして日本のミニマリスト家具を持ち帰り、ベンガルールの自宅が見違えるほど広く感じられるようになった光景。すべてを間近で見てきました。 本稿では、博報堂クロスバウンド・ビジネス・ラボの「5カ国インバウンド顧客購買意識調査」(2025年3月)を軸に、公開データと私自身の実体験を交えながら、インバウンドにおけるインド人訪日客の市場の可能性と攻略のヒントを解説します。
インド訪日客の3大変化
• 滞在と生活の質を重視する「ライフスタイル投資家」
• 「ビジュアル・トラスト(視覚的信頼)」による意思決定
• 「プライベート・トライブ(親密な集団旅)」での自律的な旅
目覚める巨大市場

博報堂クロスバウンド・ビジネス・ラボの調査(2025年3月)によれば、インド人訪日客の平均消費額は約73万6,000円に上ります。それは調査対象5カ国(韓国・中国・インド・タイ・アメリカ)の中でアメリカに次ぐ水準であり、他のアジア各国を大きく上回ります。また、平均滞在日数も6.65泊と長く、これもアメリカに次ぐ長さで、韓国3.87泊、中国5.84泊、タイの5.73泊と比較して長期の旅行をしていることがわかります。

JNTOのデータでも、インド人訪日客の1人あたり旅行消費額は2019年比で53.6%増、2025年の訪日観光消費成長率第4位となっており、同じ傾向が見られます。
さらに注目すべきは消費の内訳です。インド人訪日客は予算の43.2%を宿泊に充てています。これはインドの「快適さは贅沢ではなく前提条件」という価値観を反映していると思われます。つまりショッピング中心ではないのです。これは文化的な背景を持ったとても特徴的な消費スタイルだと言えます。ショッピング(19.5%)飲食(19.4%)以上に滞在環境を重視していることから、彼らが「バーゲンハンター」ではなく「ライフスタイル投資家」であることが窺い知れます。
2024年のインド人訪日客の約65%が初訪日。「ライフスタイル投資家」という特徴的な消費傾向を持った推定5,000万世帯を超えるインドの上位中間層という巨大なターゲット市場は、まだほとんど手付かずの状態なのです。
「動画で計画、SNSで発信」

インド人の訪日決定プロセスを理解する鍵は、YouTubeにあります。
博報堂の調査では、インド人訪日客の主な買い物の情報源として、旅行特化型YouTubeチャンネル、検索エンジン、そして日本体験を発信するYouTuberのVlogが上位に挙がっています。英語が共通語のインドではオンラインの情報源は、当然ですが英語圏と重なる部分が多い。ただ、英語圏のアメリカと比較してもインド訪日客の旅行の買い物情報は、YouTubeに偏っていることが分かります。インド訪日客を主語にすると、YouTubeが圧倒的王者なのです。

Google-Kantarの調査でも、インド人訪日客の68%がYouTubeを旅行計画に活用し、59%がクリエイターの影響力を「非常に大きい」と回答しています。
なぜ記事ではなく動画なのか。英語はインド全土で広く使われていますが、英語の流暢さは個人によって大きな違いがあるのが現実です。情報源としての記事は複雑な語彙や高度な英語の表現が流暢ではない人にとっては壁になりがちです。一方、動画なら旅館の内部を「見る」ことができ、東京メトロの乗り方を「見て覚える」ことができる。英語を完璧に理解できなかったとしても、映像が情報を補ってくれる。私はこれを「ビジュアル・トラスト(視覚的信頼)」と呼んでいます。
ここから明確に示唆されるのは、インド人訪日客に対してのマーケティングでは、「動画ファースト」「クリエイターファースト」の考え方が必須だということです。多言語のバナー広告やパンフレットなどでは響きません。インドやグローバルなYouTubeクリエイターと連携し、「伝える」のではなく「見せる」体験型コンテンツを制作することが効果的と言えそうです。
一方、旅アトの発信フェーズではInstagramがメインとなります。伏見稲荷の鳥居、京都の桜、渋谷スクランブル交差点のネオン。日本の象徴的なロケーションからの投稿は、インド人コミュニティ内で大きなソーシャルカレンシーを生み出し、次の訪日客を呼び込むきっかけとなるのです。
「プライベート・トライブ」現象:なぜインド人は集団で旅するのか

博報堂の調査結果から見えることで文化に由来するユニークで興味深い発見が、インド人訪日客が「家族だけのプライベート空間」を極めて重視する点がデータで浮き彫りになったことです 。なぜ、彼らは一棟貸しヴィラ、プライベートカー、グループ体験を好むのか。

これは単なるプレミアム志向ではありません。インド人が「旅」というものをどう捉えているかを映し出しているのです。
インド人訪日客は大人数で旅をします。両親、子供、祖父母、いとこ、親友。三世代旅行も珍しくありません。私も10人家族が見事な連携プレーで新宿駅を移動する光景を目にしたことがあります。
プライベート空間へのこだわりは、贅沢志向とは異なります。インド人訪日客は、「持ち運べる我が家」、つまり家族が完全に自分たちらしくいられる場所を確保したいのです。そして、その最大の理由は「食」にあります。インドは、訪日観光の主要国の中でおそらく最も複雑な食文化を持つ国です。厳格なベジタリアンが人口の相当な割合を占め、それはトレンドではなく生涯にわたる宗教的・文化的実践です。ジャイナ教の食事制限(根菜不可、日没後の食事不可)、玉ねぎ・ニンニク不使用、完全ヴィーガンなど、その多様性は通常のメニューでは対応しきれません。一見ベジタリアン向けに見える日本料理にも出汁(魚介系)が使われていることが多く、少なくないインド人訪日客にとっては見えない地雷原のようなものなのです。だからこそプライベート空間が必要になります。貸別荘なら自炊ができ、持参した食材で自由に食事ができる。私の親戚も、日本旅行のたびにチャパティとレトルト食品を大量に持参します。日本食を試したくないわけではなく、言葉と食の壁がどうにもならない時の「保険」が欲しいのです。
もちろん、食だけではありません。プライベート空間は、遠慮なく賑やかに時に歯に衣着せぬ会話を楽しむインド人家族にとって重要なものなのです。私はこれを「ゴシップ・ファクター」と呼んでいます。ボリウッド音楽をかけ、深夜まで会話を楽しみ、「あの寿司は本当に美味しかったのか」と熱い議論を交わす。静かな旅館の廊下ではできませんが、プライベートヴィラなら好きなだけできるのです。

「良いレストランよりコンビニがいい!」博報堂の定性調査で出たこのフレーズは、インド人の食への実利主義を象徴しています。日本のコンビニは、豊富な品揃えと視覚的な楽しさ、そして意外にベジタリアンに優しい選択肢(梅干しおにぎり、フルーツサンドなど)で、予想外にインド人訪日客のライフラインになっています。
見えてきたことは、単に「ベジタリアンオプション」を追加するだけではインド人訪日客を呼び込むのには不十分であるということ。インド人家族旅行の本質は、自律的な食、家族で共有されたプライバシー、集団体験の喜びです。これを理解していくと、例えば、キッチネット付きファミリースイート、英語での食材が確認できる仕組み、大人数グループを想定した体験設計などに取り組むことが彼らを魅了することにつながることが分かってきます。
‘セルフフル’消費とステータス消費:インド人が本当に持ち帰りたいもの

インド人訪日客の買物行動が他の訪日顧客とは大きく異なることも注目すべき点です。従来のインバウンド消費の常識からはかけ離れています。
「次回訪日時に買いたいもの」を聞いた結果では、「インテリア・家具」が第2位にランクインしています。第1位はスポーツ・アウトドア用品、第3位がヘルスケア用品。お菓子・食品や化粧品が上位を占める東アジア・東南アジアの訪日客とは全く異なるのが一目瞭然です。


私自身も日本のインテリアのこの‘引力’を体験しています。日本の生活雑貨店やインテリアショップの家具コーナーに何度も足を運んできました。理由はとても実利的なものです。日本はコンパクトな住空間における機能的デザインを極めた国。そして、実はムンバイ、デリー、ベンガルールといったインドの都市の住宅も同様の空間的制約を抱えているのです。日本製の折りたたみデスクやモジュール式収納は、インドのアパートで見栄えが良いだけでなく、実際に使えて便利なのです。サイズ感がそこでの生活に合い、「最小空間で最大機能」という哲学がそのままインドの都市部の生活で通用するのです。
また、実用性と同時に、その実用性を超えた「ステータス消費」の側面もあります。「禅」的ミニマリズムであれ、渋谷やマンガに影響を受けたネオンなデザインであれ、日本の美学はインドでは極めて希少です。自宅に日本のデザインを飾ることは、訪問してきた友人などとの会話のきっかけになります。「お店で買った」ではなく「日本から持ち帰った」、そのストーリーが、デザイン感度の高いインドの上位中間層の間で大きなソーシャルカレンシーを生み出すのです。
整理するとインド人訪日客の消費行動には以下の2つの側面があると言えそうです。
• ‘セルフフル’消費:「生活が良くなる」 省スペース家具やコンパクトキッチンウェアなど、日常を実際に改善する製品への投資。
• ステータス消費:「自分を表現する」 インド市場にほぼ存在しない日本のデザインを所有すること自体が、コスモポリタンな趣味の証になる。
ジュエリーは「モダン・アセット」

インドにおいてゴールドは装飾品だけではなく投資としての側面が大きいです。インドの家庭が保有するゴールドは推定2万5,000トン以上、米国連邦準備銀行の保有量を上回ります。こうした背景で、インド人訪日客は日本でもジュエリーを積極的に購入しています。ただし、求めるものは地元でジュエリーを買うときとは異なってきます。

日本のジュエリーはインド人訪日客にとっては「ハイブリッドファッション」のアイテムとして選ばれているのです。若いインド人は、伝統的なサリーやクルタに日本の真珠やミニマリストなシルバーアクセサリーを組み合わせるなどの新たなファッションを生み出し始めています。インドのジュエリー文化を置き換えるのではなく、新たなレイヤーを加える。その結果が、彼らが「オリジナルルック」と呼ぶ、インドでも日本でもない独自のスタイルです。日本産の真珠、京都の職人によるシルバー、「ジャパニーズ・ミニマリズム」は、彼らにとってコンテンポラリーなアクセントとしての価値が高い。インド人訪日客は、日本のジュエリーブランドにとってまだ発掘されていない大きなポテンシャルを持ったターゲットなのです。
インド市場開拓の6つの鍵
インド人訪日客は従来の「観光客」ではなく、「ライフスタイル投資家」です。つまり、旅行後もずっと生活を豊かにしてくれる体験・商品の源泉として日本を捉えています。上記で述べた彼らの期待に応え、選ばれるためのポイントをまとめると次の6つになります。

1.「ファミリー単位」で設計。 消費の単位は個人ではなく家族。2~6人の多世代・多食文化に対応した商品・体験を設計する。
2. 動画ファースト、クリエイター投資。 YouTube中心のマーケティングを。インド・グローバルクリエイターとの連携で、「見せる」体験型コンテンツを。
3. 食の対応を先回りで可視化。 英語食材カード、ベジタリアン・ジャイナ教対応メニュー、スタッフ教育などが効果的。コンビニの「透明性・視覚性・セルフサービス」は参考になりそうです。
4.「日本を持ち帰る」体験をキュレーション。 省スペース家具、ミニマリストインテリア、ハイブリッドファッション、背景のストーリー付きの工芸品などは彼らの感性にマッチ。
5.「禅」から「渋谷」まで、日本ならではの美を。 クリーンなミニマリズムもヴィヴィッドなマキシマリズムも、日本にある両極の美、どちらも魅力的。
6. クロスバウンドで考える。 今日の訪日客は明日のアンバサダーです。彼らが発信するYouTube動画、Instagram投稿、持ち帰る日本の家具やお土産の一つひとつが、インドの上位中間層に日本の文化と商品を広める資産になっていく。インバウンド消費の獲得だけでなく、訪日体験がアウトバウンドの商品需要やブランド親和性、日印間の長期的な文化的つながりへと波及することを見据えた戦略が重要ではないでしょうか。
おわりに
インド人訪日客の台頭は一時的なブームではなく、人口動態・インドの所得上昇や、日本とインドの国家間の関係性、文化的親和性に基づく構造的変化です。2025年に訪日した31万5,000人は、今後さらに大きくなる訪日顧客の波の始まりに過ぎません。直行便の増便、ビザの簡素化、YouTubeとInstagramを通じた口コミの拡散が、インドの巨大な中間層の日本への関心を高めていくでしょう。
日本の観光・小売業界に問われているのは、インド市場に投資するかどうかではありません。家族単位で考え、動画で計画し、快適さを前提とし、ライフスタイルの変革のために消費するインド人訪日客に、どれだけ早く適応できるかなのです。
ゴールデンルートだけでは、もはや十分ではありません。インド人訪日客が求めるのは彼らの感性にあった新しいルート。プライベートヴィラとコンビニ、YouTubeと家具ショールーム、パールショップとデザインスタジオを繋ぐルートです。そこにブルーオーシャンがあるのではないでしょうか。

Adharsh Puliyakkady
インド・ケーララ州出身。博報堂入社後、インドと日本市場を繋ぐ戦略プランニングに従事。インド人としてのネイティブな生活者インサイトと、日本での実務経験を融合させ、インバウンドマーケティングにおける独自のクロスカルチャー視点を提供している。
External Sources:
• Google / Kantar「Travel Rewired: Decoding the Indian Traveller」(2025年)
https://business.google.com/en-all/think/consumer-insights/travel-trends-marketing-india/
• 日本政府観光局(JNTO)/ 観光庁「訪日外国人消費動向調査」
https://www.mlit.go.jp/kankocho/tokei_hakusyo/gaikokujinshohidoko.html