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連載 「IoT時代の広告のカタチ」
第6回 (最終回) 不確実で複雑な未来への船出

2021.08.11
博報堂ブランド・イノベーションデザイン局 須田和博の連載「IoT 時代の広告のカタチ」の第6回(最終回)『不確実で複雑な未来への船出』が、日経広告研究所報318号に掲載されました。

テレプレゼンス1周年

今から、ちょうど1年前。『宣伝会議』2020年6月号に「テレプレゼンス広告」と題する一文を掲載した。今回の新型コロナウイルスによるパンデミックの最初の緊急事態宣言が日本で出た20年の春先に書いたものだ。そこでは、テレフォン、テレビジョンに次いで「テレプレゼンス」が、新しいコミュニケーションとして価値を持つだろうと予言し、その手法は大きく2種類「自分がどこかに行く疑似体験(VR)」と「誰かがここにやって来る疑似体験(MRやAR)」だと書いた。

また、このコロナ禍を機に価値観は大きく変わり、「行かなくていいものには、もう行かない」「それでも行きたいものには、行く」というように行動がハッキリし、「集まる必要のないものは、集まらなくていい「それでも会いたい仲間には、会いたい」という欲求になるだろうと書いている。そして「アフターコロナの時代にテレプレゼンス・コミュニケーションは必須となるだろう」と結んだ。

本当に、その通りになったな、と今思う。この1年でハッキリ変わったのは、新型コロナウイルスへの対処法ではなく、「行かなくていいものには、もう行かない」という価値観だ。その価値観の激変の波を一番かぶったのは、「仕事の現場」だったと思う。わけても大都市・東京の大企業のデスクワーカーたち、いわゆ「ザ・サラリーマン」の最大ボリュームゾーンが、1 年前の今頃を境に、それまで「職場」と言われていた概念から「職/場」とでもいうような、職と場が切り離されたスタイルに、強制的に適応させられた。

人のいなくなったオフィスと、コロナ禍による業績の悪化から、執務フロアの「フリーアドレス化」を一気に進めた企業も多いだろう。これによって、さらに不可逆的に「職と場の切り離し」は、後戻りできない変化となったと言える。自分の環境も、まさにそうなった。自分はどちらかと言えば「フリーアドレス賛成派」だったが、いざ本当に自分の机が会社からなくなってみると、なんとも言えない「ポカン」とした気持ちで、「居場所がない」ってこういう感じなんだな、と思ってしまった。フリーアドレスで一番発生する「効果」は「オフィスの効率化」ではなく、会社への「帰属意識の空洞化」だろう。これは、自分が味わって実感した。

帰属意識が空洞化しても、仕事は続く。ジョブやタスクが、メールという連絡ツールで毎日毎時届くことで、今まで通り仕事は続くのだ。これが1 年前は「オフィスワーカー」と呼ばれていた方々の、今現在の「職場観・仕事観のリアル」ではないだろうか。「当たり前は突然、変わる」と、いつも自分は書いてきた。今回も、当たり前は突然変わった。しかも、予想外の領域で。そう、働き方に対する感覚、職場という概念が、この1年でまったく変わってしまった。激変する環境の中で、変化に対応して生き残っていくために、人々の「一般的な感覚」が変容していく。そしてマーケティングは、その意識変容に合わせて進化していかないと死滅するので、是非もなく進化適応する。

我々はコロナ禍を忘れてしまうだろう

新型コロナウイルスそのものよりも、この「当たり前の大変化」のほうがビジネス・インパクトは大きいと予感する。ワクチン接種が進んで、東京オリンピックも終われば、今から1 年後くらいには、日常の中で「コロナ禍」を思い出すことは、なくなっているかもしれない。案外、そんなものだ。

日本人は、驚くほど災害を忘れようとする傾向の強い人々の集団である。それは先祖代々、災害列島・日本に住んできた民族として身につけた、生き残るための習慣なのだと思う。そして人類は、有史以来、何度も何度もパンデミックを経験してきた。これは歴史的事実である。そしてその都度、乗り越えながら、しばらくするとパンデミックがあったことそのものを忘れて、日常を過ごすようになる。実際、我々は直近で中国発のSARS(重症急性呼吸器症候群)があったことを忘れていたし、1980~90年代にAIDS(後天性免疫不全症候群)に恐怖したことを忘れたし、100年前の「スペイン風邪」で世界中に多数の死者が出たことを「歴史的教訓」として日常的に振り返ることなどなかった。

当たり前は何度も、突然変わる

しかし「恐怖を忘れる」「警戒心を忘れる」のが早いのに対して、パンデミックがもたらす日常の「当たり前の変化」は、案外そのまま社会に残る。ウイルス進化仮説ではないが、ウイルス感染によって人類の社会そのものが元に戻れない体に進化するようなものだ。例えば、ヨーロッパはペスト禍で「衛生観念」が進歩し、下水の整備が進んだ。100年前のスペイン風邪の流行で、国・地域によっては感染拡大を予防する「マスクの習慣」が普及したという。そして、今回のコロナ禍で普及するのは「職と場の分離」という新常識ではないだろうか。

折しも、そんな中、総務省はワーケーションのハタを大きく振り始めた。2拠点や移住の市場は、20年度に東京都を取り巻く「2 時間移動圏内」で大幅な需要増を見せた。DX(デジタル・トランスフォーメーション)のハタはコロナ禍以前から振られていたが、コロナ禍によるテレワークやEC(電子商取引)の急成長を経て、21年度はいよいよアチコチで、これでもか、これでもかと振りまくられている。イノベーションのハタも、相変わらず振られている。また、ここ1年で顕著になった「SDGs(持続可能な開発目標)」のハタと「脱炭素」のハタも、世界中でやけに振られるようになった。もう振るハタだらけである。一方、日本国内を見れば、高齢化と少子化の問題、地方の過疎と都市の過密の問題、労働人口が減少していく問題などなど、避けて通れない問題もたくさんある。これらの「すべて」は、別々のものではない。すべてが「1つの大きな社会」の諸々の側面なのだ。すべての兆しは、すべて「ひとつの塊」から噴き出してくる。すべてが大きなベクトルとして、21世紀の中盤から後半に向かっていく「流れ」であり、変化も解決策も渾然一体となったウズなのだと思う。

昭和は遠くなりにけり

21世紀が始まって、20年たった。これは21世紀全体の5分の1がすでに終わったということだ。そして今、20世紀の「残り火」が確実に消えようとしている。21世紀は、20世紀に想像されていた華やかな「未来のイメージ」とはだいぶ違うものになったが、それでも20世紀には想像もしなかった変化が日常的なものとなって普及している。スマホしかり、フィルムではないカメラしかり、AI(人工知能)技術の日常利用しかり、SNS の影響ぬきの生活がありえないことしかり、職場が「職と場」に当たり前に分離されることしかり。仮に、20世紀の自分に「21世紀はこうなるよ」と伝えられたとしても、ポカンとされるだけだろうというくらい、想像もしなかった変化だ。

ちなみに、昭和元年は1926年。SF小説ではないが、もし元号を「昭和」のままカウントしていたら、4年後の2025年は「昭和100年」になる。平成の30年間を超えて、令和の時代を迎えたと思ったら、いきなりコロナになって世の中がひっくり返って忘れていたが、「昭和は遠くなりにけり」なのである。昭和生まれの自分にとっては「明治・大正・昭和」というくらい「明治」は大昔だった。今の子たちにとっても「昭和・平成・令和」というくらい「昭和」は大昔なんだな、という当たり前の事実。自分が生まれた昭和40年代初頭のモノクロ写真を今見ると、「これは本当に同じ日本なのか?」とギョッとする。気づかぬ内に時間は流れ、時代はへだたり、かつての「当たり前」は歴史の中に格納されていく。

今現在は、コロナ禍で開催されていないが、自分は汐留の「アドミュージアム東京」で定期的な勉強会として「20世紀広告研究会」というイベントを行ってきた。これは、アドミュージアムの膨大な広告のデジタル・アーカイブから、「ごはん」「歌」「夏」など、毎回「1 テーマ」を設定してアンソロジーを組み、20世紀の様々な広告作品を「日本文化史」として見直していこうという試みである。

これを着想したのは、05年に自分がCMプランナーからWEBインタラクティブ領域に異動した時に、ふと「テレビCMは、やがて浮世絵のように見られる日が来るんだろうな」と感じたことを書きとめて、その一言をずっと覚えていたことに由来する。YouTube がようやく年末に始まった05年の時点では、これはただの「思いつき」の戯れ言であり、リッチな印象のある「CM界」から、当時、広告メディアになるとも思われていなかった辺境の地「WEB界」に移住した自分の「負け惜しみ」のような一言だった。だが21年を迎えた今、「本当に、そうなった」という実感が強い。今日、自分は昭和のテレビCMの名作群を、まるで浮世絵を見るような目で、事実、見ている。

民衆の当たり前が、 やがて歴史の中で文化となる

「昭和」という時代は、今の人々にとっては「江戸時代」のようなものなのだと思う。それは、もはや時代劇やドラマの中で「物語化」される対象で、ノスタルジーも含めて「伝承」になっている。「テレビCMは、やがて浮世絵のように見られるだろう」という一言は、WEBに移った若造がテレビCMを古きものとして貶めるために意図して発言しただけのものではない。大衆文化・通俗文化の数々が、歴史のフィルターを通して、その国・民族に固有の「貴重な文化財になっていく」という趣旨を含んでいる。テレビCMの現場から離れたことで、遠く俯瞰した目でそれを見て、初めにふと浮かんだ「予感」の発言であった。

江戸時代後期の「文化・文政時代」を中心とした、寛政から天保にかけての約50年間(1790~1840年頃)に、葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、東洲斎写楽など錚々たる絵師と共に、今に残る「浮世絵」などの出版文化が花開いた。この、わずか約50年間、江戸後期のこの時期に出現した印刷物の数々が、今我々が見る「江戸文化」というもののイメージの大きなボリュームをなしている。この約50年間という時間の幅が、自分には1960年代からの約50年間にダブるのだ。すなわち、60年代に生まれ、70年代に発展し、80年代に黄金期を迎え、90年代に成熟した「テレビCM 文化」と重なって見えるのである。

20世紀後半、60年代からのこの時代は、マンガをはじめとする出版児童文化を生み、アニメなどのテレビ文化を生み、そのテレビの原動力でもあったテレビCM 文化も生んだ。自分はその中に生まれ、マンガ・アニメ・CM の文化の華を浴びるように吸収して育った。だからこそ、今思うのである。なんと豊かな時代だったことか。こんな時代は後にも先にも、もう二度とないだろう、と。手塚治虫がいて、藤子不二雄がいて、赤塚不二夫がいて、石ノ森章太郎がいて、松本零士がいて、永井豪がいた。皆が、同時にいた。テレビからウルトラマンが流れて、仮面ライダーが流れて、マジンガーZが流れて、宇宙戦艦ヤマトが流れて、機動戦士ガンダムが流れた。AKIRAとナウシカが、同じ時に雑誌に連載されていた。これらがすべて同じ15~20年ほどの間に集中し、同居していた。北斎と広重と歌麿と写楽が、同時にいたのと、まったく同じである。

文化・文政時代から、約200年。昭和のマンガやテレビ全盛時代の勃興期から、約50年。時代と共に、メディアは変わる。木版印刷の浮世絵から、オフセット印刷とテレビジョンの時代へ。そして時は流れ、WEB インターネットへ。いつも歴史は繰り返し、そして文化となって積み重なっていく。

不確実で複雑な21 世紀

泣いても笑っても、この原稿が印刷製本されて読者の皆さまの手に届く頃には「TOKYO 2020」は開幕している。原稿を書いている時点では、まだ本当に観客を入れて開催するのか、それとも無観客で開催するのか、正直わからない。誰もがなんだか釈然としない中で、この「開催」の納得しどころを個々人で探す。21世紀の日本人は、首都・東京での2 度目の祭典を、この空前のスケールの「うつろさ」の中で迎える。1度目の1964年の「全国民の一体感」とは、象徴的に真逆な状態である。これは、過密な「都市の時代」の終了と、1つの発信元から全国民へ一斉同報する「放送波の時代」の終了とが、重なった姿に見える。20世紀的な若々しい「発展の時代」の終了。1つの目標に向かって、全国民が一体となって「邁進する時代」の終了。それらが象徴的に様々にオーバーラップする。一人ひとりが、この「うつろさ」を自分自身で消化し、自分自身で落とし前を付けなくてはならない時代。それが今、21世紀なのだ。誰かが、確実な目標を示してくれるのではなく、一人ひとりが、この「不確実さ」や「複雑さ」に耐えて、対応していかなくてはならない時代。そういう「新しい時代」がやって来た。

空気は一見、凪いでいる。だが、それは「平穏」ではなく「うつろ」である。そして「うつろ」だけれども、解決しなければならない「課題」で満ち満ちている。共同幻想は消滅し、課題ごとに共感しあえる人々がリユニオンして、コミュニティをなす。我々は、それぞれの「うつろ舟」に乗って、アフターコロナという課題だらけの未来に船出する。薬でもあり、毒でもある「テクノロジー」という「両刃の剣」をたずさえて。全国民が巨大な「幻想」に向かって邁進することができない時代。個々人が個々人の判断で、問題だと思うことの解決に着手すべき時代。1つの目標、1つの大きな大義はなく、一言で言えない「膨大な問題群」がある。格差は拡がり、各人の立ち位置や、立ち向かうべき問題は様々だ。喜びをもって迎えられるはずだった巨大な団結の象徴が、国民的違和感と意志不統一の象徴となる時代。ガソリン自動車という、大都市以外では生活必需品であるものが、これを数年で廃止して再生可能エネルギーによる電気自動車にリプレイスしなければ、環境破壊と気候変動で絶望的な未来が不可逆的に来るよ、と急に言われる時代。愛着あるアパレルブランドが人権侵害による労働で成り立っている、と急に問いただされ、反発の声があがる一方、今まで通り購入する人々の暮らしも、そのままある時代。

「VUCA(ブーカ)の時代」だと言う。新型コロナウイルスが、突然、蔓延する前から言われていたキーワードだった。この連載の1回目でも書いた。もう一度、VUCA と言われている4つを嚙みしめてみよう。「変動性」「不確実性」「複雑性」「曖昧性」、まったくその通りだとしか言いようがない。人類は、どこに向かおうとしているのか?

未来や自分の立ち位置がわからなくなった時は、過去の歴史を振り返るのが何より良い。100年、500年、1000年、5000年、1万年、5万年、10万年。人類において変わらないものとは、何か?人類はどんな文明を築き上げてきたか? そこで、どんな文化を育んできたか? その「変わらなさ」に立脚するのが良い。自分の結論は、いつも、同じだ。「変わるもの」と「変わらないもの」の両方を良く見続けること。

「新しい技術」を使う時は、それを「古くから変わらない価値観」やセンスと組み合わせて使うこと。不確実で問題だらけな「アフターコロナの未来社会」へ向かう時代も、この考え方だけは、確実なものとして使えるだろう。「人類というユーザー」の役に立つように、常に利他たりうるように、自分ならではの工夫をこらし続けること。それぞれの立ち位置で、自分で考えて判断し、他者の役に立つように働け。

宣言文の書き終わりは、いつも「船出」に例えたい。20年前は想像もしなかったようなメディア環境と社会が、10年前にはすでに到来していた。10年前には想像もしなかった社会状況が今、到来している。だが、10年前に書いた自分の本『使ってもらえる広告』の結びの句は、今も使えるだろう。引用して筆を措くことにする。それは「新しき『民』の文化」と題する巻末の一節だ。「デジタルによって分断された人々が、デジタルによって再結成された時、21世紀のグローバルな『民衆』が出現するのではないか」「新しい考え方、新しい人々、新しい世界に、心を開いて出会えば、ずっと大きな可能性があるはずだし、何よりきっと楽しいはずだ」「ますます『タグ化』していく世界に向かって、私たちが力強くこぎ出す時が来ている」。その通りだと思う。

1年間、連載を読んでいただき、ありがとうございました! また、未来のどこかでお会いしましょう!

須田 和博(すだ・かずひろ)

1990年多摩美術大学卒業
同年、博報堂入社。AD、CMプランナーを経て、2005年よりインタラクティブ領域へ。
14年スダラボ発足。
アドフェスト・グランプリ、カンヌ・ゴールドなど、国内外で70以上の広告賞を受賞。
[著書]『使ってもらえる広告』(アスキー新書)

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