玉川大学文学部名誉教授
岡本裕一朗氏
博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表
深谷信介
――まずはお二人のご縁と、著書『ほんとうの「哲学」の話をしよう』発刊までの経緯を簡単に教えてください。
深谷
8年ほど前から私が玉川大学で非常勤講師をやらせていただいて、そのときからのご縁です。研究室によくお邪魔していたのですが、2019年3月に退官されると知り、先生にお会いできなくなるのが残念で、何か一緒にお仕事をしたいなと密かに考えていました。
ちょうどその頃、岡本先生が若手の広告マン対象の連続講座で講師をされるということで私も受講させていただきました。そのときのテーマは「インサイト」。広告業界にとって重要な概念です。実際に講義をお聞きして、じつは哲学と広告には何らかの親和性というか、共通項があるのではないかと思い、先生とあらためてじっくりお話ししたいと思いました。
――逆に岡本先生は、広告にご関心はあったのでしょうか。
岡本先生
かつて1970年代から80年代にかけての広告は、非常に面白いなと率直に思っていました。また哲学の分野でも、1960年代後半から70年代にかけて「構造主義」や「ポスト構造主義」の文脈で、フランスの哲学者たちが広告の話をよくしていたんですよ。そういう意味でも興味を持っていました。
本にも書きましたが、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが『哲学とは何か』のなかで、「哲学とはコンセプトを創造する知的活動である」というような表現をしていて、このフレーズが昔から好きでした。ただドゥルーズ自身は、哲学が対象とするコンセプトと、広告が定義するコンセプトとは別物だと言っているんです。私は、そこは違うと考えていて、むしろ哲学も広告も、コンセプトを創造するという意味では共通の活動をしていると。その点を強く打ち出したいと以前から思っていました。
もう一つ、哲学は以前からまったく売れない世界にありまして(笑)、広告の世界とはかけ離れているんですね。「広告なんて金儲けの手段にすぎない」なんていう言い方をする哲学者も少なくない。しかし私は哲学が広告性を失ったのは、非常に残念なこと、不幸なことだと考えています。たとえば古代ギリシャの哲学者プラトンが提唱した「イデア」はまぎれもなくコンセプトであり、それを周りの人に広めていこうと考え、実際に何千年もの間、全世界の「お客さま」の心を掴んでいるわけですよね。ある意味で、非常に広告的な効果を持っていた。
いまのように「哲学は人々に理解されなくてもいい」という姿勢は違うでしょうと。むしろ理解されて初めて哲学であり、そういう努力なしに哲学はない。ある種の広告性をきちんと取り戻さなければいけないという想いがありました。それで、広告の世界にいる深谷さんとじっくりお話をしてみたいと思ったのです。
――素朴な疑問なのですが、なぜ「哲学」って私たちにとって難しく感じるのでしょうか。
岡本先生
いくつかありますけど、大きな理由は「自分が前提とした概念を自分で壊す」という哲学の姿勢そのものにあります。人類の歴史が始まって以来、哲学という営みが今日まであり得たとすれば、それは人間が持っている基本的な概念や常識的な考え方を自分たち自身で壊すという活動を貫いてきたからです。前提を疑うことこそ哲学の醍醐味。哲学者が奇妙な人に見えるのは、当たり前だと思っていた常識的な考え方を壊してしまうからです。前提を疑い続ける学問だから、その意味で、哲学を目先のビジネスや何かに利用しようとしてもうまくいかないはずです。
深谷
課題や前提に立脚した問いの立て方じゃないということですね。ビジネス界だと、まず「商品ありき」「企業の利益ありき」「顧客価値ありき」という前提から、課題を見つけ解決していきます。
岡本先生
私が考えるに、哲学がビジネスに有効となる可能性があるとすれば、それは時代の大きな変革期においてです。今まで通りの考え方・やり方で順調なら哲学はいらない。しかし人類を取り巻く環境や価値観が大きく変わるとき、今までの概念を一度白紙に戻すくらいの、新しい発想が必要になる。それは哲学の活動と同じようなモデルで考えることができるだろうと。今までの前提をぜんぶ壊してしまう。それは他の学問ではあまりやらないことだと思うんです。
深谷
実際、岡本先生が経済界や広告界から講演に招かれているのも、哲学の発想が求められているということでしょうね。
岡本先生
最近はビジネス雑誌でも哲学の特集がいくつか組まれて、何度もインタビューを受けました。今までなかったことです。経済・社会が行き詰まって、根本を考え直さなければと多くの人たちが漠然と感じているのでしょう。
深谷
先の見えない状況を越えていくために新たな手法や視点を模索する中、マーケティングのプロセスを改良・改善していく動きもあります。デザイン思考やアート思考が注目されている理由もそこにあると思っています。ただ、どんなに素晴らしい手法でもそれはプロセス改善に過ぎないから、いずれどこかで行き詰まる。だからプロセス改善ではなく、広告やマーケティングの立ち位置自体を振り返って考え直した方がいいのではないか。まさに哲学的思考が重要ではないかと、先生との対話を通じて強く感じました。
――今はまさに時代の大きな変革期にあるのだと思いますが、その本質はどこにあるとお考えですか。
岡本先生
最も大きいのは、デジタルテクノロジーとネットワークの発達によって、あらゆるものが情報化され、人間の知やコミュニケーションのあり方が根本的に転換していることです。これは数百年に一度という規模の大変革だと考えています。
これほど膨大な量の情報が私たちの周りで行き交っていると、一つ一つの情報の重みがどんどん失われていく。ネットニュースの鮮度は1時間ぐらいだとも言いますよね。誰かのせいとかではなくて、私たちはデジタルテクノロジーが生み出した新しい条件の中で、生活し、考え、行動しなくてはならない。
率直に言って、最近の広告は記憶に残らないんです。ニュースの情報ですら、訴えてこない。目の前でパラパラと過ぎ去っていくだけのものになってしまった。
深谷
広告もニュースも、これだけ情報量が増えてスピードも速いと、差異化をすることが難しくなっていると思います。
まだ物がなかった時代に、自動車やテレビが初めて生まれた時は、それらが新たに提供する生活風景を伝えればよかった。つまり発信する内容は社会価値に近いものでした。やがて同じようなテレビが何種類も登場するようになると、商品やサービスの差異化が必要になる。こっちの方が機能が優れているとか、デザインが良いとか。広告はそういう差異化のメッセージを覚えてもらうことが大切で、そこに一生懸命取り組んできました。
でも最近は、記憶が必ずしも要らなくなっている。スマホ画面に触れている指を数センチ動かしてクリックしてもらえれば、何か商品を買ってもらえる。与えられた刺激に対する一種の反応に近い。そういう刺激を与えて、心地よくクリックを促すことが必要になっています。
広告だけでなく、マーケティングにもビジネス全体にも同様の変化が起きているはずです。行き着くところまで行き着いてからヤバいと気づくのか。行き着く前に立ち止まり、今のやり方でビジネスを続けていいのかと自問するか。それによって、ビジネスの未来像も全然違ってくるのではないでしょうか。だから僕は、広告やビジネスに哲学性を改めて取り入れた方がいいと思っているんです。
岡本先生
18世紀初め頃のジョージ・バークリーという哲学者が「存在するとは知覚されることである」と言っています。たしかに私たちは、目や耳で知覚できて初めてその存在をリアルだと捉えることできる。
ところが今では、情報量があまりに膨大になって、検索エンジンの上位に入らないものは知覚さえできないから、すなわち存在していない世界になってしまう。一般の人たちが得る情報や知識は上澄み部分だけで、人の知もどんどん画一化されてしまう恐れがあるのですね。極めて大きな問題で、だからこそ検索に引っかからないような情報をいかに見出していくかが大事とも言えますが、私はなかなか難しいのではないかと考えています。テクノロジーの進化は不可逆的で、後戻りはできない。その方向に進んだら、そのまま行くしかないので。
私のイメージでは、シリコンバレーなどの一部の有力企業がほとんどすべての人々の情報を握ってしまっているから、おそらく今後のビジネスは、その動向にかなり左右されていくだろうと。恐ろしい何かに支配されるような「情報管理社会」ではなく、すべての人々が自分の好きなことをやりながら、自分の情報を全部把握されてしまう時代です。少なくとも情報管理やネットワークの問題をどう取り扱うかについて、きちんと想定しておく必要がある。その条件のもとで、いかにビジネスを成立させていくか、そのための有効な戦略をとっていくか、ということだと思います。
深谷
いずれ広告が業界として必要かどうかという段階になるでしょうね。
――そんな中で、未来を見据える上で必要な姿勢や視点とは何だと思われますか。
岡本先生
もともと哲学の存在意義の一つとして、時代のオリエンテーションというか、時代がどういう方向に進んでいるのかを捉えることがあります。この場合の「時代」とは、10年20年という短い単位ではなくて、数百年単位の歴史的な大きな流れの中で、人間と社会がどんな方向に向かっているのかということです。
ネット社会やスマホがどうしたとか、枝葉のことのように見えますが、その背景にあるのは間違いなく数百年単位の、私たちの考え方や生活スタイルを徹底的に変える歴史的な変化です。
本の中で、「これから人間は超人化と動物化の2種類に分かれていく」とか「AIが人間を支配する時代が来る」などと書きましたが、短い時間単位で見れば、そうした現象はまだ起こらないでしょう。でも、そういう可能性も含めて、非常に大きな社会的変化が起きつつあることは理解しておくべきです。その上で、今後どんなビジネスをしていくかを考えることが重要ではないかと。自ずと、今までとはまったく違う発想が必要だと気づくはずです。
深谷
積み重なったものをご破算にすることはできないと思いますけど、僕はまだまだ人間に可能性はあると、ちょっと信じています。
僕は地域の仕事もしているのですが、例えば創業百年を超える酒蔵があるとして、彼らはお金儲けやビジネスの勝ち負けとは全然違った次元で、「なぜここに自分たちの商売が存在しなくてはならないのか」という意識で、自分たちの生業(なりわい)を真剣に見つめて、それをずっと継承してきたわけですね。文字化されていない感覚知も含めて。それは相対価値ではなく、絶対価値ということ。それは岡本先生がおっしゃった「検索に引っかからないような情報」の一例とも言えるかもしれません。
なぜその町で酒蔵をやっているのか。それは地の利があったから。人間が生きていく上で、土地とのつながりを絶つのは難しい。土地の恵みをうまく価値化することにもっと目を向けたほうがいいと僕は思っています。あくまで一例ですが、「検索上位にないと存在しない」というのがこれからの情報社会だとしたら、検索に載らないような情報の価値をきちんと伝えられる方法を、ビジネス界で考えていったほうが活路はあるのではないか。そこに気がつけば人間は何か変えられるんじゃないかと。
岡本先生
なるほど。一つのヒントかもしれませんね。
深谷
ビジネスの変革が起こるときって、必ず中央ではなく、辺境で起こるんですね。シリコンバレーだって、都会のど真ん中ではないし。地域には実は最先端へのTIPSが溢れているのではないかと思います。
そう考えると、未来を思考するときにも、どれだけ常識から外れて、思い切って振り切って考えられるかが大事かもしれないですよね。岡本先生との対話を通じて、そういうヒントをもらえた気がしています。
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシア出版)など多数。
1963年石川県生まれ。名古屋大学未来社会創造機構客員准教授、富山市政策参与他。慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。博報堂では、事業戦略・新商品開発などのマーケティング/コンサルティング業務・クリエイティブ業務やプラットフォーム型ビジネス開発に携わり、都市やまちのイノベーションに関しても研究・実践をおこなっている。著書に『未来につなげる地方創生』(共著、日経BP社)、『スマートシティはどうつくる?』(共著、工作舎)などがある。
『ほんとうの「哲学」の話をしよう ―哲学者と広告マンの対話』
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