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雑誌『広告』リニューアル企画 平成の歴代編集長インタビュー
【第8回 細井 聖】

2019.06.26

「ひきこもりモード」の若者たちへ

雑誌『広告』歴代編集長インタビュー|第8回 細井 聖

平成以降、雑誌『広告』編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューする連載企画。第8回は、平成10年1月~平成12年11月に編集長を務めた細井聖さんです。時は20世紀から21世紀へと時代が移り変わる世紀末。細井編集長が目指したものは、雑誌『広告』に課されたミッションと編集者としての意地の両立。そして、当時の若者たちに響く誌面づくりでした。

“ミッション”と“売れる雑誌”は両立できる。

小野:細井さんは編集長就任前から編集部に在籍されていたんですよね。

細井:もともと営業だったんだけど、20代の終わりに「『広告』編集部に異動したい」って自分で手を挙げたんだよね。

小野:当時は雑誌づくり専門の部署があったと聞いています。異動を希望したのはどうしてですか?

細井:実は学生時代は出版業界志望で、間違って広告会社に入っちゃったんだよね。要は行きたかった出版社に落ちて博報堂に受かったっていうことなんだけど(笑)、やっぱり心の中に編集者への思いが残ってた。そこで異動を考えたわけ。『広告』っていう面白い雑誌をつくっている部署があるんだから、会社を辞めなくても編集者として雑誌がつくれるじゃないか、と。

小野:でも、突然の異動願いに周りの人はとまどったんじゃないですか?

細井:バチバチといろんなところとぶつかりながら、なんとか我を通した(笑)。直接のきっかけは、会社帰りに飲んでたらたまたま隣に編集部の人たちがいたことなんだよ。「僕、『広告』みたいな雑誌がつくりたいんです」って半分酔っ払って打ち明けたら、「あんた、昨日酔っ払って話したこと本当? ちょっとお茶飲みに来なさい」って翌日に編集長から電話がかかってきてさ。当時の編集長は黒田杏子さんという、今は俳壇の重鎮として活躍されている人だったんだけど、午後3時の殺伐とした営業フロアから編集部に行ったら、ケーキとお茶なんかが準備されてるわけ。

小野:営業フロアとはまったく違う光景が(笑)。

細井:同じサラリーマンをやっていて、こっちにこない手はないなと(笑)。まぁ、そういうわけで編集がやりたくて異動して、それから12年ほど編集部員として雑誌をつくって、編集長になったのが42歳前後かな。

小野:平成10年の『広告』vol.326 特集「オヤジ論一九九八」からですよね。編集長としてどのような方針を打ち出したんですか?

細井:僕自身が手探りだったっていう部分もあるんだけど、最初の1年だけはそれまでの方針を受け継いでつくったんだよね。クライアントの宣伝部長に読んでもらう。読んで面白いと思ってもらう。っていう『広告』が持つミッションをベースに。ただ、10数年間編集部員としてそのための努力をしてきて、なかなか手応えがなかったのも事実でさ。

小野:つまり、2年目から方針を変えた。

細井:思い切って舵を切った。このままつくってもあまり読んでもらえないな、っていう思いがひとつ。もうひとつは、僕がもともと編集志望だったっていうこともあるんだけど、雑誌をつくるなら売れる雑誌がつくりたかった。社内でもさ、「オマエら、売らなくてもいい雑誌つくってうらやましいな」なんて言われることがあって癪だったのよ(笑)。だから、売ってやるぞと。

小野:編集者としての意地ですよね。ただ、クライアントに読んでもらうこと、売れる雑誌にすること、このふたつを同時に実現させるのはかなり難しかったんじゃ……。

細井:その答えはね、若者に買ってもらえる雑誌をつくること。

1店舗から3日で400冊の追加注文。 見事、若者に刺さった新『広告』。

小野:若者に買ってもらえる雑誌というと。

細井:クライアントの宣伝部長のニーズに直接的には応えないけど、「若者が最近すごく読んでいる雑誌を博報堂がつくっているらしい」となると、クライアントも「なになに?」って当然関心を持って読んでくれる。単純に言えばそういうことだよね。そのリニューアル号が、『広告』vol.333 特集「若者のすべて」。

小野:実際、反応はどうだったんですか?

細井:当時、新宿のルミネ2に青山ブックセンターが入ってたんだけど、毎号20冊くらい配本して売れ行きはそれなりだった。ところがさ、発売日の翌日に「200冊追加で送ってください」って電話がかかってきたんだよ。「20冊の間違いですよね?」って聞き直したら、「いや、200冊です」って。その2日後に同じ青山ブックセンターからまた電話がかかってきて「追加で200冊送ってください」と。さすがにこれは間違いだと思って、「まだそちらに到着してないかもしれませんが、もう送りましたよ」って返したら、「いやいや、さらに200冊欲しいんです。あなたと話している今も、目の前で1冊売れていきました」と(笑)。

小野:すごい……。

細井:「どんな人が買ってくれているんですか?」って聞いたら、やっぱり若い人。新宿の若いサラリーマンとか学生が買ってくれて、即売り切れになった記念すべき号なんですよ。

「自分探し系」から「ひきこもりモード」へ。 渾身の一冊で展開した新・若者論。

小野:みなさんに選んでいただいているんですが、編集長として一番思い入れのある号とイチオシの記事はどれでしょうか?

細井:それはやっぱり、今話した特集「若者のすべて」。

細井元編集長が選んだ“渾身の一冊”は、平成11(1999)年1月に発行された『広告』vol.333 特集「若者のすべて」
こちらで無料公開

小野:当然そうですよね。

細井:「若者のすべて」って、実は60年代に公開されたルキノ・ヴィスコンティの映画タイトルにあるんだよね。映画の内容と直接は関係ないんだけどさ、途方もなく大きなテーマを掲げたわけだから、当然『広告』ならではの論旨を立てなくちゃいけない。そこで巡り合ったのが精神科医の斎藤環さんという人だった。斎藤さんは当時(90年代)の若者を「ひきこもりモード」って評したんだよね。80年代の「新人類」と比較して。「新人類」って、わかる?

小野:言葉そのままの意味でなら。それまでの若者とは違うニュータイプっていうことですよね。

細井:そうだね。80年代に出てきたわけのわからない若者たちを、上の世代がそう呼んだの。彼らがどんな若者だったか、ひと言で表現すると「自分探し系」。次から次へと自分に合いそうなフレームを探してきて、合わなかったらまた次のフレームを探すっていう、まぁ今も一部には根強く残っているタイプだよね。対する「ひきこもりモード」は、あらかじめ自分である意味思い込みのフレームを決めちゃって、その中で生きていこうとする若者たち。

小野:ちょうど「ひきこもり」が社会問題になり始めた頃でもありますよね。

細井:極端になれば本当に引きこもっちゃって、親もどうしたらいいかわからない状況になってしまうわけだよね。斎藤さんはそんな若者たちとたくさん接して、世の中へ発言し始めていた時期だった。斎藤さんによれば、90年代に入って「ひきこもりモード」と言える雰囲気を持った若者が増えているんじゃないかと。

小野:つまり、90年代になって若者たちは「自分探し」から「ひきこもりモード」に入った。

細井:たとえば、クルマに興味を持たないとかさ。それまでの若者は男だったらみんなクルマが好きで、お金が貯まったらすぐに買っちゃってたわけだけど、当時の若者はそうでもない。「またよくわからない若者が出てきた」っていうことで、「自分探し系」と「引きこもりモード」を対比して特集の軸にした。原宿と渋谷で若者をインタビューして、そのインタビューを元に斎藤さんに精神分析をしてもらったり。「ひきこもりモード」という言葉を若者全体の説明にあててメディアで紹介したのは、僕らがおそらく初めてだったんじゃないかな。

小野:その切り口が若者に絶大に支持されて、400冊という追加注文につながったということですよね。では、この特集でイチオシの記事を選ぶとしたら、斎藤さんの企画ですかね。

細井:そうだね。斎藤さんのインタビュー記事がいいかな。

もう一度『広告』の編集長になるなら、 特集は「おばあさんのすべて」!?

小野:『広告』の編集長を務めたことで、ご自身に何か変化はありましたか?

細井:広告会社の仕事って、基本的にはクライアントのために何かをするっていう仕事だよね。もちろんそれは尊い仕事なんだけど、自分で雑誌をつくって自分で売るっていう経験ができたことは本当に大きかった。

小野:逆に、いちばんの苦労とかトラブルなんかもお聞かせいただければ(笑)。

細井:編集をやっていればいくらでもあるものだけど、いちばん大変だったのは強烈な個性と明確にやりたいことを持った編集部員の池田正昭くんと一緒に雑誌をつくったことかな(笑)。彼は僕の次に編集長になったんだけど、お互いのやりたいことを上手く一冊に込められればすごくいい雑誌ができるんだよね。僕ひとりでつくるより遥かにいい雑誌が。

小野:ものづくりって、そこがすごく大事ですもんね。ぶつかり合ったからこそ面白いモノができたり。

細井:その通りで、当時は本当に「優れた人たちと一緒に雑誌をつくってるんだ」っていう気分だったんだよね。池田くんだけじゃなくアートディレクターなんかも僕の想定した誌面とかイメージをガンガン裏切ってくるわけ。その瞬間瞬間はやっぱりカリカリくるんだけどね(笑)。

小野:最後の質問です。細井さんの時代からすでに20年が経ちました。今、あらためて雑誌『広告』の編集長をやるとしたら、何をテーマにしたいですか?

細井:時間をかけて考えれば何か出てくるかもしれないけど、難しいな(笑)。実は去年、本を1冊書いたんだよね。市井の人っていうか、世間的にはそれほど有名じゃない90歳のおばあさんの一代記。ひたすら半生を聞き書きしたんだけど、今は若者に興味はなくて、そんなおばあさんが面白いと思ってるんだよ。もちろん、世のおじいさんの人生も波乱万丈で素晴らしいんだけど、男って社会的な要請があって、それにいかに答えたかがその人の仕事になったりする。少なくともおじいさんの世代はね。でも、90歳くらいのおばあさんってね、社会から「良妻賢母になりなさい」って言われてきたのに、勝手に自分で仕事を始めて、自分で人生を切り拓いてきているんだよ。そのダイナミックさがすごく面白い。今後も第二弾、第三弾とおばあさんを追い続けていきたいかな。

小野:真逆ですごく面白いですね。「若者のすべて」ならぬ「おばあさんのすべて」という(笑)。

細井:そうだね(笑)。まぁ、『広告』でそれをやるかどうかは別だけど、実際にもう一度編集長になったら、やりたいことはその都度見つけると思うよ。編集会議の前の晩くらいに一生懸命考えるだろうね(笑)。

平成10年1月~平成12年11月編集長:細井 聖

昭和53年、博報堂入社。営業を経て広報室『広告』編集部へ異動。編集委員として雑誌づくりに携わった後、平成10年に編集長就任。平成12までに19冊の『広告』を世に送り出した。編集長退任後はコーポレート・コミュニケーション局局長代理、出版コンテンツビジネス局担当局長代理などを歴任。博報堂を退職した後もフリーランスの編集者として活動し、著書に『絵筆のバトン 画廊主・笠木和子の90年』(NPO読書サポート)がある。

雑誌『広告』新編集長 小野 直紀
博報堂monom代表/クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナー

1981年生まれ。2008年博報堂入社。2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」を設立。手がけたプロダクトが3年連続でグッドデザイン・ベスト100を受賞。社外ではデザインスタジオ「YOY(ヨイ)」を主宰。その作品はMoMAをはじめ世界中で販売され、国際的なアワードを多数受賞している。2015年より武蔵野美術大学非常勤講師、2018年にはカンヌライオンズのプロダクトデザイン部門審査員を務める。2019年より雑誌『広告』の編集長に就任。

撮影:早船ケン
写真家。美術作品製作を経た後、独学で写真家として活動を始める。90年代後半より雑誌や広告など幅広く撮影を開始。細井元編集長が渾身の一冊に選んだ特集「若者のすべて」では、表紙および中面企画「ひきこもりモード」の撮影を担当した。受賞歴は第13回「写真新世紀」優秀賞など多数。

インタビュー:小野直紀 文:宮田 直

【細井元編集長 渾身の一冊を無料公開】
『広告』1999年1+2月号 vol.333
特集「若者のすべて」
▶ ︎こちらよりご覧ください

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さらに、その中の「細井元編集長イチオシ記事」をnote用に再編集しましたので、こちらもご一読ください。
■イチオシ記事#:「じぶん探し」の次の若者モードとして「ひきこもり」の適応形態あたりが新しいと思う

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