感覚の旅 第4回
赤ちゃん研究が明かす、本質的な感覚の喜び
~開先生と考える「バイアスゼロ」の体験デザイン~

AIが画面の中を飛び出し、フィジカルの領域(現実空間)へと拡張を始めています。テクノロジーがリアルな生活環境へと溶け込む今、問われているのは「人間との調和」であり、「人間ならではの感覚をAIがどう理解するか」というテーマです。
本記事ではHumanity Labの金じょんひょん、伊勢山暁子、伊藤幹が、赤ちゃん学の第一人者で、ベストセラーになった『もいもい』をはじめとする「あかちゃん学絵本」や乳幼児向け番組の監修でも知られる赤ちゃんラボ5.0 開一夫代表と共に、言葉をまだ話せない赤ちゃんを研究することで浮かび上がってくる人間の感覚・認識の面白さ、そして先入観(バイアス)を非した新たな体験デザインの可能性を探りました。
赤ちゃんから紐解く、感覚のメカニズム
金:私は現在生後半年ぐらいの赤ちゃんを育てています。彼女がいろいろな感覚を成長させながら育っていく様子に日々触れて、感覚の本質について赤ちゃんから学べることも多いのではないかと思っています。
そこで今日は、あかちゃん学の第一人者である開さんをお招きし、「赤ちゃんと感覚」というテーマでいろいろ伺っていきます。よろしくお願いします。
開:まず「感覚が成長する」という話ですが、その時に「感覚」という言葉がどういう意味で使われているのかがポイントですね。生物学的には、感覚を「sensation(感覚)」「perception(知覚)」「cognition(認知)」の大きく3つに分けて定義するのが普通です。一般によく「センスがいい」みたいな言い方をしますが、sensationはそれとは違って「物理的な情報伝達」に近いものを指します。そしてperception、cognitionになるにつれて「認知」に近づいていきます。

伊藤:僕のなかでは、氷に触れた時、皮膚の受容器が温度に反応するのがsensation、それで脳が「冷たい」と感じることがperception、「今、氷が触れた」と認識するのがcognition……という違いがあるイメージです。
開:分かりやすい例えですね。赤ちゃんだって生まれた時から目は見えているし、耳も聞こえているし、匂いも分かっている。その意味でsensationは初めからあるわけです。「経験によって感覚が成長する」というのはcognitionまで含めた話だと考えるのが学術的には一般的です。
乳幼児の頃はsensation~perceptionのレベルの感覚にとっても重要な時期です。例えば人間は両眼の視差を使って奥行きを知覚していますね。昔は小さな子どもでも、目の病気の際に片目だけ眼帯をあてることがありました。けれどもそれを続けると奥行き知覚ができなくなることがあるので、今はそういうことをしなくなりました。成長の過渡期で片目からしか入力がなくなると、見えているほうの目に依存する神経のコネクションが出来てしまうんです。
金:なるほど。生まれた時から目は見えてはいるけれど、一方で「親の顔と他人の顔が見分けられるようになる」みたいなことはありますよね。
開:赤ちゃんは、親に限らず「人の顔」と「それ以外のもの」を生まれてすぐの時期から区別できると言われています。とは言え赤ちゃんには直接聞けませんから、本当かどうかは分からない。だから僕らは研究しないといけないわけです。
実際そういったことは何十年も前から研究されています。子どもの前で顔のような絵を動かすと、生まれてすぐの子どもでも目で追いかけるんですが、目や鼻といった顔のパーツを福笑いのように並べ替えた絵は追いかけることが少ない、という有名な実験があります。このテーマにおいては、長い間にたくさんの研究論文が出ていて、生まれてすぐの段階から顔に特異的な反応を示すこと、その際に「顔のパーツ」ではなくて「顔の配置になっている」ことに対して反応を示すことなどが分かっています。
自分のほうを見ているか、見ていないかでも反応が違い、赤ちゃんも自分のほうを見ている顔によく反応を示します。自分に注意を向けてる対象を認識することは社会的に生きていく上で重要ですが、生まれたばかりの頃からある程度できているんです。
金:生まれてすぐの時期から顔を認識していて、自分のほうを見ていることが分かるというのは、人間は“社会で生きる術”を生まれもっているんですね。
開:シマウマやヒツジなどの動物は生まれてすぐ歩いたりしますが、ヒトの赤ちゃんは生まれた時点で放っておかれたら死んでしまいます。ヒトの場合は「幼形成熟」といって、他の動物より早く、未成熟な段階で生まれないと産道から出てこられないんですね。
けれども未成熟な段階から大人とやりとりして社会的な刺激に接するからこそ、複雑な認知が育つわけですから、早く生まれることは逆にメリットと捉えることもできますね。
赤ちゃんの感覚は「バイアスゼロ」?
伊藤:開さんが監修されている『もいもい』『うるしー』といった「あかちゃん学絵本」のシリーズはベストセラーになり、米ウォール・ストリート・ジャーナルでの「過去20年で最も優れた児童書」のひとつに選ばれるなど世界的にも評価されています。僕には2歳と4歳の子どもがいるんですけれど、じつはふたりとも『もいもい』が大好きで、絵本が破れるぐらい読んでいました。
“絵本づくりに赤ちゃんも参加”したことが開さんの絵本の特徴ですが、言葉を話せない赤ちゃんと一緒にどうやって絵本をつくったか、改めてご紹介いただけますか。

開:僕らが何をやったかというと、まず「『もいもい』という音からイメージされる、赤ちゃんが見る絵」という基準で、複数のイラストレーターさんに絵を描いてもらいました。
それを赤ちゃんに見せるにあたって、赤ちゃんに「どの『もいもい』が好きですか?」とは聞けませんから、注視時間をつかって反応を調べたところ、一番反応していたものが実際発売された市原淳さんが描いた「もいもい」です。
自分たちだけで考えて「これがアーティスティックだ」と言っているよりも、実際にそれを使う人、手に取る人に関わってもらうほうが絶対にいい。赤ちゃんが使うものをつくる時、これまでも製作者自身の赤ちゃんの反応を見ることはあったと思いますが、関係のない赤ちゃんに見せて感想を聞くことは普通できません。その意味で僕らがやったことは画期的だったと思います。
伊勢山:大人が考える「赤ちゃんはこれが好きなはず」と、本当に赤ちゃんが好きなものの差はなんなんでしょうか。
開:「なんで赤ちゃんはこの絵を選んだんですか?」とよく聞かれます。
テレビとかは「これが「目」だから赤ちゃんが注目した」みたいな説明をさせたがるんですが、実際のところ、なんでかは僕も分からないです。大人も分からないし、赤ちゃんも分からない。分からないからこそ面白いし、だからこそ実験的なアプローチが必要なんです。
伊藤:『もいもい』は、見た目の可愛さやストーリーではなく、「科学的研究に基づいた、赤ちゃんが一番見る本」がコンセプトになっていることがとても画期的で、親にとっても手に取ってみたくなる絵本になっているように思います。
開:その時に大事なのは「科学的ってなんだ?」ということです。どこかの博士がつくったら科学的なのか、「デザイン上の比率が○対△で」みたいにつくったら科学的なのかというと、全然違いますよね。僕は「本当に赤ちゃんに関わってもらう」というストーリーのこと自体を「科学的」と言っています。
伊勢山:普通は購買層にヒアリングをしたり「数字上これが売れている」という分析をしたりと、言葉を中心に商品をつくることが多いですが、言葉が話せず表現ができない赤ちゃんに“参加”してもらったことが科学的なんですね。
開:そこがポイントです。マーケティングの中でよく聞き取り調査みたいなことをやりますが、特に赤ちゃんの領域においては、あまり意味はないと思うんです。大人が聞かれたら、「自分は欲しいけど、他の人はどう思うかな……」みたいに頭でいろいろなことを考えて、認知バイアスにかかってしまいますよね。
それと比べると「バイアスゼロの赤ちゃんがどれを長く見たか」という客観的な指標のほうが、がぜん科学的だと思います。ぜひ博報堂でもマーケティングの中に取り入れてみてほしいです(笑)。
伊勢山:文字通り、生活者の「感覚」を読み取っているんですね。

赤ちゃんから学ぶ、感覚のデザイン
金:赤ちゃんは言葉が話せないからこそ、体験した時の盛り上がりがバイアスなしで分かるというのは、すごく大事な観点ですね。
私は大学院で筆記用具の研究をしていました。それをもとにHumanity Labで開発した「Write More」は、筆記音を大きくすることで、書くことを楽しくするボードです。まさに言葉なしでも感覚の喜びが伝わる体験づくりは、私たちHumanity Labチームが大事にしていることで、開さんが考えていらっしゃることとも共通点を感じます。

開:「カリカリ・サラサラ」と自分が書いている音がよく聞こえたらいっぱい書くんじゃないか、という研究ですよね。その話は金さんの指導教員である苗村健先生から以前聞いていて、すごく面白いと思いました。
僕やその上の世代には「○○の万年筆じゃないと原稿が書けない」みたいな人が未だにいますけど、それと近いと思いました。微妙な書き味の違いが自分にとっていいことは分かっているんだけど、どういいのかなかなか言葉では表せない。それを分析する指標を選ぶのは認知科学の領域ですね。
金:筆記音の研究では、ユーザーの「楽しかった」というアンケートの言葉だけに頼るのではなく、「どれくらい書き続けたか」といった定量的な行動データを測定して、言葉にできない感覚の喜びを裏付けるアプローチを取りました。
開:『もいもい』が注視時間でやったことと同じ、バイアスゼロの科学的アプローチです。大人も社会や言葉のバイアスに囲まれていますから、そうやって行動データから感覚的な心地よさを可視化・実証していくことは、これからのものづくりにおいて非常に有意義だと思います。
金:ありがとうございます。先入観やバイアスをすべて脱ぎ捨てて、赤ちゃんのようなピュアな心で世界と向き合い、本質的な「感覚の喜び」をデザインしていくこと。それこそが開先生からいただいた最大のヒントであり、Humanity Labがこれからも挑戦していきたいテーマです。本日は本当にありがとうございました!

※肩書は取材当時のものです

開 一夫
一般社団法人 赤ちゃんラボ5.0 代表理事
1963年富山県生まれ。慶應義塾大学大学院理工学研究科計算機科学専攻博士課程修了。博士(工学)。(旧)通産省電子技術総合研究所主任研究員を経て、2000年より東京大学に勤務。乳幼児の心理や行動、脳の発達過程について科学的にアプローチに基づく「赤ちゃん学」を研究。教育番組の制作協力、子育て応援ソフトの共同開発、「あかちゃん学絵本」の監修など多方面で活動。著書に、「赤ちゃんの不思議」「日曜ピアジェ:赤ちゃん学のすすめ」(岩波書店)「ソーシャルブレインズ:自己と他者を区別する脳」(東大出版)など多数。絵本の監修として、「もいもい」、「モイモイとキーリー」、「うるしー」。(ディスカヴァー21)しかけ絵本「ぴかぴかとことこ」「あちこちげんがー」「ぐるぐるぴかぽん」(小学館)など多くを手がけ、乳幼児向けTV番組の監修として「シナぷしゅ」。また2024には「すべての子どもを笑顔にする!」を目指し、一般社団法人 赤ちゃんラボ5.0を設立。代表理事として活動。

金 じょんひょん
博報堂生活者発想技術研究所/Humanity Labリーダー
2024年より生活者発想技術研究所。研究・技術にクリエイティブをかけ合わせ、新たな体験を創造する業務をメインに従事し、プロダクトやサービス、研究開発を幅広く取り組む。書くを楽しむボード「Write More」やビールのおいしさを増幅させる音楽「CROSSMODAL : BEER」、呼吸するクッション「fufuly」などを開発。CES Innovation awardsを始め、Innovative Technologies、d&adなど、国内外で受賞多数。日本バーチャルリアリティ学会理事。

伊勢山 暁子
博報堂生活者発想技術研究所/Humanity Lab
2001年 武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科卒・博報堂入社 アートディレクターとして、化粧品や自動車メーカーをはじめ、幅広い業種のヴィジュアル開発に携わる。ブランド・イノベーションデザイン局では、ブランディング業務と並行して、ワークショップを重ねながら共創型デザインを実践し、プロジェクトに伴走するクリエイティブのあり方を探求。現在は生活者発想技術研究所に所属し、「感覚」をテーマに、美しく豊かな体験の設計に取り組んでいる。受賞歴にLondon International Awards、ACC賞など。

伊藤 幹
博報堂生活者発想技術研究所/Humanity Lab
2017年 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了、博報堂入社。ストラテジックプラニング職として企業のマーケティング戦略やコミュニケーションプラニング支援に従事し、2025年より現職。生活者や社会の幸福・ウェルビーイングをテーマに、「豊かさ」の研究やソーシャルプロジェクト開発・運営を行う。共著に『SBNRエコノミー 「心の豊かさ」の探求から生まれる新たなマーケット』 。ACC受賞。ウェルビーイング学会員。