こそだて家族を解放する新視点 第8弾
てぃ先生に聞く、脱タイパ・コスパ思考の子育て
~子を見る視線の“解像度”を上げ、成長の瞬間に寄り添うために~

博報堂こそだて家族研究所(以下、こそだて研)による、親世代の子供時代から刷新された最新の子育て・教育の常識に知見を持つ方々へのインタビュー連載。今回のゲストは、現役保育士で育児アドバイザーのてぃ先生です。 親が「子育ての正解」から解放されるには?子どもの成長をどうとらえるべき?…現役保育士として、SNSや著書、メディアなどでの発信内容が子育て層に圧倒的な支持を集めるてぃ先生と、こそだて研のメンバーがさまざまな意見を交わしました。

ゲスト:
てぃ先生
保育士・育児アドバイザー

こそだて研メンバー: 
伊勢 壮太
博報堂 ソーシャルビジネス開発局 ビジネスデザインディレクター

神長 澄江 
博報堂コンサルティング コンサルタント

伊尾木 文佳
博報堂 ストラテジックプラニング局 ストラテジックプラニングディレクター

どんな子育ても正解だし、ときにはブレても大丈夫。重要なのは長い目で俯瞰して見る視点

伊尾木
こそだて研は、「こそだて家族」のこれからの姿を研究し、情報発信や対話を通じた共創を行っていくプロジェクトです。 こそだて研の調査では7割以上の親御さんが「子育てや教育の正解がわからない」と回答しており、選択肢が無数にある現代ゆえの迷いや孤独が浮き彫りになっています。私たちは、そうした親御さんの気持ちを少しでも楽にできるような、新しい考え方を提示していけたらと考えています。 
今回のゲスト、てぃ先生が発信される保育の現場視点を活かした温かなヒントには、私たちこそだて研メンバーも日々助けられています。
まずは、親御さんたちが「子育ての正解」を探し続けて疲弊している現状について、お考えをお話しいただけますか?

てぃ先生
よく「子育てに正解はない」といいますよね。でも大前提として僕は、どんな子育ても正解だと思っています。もちろん手を上げたりするのは明らかに不正解ですが、基本的には、「走っちゃだめ」も正解だし「歩こうね」も正解。その中で、自分の家庭に合っているのは何かというだけの問題だと思うんです。「正解はない」という前提だと、かえってどんなやり方も不正解に思えてしまい、間違えることへのプレッシャーにつながるんじゃないでしょうか。「どれを選んでも間違いではない」と思った方がいいと思うんですよね。

良くも悪くも昔は、親や周囲の人から得られる限られた情報から、自分の子育てに適した情報を取捨選択するしかありませんでしたが、いまは調べれば調べるほど情報が無限に得られるので迷ってしまいます。僕も時折AIを使ってみることもありますが、僕ですら「なるほどな」と思わされる回答をしてきます。一般のママパパたちはなおさら、振り回されてしまっても不思議ではありません。

伊尾木
そうなんですね。

てぃ先生
Aさんの家はこうだけどBさんの家はこうで…といった絶え間ない比較が、ある種の圧になっている気もします。仮に無人島に自分の家族だけが住んでいたとしたら、毎日大きな怪我もせず、お腹を満たして暮すことしか考えないはずですよね。それに、親が自信をなくしてしまっていることも大きい。叱らない子育てに挑戦してみたはいいけど、やっぱり無理だと思って次の日には諦めていたり。そういう親御さんには、「せめて2週間は頑張ってみましょう」と必ず言うようにしています。

伊勢
耳が痛いです(苦笑)。

てぃ先生
忙しいからでしょうが、子育てもコスパ・タイパでとらえている親が多くて、「保育園行きたくない」という子にすぐに効く魔法の一言を求めてしまう。本当はママ、パパがもう少し我が子の状態を見て、それにあった声かけを模索することが大事だと感じます。なので、僕は、「子どもが着替えを嫌がる場合はこういう声掛けをしてみては」などのアドバイスも行っています。本来のゴールは子どもが前向きに着替えに取り組めるようになることであり、そのためには数週間はかかるものですが、目の前の子育てを本当に辛く感じてしまっているママやパパがいるのも事実。長い目で見る必要性と、ちょっとしたコツの両方をバランスよく伝えることを大事にしています。

伊尾木
朝令暮改にならず矛盾のない親でいることは、親子の信頼関係にも大きくかかわってきそうな気もしますが、いかがでしょうか。

てぃ先生
ブレることは問題ではありません。たとえば、もう自分で食べられるはずの子どもが「ごはんを食べさせてほしい」と言ってきたとします。それに応えることでわがままに育ってしまうんじゃないかと心配する方が多いですが、食事の場面だけが子育てのすべてじゃありません。着替えはできているし、「歩こうね」と言うとちゃんと自分で歩くのであれば、しっかり育っている証拠です。ずっとブレないでいることは無理だから、全体を俯瞰して見て、「ここまでできているならOK」と思えればいいんです。それに、ブレる親を見て学べることだってたくさんある。交渉力とか、生きる力を身につける機会にもなっていると思います。

伊尾木
確かにそうかもしれません。自分のことも少し許せそうな気がしてきました。

コスパ、タイパで結果だけを求めず、スモールステップを大切にしていく

伊勢
子育てや保育の領域で、かつての常識が特に変わってきていると感じる部分はありますか。

てぃ先生
僕が子どもの頃は、「厳しく躾けるほど子どもはメンタルが強くなる」という考え方がありました。でもいまはそれが科学的にも完全に否定されています。助けを必要とするときにしっかりと助けてもらえる環境で育ってきた人の方が、心の土台が強くなるとされているんです。子どもにとって親は、外の世界で傷ついたりしたときに、安心して戻ることのできる“安全基地”である必要があります。それを甘えやわがままとして退けてしまうと、子どもは安全基地をいつまでも求めるようになり、かえって自立を妨げてしまいます。ただ核家族やワンオペだと、同じ大人が安全基地としての役割も叱る役割も担うことになり、なかなか難しいところではありますね。

伊尾木
ご著書には、子どもの成長は、成果ではなくプロセスで見るべきだともありました。確かに、試行錯誤する過程そのものが成長だと考えることができたら、親も正解にとらわれずにプレッシャーから解放されるような気もします。

てぃ先生
何をゴールに設定するかだと思います。100点を取ることをゴールにしてしまいがちですが、机について鉛筆を持つことだったり、日々の宿題をこなすことがすでにチャレンジングな子どももいる。点数はどうあれ、一つ一つの工程を認め、褒めることで勉強が習慣化していけば、結果的に100点に近づいていくことができます。親が子育てにコスパ・タイパを求めてしまうと、「評判のいい塾に通わせてるのに、なぜか子どもがやる気にならない」なんて悩んでしまったりする。

神長
その子に合ったやり方を根気強く探すということですね。やはり長期的な目線で見てあげることが大切なんですね。

てぃ先生
ゴールを手前に設定し、スモールステップを大事にするということです。「子どもがせっかく始めたスイミング教室を辞めたがっている。どうすればいいか」なんて相談もよく受けますが、極端な話、本人がそう望むなら辞めさせていいんです。ただ、「うちの子はクロールまで」「背泳ぎまで」など手前の方にひとまずのゴールを設定し、そこまでは頑張ると決めること。不思議なことに、スモールステップで進めていくと次のステップにもトライしやすくなります。ここでも親は、よその家庭と比較して「〇〇ちゃんはあの年でもうあのレベルまで行ってる」なんて焦ってしまいがちですが、習得のスピードは人それぞれ。それが許容されれば、子どもは習い事を本当に楽しんで続けられるんじゃないでしょうか。

伊勢
親がコスパ、タイパで結果だけを求めていると、子どもが小さなステップを楽しみ、成功を喜んだりやる気が芽生える瞬間を見逃してしまう。子どもに対しての視点の解像度も低くなってしまうということですね。

てぃ先生
指パッチンできるようになったとか、口笛が吹けるようになったとかでも、子どもは嬉しいし誇らしいんですよね。でもそういうささいなことではなかなか親に褒めてもらえない。子どもは褒めてもらいたいがために、親が喜ぶ結果を出し続けないといけなくなる。そうなると自己肯定感とか自信はなかなか育ちません。

神長
指パッチンも褒めたほうがいいんですね(笑)。

てぃ先生
本人が嬉しそうにしているなら、褒めてあげてほしいですね。

伊勢
てぃ先生は普段、子どもたちが喜んでいたり嬉しく思っていたりするサインをどうやってキャッチしているんですか。

てぃ先生
親や大人の方にパッと視線を投げかけているときって、昨日までできなかったことができたり、発見があったりと、子どもの中では何か“すごいこと”が起きているはずなんです。そして嬉しそうに「見て見て!」と言ってくる。そういうとき保育園では、たとえ作業中でも絶対に手を止めて、しっかり関わるようにしています。ある意味鉄と一緒で、熱いうちに打たないといけない。その瞬間を見逃さずに、寄り添って、褒めることが大切だと思います。

できない自分も納得して“引き受ける”ことで、子どもも大人も育っていける

伊勢
親としては正直、現時点で子どもがきちんと育ってるのかどうか、不安になることもあります。「この子はちゃんと育ってるな」と感じられる瞬間ってありますか?

てぃ先生
すごく深い質問ですね(笑)。
言語化が難しいんですが、「できる自分も、できない自分も、信じられている」状態でしょうか。両足ジャンプしたときに思ったほど飛べなくても、「これがいまの自分なんだな」と引き受けられる力というか。そこで「本当はもっと飛べるのに」と自分を偽ってしまう子は、身体的に成長していたとしても、内面は“育っていない”気がします。

伊勢
自分のアウトプットに対して納得できる力ということですか?

てぃ先生
そうです。今日の自分はここまでだったと納得して、明日はもっとできるかもしれないと信じる。自分の決断に責任を持てる子、と言ってもいいかもしれません。自分が設定したゴールを信じて、やってみる。結果としてできなかったとしても、自分の決断を信じて行為に移したことのほうが重要だと思うんです。
逆に、自分がない状態というのは、自分の一つ一つの行動を信じられていないということ。だから人からの評価がすべてになってしまうし、ランドセルの色から何から、選択が親頼みになっていってしまう。

神長
思ったようにできなかった自分も、素直に認められる力ということですかね。

てぃ先生
そうですね。なぜそう思うかというと、自分も含めて大人でもそれができていない人が山ほどいると感じるから。自分の言動に責任を持てるようになるということが、“育つ”には重要なのかなと思います。

伊勢
今日は本当に耳が痛いです(苦笑)。
てぃ先生ほどの解像度で自分の子どものことを見られるか自信がありませんが、どういうところを意識して見たらいいでしょうか。

てぃ先生
たとえば5、6歳にもなれば、自分より小さな子が自分のおもちゃを使いたがって泣いていたりすると、本当は貸したくないけど貸してあげる、というシーンが出てきます。しぶしぶでも貸せて、相手の喜ぶ顔を見て誇らしく思えるなら、育っている証拠だと思います。一方で、貸さないというのもいいんです。その結果、自分は遊べて嬉しかったけど、泣いている子の前で遊び続けるのは心苦しかった、かわいそうだと感じたかもしれない。葛藤しながらでも、自分の決めたことを引き受けられている姿が見られたら、それも育っているということだと思います。

伊尾木
子育てだってそれぞれが正解だし、子どもも、自分が自信をもって最後まで納得できていればそれでいいんですね。

てぃ先生
そうですね。できる自分も、できない自分も、信じる、ということ。これは表面上のやさしさとは違って、年齢問わずできる人とできない人がいます。だから僕が接している子どもたちには少なくとも、自分のことを信じられる大人に育ってほしいなと思っています。

伊勢
うまくいかないことも含めて、引き受けられるということですね。

てぃ先生
そうです。スーパーの帰りに、子どもが重い荷物を持ってくれようとすることがありますよね。実際は重すぎて持てないんですけど、持てるはずだと自分を信じたわけです。持てなかった自分も“引き受ける”ということなんでしょうね。

さらにいうと、責任の取り方まで学べる子からは、もう一歩先の育ちを感じるかもしれません。お味噌汁をテーブルまで運びたいというのでしぶしぶやらせてみたら、案の定こぼしてしまう。でも、自分で雑巾を持ってきて拭くところまでできたら、一段上の育ちですよね。

伊勢
大人にも同じことが言えそうですね。

子どもが幸せになるためには、親が幸せでいることが大前提

伊尾木
てぃ先生がさまざまなメディアを通じて発信されている内容からは、いつも子育て層へのエールや愛情を感じます。活動の原動力となっているものは何でしょうか。

てぃ先生
僕は時折、親に甘いとか、子どもの方を見ていないといった意見を受けることがあります。でも大前提として、僕は子どもが幸せになるためには、親が幸せでいることが欠かせないと思っているんです。だから、子どもがどれほど幸せであったとしても、それを維持するために親が苦しんでいたら持続不可能だし、意味がないと思っています。

いまは誰もが無限に情報を得られますから、正直保育士と親御さんとでさほど知識量に差がない場面もあります。それでも皆さんが子育てに悩んでいるのは、知識を実践する余裕がないからです。「ぎりぎりまで子どもに寄り添うのがベスト」とわかっていても、仕事に行かなくてはならない時間は決まっているから、何も解決できないまま苦しんでいる。僕は、そんな親御さんたちが思う自分にとっての理想の子育てを少しでも叶えられるよう、お手伝いをしたいんです。それが結局は子どもたちの幸せにもつながると思うからです。

伊尾木
子どもの育ちには、親も一緒に育つといった観点も大事でしょうか。

てぃ先生
よく、子どもが4歳なら、ママだってママ歴4年目だといった表現をしますよね。でも子どもは1年ごとに発達が相当違ってくるので、子どもが3歳のときに通用していた方法が4歳で通用するとは限らない。そう考えると、子どもが4歳なのであれば、親は、4歳の親1年目ととらえるほうが正しいと思うんです。「4年も見ているのに子どものことがわからない」なんて悩む方も多いですが、それで当然です。4歳になるのが初めての子と、4歳の子育てが初めてな親がいる。わからない同士でやるしかないから、うまくいかなくて当たり前です。僕の場合、過去17年の保育士歴のうち2歳児クラスを5回ほど見ている。専門家はそうやって知見が貯められますが、親はそうはいきません。そういう意味では、親も子も一緒に育つという視点も大切かもしれません。

神長
専門家に頼れるところは、頼っていいということですね。

てぃ先生
こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、個人的には、トイレトレーニングも箸の練習もすべて保育園で完結させてあげたい。家では子どもを愛でるだけでいいという状況にできれば、みんな幸せになると思うんですけどね。現代の親は忙しすぎます。それに合わせた支援の形に変えていく必要があると思いますね。

伊勢
普段保育園にお世話になっていると、子どもたちが幼少期に保育園で受けとる愛情は本当にかけがえのないものだと感じています。AI時代になり、仕事や産業面ではいろいろな変化が起きていますが、保育士の先生方の仕事はほかに代えがたいものだと実感しています。

伊尾木
本当に学びの多い時間でした。

神長
貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

スタッフ後記

「“正解探し”から解放され、まなざしへと立ち戻る子育て」
情報があふれ“正解”が流通する時代において、「どんな子育ても正解」という言葉は、親を正解探しから解放し、「自分たち」の文脈へと立ち戻らせます。同時に、このAI時代に、親の役割も、“教える人”から“関係をつくる人”へと重みが変化しつつあります。子どもが自らの選択を引き受けられるよう寄り添うこと。本連載が提示してきた主体性と関係性の価値が結びついた示唆でした。(伊尾木)

「自分を信じて一歩を踏み出してみよう」
正解のない子育てに悩み、終わりなき旅を続けているような感覚。そんな親の心に、てぃ先生の「どんな子育ても全部が正解」という言葉は、一つの終止符を打ってくれるように感じます。 私たち親は、もっと自分の子育てに自信を持ち、自由であっていい。親が自分を信じて楽しむことができれば、それは子供への「ハッピーな連鎖」へと繋がる。“自分を信じる”という、小さくも大きな一歩を、親が自然に踏み出せる社会、環境づくりの大切さへの示唆をいただきました。(神長)

「“育つ”ことは、自分を信じて引き受けること」
子育てにおいて、私たちはつい「箸が使える」「言葉を話す」といった、外部にある基準で子供を評価してしまいがちです。しかし、てぃ先生のお話から得た最大の発見は、真の「育ち」とは子供が自分の内面と向き合うプロセスにあるということでした。「ここまで行ける」と自分に展望を持つこと。そして、たとえ失敗しても「これがいまの自分なんだ」と納得し、自分の決断を引き受けること。そんな内的な「自分を信じられるようになること」を成長の証として捉えてらっしゃいました。子供の内的な変化を捉えることが、本当の「育ち」を理解することにつながりそうです。(伊勢)

撮影協力:UNIVERSITY  of CREATIVITY 
 

てぃ先生

現役保育士18年目。SNSの総フォロワー数が200万人を超え、保育士としては日本一の数である。その超具体的な育児法は斬新なアイディアに溢れていて世のママパパから圧倒的な支持を得ている。現在はSNSだけでなく、報道番組からバラエティー番組まで幅広いジャンルの番組にも出演し、「いま一番相談したい保育士」と紹介されることも。

こそだて家族研究所

博報堂こそだて家族研究所は、子育てに正解はなく選択肢が無数にあるこの時代に「こそだて家族」のこれからの姿を研究・調査・情報発信を行うプロジェクトです。現役のパパママ世代が中心となり、クリエイター、ストラテジックプラナー、PRプラナー、メディアプラナーなど、多様なスキルを持つスタッフが所属しています。「小学生の子を持つファミリー」を中心としながら、マタニティから大学生の子を持つファミリーまで幅広いこそだて家族を対象としたマーケティング&コミュニケーションの専門家として、新しい視点や考え方の提案を行っています。
https://www.hakuhodo.co.jp/kosodatekazoku/

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