たった一文で、小説は成立するのか——芥川賞作家・鈴木結生が挑んだ《一行》という実験

2025年『ゲーテはすべてを言った』で第172回芥川賞を受賞した作家・鈴木結生氏が、「たった一文」で書いた最新作《一行》。雑誌『広告』vol.419の特集「今、君は遊ぶべきです。」のなかで生まれたこの作品は、文学を極限まで圧縮する試みでもあります。一文という制限のなかで、小説はどのように成立するのか。そこにはどんな思考と構造があったのか。 この記事では、一文小説《一行》をめぐり鈴木結生氏と雑誌『広告』編集部メンバーが意見を交わしたトークイベントの内容を、一部編集してお届けします。

雑誌『広告』vol.419発売記念トークイベント
鈴木結生 × 雑誌『広告』編集部 
『たった一文』で、私たちはどこまで遊べるか? 芥川賞作家・鈴木結生の最新作《一行》をみんなで読みながら話す、小説と雑誌の未来 
[日時] 2026年3月28日(土)
[会場] 青山ブックセンター本店(東京都渋谷区) 
[登壇者] 鈴木結生氏、『広告』編集部 山口綱士、近山知史

遊びとは、失敗の許容である

近山:本日は雑誌『広告』の最新号vol.419刊行記念ということで、芥川賞作家・鈴木結生さんをお招きしてトークイベントを開催します。今号のテーマ、「今、君は遊ぶべきです。」には、時間の使い方がどんどん効率化される今だからこそ、「遊び」について考えたいという思いを込めました。編集長の考えを改めて聞かせてください。

山口:僕のなかでは、遊びとは失敗の許容だと考えています。失敗のない挑戦はありませんし、失敗が許容されないと余白や伸び代も生まれません。最短距離で結果を求めるのではなく、失敗を「遊び」と捉えることで、もっとドキドキするチャレンジにできないかと考えました。

近山:雑誌自体もすごくおもしろいつくりになっていますが、鈴木さんは手に取られてどう感じましたか?

雑誌をひとつの造形物として捉えた雑誌『広告』vol.419。製本工程では、人の手で細かな調整を行いながら一冊ずつ仕上げられている

鈴木:実家に届けていただいて、両親が先に読んでいたのですが、「子どもの頃に読んでいた『小学五年生』のような感覚だね」と言ってました(笑)。まさに遊びが実現されている本だと思いました。
僕は以前から、1ページごとに紙の質感や形を変えるのが、理想の本づくりだと思っているんです。文章に合わせて、紙や形を考える。まさにこの雑誌でしかできない創作が実現されていて、うれしかったですね。

作家・鈴木結生氏

制限のなかで、どう表現するか

近山:今回の「遊び」というテーマを、鈴木さんご自身はどのように感じましたか?

鈴木:本来ならもっと間違いのない大御所の先生にお願いした方がいいところを、僕に依頼をしてくださった。それ自体が失敗を恐れていないですよね(笑)。こうした機会がなければできなかった挑戦ですし、文化における「遊び」の大切さを感じました。

山口:僕らも、こんな企画を受けていただけるのかとドキドキしながら依頼しました。「たった一文」しか書かせないなんて、失礼なんじゃないかと思って……(笑)。

雑誌『広告』編集長、HAKUHODO DESIGN代表取締役共同CEO 山口綱士

「ぎゅっとまとめる」のが好き

近山:あらためて、このオファーを受けたとき、どのように思われましたか?

鈴木:僕自身、何かを「ぎゅっとまとめる」のが好きなんです。小説も、たくさんの情報を集めて一冊にまとめるタイプです。究極的にはすべてが「一行」にまとまったらおもしろいなと思っていたので、これはまさしく僕がやるべき仕事だと思いました。

近山:「たった一文」という縛りがあるのは、鈴木さんにとって楽しいことでしたか?

鈴木:創作って、やはり制限がないとむずかしいですよね。「夢オチの話はダメ」とよく言われますが、それは人間の想像力には限界があるからで、夢という無限の空間を与えられると想像力の粗が見えてしまう。それよりも、自分の想像力よりも小さい箱を与えられて、そこにぎゅっと収めたほうが、むしろおもしろくなるのだと思っています。

山口:広告の仕事も「制限のなかでどう表現していくか」が重要です。さらに、ルールを文字通り受け取るのではなく、どう解釈を広げていくか、そこも実は大切な要素なんだと思います。

近山:ここであらためて、今回の「一文小説」のルールをご紹介します。
1. 文章の始まりから句点までを一作とする
2. 文字数、テーマ、改行位置は自由
3. タイトルを付すること
このルールで小説を書いていただきました。それでは、完成した作品《一行》を鈴木さんご本人に朗読していただきましょう。

博報堂/PROJECT_Vega エグゼクティブクリエイティブディレクター 近山知史

《一行》

「狼が来たぞ!」と叫んだ少年が文学者の祖となった、とロシアの小説家が書いているが、私の文学の起源は、たった一本のマッチから町や友達や食べ物を作り出したあの少女の方――彼女みたいにすべてを《一行》に綴じ込めておけたなら、いつか電気が来なくなったとしても、無人島でも、屋根裏部屋でも、遊び飽きることはないだろうに、と夢見たところ、いつの間に私は蠅に変身して、天窓から図書館へと侵入、《一行》を求めて飛び回るが、どんな本を覗いても、見つかるのはないものばかり、いつか自分自身がその《一行》を書くことになるのではないか、と期待したり、実はそんな《一行》はないのかもしれない、と気後れしたり、いや自分だけのためなら或いは、と揺れ動きながら、やがて飛び疲れ、白い大地に羽根を休めたところでバシン、突然頁が閉じられ、世界という書物に私の染みが残る.

一文のなかに、あらゆる文学作品の要素を詰め込む

山口:小説を作者本人に全文読んでいただくなんて、すごく贅沢な体験ですよね。

近山:まさに「一文小説」だからできることですね。ここからは、作品づくりの裏側について伺っていきたいのですが、どのように制作を進められたのでしょうか?

鈴木:一文で終わらせるというのは、小説というより詩に近いですよね。詩と小説の違いがひとつの大きなテーマになりました。詩は基本的に句読点がないので、詩で書けば永遠に書けるんじゃないかとも思ったんです(笑)。でも、それでは小説にならない。この作品は初めにシェイクスピアが用いたことでも知られる14行詩(ソネット)の形式で書いたものを、一文に直しました。

山口:さきほど「ぎゅっとまとめる」のが好きとおっしゃっていましたが、この《一行》にも世界の文学作品が詰め込まれていますよね。『ロビンソン・クルーソー』だったり、『アンネの日記』だったり、カフカの『変身』だったり。全部を詰め込もうとすると際限がないと思うのですが、そこはどのように考えましたか?

鈴木:たとえば『ゲーテはすべてを言った』では、ドイツ文学に関するものはなるべくすべて入れようと考えていましたが、作品の狙いや規模に応じて、どこまで細かく入れていくかを調整しています。
今回の《一行》では、一文のなかになるべく多くの国や地域、古代から中世といった時間軸、さらに物語のジャンルも幅広く網羅できるよう、文学作品の要素を入れ込みました。

物語が物語を呼ぶ構造

山口:この小説は、一文で物語になっているのですが、実は「Y・Sの元に友人C・Rから送られてきた33の詩の束のひとつ」であり、「受け取ったY・Sが添えた注釈」も併せて読むことができる二重構造になっています。非常におもしろいギミックですが、どのように思い付かれたのですか?

雑誌『広告』には、Y・Sによる《一行》注釈も併せて掲載

鈴木:山口さんも「ルールを文字通り受け取るのではなく、どう解釈を広げていくか」とおっしゃっていましたが、この注釈がまさしく「広げた」部分ですね。《一行》という作品だけでは心許なかったというのもありますが(笑)、一文小説と言いながら、注釈も含めてひとつの小説として読んでもらえるような構造を考えました。

山口:ルールを超えていただいたということですね。友人 C・R から詩が送られてきて、そこに何かが隠されているかもしれないとその秘密を探っていく――そんなふうに別の物語が広がっていく。物語が物語を呼ぶ構造になっていると感じました。

近山:友人 C・R から送られてきた原文の手書き原稿は、くねくねとハエが飛んだ軌跡のように書かれていて、最後の句点は蠅が潰された跡になっている。細部にまで設計された表現になっていますよね。

鈴木:はじめは少し違う内容だったのですが、ぐちゃぐちゃと書いていたら蠅が飛んでいるように見えてきて。一文小説のルールでは「句点」がひとつのポイントなので、そこで何か工夫できないかと考えました。

リズムは、情報を共有するためのインフラ

近山:ここからは、会場のみなさんにもご参加いただきます。
今回は「一文小説」にちなみ、みなさんにも「一文で」感想や質問を書いていただきたいと思います。たった一文だからこそ生まれる解釈を、この場で共有していきましょう。

参加者:「蠅になりたいと思いました.」
⇨空を飛べて、本も読めて、バシンと死ねるのがうらやましいと思いました。

近山:鈴木さんもインタビューのなかで、「蠅の最期は喜ばしいことだ」とおっしゃっていましたよね。

鈴木:そうですね。実はこれには元ネタがあって、19世紀の詩人*がまさに同じようなことを書いているんです。本に挟まって死んでいる蠅を見つけて「僕たちが死んでもこんなに美しい羽根は残らないだろう」という、ちょっと悲観的な詩なんですが、ある意味で蠅が人間より上の存在として描かれている。そういう意味でも「蠅になりたい」というのはおっしゃる通りだと思いました。

*チャールズ・テニソン・ターナー(イギリス、1808年-1879年)が発表した詩「On Finding a Small Fly Crushed in a Book(本に潰されたハエを見つけて)」は、本のなかに潰れたハエから存在論的な悩みへ飛躍してしまうまじめさが、どこか笑えて切ない。

参加者:「言葉の彫刻みたいだな、と思いました。」
⇨《一行》という作品が、ひとかたまりの“言葉の粘土”のように見えました。言葉を足したり削ったりして形づくられているように感じました。

鈴木:「言葉の彫刻」というのは、すばらしい表現ですね。非常にイメージが喚起されます。現代の小説では《一行》ほど一文が長いものはほとんどありません。『源氏物語』は一文が長いと言われますが、それは流麗な当時の言葉で書かれているからで、現代語訳では句点で短く区切られます。それだけ現代人は句読点に頼っているということですよね。僕がこれまで書いたなかでも、一番長い一文になりました。

参加者:「足す作業と削る作業、どちらが大変?」

鈴木:基本的に足すタイプなので、削る作業のほうが圧倒的に大変です。僕にとって、足す作業は快楽で、削る作業は“公共の福祉”、つまりみんなに読んでもらうために行うものです。今回は、まず最初に同じくらいの長さの詩を14篇書いて、それをつなげているので、リズム的にも合っているし、それほど大きな調整は必要ありませんでした。詩のシステムってすごいですよね。人に読んでもらうためのリズムがあるし、長さがある。今回はあらためて、詩を尊敬しました。

参加者:「文章の“リズム”を言葉で説明されるとしたらどんな感じですか?幼少期のバイブルだった『聖書』はリズムが良い読み物なのでしょうか?」

鈴木:リズムについて僕が一番しっくりきているのが、ヴァージニア・ウルフ*の「すべてはリズムであり、正しいリズムが見つからないと言葉を取り出せない」という言葉。リズムとは文章だけではなく、起きて、書いて、読んで、という生活レベルでのリズムにも影響していると思います。

『聖書』は口伝で読み継がれてきたものでもありますし、リズムは公共のものなんだと思います。全員がそれを共有するためのインフラ。情報をみんなに読んでもらうためには、リズムというインフラがないといけないのではないかと思います。

*ヴァージニア・ウルフ(イギリス、1882年-1941年)は、20世紀モダニズム文学を代表する小説家、評論家。詩的なリズムを文体の核とし、人々の内面に渦巻く断片的な思いや感覚を「意識の流れ」として描きだした。

参加者:「制限による説明の余白は読者の想像力に任されるところが大きいと思いますが、作者として読者の想像力をどのように考えられていますか?」

鈴木:まさしく「読む」という行為によって小説は生き物になると思いますし、いろいろな人の想像力のなかで自分のテクストが読み返されていくことに期待しています。でも、そう思えるようになったのは最近で、はじめの頃はもっと全部説明したいと思っていました(笑)。文学において説明しすぎは良くないと言われますが、一読者としては、饒舌な作家が好きなんです。説明してくれた方がおもしろいし、そこからさらに想像を広げることもできます。

今回の《一行》も、一文のなかにあり得ないくらいの量の情報を詰め込んでいますし、さらに注釈も付けている。「説明しすぎだよ」と言われるかもしれませんが、読者はそれを超えて、新しいものを見つけてくれると信じています。

文学を通じた、「遊び」の共有

近山:みなさんからすばらしい感想や質問をいただけて、我々もたくさんのインスピレーションを得ることができました。鈴木さんいかがでしたか?

鈴木:みなさんにいろいろなご意見をいただけて、これ以上ないくらいに楽しかったですね。個人的に「リズム」についてずっと考えていたのですが言葉にできていなかったので、今日質問いただけたことで考えをまとめることができたのは収穫でした。

山口:今回「遊び」というテーマで雑誌をつくりましたが、今日のこの場こそ本当の「遊び」だったと思います。鈴木さんに文学としての「遊び」に取り組んでいただき、それをみなさんと共有できたことが、まさに今回の雑誌で目指した姿でした。

※肩書は取材当時のものです

鈴木 結生

作家。2001年、福岡県生まれ。福島県育ち。西南学院大学外国語学部在学中の2024年に「人にはどれほどの本がいるか」(朝日新聞出版)で第10回林芙美子文学賞佳作を受賞し、デビュー。2025年『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)で第172回芥川賞を受賞。同年6月にディケンズをテーマとした受賞第一作『携帯遺産』(同)を刊行。

山口 綱士
HAKUHODO DESIGN 代表取締役共同CEO 戦略CD

博報堂入社後、財務、人事、営業、コンサル、公共部門を経て、2018年より博報堂グループのデザインコンサルティングファームであるHAKUHODO DESIGNに所属。2023年より現職。経営戦略・事業開発支援からブランディングまで幅広い領域でのコンサルティングを提供。2019ACCグランプリ、Spikes Asia 2019ゴールドなど受賞。2024年、雑誌『広告』新編集長に就任

近山 知史
博報堂/PROJECT_Vega エグゼクティブクリエイティブディレクター

博報堂入社後、TBWA HAKUHODO、TBWA CHIAT DAYでの海外勤務を経て2022年より帰任し「官民共創クリエイティブスタジオPROJECT_Vega」を立ち上げ。CMプラナー出身で映像コンテンツを得意としているが活躍領域は多岐に渡る。「注文をまちがえる料理店」「あきらめない人の車いすCOGY」でACCグランプリ、CANNES LIONS、ADFESTなど国内外で受賞多数。

Xでシェア Facebookでシェア