“健康志向”を超えて──シニアのウェルビーイングとブランドの役割「ad:tech tokyo 2025」レポート

100歳まで生きるという時代を、私たちはどう生きたらいいのか。この誰も経験したことがない未来での、真の「ウェルビーイング」とは何か。政策、社会起業、生活者研究の第一人者が集まり、未来のこの領域の本質とこれからについて、また企業やブランド側が考えるべきことについて議論を行いました。(以下、敬称略)
本稿では10月22日~24日に開催されたad:tech tokyo 2025のセッション「“健康志向”を超えて──シニアのウェルビーイングとブランドの役割」の模様をお届けします。
モデレーター:
パーソルキャリア株式会社
経営戦略本部 ジェネラルマネジャー
石井 宏司
スピーカー:
厚生労働省
年金局総務課年金広報企画室
菊地 英明
株式会社ぴんぴんきらり
代表取締役CEO
喜多尾 衣利子
株式会社博報堂
生活者発想技術研究所 100年生活者研究所所長
大高 香世
■世界的に取り組みが進む「老後の可視化」
石井
人生100年時代のマーケットや人生について、まだ誰も経験したことはなく、答えはありません。そんな中、なんとなくネガティブなイメージを持つシニアという言葉を、ポジティブで良いもの、ウェルビーイングに変えるというのは、まさに私たちマーケティングに携わる人間の仕事だと思います。

本日は「はたらく」「お金/制度」「ビジネス」「生活」 という4つのテーマで、いずれ自分事になるシニアというライフステージにおけるマーケットの概念を思い切って拡張しつつ、私たち自身が自分たちのためにどう生きるか、何ができるか、ぜひ一緒に考えられたらと思います。
菊池
私は現在霞が関の中でも珍しくマーケティング専門部署に所属しており、現職より前はアメリカ国務省に研究員として派遣され、ファイナンシャルリテラシーと年金と働き方の行動変容を促すための研究をしていました。多くの著名な経済学者と話をしてきた中で得たナレッジから、今回「お金/制度」について話をさせていただきます。
実は厚労省が開発した、将来もらえる年金額を試算できる「公的年金シミュレーター」の取り組みが、昨年、国際社会保障協会(ISSA)のアジア・太平洋地域社会保障フォーラムにおいてグッドプラクティス賞を受賞しました。同様の取り組みは全世界で進んでおり、「老後の可視化」は世界的な関心事となっています。
ペンシルバニア大学のオリヴィア・S・ミッチェル教授の研究によると、平均余命を知った多くのアメリカ人が、「年金を早く請求しすぎた」とか「もっと長く働けばよかった」などと、お金に関して後悔していることがわかったといいます。また、ノーベル経済学賞受賞者のピーター・A・ダイアモンド教授は、「老後における医療費と遺産、貯蓄には面白い相関関係があるが、多くの人が分かっていない」と言っています。さらにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのニコラス・バー教授は、「人は自分の老後について実は理解できておらず、非合理に捉えていて、その非合理性を前提としたサービス設計が重要」とのことでした。そこで鍵となるのが「老後の可視化」なのです。アメリカの行動経済学者のダン・アリエリー教授も、多くの方が年金や働くことについて損益分岐点で考えており、働くこと自体の効用が認識されていないとのことでした。
日本は平均余命も健康寿命も伸長していています。年金財政の将来の見通しの前提となる年齢別の就業率の変化と今後の見通しを見ると、高い年代ほど就業率が上がり、女性の就業率も全体的に向上しています。これは欧米にない傾向です。また日本が過去30年と同じような経済状態が続いたとして、若年層の方が受け取れる年金額がどれぐらい変わるのかを推計したところ、今65歳の男性は14・9万円、現在30の男性は14.7万円と減少することが見込まれています。これに対して、現在65歳の女性は9.3万円、現在30歳の女性は10・7万円と増加しすることがわかります。現在の若い世代の年金額が、大幅に下がるとか、年金が受け取れなくなるといったことはなく、将来的にも受給できることが推計されています。年金額が大きく変化しない状況を踏まえると、多くの方にとって重要になってくるのは、「自分にとって働くことの意味は何か」と考えられます。

大高
最初に挙げられた4つのテーマのうち、「働く」を解消するだけで、「お金」の課題も解消でき、「ビジネス」も周りはじめ、「生活」も豊かになる。なかなかすごいことですね。
■報酬ではなく、社会の役に立ち感謝されることに価値を感じる
石井
次に「働く」という視点から、喜多尾さんお願いします。
喜多尾
私がシニアの就業をサポートするぴんぴんきらりという会社を創業したのは、現在92歳になる祖母が、仕事を辞めてから急に意気消沈してしまったことがきっかけでした。働いたり、社会とつながりを持ち続けることが元気の源になるのならば、元気なうちは、シニアも続けられる仕事を作りたいと思いました。
かつては、定年になれば一線を退き、ゆっくり老後を過ごすことが幸せだという価値観があったかもしれませんが、平均寿命が延びて、日本老年学会も高齢者の定義を65歳から75歳にしようと提案するぐらい、今の60代は本当に元気です。
弊社の事業は、子育て世帯に第二のお母さんとしてシニアの方が伺い、育児をサポートするというもので、働いている方は、「趣味以上仕事未満」の感覚で仕事を楽しんでいます。ある種自己実現の機会にもなっているようです。確かに若い頃はドーパミンを追いかけがちですが、誰かの役に立つことで自分もハッピーになれるような長期的な幸せ、つまりセロトニンを追いかけることが、シニアの人生のウェルビーイングにつながっているのではないかと思います。不思議なことに65歳を超えると、意識のベクトルが社会に向かい、「社会のために役立ちたい」と思う方が多いようです。私たちが「きらりさん」と呼ぶ登録者たちは、 月5万円ぐらいのお小遣いになって、かつ、週に数回短時間、健康の負担にならない範囲で働いて、感謝されることに価値を感じています。また私たちも彼らを人生の先輩、育児の経験者として、対等な立場であることを意識しています。彼らは報酬では動かない点が、難しさであり、面白さですね。
またある調査によると、日常的に「ありがとう」という言葉をかけるのは、60代男性が一番少ないそうです。つまり同世代の女性たちは、これまで家事や育児を頑張ってきても、ありがとうと言われてこなかったということ。自分に高い家事能力育児能力があるという自覚がなく、自信もなかったのが、働き出すとものすごく頼りにされて、生きがいになっていく。彼女たちの価値が世の中にもっと知られてほしいですね。

菊地
ダン・アリエリー教授が言っていたのと同じ、働くことの価値、効用についての話ですよね。今まで自分が培ってきた能力を価値に変えていくという、すごい発見だと思いました。
大高
「きらりさん」というのもいい名前ですね。シニアだってどんどんキラキラで、ピカピカでいこうよ、という想いが伝わってきます。
■まだまだ元気に第二の人生を謳歌する「ゴールデン」な世代
石井
我々転職市場でも、昔は転職限界年齢35歳といわれていましたが、今は50年での転職も珍しくありません。僕自身56歳で、「そろそろシニアですね」と言われるとあまりいい気分になりません。シニアに代わる、もっと未来感のあるカテゴリーを創出することもマーケティング上重要なのではないかと思います。
そういう意味も含めて、大高さんから、「生活」の観点からお話いただきます。
大高
私は博報堂でマーケターを30年、ファシリテーターを20年担当してきました。また博報堂内で共創マーケティングの会社を起業し、会社経営も約10年間経験しています。現在は、「博報堂100年生活者研究所」という研究所の所長として、産官学メディアの方々と連携して人生100年時代の幸せについて考えるリビングラボを運営しています。
博報堂の新大人研で行った調査では、「50代でシニアと言われて嬉しいか」と尋ねたところ、9割以上の人が「嬉しくない」と回答しています。ですから、やはり「シニア」という言葉にネガティブなイメージがあるのが実状だと思います。
シニアというと、衰えていく人、守るべき人というイメージがまだ強いかもしれませんが、私たちは、実際に元気な人たちのインサイトを本当に理解しているでしょうか?
50代以上はまだまだ元気ですし、まさに第二の人生がスタートし、これから謳歌していく黄金期でもあります。そこで、今回このセッションのために考えてきたカテゴリーは、「シルバー」に対抗して、「ゴールデン」です。業界的にもゴールデンタイムというのは一番いい時間です。輝いているし、経済性を生み出すニュアンスも感じられるかと思います。
人生100年時代、60歳は『引退』ではなく『第二章のスタート』であり、まさにこれからが最盛期の本番を迎えるという年代にあたると思います。
カラダのウェルビーイングは「衰えの不安」から「自己実現のための投資」へ。
ココロのウェルビーイングは「守りの資産」から「感動体験への投資」へ。
ツナガリのウェルビーイングは「孤独の解消」から「貢献意欲の解放」へ。
このように60歳以降の生活は、義務から解放され、本当の自分に近づいていくプロセスといってよいのではないでしょうか。

石井
なるほど、ありがとうございます。「シニア」という呼び名は当人たちには嫌がられているので、ぜひマーケターの皆さんの力で、これから新しいカテゴリーを作ってほしいなと思います。
■人や社会の幸せに向けて事業戦略を考える「ウェルビーイング経営」
石井
今後このマーケットをどう狙っていくべきでしょうか。ターゲットの人たちが幸せになる人生と、ビジネスの両方が発展するためには何が重要なのか。それぞれお話しください。

大高
幸せとビジネスは二項対立ではないということを強くお伝えしたいです。二宮尊徳の言葉に、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉があります。 道徳をウェルビーイングに置き換えると、「ウェルビーイングなき経済は犯罪であり、経済なきウェルビーイングは寝言である」となります。両立してこそ、市場は大きくなっていくのです。そのためには、まずはビジネスそのものをウェルビーイングにアップデートしていく必要があります。多くのマーケッターは、どうやって人のニーズや消費意欲をかき立てていくかという観点でマーケティングをプランニングしてきましたが、これからのマーケティングは「いかに人を幸せにするか」を一番に考え、その幸せに向けて事業戦略を組み立てていくということが大切だと思います。それは「ウェルビーイングマーケティング」であり、ひいては「ウェルビーイング経営」につながっていくと考えています。
なおウェルビーイング経営というと、「長時間働くのをやめましょう」とか「休暇をとりましょう」など、社員に対する福利厚生の部分が着目されがちですが、本来はそうではなくて、自社の事業やマーケティングそのものが、人や社会をどう幸せにしていくのかということを改めて考える。時代は今、そんなフェーズに来ているのではないでしょうか。
石井
短期的な売り上げや利益に意識が偏り過ぎている会社にとっては、ウェルビーイング経営はもしかしたら変革の鍵になるかもしれませんね。
菊地
EUが2024年に発表した、就労と年金の関係についてのレポートを見ると、EU領域全体で高齢者の貧困リスクが高まる予測されています。こうした世界的にネガティブな状況をポジティブに変えるために必要なのが、老後の資産形成状況の可視化と、ライフプラン計画による予測可能性です。これらを容易に把握できるツールを提供していくことで、「もっと働けそうだな」「もっと自分の経験を活かせるんじゃないか」と思ってもらうことが重要な役割だと思います。
少し視点を変えて、ビジネスやマーケティングの観点から考えて見ると、働いてる人と働いてない人とでは、行動も価値観もインサイトも違います。ということは、長く働く人が増えることでマーケティングセグメンテーションがこれまで以上に細かくなっていくということ。いろいろなタッチポイントが出てくることもふまえた商品構想やマーケティング施策を考えていくのが、次のトレンドになると思います。

石井
本当にそうですね。今は75歳定年の会社に転職する方が増えていますが、そうすると、都心に引っ越すとか、スーツも買わなきゃ、女性だったらメイクもしなきゃとなって、新しいマーケットができます。彼らは若い世代と同じようなスーツ、メイクを求めないでしょうから、実はそこに大きなマーケットの可能性がある。このマーケットは面白いし、複雑性が高いので、ある意味マーケターの腕の見せ所でもあります。
喜多尾さん、この年代の方たちのマインドセット、ペルソナについてもう少し詳しく教えてください。
喜多尾
驚いたのが、シニアの方が意外にITリテラシーが高いことです。コロナによって、ビデオ電話も一般的になり、ネットを使わないと人とつながれなくなったことが大きいと思います。LINE上にシステムを作って仕事のやり取りをしていますが、全員が問題なく使えています。もちろんオンライン面談も問題ありません。シニアのマーケティングではリスティング広告も有効とよく言われていて、10年前のシニアとは全然違いますね。
システムにITを入れることで管理コスト、オペレーションコストが圧縮できますし、これからAIチャットなどを導入していけば、シニアの方でもIT領域で活躍できる余地はある。労働力不足の時代、貴重な労働力として活用できるはずです。
ただ、20代30代以下と違って、一度の研修ですべてを吸収してもらえるわけではありませんし、我慢してまで働こうとは思っていないので、仕事は選ばれます。ただその方の個性、持ち味にハマれば、ものすごく活躍いただける。型にはめるようなアプローチではなく、本人たちの意向を大切にすることがポイントかもしれません。
■100年人生を最後まで現役で、心豊かにポジティブに生きる
石井
最後に「私が考えるウェルビーイング」について、一言ずつお願いします。
喜多尾
老後という概念をなくしていきたいと思います。ずっと現役で、趣味でもお仕事でも、心豊かに、ずっと笑顔でいられるような人生を生きる。最後までそういう人生を送れたら理想的だと思います。

大高
「あなたは100歳まで生きたいと思いますか」というアンケートをとると、「生きたい」という人は3割いかず、「生きたくない」という人が7割を超えるのが現状です。いまは好むと好まざるとに関わらず、100歳まで生きられちゃうかもしれない時代。であれば、できるだけ前向きに楽しく過ごせればいいのではないかと思います。
私たちの研究所では巣鴨でカフェを運営し、来店してくださったお客様にインタビューするというフィールドワークをしてきました。「100歳まで生きたい」と回答する方に共通していたのが、順風満当に来たというよりも少しご苦労されている方。生きていることが当たり前ではない、という経験をされてきた方です。みなさんも、生きているって当たり前じゃない、自分1人でここまで生きてきたわけじゃないということを改めて考えて、これからの100年に向けて、ポジティブに過ごしていただければ嬉しいです。
菊地
ウェルビーイングという言葉を分解すると「良い状態であり、良くある」ということになります。個々人が良い状態であると実感できるようにするためには、自分が納得した上で意思決定をして、いい姿であり続けるということです。私は政府の仕事を通して、世界の有識者の方から「あなたが取り組むべきことはことは、多くの人の納得感を得て、より良い方向に意思決定するための選択肢を提示できるようになること」と教わりました。 その解の1つは可視化すること。もう1つは、リアルとデジタルを組み合わせて、よりポジティブに物事を捉えて、多く方の人生がより良くなるよう活性化していくサポートをすることだと思います。その先に、お金の後悔がないような世界観を達成できるよう、頑張りたいと思います。
石井
この領域はまだまだ未知ですが、今日出てきたさまざまなインサイトやキーワードを参考に、全員がいろんな形で、持ち寄ってつながり合って継続して、未来創発していければと思います。本日はありがとうございました。