ゲスト:
松本 理寿輝 氏
まちの保育園・こども園 代表
こそだて研:
伊勢壮太
博報堂 ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
藤川裕佳子
博報堂 クリエイティブ局 アクティベーションディレクター
神長澄江
博報堂コンサルティング コンサルタント
用丸紗希
博報堂DYメディアパートナーズ 新聞雑誌局 メディアプロデューサー
伊勢
今日は、今年の4月に開園した「まちのこども園 南青山」にお邪魔しています。松本さんは、博報堂のご出身でもありますね。
松本
はい、新卒から3年ほど勤めていました。その後にベンチャー企業の立ち上げを経て、2010年にまちの保育園開園に向けて会社を設立しました。私自身、今では子どもを育てる親でもあります。
伊勢
私たち親の立場ではどうしても子どもとの日常に追われがちですが、こそだて研として近年を俯瞰すると、新しい視点での取り組みが実践されつつあります。その先進例として、「まちの保育園・こども園」のお話や、他の活動についてもうかがいたいと思いました。自治体や大学との協働の取り組みも多いですよね。
松本
そうですね。まちの保育園 六本木分園の軒先でテイクアウト専門のカフェ「まちの本とサンドイッチ」を展開したり、自治体との協働事業として、例えば渋谷区で子育て支援センター「coしぶや」(※正式名称「渋谷区神南ネウボラ子育て支援センター」)を運営したりしています。
伊勢
まず、なぜ乳幼児保育や教育の領域に入られたのか、どんな課題を抱かれていたかをうかがえますか?
松本
当社の設立からさらに10年ほどさかのぼった学生時代から、人が成長する過程として、教育的な営みに関心がありました。一人ひとりの才能や可能性が社会で存分に広がり、皆の幸せに結び付くには、子ども時代、特に人格が形成されるといわれる0~6歳の乳幼児期が大事なのではと思っていました。
ただ、日本の乳幼児保育・教育はとても複雑で、幼稚園は教育的な観点から、保育園は戦後に共働きの家庭が増えたことを受けて福祉的な観点から生まれたという、歴史的な発祥の違いがあります。今では保育園も教育をより重視し、幼稚園も夕方まで開園したり、両方を併せ持つこども園が増えたりしていますが、これらの経緯は親でもなかなか説明できません。生涯において大事な時期なのに誰も説明できないのは、まず“みんなのもの”になっていないのだなと。それは、国のグランドデザインが定まっていないことなのではないか、という大きな疑問がありました。
同時に、乳幼児期の子どもが接する大人が、圧倒的に若い女性が多いことも気になりました。ここ5年ほどで男性の育児参加が加速しましたが、事業を始めた2010年ごろは育児はまだ母親主体、そして保育園や幼稚園の先生も95%以上が女性で平均年齢は30代だったので、私が学生だったころはもっと偏っていたと思います。また、どうしても保育園と家の往復になりがちで、地域社会に出ていく機会も減っていると感じました。
伊勢
家庭でも園でも、接する大人の属性が限られていたのですね。
松本
はい。若い女性に支えられている子育て環境を学ぶ必要があると同時に、子どもに多様な出会いの機会がある社会のほうがより良いだろうと感じたのです。人格形成期にどういう人と出会うかは、大人になってもその人の意識にけっこう影響を与えるそうなんですね。自分の中の多様な視点や役割を「イントラパーソナル・ダイバーシティ」というのですが、特定の属性の人だけと接していると、その多様性が養われにくいのです。
一方で、街を見渡すと本当にさまざまな方がいて、ダイバーシティがあります。そうした人に子どもたちが出会ったら、子どもが育ち学ぶ場は「街全体」になり、共に育てる街ぐるみの教育ができるのでは。同時に、子どもがマグネットのように親同士や親と地域をつなぐ役割を果たして、街の多世代の交流も起こるのでは、と考えました。
そんな街ぐるみの事例を探す中で、2001年に北イタリア発祥の教育「レッジョ・エミリア・アプローチ」の基本理念・教育哲学を紹介する展覧会「子どもたちの100の言葉」に行き、子どもの声に耳を傾ける教育のおもしろさに魅了されました。イタリアのレッジョ・エミリア市で生まれたこの教育は、子どもたちの興味関心に基づいて、プロジェクト型の探究活動や自由な表現を大事にしながら学びを促していきます。
人が人のことを思って社会がつくられていくとき、教育に携わったら、社会の根幹に携わることになりますよね。こうした考えや気づきが相まって、「まちにひらく」というコンセプトに結び付き、まちの保育園の構想に至りました。そして教育の本質はコミュニケーションだと思ったことから、新卒で博報堂に入ってクリエイティビティに触れ、一層「人の可能性がいかに発揮されるのか」に興味が湧いていきました。
用丸
誰でも立ち寄れるパン屋さんも「まちにひらく」一環なのですね。こんなふうに具現化されると、街の人にもわかりやすいです。
松本
はい、顔なじみの人が増えると、地域の見守りという安全性の観点でもプラスです。
伊勢
まちの保育園・こども園では毎日子どもたち自身がやることを決めるそうですね。どんな日常が流れているのですか?
松本
何をするにも子どもが主体で、子どもの声を聞きながら進めていきます。誰かの発案に賛同する形で、だいたい自然と3~7人ほどのグループになり、プロジェクト型の探究活動や自由なアート活動などを行っています。昼食の前に一度振り返りをするので、友達の話を聞いて「午後はこっちに入ろう」とグループを移ってもいいし、日をまたいで継続するプロジェクトもあります。
あるとき、何人かが工作で「街」をつくっていたら、「何か足りない」「自分たちの街には音がない!」と言い始めて。
神長
子どもならではの発想ですね!
松本
そうですよね。子どもの自主性やアイデアを尊重していると、いい遊びが生まれて、いい問いに出会える。単純に答えが出ない、深い思考や探究が促される問いを「クリエイティブ・クエスチョン」といいますが、「街には何がある?」はまさにそうでした。そんなクリエイティブ・クエスチョンを、とても大事にしています。
こうした学びのプロセスや気づきを、レッジョ・エミリア・アプローチでは「ドキュメンテーション」として写真や文字で記録していきます。私たちも保護者の方々に「子どもたちが今どんな物語の中にいるのか」を共有しているので、家庭でも例えば街のことを話題にしたり、それを踏まえておでかけしたりと、親も参加することで学びが続いていきます。
藤川
たしかに、平日は子どもと離れている時間が長いから、ときどき「こんなこと知ってたの、興味があったの?」と驚くこともあります。園と家庭とで学びがつながると、広がりが生まれますね。
松本
そうなんです。街の音のときは、ある保護者の方が「地域にサウンドアーティストの方がいる」と紹介してくれて、一緒に探究する機会を持つことができました。
「街の音」に興味を持っていた子どもたちにとっては、その領域の知性と感性を備えた“本物”が来るわけだから、おもしろくてたまらない。皆で外に出て街の音をサンプリングし、その音を波形として見せてもらうと「音に形がある!」と衝撃を受けたようで、今度は音を波形の絵で表現し始めたんです。なんてアーティスティックなんだと感心しましたね。
サウンドアーティストの方も、「人がどう音に出会っていくか」を体験することになったわけなので、とても刺激を受けたと言ってくださいました。大小さまざまですが、こんなプロジェクトがいつも展開されています。
藤川
「これが正解」というのが子どもにはまだないから、自由に興味を広げられる環境があれば、大人は見守るだけでいいんですね。
松本
そう思います。そもそも、これから本当に予測不可能な時代になりますから、所与の世界に出会うのではなく自分で世界を構築していってほしい。「世界は自分たちで変えられる」という実感をつかんでほしいと思っています。もちろん、ハサミの使い方のような危険を回避する事項は教えますが、できる限り大人が先回りして教えないようにと心がけています。
用丸
音なら、まず音符を教えたくなりそうだけど、そうはしないと。
松本
そう、大人の常識や固定観念を伝えてしまうのは、子どもの創造性を考えるとあまりにももったいないです。むしろ、私たちも子どもたちと一緒に新しいことを経験したいという気持ちでいます。
神長
まさに探究といえる活動が当たり前のように行われているのがとても興味深いです。その入り口になる、探究の“芽”を見逃さずに育てるには、どうされているんでしょうか?
松本
ひとことでは難しいですが、「あなたの考えやアイデアはすごく大事だし、とても興味がある」と様々なかたちで子どもたちに伝えていると思います。先ほどの「世界は自分たちで変えられる」と思えることと表裏一体のように感じますね、世界を変える発端には、自分の考えを持つことがあると思うので。そして、その考えに正解も間違いもありません。
ただし、自分の考えを言いたくない子もいるので、言わない権利も大事にしています。
用丸
均等に発言を促すわけではないんですね。
松本
はい。話したくない気分のときもあるから、それも含めて子どもたちの表現や権利を保証している感じですね。また、言葉で話さなくても絵や体で表現したければそれでいい。人は本当にいろんな表現を通して世界に向き合っていて、言葉ではない別のセンサーで世界と対話している子もいますから、その個性を大事にしています。
伊勢
先生をはじめとする職員の方には、何か区分があるのでしょうか?
松本
保育士や幼稚園教諭、補助職員のほかに、美術やアートの背景を持つアトリエリスタ、教育の専門家であるペタゴジカルパートナーや、コミュニティコーディネーターといった職務があります。コミュニティコーディネーターは一般的にいう事務のスタッフも兼ねているんです。もともと最初の園で私が担当していたような、保護者・地域など園内外のコミュニティをつなぎ育む役割を、次の園で募集するのにどう定義したらいいかなと思って名付けたものでした。
伊勢
事務職員と、コミュニティコーディネーターとでは、応募時のイメージもだいぶ違ってきそうです。
松本
実際にこれまでIT関係のマネジメントや、編集者や国家公務員などさまざまな経歴の方がジョインしています。すると、それぞれの経験を活かして子どもや保護者や街の方の話を解釈できたりして、発言の解像度が上がりますし、外部との協働もしやすくなる。この職務の点も、ダイバーシティの担保につながっています。
藤川
それこそ、園が小さな街のようですね。どんな仕事も多かれ少なかれ人にかかわるから、資格職とはまた違う観点で子どもに関与できる。これも、街にひらく一環になっているのだなと思いました。
松本
そうですね。様々な形で参加のデザインができるといいなと思っています。子どもの視点だと全部が地続きなので、子どもが街とかかわれば、子どもが街の人と親をつないでくれるし、子どもがいるだけで高校生もお年寄りも話しかけてくれることがありますよね。子どもは人がつながる理由になると信じていて、社会はそれをもっと生かせると良いなと思います。もちろん、それが嫌な人もいるので押しつけはしませんが、可能性は大きいです。
神長
保育や幼児教育の選択肢も昨今増えて、親としては迷うこともあります。これからの子どもの環境について、何が大切だと思われますか?
松本
前提として、選択肢はたくさんあっていいと思うので、それぞれの園が大事にすることや特色が、もっと透明性を持って発信されるといいですね。
その上で、まちの保育園・こども園の運営者として、また親としても、やはり「子どもが主語でありたい」とずっと思っています。子どものためにと親や大人が何でも環境を用意するのではなく、子ども自身が「自分たちはどんな環境がいいか、どんな環境を築けるか」を考えられるようにしたい。そして、子どもを主語にする軸で今の保育や幼児教育を再考すると、先の職務だったり人数といった大人のかかわり方も、もっとやりようがあると思います。
ただ、社会を俯瞰して全体が大きく変わるには、それこそ社会的なムーブメントが起こる必要があります。それには時間も制度的な改変も要します。その点で外部との協働を地道に進め、気づいたことを社会と共有し、共創していけたらと考えています。
直近では、まちの研究所として石川県の加賀市と包括連携協定を結びました。加賀市は23年1月に学校教育ビジョンを刷新し、それと連動して未就学児の保育・教育の改革も進めています。その中でレッジョ・エミリア・アプローチに共感されたことが背景にあります。他にも、冒頭に紹介した渋谷区との協働や、東京大学大学院教育学研究科とも、2018年から保育と教育実践の研究において連携しています。
伊勢
では、5年後、10年後、どんなふうにしていきたいとお考えでしょうか。
松本
基本は、私たちの拠点である園の子どもたちとの日々、コミュニティでの日々を大事にしたいです。直近では、放課後を過ごせる学童的な場所の要望を聞いているので、別途構想しているところです。
並行して、先のような自治体や大学と一緒に“耕して”みて、得た知見を社会に還元して新たな価値をつくる、価値創造の循環を促していきたいです。その一つとして、千葉工業大学学長の伊藤穰一さんとNPO法人を立ち上げ、多様性と創造性に開かれたオルタナティブスクール(ニューロタイプや障がいの有無に関わらず、すべての子どもたちがともに学べるスクール)「ニューロダイバーシティ・スクール・イン 東京」という学校を9月に開校する予定で準備を進めています。この「まちの保育園 南青山」と同じビルにできるんです。こういったゼロイチの挑戦も、丁寧にやっていきたい。ミクロな視点は大事ですが、そこだけで完結せず、ソーシャルインパクトにもっと意識的にならないといけないと思います。そして、子どもの環境を一緒につくりたいと思ってくださる方々と、また新たな共創を進めたいです。
街ぐるみのコミュニティが発展して、保護者の方々も自然に参加して喜び合う、子どもだけでなく自身の幸せにもつながる……というのが暮らしの場での豊かさだと考えています。そのような地域のウェルビーイングの拠点に、保育園や幼稚園、学校がなっていくといいなと思い描いています。
伊勢
それが、街に開くということですね。そのとき、子どもにとって保育園や幼稚園はどんな存在になるのでしょうか?
松本
そうですね、そんなに特別じゃなくて、「あったらうれしい場所」みたいな感じですかね。好きな本屋さんやパン屋さんが生活圏にあると、立ち寄るうちに、そこに行くことが自分にとって意味があるように感じていく。気軽だけど、行くと幸せになれるような場所のイメージです。
学んだり育ったりというのは常に感情とともにあるので、感情がいつもそこにある場、自分の感情を受け止めてくれる場が、地域の中にあることが大事な気がしています。
「こどもの視点だと全部が地続き」
子育てのこと、教育のこと、地域のことなど、我々は何かと分けて専門的に考えがちです。一方で、子どもがきっかけでご近所の方々と仲良くなったり、今までしたことないことを経験したりと、子どもを中心にしながら親も世界が拡がっていくこともたくさんあります。子どもに導かれて、周りの大人が変わっていってもいいんだと、気づかせてくれた松本さんとの対談でした。(伊勢)
「一緒に新しいことを経験したい。」
まちのこども園で「人がどう音に出会っていくか」をサウンドアーティストの方が体験されたお話がとても印象的でした。子どものことを想うあまり、つい、子どものためにと先回りして環境を整えてしまうことがあります。それは、彼らの創造性と同時に、私たち大人の創造性をも限定してしまっていたのかもしれません。住んでいる町を子供の視点で一緒に見たら、知らなかった新しいことに出会えそうな、これからの子どもとの日々が楽しみになるお話でした。(藤川)
「こどもの考えを大切に」
“世界は自分たちで変えられるという実感をつかんでほしい”というお話が心に響きました。こどもが自分の考えを自由に持つことができるというとてもシンプルなことが、将来のこどもの揺るがない自信の根っこになっていくと感じました。こどものアイデアや考えに大人ものっかって、一緒に膨らませていけたら、大人にとってもワクワクする楽しい毎日になっていきそうな、とても前向きになれる対談でした。(神長)
「名前を変えてみることで広がる世界がある」
保育園の事務職員のポジションを「コミュニティコーディネーター」という職種名で人材募集をかけたところ、今まで集まらなかったような様々な経歴をもった、保育の場に新しい風を吹かせてくれる意欲的な人材が集まって、実際に保育の現場での取り組みの幅や視点が広がったというお話が非常に印象的でした。また「ドキュメンテーション」を導入して、保育の振り返りと次へのアクションをアウトプットしていくことを習慣化していくことで、アウトプットの時間があるからこそより日頃の保育の時間への意識の濃度が上がるということも、私たちの現業にもつながるお話で納得度が高かったです。様々な取り組みを通じて、保育園は規定では保育が目的の場ですが、ひとりひとりの個性を伸ばしていく場として機能していることがとても素晴らしく魅力的でした。(用丸)
1980年生。2003年一橋大学商学部卒業。博報堂、企業経営を経て、2011年、「まちの保育園 小竹向原」創設。現在、都内6拠点にて「まちの保育園・こども園」を運営。世界140ヵ国と学びのネットワークを形成するレッジョ・エミリア・アプローチの日本組織「JIREA」の代表も勤める。また、姉妹会社に「まちの研究所株式会社」(保育・教育・まちづくりのデザインコンサルティング会社)を持ち、子どもの環境を、自治体・企業・NPO・アーティスト・科学者等、あらゆる社会の主体と共創することを試みている。
博報堂こそだて家族研究所は、子育てに正解はなく選択肢が無数にあるこの時代に「こそだて家族」のこれからの姿を研究・調査・情報発信を行うプロジェクトです。現役のパパママ世代が中心となり、クリエイター、ストラテジックプラナー、PRプラナー、メディアプラナーなど、多様なスキルを持つスタッフが所属しています。「小学生の子を持つファミリー」を中心としながら、マタニティから大学生の子を持つファミリーまで幅広いこそだて家族を対象としたマーケティング&コミュニケーションの専門家として、新しい視点や考え方の提案を行っています。
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