スマートフォンやソーシャルメディアに象徴されるデジタル化の進展で、収集できる情報量が爆発的に増加した。ビッグデータの時代だ。マーケティング部門と情報システム部門が接近し、企業にとって最も重要な価値創造の業務に当たろうとしている。

 

<このコラムについて>

「価値創造責任者が企業を伸ばす」ando

イ ンターネット時代を迎え、ICT(情報通信技術)と融合するなかで、マーケティングは新たな時代を迎えて、企業の成長を左右するものとしての重要性を増し ている。マーケティングの世界で今起こっている変革と、新たな時代を勝ち抜くためのCMO(最高マーケティング責任者)の重要性を説く。
(2012年6月~7月に日経ビジネスオンラインにて連載された内容です)

 著者:安藤 元博(あんどう もとひろ)
 博報堂 エンゲージメントプロデュース局 局長代理
 エグゼクティブマーケティングディレクター

第1回「マーケティングは死んだのか」上
第2回「2つのSが取り戻す『マーケティングの本来』」
→第3回「『ビッグデータ』で何ができるのか―ここにあるマーケティングの未来」

 

1.「情報」は誰が扱うのか?

マーケティング部門は、企業の中で「何を」扱っているのだろうか。製造部門は原材料を、販売部門はできあがった商品を、人事部門は人を扱う。そういう意味では、マーケティング部門が扱っているのは「情報」だといえるかもしれない。

市場の動きやブランド指標、流通現場での状勢、競合および自社の施策とそれに対する反応、販売やシェア、最近ではWeb上での生活者の動きやソーシャル メディアでの発話など、質の異なる多様なデータが集められ、整理され、分析される。これらはすべて「情報」である。マーケティングとはこういった情報を使った、広い意味での顧客との対話による価値創造を指す。

逆に言えば、データから不断に学び、次に生かすというサイクルが存在していないなら、マーケティングではない。誤解のないように書くが、データとは必ずしも調査結果だけを指しているわけではない。市場や顧客からの様々なフィードバックを通じた対話が価値の創造をもたらす。

と、ここまで考えてきところでふと気付く。企業にはもう一つ、「情報」を専門に扱っているセクションがある。その名の通り「情報システム部門」だ。こちらは一般には、「基幹系」といわれる社内の情報を扱ってきた。

この部門のトップをCIO(Chief Information Officer、最高情報責任者)と呼ぶこともある。この言葉は、少なくとも表面的には、企業がかかわる情報のすべてを統括するリーダー、というニュアンスを持つ。

情報は企業活動の生命線だ。だからこそCIOを「Chief Innovation Officer」すなわち最高イノベーション責任者、と読み替える向きもある。

ただ公平に見ても、情報システム部門が企業にとって重要なすべての「情報」を統括してきたとは言えないだろう。マーケティングで扱う情報と、情報システム部門が扱う情報。同じ言葉でありながら、これまでは平行線をたどってきた。

 

2.マーケティング部門vs.情報システム部門?

同じ情報を扱っていることだけを考えれば、マーケティング部門と情報システム部門の協働・連携、あるいは組織を統合しても不思議はないように思える。だが現実は異なる。

マーケティング部門から見た場合、情報システム部門と協働しようとしない理由は2つある、という話を耳にしたことがある。「情報システム部門の使う独特 の言葉遣いのためコミュニケーションが難しい」上に、「情報システム部門が自社のビジネスを理解していない」からというものだ。

これは一方的な見方で、公正に見て偏見といっていいだろう。だがともあれ、これらの見方からは、社内で同じ情報を扱っているのにもかかわらず両者の間に 大きな溝があったことを感じさせる。一般に「CMO(Chief Marketing Officer、最高マーケティング責任者)」とCIOは不仲だった、ということだろう。従来は特に問題もなかった。

ところが環境が変わった。デジタル化の波が、企業にとって最も重要な市場や生活者との接点のありようを変えたのだ。情報の流れや量が大きく変化している。

例えばスマートフォン。24時間生活者に密着しているので、持ち主がどこにいるかを発信し続けることが可能だ。これは人の動線を可視化する。

そこに、持ち主の関心や興味を持った情報、リアクションと組み合わせることができれば、どんな人が、何を嗜好し、どう動いたかが分かるかも知れない。従来、全く得る手段がなかった貴重な情報の塊をつかむことができるようになる。

例えばソーシャルメディア。生活者の間で交わされる自社や競合の商品・サービスに関する肯定・否定を含めた膨大な会話が可視化できる。マーケティングの歴史にこれまでなかったことだ。

 

3.近づく2つの部門

これだけではない。以前は広報もしくはお客様相談室、サポートセンターが対応していたようなトラブル、セールス部門が収集してきたような店頭の様子、人事部門が対応していたようなリクルートの動きなど、ありとあらゆる情報がひとところに集まってくる。

企業が決めた部門の枠を超え、情報が提供されてしまうのだ。もちろん、膨大で脈絡のない言葉をぼんやり眺めているだけでは使える情報にはならないので、データの量と質への対応技術は不可欠であるが。

以上の変化はすべてデジタル世界の中で起こっている。デジタルは異なる種類の情報を一元的に扱う際のハードルを下げる。デジタルの情報は組織や慣習の垣根を、好むと好まざるとにかかわらず超えていく。

質の異なる多様な情報の組み合わせが、新たな価値創造の苗床となる。これはそもそも、マーケティングが理想としていることのはずだ。

情報システム部門とマーケティング部門が混じり合うことがなかったのは、同じ情報といってもそれを得る手段、扱う手段が異なっていたからだ。手段の違いは価値観のギャップを生む。

マーケティング部門からすれば「システムはうちの会社のビジネスをわかっていない」。システム部門からすれば「マーケティングにはうちの言葉が通じない」というすれ違いが現実には生まれたのだろう。

だが、こういった状態のままではせっかくのデジタル化の恩恵を十分に受けることができなくなる可能性がある。マーケティングの理想、への回り道になってしまうかもしれない。

 

4.急速に普及するビッグデータ

「ビッグデータ」ほど急速に普及した言葉もあまりないだろう。IT(情報技術)分野の専門用語が、瞬く間にマーケティングにかかわるあらゆる関係者の間 で日々語られるキーワードになった。こういう類の言葉を「バズワード」と呼ぶこともある。新しモノ好きの業界を揶揄する見方もあるかもしれない。

ただ、少なくともマーケティングにおけるビッグデータは、一過性のものとして終わりそうにはない、と筆者は考えている。「価値創造」という、マーケティングの王道の概念を含んでいるからだ。

今さらだが、ビッグデータとはこれまでのようなデータベース管理では取り扱うことができない極めて大量のデータ、といった意味だ。精密な定義論はさておき、ではマーケティングにとっての「極めて大量のデータ」とは何かを考えてみよう。

ここでは、自社の実行施策と評価について見てみる。キャンペーンを評価して(データを取って)、次回の企画に生かす、これなら自分の会社でもやっている という方も多いだろう。キャンペーン認知○%、購入意向アップは○%、などなどだ。これをもって施策の善し悪しを事後評価する。従来のマーケティング部門が考えるデータの活用とはこういうものだろう。

 

5.マーケティングの過程が変わる

だが敢えて問おう。「単に良い施策」とか「単に悪い施策」などというものが本当に存在するのだろうか。

同じ施策でも反応は人によって違う。良い人もいれば悪い人もいるのだ。全体としては良くても、重要なある顧客グループの反応が悪い、ということもあるかもしれない。であるなら、ただちに何らかのフォローを実施しなければならないかもしれない。

キャンペーンが終わった後の調査のまた後、ではもう遅い。悪いとわかればただちに施策を打たなければ、大事な顧客を失ってしまうだろう。こういうことを可能にするには、個々の顧客の動きを日々、つぶさに追わなければならない。

例えばもし会員化などで顧客とのリレーションが築けていれば、比較的容易にできる可能性がある。ただし用いるべきデータは、施策の事後評価調査とは量も対応速度もまるで違う、ということになる。

これは、従来のマスマーケティングにあったコミュニケーションの「ターゲット」や「コアメッセージ」の考え方が変わることを意味する。あらかじめ決められたターゲット層や固定的なメッセージはあまり意味をなさなくなるだろう。常にアップデートされる対象層とそれぞれに最適な施策の継続的な改善が、これにとって代わることになる。

この過程全体こそが、市場との、生活者との対話による「価値創造」だ。

ここまで挙げたのは、ほんの一例にすぎない。本当はマーケティングに必要だが獲得しようがなかったデータはいくらでもある。

自社商品や自社の施策に対する一人ひとりの顧客の反応や購買動向だけではない。ターゲット生活者は日々、何に関心を持ち、Web上あるいはリアルで実際にどんな行動をし、どんな刺激を受け、何を会話し、何を買っているのか。

これをビビッドに語ることができる可能性が高まっている。ただそれらの情報は全体としては膨大な量になるために、仮に数値などの構造化されたデータで あっても、これまでの延長では扱うことが事実上不可能だ。さらに発言や動線などそのままでは構造的なデータとして扱えないものもある。

巨大で種類の異なるデータを格納し、必要なときに取り出し、分析し、可視化する。これを技術的に解決できる状況の到来を指し示すのが「ビッグデータ」という言葉である。

 

6.マーケティングにとっての「ビッグデータ」

ビッグデータにはいくつかの側面がある。企業経営の効率化の推進という点でとらえることもできるだろう。効率化という概念は一般に情報システム部門と相性がいい。どちらかといえば「守り」のビッグデータ、と言えるかもしれない。

本連載で注目したいのは、マーケティングが扱ってきた情報の量と質が変わることによって、従来は得ることができなかった「価値創造」が可能になる、ということである。いわば「攻め」のビッグデータだ。

冒頭に、マーケティングは企業の中で何を扱うのか、という問いを立てた。答えを情報としてみたが、ひょっとすると一般的な答えではなかったかもしれない。「情報を扱う仕事だ」ということを意識しないまま、マーケティングは進んできたのかもしれない。

素直に考えてみれば、そもそもマーケティングは無数の情報の渦から価値を生みだす仕事だ。市場動向、競合の動き、生活者の意識、自社の施策への反応、結果としての販売やシェア、これらの活動の蓄積としてのブランド指標。マーケティング戦略の立案とは、不断の価値創造を目指して、多様な情報の糸から顧客との間に太く強い一本の絆を紡ぐ営みにほかならない。

マーケティングにとってのビッグデータは新しい価値創造が飛び出す「打ち出の小槌」ではないが、ビッグデータが、この営みの質を飛躍的に進めることは間違いない。

忘れてならないのは、たとえ「スモールデータ」であれ、価値を生むための市場、生活者との対話は可能だということだ。対話自体はデータの種類や技術に寄らず属人的な営みである。ビッグデータによる価値創造は、いつか可能になる理想郷の出来事ではない。ビッグデータの未来は、いまここにある課題に対する日々の、地道なスモールデータとの付き合いと地続きなものだ。

 

7.再浮上するマーケティングダッシュボード

言うまでもなく、デジタル化がいかに進もうとも、戦略を紡ぐのは人間である。ビッグデータ時代であっても変わらない。

シンセサイザーができても楽曲をつくるのは作曲家だし、コンピュータグラフィクスがあっても絵を描くのはアーティストやデザイナーなのだ。ビッグデータがいかに進化しても、マーケターの力が最後にはものをいうことはいうまでもない。

部署・部門が違えば、どのような情報が生まれているのかわからないといったことが、現在の企業では日常茶飯事のはずだ。何があるのかリアルタイムにわからなければビジネスには使えない。

使えない情報は情報としての意味を持たない。デジタル化は新たに多くの有益なデータを生んでいくが、これまでもデータは自社にあり余るほどあったかも知 れない。適切な処理方法がない、あるいは縦割りの組織の弊害によって、使われずに捨てられたり、実効性があるタイミングで流通せずに次の施策に生かすことができなかった、ということだ。

のみならず、人間が一時に扱い思考の対象にできる情報はさほど多くない。敢えて言えば、情報は「見栄え」も大事だ。誰でも見る気になる、誰もがアイデアを導きだしたくなるような加工こそがデータを生かすのだ。

アイデアを生み、判断を導き、人を動かしてはじめて情報は、情報となる。可視化は情報の付属物ではなく本質である。

ソースや種類が異なる情報が一覧でき、相互の関係の明示のもとに誰もが共有し誤解なく討議できるフォーマット、必要に応じて深掘りできたり、逆に膨大な データの肝要な点だけを浮き彫りしたりできるようなレイヤー、変化が見えやすくかつリアルタイムに反映される仕組み。こういった基盤があってはじめて、大量のデータが生きた情報になっていく。

膨大なデータを可視化するこのようなツールを「マーケティングダッシュボード」という。考え方自体は、マーケティングの歴史の中で必ずしも新しいものではない。

だが、デジタル化とビッグデータの時代になって、重要性が改めて浮かび上がっている。情報を一元的に扱い価値を創造する「価値創造責任チーム」にとっては最も基本的な道具となる。

 

8.「価値創造責任者」の姿

デジタルによって一元化される情報への対応は、必然的にシステム化と結びつく。情報システム部門の役割は効率化だけでなく「価値創造」というテーマにまで広がる。情報システム部門とマーケティング部門の接近、協働への期待が大きくなる。

顧客や生活者の動きと自社のサービスとのかかわりについてのあらゆる情報を一元化できるならば、継続的に取り扱う基盤を創ろうという流れが出てくるのは当然のことだろう。「マーケティングプラットフォーム」である。

マーケティングプラットフォームのような舞台の上では、情報から価値を生むという営みが課題としてくっきりと浮かび上がる。情報システムとマーケティン グの融合、CIOとCMOの接近。これこそが、本連載で追及してきた「価値創造責任チーム」あるいは「価値創造責任者」の姿である。(図)

歴史的に見て、社会の高度情報化は企業行動の必要条件を変えてきた。企業にとっての主要テーマは一般にQC(品質管理)からプロセスマネジメントを経て、CoP(実践するコミュニティ)へと変化しているという見方がある。

端的にいえば「確かな前提」「明示的な目標」に向かって努力すればよかった時代から、「自分たちにとっての他者=生活者がすべてを決める時代」において「見えない答え」「不確かさ」に向かって進化し続けることが必要なっているのだ。

不断に試行錯誤を繰り返し、失敗から学び、次の成功モデルを導き続けるというチャレンジ。企業にとってデータとは過去の記録という側面が強かったが、新しい環境下では未来を予測し、未来をいかに創るかという情報活用に重点が置かれることになる。ビッグデータは未来に開かれている。

これまで情報は、企業と生活者とのさまざまな接点に分散し、一元化されることがなかった。情報は必ずしも次の企業の成長を牽引するという動的な役割を帯びることが少なかったかもしれない。

だが、デジタル化が状況を変える。広い意味での生活者との対話が情報の束となり企業と生活者との間をつなぎ、豊かな価値創造を誘発する。

情報技術の進化が「価値創造責任者」の必要性に光を当てる。その役割は企業の成長にとって本質的であり、かつ、ますます大きくなっている。

 


初出:「日経ビジネスオンライン」連載「価値創造責任者が企業を伸ばす」2012年7月9日
第3回 「ビッグデータ」で何ができるのか ―ここにあるマーケティングの未来
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120704/234106/

 
 
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