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【ソロ社会2019】
既婚者も他人事じゃない“独身5割”社会。そんな「ソロ社会」を生き抜く鍵は、「人とつながる力」

2019.05.30
#ソロもんLABO
2040年、日本は独身者が5割、ひとり暮らしが4割となると推計されており、それは従来日本にあった経済構造とコミュニティ構造を根本的に変えていくことにつながります。その時、どんな影響が私たちの生活にあるのでしょうか?また、対処法はあるのでしょうか?
2017年に著書『超ソロ社会-「独身大国・日本」の衝撃』が国内外で話題となり、独身研究家としてメディアで活躍中の博報堂ソロもんラボ(独身生活研究ラボ)のリーダー荒川和久に、話を聞きました。

この10年間に「ソロ社会」というものへの受け止められ方に変化はありましたか?

ソロ社会に対するへの人々の認知と理解は高まってきたように思います
「生涯未婚率」という言葉が世に広まったのは、男性の生涯未婚率がはじめて20%を超えた2010年の国勢調査以降でしたが、まだその頃は“生涯未婚者”はごく一部の特殊な人たち“という受け止められ方をしていました。僕が2013年に「ソロ男プロジェクト」を社内で立ち上げた頃も、「生涯未婚」はまだどちらかというと笑いのネタになるような感じでしたよ。
しかし、その後も未婚率は増加の一途をたどり、2015年には男23.4%、女14.1%が生涯未婚となりました。そして、つい最近5月には、「生涯未婚率」という呼称をやめて「50歳時未婚率」と変更することが政府から発表されました。同時に、単身世帯も全世帯構成の3分の1を超え(※1)2018年には、「2040年に一人暮らしが約4割になる」という将来推計が発表されました(※2)。東京都に限れば単身世帯率は47%です。離死別含む独身・一人暮らしがマジョリティになり、一方で、「夫婦と子世帯」は2040年には23%にまで激減します。かつて標準世帯(夫婦+子ども二人)と呼ばれた「家族」の形態が徐々に消えつつあるのです。
(※1 2015年総務省「国勢調査」)(※2国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』2018年推計)

こうした構造変化が平成の30年間に起こっています。1980年代まで日本はほぼ全員が結婚する皆婚社会でした。結婚して子どもを二人生み育てるのが当たり前だったわけですね。しかし、もはや未婚化・非婚化・少子高齢化、それに伴う人口減少は不可避です。今更、出生率が改善されたところで大きな変化は望めません。我々が考えていかないといけないのは、そうした不可避な現実から目をそむけず、「個人化する社会」に向けての適応戦略だと思います。

ソロと家族が分断・対立する構造も不毛です。にも関わらず、SNSなどでは次のような対立構造をよく見かけます。家族がソロに対して「生涯独身者がどう生きようと構わないが、老人になった独身達を面倒見るのは自分の子供たちというのが腹立たしい」と言えば、ソロもまた「独身だから何の控除もなくて、働いて得た税金を既婚者より多くとられ、あげくの果て見ず知らずの子どもにそのお金が使われるの?」と応酬する。本当に意味のない対立です。

日本の現状を考えると、独身者と既婚者は対立している場合ではないですよね?

大事なのは、社会において、支える側と支えられる側とのバランスの問題です。このまま確実に高齢者人口は増え、15-64歳までの生産人口という従来の概念だけでは支えきれないことは明白です。しかし、これだけ平均寿命が延びている中、昔の65歳と今の65歳は一緒ではありません。またまだ現役で働きたい高齢者もたくさんいます。視点を変えてみることです。生産人口が65歳の高齢者を支える社会ではなく、すべての働く大人たちが子どもたち含む働けない人たちを支える社会へとする。これは、有業人口依存指数と言いますが、僕の試算によれば、今後有業者一人が無業者一人を支えていけばいいことになります。結婚していようがいまいが、子がいようがいまいが、これからは働く人が働けない誰かを一人支えていくという構造にパラダイム転換しないといけません。。

ソロであっても、家族であってもお互いの環境、立場においてひとりひとりが一生懸命生きて、自分が社会に対して何ができるか考え、実行すれば、それが巡り巡って、結果見ず知らずの誰かの為になっている。それがお互い様の精神だと思うんです。ソロが自分のためにする趣味などの消費も、経済を回す重要な役割を果たしているんですから。
ソロと家族が対立する意味はない。血はつながっていなくても、同居していなくても、結果として互いに助け合える、思いがつながる「拡張家族」的な流れになっていってほしいと思います。

4月8日に発行された荒川さんの著書「ソロエコノミーの襲来」では、「所属するコミュニティから接続するコミュニティ」へと変革することの重要性が述べられています。「接続するコミュニティ」とは?

今までのコミュニティというのは、地域・職場・家族といった、「人々の居場所」でした。その居場所に所属していることで、人々は安心感が得られたわけです。だからこそかつてのコミュニティは「ウチとソト」の境界線を明確化していました。不安定で流動的な「個人化する社会」の中で所属の安心が失われていきます。。
これからは、枠の中に自分を置いて「群の一員」になるのではなく、個人と個人がさまざまな自由な形でゆるくつながる「接続するコミュニティ」を増やすことこそが、求められてくると思います。
その接続はネットでもリアルでも、間接でも直接でもいい。そしてそのつながりを増やしていくと、人は自分自身の中の多様性に気づき、新たな自分を生み出すことになります。自分自身をアップデートすることができる。気心の知りたいつものメンバーと絆を深めていても、それでは安心感は得られますが、自分を更新する機会にはなりえません。
僕は、本の中でも提唱していますが、今後はソロも家族も関係なく、ひとりひとりが「ソロで生きる力」を身につけた方がいいと思っています。「ソロで生きる力」とは、無人島で孤独でも生き抜くサバイバル力のことではなく、逆説的ですが、「さまざまな人たちと接続していく力」だと思っています。そして、それがもっとも必要なのはもしかしたら既婚者の方々かもしれません。既婚者もいつかは、配偶者との離別死別などでソロに戻る可能性があるわけですから。

たしかにさまざまな人とつながり、「沢山の自分」を蓄積することで内面が豊かになり、孤独にも強くなれるような気がします。でも、具体的にはどんなことをすればよいですか?

自己啓発セミナーにありがちな「趣味を持とう」とか「友達を作ろう」とかでは意味ありません。それでは、別の「所属するコミュニティ」を増やしただけですから。そうではなく、新しい人と出会い、接続し、お話をするということです。外に出て行って、散歩でも旅行でも買い物でも飲み屋でも何でもいいんです。そこで会った人たちと話す。とにかく誰かとしゃべればいいんですよ。でもこれがなかなかできない。名刺交換なしに、または、仕事の話なしに、初対面の人とお話できる男性は本当に少ないものです。話をするのが苦手なら、いろんなジャンルの本と接続するのもありです。それを書いた著者と自分の内面が響きあいますからね。そして読むだけで終わりにせず、読んだらレビューを書く。そうすれば同じ本を読んだ人たちとしゃべりに行く動機づけになります。今は、ネットを探せばそういう読書サロンやら読書会がいくらでも見つかります。同じ著者が好きだという人に会いに行って話をしてみてください。とても楽しいはずです。
音楽も同じです。それこそ世代を超えて、つながりが作れます。映画「ボヘミアン・ラプソディ」で衝撃を受けてQueenの大ファンになった高校生とリアルタイム世代の50代が一緒に話して楽しんだりしています。

どんな人でもどんなテーマでもいいのですね? とにかく、人と会う、しゃべる。

そう、何だっていいんです、誰だっていいんですよ。共感し合うことが大事なのではありません。むしろ、人と接した時に抱く違和感の方がとても重要です。たとえばお話した誰かに対して無茶苦茶むかついたとしても、そんな自分も「新たな自分」として認め、たくさんいる自分の中の一人として蓄積してください。唯一無二のアイデンティティなんかに縛られるから、自分で自分を窮屈にしてしまうんです。人間は一色ではありません。一人十色の彩りを持つ多様な自分こそが、超ソロ社会を生き抜く柔軟性であり、力であり、あなたを支えるものなんです。
よく孤独を極度に怖れる人がいますが、それは自分の中に自分が一人しかいない証拠です。孤独に苦しむのは「自分の中の自分が足りない」からですから。

荒川さんがリーダーを務める博報堂の「ソロもんラボ」。今年のテーマはなんですか?

ソロもんラボは、1年ごとに別にテーマを変えるようなことはしません。2035~2040年、その先の2100年にかけて、世界でおきてくるはずの「ソロ社会」及び「ソロ活経済圏」への構造変化を把握し、ソロ生活者が増えていくことが世界中にどのような影響を及ぼすかを追い続けていくラボなんです。
また、ソロ生活者の消費の原動力、価値観など、今後の企業のマーケティング活動に必要な視点をご提供していきます。

「超ソロ国家」日本。そこに静かに到来したソロエコノミー(独身者を中心とした経済社会)を、荒川和久が徹底分析しています。amazon

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