成功を収めている多様な起業家の体験分析から導き出された「エフェクチュエーション理論」。2008年に発表され、日本でも2015年の出版以来ビジネスパーソンの熱い注目を集めている。既存のマーケティング理論とは全く違う観点でソリューションの可能性を探るこの新理論は、企業経営、戦略策定にどんな未来をもたらすのか。『エフェクチュエーション―市場創造の実効理論』の著者サラス・サラスバシー氏を迎え、その核心に迫った。
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エフェクチュエーション導入の課題と可能性

安藤 既存の企業のマーケティングでエフェクチュエーションが使われるには、ハードルもあるように思います。決定プロセスにおいて、説明責任が大きく問われる。既存の企業には非常に多くのステークホルダーがいて、その人たちをオーケストレートして一つの方向に向かわせるには、説明力ということがとても重要になっています。そしてこの「説明力」は「市場環境は予測可能である」という与件のもとに作られる膨大な資料の山に宿る、という考え方も少なくない。むしろそれこそがマーケティングの根幹だ、というふうに捉えられている面すらあるかもしれません。このような因果論的なモデルは、説明責任ということと相性がいい。
しかし個人的には、それは必ずしもマーケティングの本質ではないと思うのです。そして、それが理解されていないから企業のマーケティングでエフェクチュエーション的な考え方がなかなかうまく使われないのではないか。その辺り、どうお考えですか?

サラスバシー その仮説は正しいと思います。ではなぜエフェクチュエーションでなく「コーゼーション=因果論」モデルが使われるか。その答えは、因果論は教育され、認知されているからです。MBAで習ったからです。何かを承認するとき、市場規模は?成長率は?競争環境は? こういったことをきくという習慣が染み付いているからです。
けれども、エフェクチュエーションのトレーニングはされていません。なぜそれを使うことが、そんなに難しいのか。それはエフェクチュエーションというフレームワークが浸透していないからです。しかし、それは教育していくことが可能だと思います。許容可能な損失予算、リターンを期待する予算のふたつをちゃんと使い分けるようなバジェットも考えらえるはずなのです。こういう概念を浸透させるためには、新しく適切な言葉を考えねばなりませんね。パイロット予算?それとも探索予算? 概念を形にして、人々がそれを身につけるように教育しなければなりません。
また、企業側は何でもいいから計測可能な数字が欲しいわけです。計測可能なものがあれば予算が出るわけです。同時に許容可能な損失予算として適切なサイズなのかどうかということを計るための物差しも必要なのです。

安藤 なるほど。チャレンジングですが非常に面白いテーマです。そうした取り組みを広げていくにあたって、なぜそれが必要なのか、をもう少し掘り下げておきたいと思います。
サラスバシー教授は、ノーベル経済学賞を受賞した情報科学や経営学の大家であるハーバート・サイモン教授とのつながりがおありですね。サイモン教授は人間の「限定合理性」という問題を扱われている。人の意思決定に際しての情報処理には限界がある、つまり何かを決めようとするとき、あらゆることを合理的に検討して決めている、というわけではない。ですが一方で、経済学もマーケティングのモデルも主流は因果論で、プレーヤーは判断に際して必要な全てが分かっている、もしくは分かることができる、ということを前提としたような考え方になっています。
私は、主流の経済学の前提、すなわちモノの価値はあらかじめ決まっていて、生産者も受け手もその価値を分かった上でベストな需要と供給の接点を見つけるのだという考え方は、実際の市場で起こっていることとは違う、と思うわけです。モノの価値というのは、受け手も、送り手も、実はよく分かっていない。市場で実際に起こっているのは、この商品の価値って一体何だろうという「受け手と送り手の双方からの探り合い」だと考えるべきなんじゃないか。経済のデジタル化はあらゆる商品の「サービス化」の進展をともない、結果こうした側面は今後ますます強まっていくはずです。モノの価値自体が所与ではないわけですから、静的な「市場」があるということを前提にしてモデルをつくっているマーケティングにはそもそも無理がある。そう考えた場合、それに対応する新しい理論を確立するべきではないかと思うのです。それが、広告会社の立場からマーケティングの現場に携わっている自分たちの仕事の責務なんじゃないかと感じています。

サラスバシー おっしゃる通りですね。同感です。通常、需給のバランス、クロスポイントを考えるわけですが、その際、需要と供給は独立していると前提されています。需要者はモノの価値を自分で決める。そして最近のテクノロジーの加速度的な進化前までは、その価値が合意できたところで商売が成り立つと考えられてきましたが、実は、需要者自身にも判断の基準ははっきり分かっていない。値段はいくらが妥当なのか分からないということです。供給者もいくらが妥当か分かっていなくて、消費者も何がいくらで欲しいかなんてあらかじめ分かっているわけではない。いろんなものがミックスされて、相互的に作用し、取引を構築しているわけです。だから需給の両サイドがお互いにコミュニケーションをするスピードを加速させなければいけないと思います。このことを起業家はコ・クリエーションと呼んでいるのだと思います。

安藤 そのスピードの加速ということに関して言うと、昨今のデジタル技術の進展とエフェクチュエーションには密接な関係があると思います。

サラスバシー まず認識すべきなのは、デジタルテクノロジー時代になって、かつてないほど将来は予測不可能になったということですね。

安藤 まさにそう思います。ところが世の中には、デジタル技術とは世界を「予測可能」にするものだ、という一面的な見方をしてしまう人が多い。もちろんそういう側面もあるのですが、その真逆の世界も飛躍的に大きくなる。これに気付けるかどうかが、デジタル時代に価値創造をできるか否かの分かれ目だと思います。

サラスバシー この時代においては、多くの市場で当然だと思われていたことが覆される。より多くのことが予測可能になってきているにもかかわらず、不確実なものが増え始めているということです。そして物事が変わるスピードが加速しているのです。そこで、デジタルの世界では実践的にエフェクチュエーションが使えなきゃいけないということになるわけです。多くのニッチな市場をつくる機会が増えているということもいえます。大企業はこれまでニッチを見送ってきたけれども、これからはそれを諦めない、という考え方が出てきています。より多くのニッチを見て、そのニッチを縫い合わせることによって、より大きな市場をつくるという考え方です。機会が増えるわけです。

安藤 マーケティングの可能性が広がりますね。最後に、先生の研究は、アメリカを中心として行われてきたと思うのですが、日本の企業の経営者やマーケターへのメッセージをいただけませんか。

サラスバシー ビジネスでもアントレプレナーシップでも、日本人かアメリカ人かなんて関係ないんです。だけどもあえて日本人にフォーカスしてエフェクチュエーションで考えてみると、日本人の手元に何があるのか、ということを知ることから始めるべきだということになります。
日本の企業文化では、例えば、大企業は従業員を大変大切にして、終身雇用だったりとか、クビになったりしないわけです。それを全部捨てて起業家になるべきかというと、そうじゃないんです。そういった大企業がどのようにしてアントレプレナーシップとパートナー関係を築けるのかということを考えていけばいいと思います。そうすると、日本式のモデルを発明することができるかもしれない。例えば、日本の社会、高齢化社会とか、企業文化を考えて、それに合ったモデルをコ・クリエーションしていけばいいということです。今手中にある強みを生かして、変形して何かをつくり出す。エフェクチュエーションを通して、本当に保持しておきたいものは維持しながら、変化すべきを変化させ、何か新しいものをつくり出すわけです。

安藤 日本ではどうしてもアントレプレナーシップがアメリカに比べて醸成されにくいとか、弱いんじゃないかっていう感覚が一般にあるのですが、今みたいなお話を伺うと勇気を与えてもらえます。日本の既存の企業が全く新しいことを始めるということではなくて、まさに自分たちが手元に持っているリソースをどのように生かしていくのかというチャレンジそのものが、エフェクチュエーションの考え方の体現である、ということですね。
本日は貴重で刺激的な対話の時間をいただき、ありがとうございました。

Profile

サラス・サラスバシー
インド生まれ。ボンベイ大学卒(統計学)、カーネギーメロン大学、Ph.D(情報システムとアントレプレナーシップ)。1978年ノーベル経済学受賞者であるハーバート・サイモン教授の最晩年の弟子にあたり、熟達した起業家の意思決定についての研究で博士論文を執筆した。現在、バージニア大学ビジネススクール教授(戦略・倫理・アントレプレナーシップ部門)。MBAプログラムのみならず、博士課程プログラムでは、バージニア大学以外にも、デンマーク、インド、クロアチア、南アフリカでも指導している。

安藤 元博
1988年博報堂入社。ACC(グランプリ)、Asian Marketing Effctivenss(Best Integrated Marketing Campaign)他受賞多数。ACCマーケティングエフェクティブネス、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバル(メディア部門)等の審査員を歴任。著書『マーケティング立国ニッポンへ―デジタル時代、再生のカギはCMO機能』(共著)(日経BP社)等。東京大学大学院・学際情報学府修了(社会情報学)。