成功を収めている多様な起業家の体験分析から導き出された「エフェクチュエーション理論」。2008年に発表され、日本でも2015年の出版以来ビジネスパーソンの熱い注目を集めている。既存のマーケティング理論とは全く違う観点でソリューションの可能性を探るこの新理論は、企業経営、戦略策定にどんな未来をもたらすのか。『エフェクチュエーション―市場創造の実効理論』の著者サラス・サラスバシー氏を迎え、その核心に迫った。

市場とは「コ・クリエーション」の場

安藤 サラスバシー教授のご著書『エフェクチュエーション―市場創造の実効理論』を拝読し、非常に強い感銘を受けました。これは起業家の理論であると同時に、企業のマーケティングの実践に生かすことができる革新的な理論だと感じたのです。実際に先生にお目にかかることを心から楽しみにしていました。

サラスバシー 私もとても楽しみにして来ました。実は日本に来たのはこれが初めてなんです。私の本を翻訳出版していただいた日本という国のみなさんにお会いできてとてもうれしいです。

安藤 本日は、既存の企業のマーケティングにエフェクチュエーションの理論をどう生かすのかをテーマに話し合いたいと思います。まず一番最初にお伺いしたいことは、エフェクチュエーションとマーケティングの関係です。ご著書の中に、コトラー教授のマーケティングモデルと対照されている部分がありますが、マーケティング論としてエフェクチュエーションを捉えた場合、理論的な可能性をどうお考えですか?

サラスバシー エフェクチュエーションというのは、熟練した起業家たちに、「長年の経験や苦労から何を学んだのか」をヒアリングし、認知科学を応用して研究した結果、私が導き出した理論です。つまりアントレプレナーシップから生まれてきた、起業家のための起業の理論です。この研究はアントレプレナーシップに関するビジネスの全ての領域を対象としたもので、マーケティングも含みますし、財務も、採用も、雇用も、リーダーシップも、あるいは危機管理も全てを含みます。
私の研究で見つかった最も面白い点は、市場に対する起業家の態度と考え方です。端的にいえば、市場はあらかじめ存在しているのではなく、形成するものだと考えるということですが、そのときに重要になる概念が「コ・クリエーション(共創)」です。
コトラーの時代から数十年経過した現在、マーケティング理論の世界でもコ・クリエーションは非常に大きなテーマになっており、ここ10年ほど、多くの文献で発表されています。
が、実はマーケティングの教授たちがコ・クリエーションの話をし始める前に、そのコ・クリエーションの概念を鍵として展開されるエフェクチュエーションの理論は既に出来上がっていたのです。熟練した起業家の体験を通じて、市場のコ・クリエーションという概念は既に生まれていた。市場というのは、私たちがコ・クリエーションする場である、という考え方ですね。
コトラーの時代の理論では、狩猟採集民モデル(Hunter-Gatherer Model)と表現され、市場というものはあらかじめ存在していて、その発掘・発見をするのだ、という考え方が主流でした。つまり狩人のように茂みに分け入って、どこに市場があるのかと探していくわけです。獲物を探す、あるいは土地を獲得しに行く。その見返りとして市場・リーダーシップを得るという考え方です。一方、エフェクチュエーションは、「農耕」に近く、畑を耕し水をやり、市場を生み出し成長させるという考え方。
ですから、現在のマーケティングの理論とエフェクチュエーションの関係は、本当に興味深いテーマなのです。エフェクチュエーションは私が自分の想像力で、発案した理論ではありません。私がリサーチを通し発見した、つまり多くの熟練した起業家から教えられた理論なんです。
私たちがかつてビジネススクールで教えていたことの多くは予測モデルでした。コトラーやポーターのモデルがそうであるように、あらかじめ存在していることを前提とした市場での競争戦略とか予測を前提としたマーケティングが話の中心でした。だから私のこの論文は、最初は全く受け入れられませんでした。単に起業家を研究したからといって、今までのマーケティング理論が間違っているかもしれないだなんて、受け入れられなかったのでしょうね。私は何も当時のマーケティングが全て間違っていると言っているのではない、と主張しました。起業家たちは初期段階で予測不可能で不確実な世界からいろんな教訓を学ぶというフェーズが必ずあるということを説明しただけなんです。道具箱がふたつあって、予測可能な場面で使えるモデルと、そうでない場合のものがあると。

安藤 ふたつの道具箱、予測可能な場面で使うモデルが入った道具箱と、それが不可能なときに使う道具箱がある。ふたつ目がエフェクチュエーションであって、両方を使えばいいじゃないかということですね。
ではいつどう使えばいいのか。マーケティングの現場では、むしろ予測不可能なことの方が多いのではないか、という実感もあります。そのあたりは、どのようにお考えですか。

サラスバシー 熟練した起業家は、このふたつの道具箱をいつどう使うかを完全に熟知しています。そのいくつかはケーススタディーから学べますが、まだまだ開発途中のものが多いのが現状です。いくつかのケーススタディーと道具は、www.effectuation.orgで入手可能です。
重要なのは、その場面において将来は本当に予測可能なのか、を判断することです。どうすべきかは、場面によって異なる。例えば飲料メーカーが、どうやって既存の飲料水の売り上げを伸ばせばいいのかという話と、その飲料メーカーが他分野の新商品を出すという話とでは、全然違ってきますよね。既存の商品を伸ばすのか、新しいジャンルの商品を出すのか。前者では、市場は既に確立していると静的に考えれば、100%予測可能ではないにしてもある程度理論的に予測ができる。よって、第一の道具箱が使えます。熟練した起業家は、こう言います。将来が予測可能なのであれば、因果論=コーゼーションが適切だ。だが、予測不可能であればエフェクチュエーションを使うべきだと。そして、もし将来が予測可能か不可能かの判断ができない場合でも、エフェクチュエーションが使えます。考えてみてください、もし仮に市場が存在し、予測可能だと判断したものの、実際は市場が存在しなかった場合、その間違いによる損失は非常に大きなものとなります。一方、誤って将来は予測不可能と考えエフェクチュエーションを使い、実際は予測可能だった場合は、以下のふたつの結果のうちいずれかが起こります。あなたはすぐに市場は想定していたよりも予測可能であることに気が付くか、新たな市場をコ・クリエーションするかといういずれかの結果です。この場合、予測可能な市場を逃したかもしれませんが、予測し得なかった新たな市場を手にしたことになります。万が一両方の市場を逃した場合にでも、後に触れますが、エフェクチュエーションにおいては、損失はあなたが決めた許容可能範囲にとどまります。熟練した起業家たちが、市場が予測可能か否かを判断できない時には、市場は予測不可能と見なしエフェクチュエーションを使うべきだという理由がここにあります。

予測不能な世界にどう対峙するか

安藤 不安定・不確実なものを、確実な方向に持っていく過程、ということになるのでしょうか。

サラスバシー というよりも、不確実な環境の中に、比較的安定した予測可能な世界を局地的に作ろうとしているということだと思います。
エフェクチュエーションの考え方というのは、例えば「まず手元にある手段から考え始める」というものです。そして、協業する意思のある人と協業します。たとえ多くのリソースを持っていたとしても、協業する意思のない人たちを追いかけることに多くの時間と労力を使うことはしません。私が安藤さんと仕事をし始めるとするじゃないですか。パートナーとして安藤さんが、例えば、試作品を1万個開発してくれたら、これだけのお金を払うよ、と言ったら、金額がさほど大きなものではないかもしれないですが、未来はある程度確かなものになりますよね。投資により比較的予測ができる世界になる。そうなると、今度は効率の話とか、コーゼーションの話にはいっていけるわけです。無限に広がる未知の宇宙としての市場を相手にして、必死にその予測をしようとするということではなく、まず手元で見えている確実な相手、小さな人数のグループから始める。最初の顧客を「パートナー」として捉える。最初の顧客が、最初のパートナーなんです。彼らは私たちへの投資者にもなり得ますし、更には最良のセールスマンにもなり得るのです。なぜならば、彼らはある意味私たちとコ・クリエーションを行っており、私たちに協力してより多く顧客やパートナーをその事業に連れてきたいと思うからです。そこから大きくしていく。

安藤 非常に興味深いです。市場を捉える視点からして違うんですね。

サラスバシー もうひとつ、エフェクチュエーションの「許容可能な損失理論」がとても重要になってきます。まず許容可能な損失の範囲を決める。つまり、自ら対処することができる下限です。ここがエフェクチュエーションの一番面白い部分です。不確実なものを確実にしていくプロセスではなく、エリアを切っていくイメージです。この部分なら予測できると局地的に許容可能な範囲を決めて、できる限りその面積、コントロールできる領域を広げていくのです。もちろん予測できない部分は大きいわけで、それは事実として理解する必要があります。

安藤 予測できないものがある、という限定性の前提を置くことが、エフェクチュエーション理論の重要なポイントですね。
では企業のマーケティングの中で、エフェクチュエーションはどう使われるべきでしょうか。起業ということと、既存の企業が新領域にチャレンジすることは、似ている部分はあるものの、決定のプロセスや、組織など、相当に違うところもあるような気がします。

サラスバシー 企業は通常、マーケティングのプロセスと予算を持っていますね。私は多くの企業に、そもそもなぜマーケティングのためのパイロットテストを内部でコストをかけてやっているんですか?と聞きます。コンペをして起業家に提案をさせたらいいじゃないかと思うんです。その中からイノベーションを見つけて、アイデアを買いとればいいじゃないかと。同時に製品自体のパイロットテストもできます。インフラがないからできないアイデアを起業家が企業に向けてピッチすれば、インフラが使用できるし、さらにブーストの可能性もあります。こうすることで、企業と起業家の両者が得をすることになります。起業家は許容可能な損失内で事業を起こすことが可能になります。企業は、全てを自前で行うよりも低予算で、より多くのイノベーションを生み出せる可能性を手にすることができます。
エフェクチュエーション的な考え方を使ったひとつの成功例を挙げてみましょう。ある新興のITサービス企業の創業期の話ですが、競合にあたる既存企業から訴えられたことがあります。そのときそのITサービス企業側は、訴訟を起こされた、というニュースを出し続けました。「ウォールストリート・ジャーナル」など、あらゆる経済紙にこの訴訟の話が載ったわけです。そのことでその企業はフリーPRをたくさん得ることができました。訴訟されることがラッキーだとは言いませんが、名前が売れることで実際に新たな顧客を得、新たな市場を創造することができたのです。この訴訟があったからこそ有名になって、その分野で世界最大の地位を得るにいたりました。許容可能な損失を理解していたからこそ、この範囲であれば耐えられるという範囲の中で、フリーPRができたんですね。もし訴訟を起こした会社が、訴訟する代わりにこの会社に投資し、新たな市場をコ・クリエーションしていていたらどうなっていたことでしょうか?

安藤 結果として危機的状況が起こってしまったけれど、それを逆に使って積極的にステップにし、次の段階に上がった。彼らが訴訟を起こされたということは、彼らにとってはリスクだったろうし、予想外のことだった。けれども許容できる範囲のリスクにとどまっていたので、それを積極的に使って次のステップに行こうとした。そういうことでいいですか?

サラスバシー その通りです。これは許容可能な損失の原則というよりも、単純に彼らはチャンスだと思ったという考え方もありますね。マイナスをコントロールするだけじゃなくて、活用してプラスに持っていくということです。

Profile

サラス・サラスバシー
インド生まれ。ボンベイ大学卒(統計学)、カーネギーメロン大学、Ph.D(情報システムとアントレプレナーシップ)。1978年ノーベル経済学受賞者であるハーバート・サイモン教授の最晩年の弟子にあたり、熟達した起業家の意思決定についての研究で博士論文を執筆した。現在、バージニア大学ビジネススクール教授(戦略・倫理・アントレプレナーシップ部門)。MBAプログラムのみならず、博士課程プログラムでは、バージニア大学以外にも、デンマーク、インド、クロアチア、南アフリカでも指導している。

安藤 元博
1988年博報堂入社。ACC(グランプリ)、Asian Marketing Effctivenss(Best Integrated Marketing Campaign)他受賞多数。ACCマーケティングエフェクティブネス、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバル(メディア部門)等の審査員を歴任。著書『マーケティング立国ニッポンへ―デジタル時代、再生のカギはCMO機能』(共著)(日経BP社)等。東京大学大学院・学際情報学府修了(社会情報学)。