いま企業に求められていることは何なのか?多くの企業が「イノベーション」を掲げ事業変革を推し進めるなか、次の一手をなかなか見いだせないというジレンマを抱えている。博報堂そもそもデザイン推進体のリーダー/ファシリテーターである赤松範麿は、その突破口を見いだすための視座として、「そもそも」という視点からの発想を提供している。「そもそも」から見えてくる、企業、事業、商品の真の価値とは?その発想法から実践法まで、これまでの事例を取り上げながら語る。

ブランドの本質価値を見失った商品がブランドをグダグダにする

──まず初めに「そもそもデザイン推進体」が発足した経緯について教えてください。

赤松 博報堂は社外の方から「デザインの博報堂」と言われることがあります。そこで改めて、博報堂のデザインというのは、いったいどういうものなのかをデザイナーを集めて話してみたことがありました。そこで見えてきた博報堂のデザイナーがやっていることは、おしゃれとか格好いいということではなく、その商品/ブランド/企業がなぜ存在するのか、つまり存在意義の見える化だということでした。これは博報堂に脈々と流れるデザイン思想であり、そこから「そもそもをデザインする」という言葉が出てきました。
私は以前、コンサルティング会社にいたのですが、そこでのアプローチと博報堂のアプローチの違いについて感じたことがあります。コンサルは相手の問題点を抽出することから入ることが多いのですが、博報堂は相手の良いところを見つけることから入ります。…というよりも、良いところを見つけないと広告できませんからね。つまり、相手よりも相手の良いところを見つけられるというのが、広告会社の全てなのかなと感じています。

──商品の良いところをどう打ち出していいか悩む企業も多くありますね。

赤松 例えば、ある生活関連の日用品があるとします。その市場は、成熟しきっていて、お店に行くと各社から山ほど商品が売られていて、買う側としてはどれを選んだら良いかわからないような状態。そんな場合、商品を作っている企業はどうするかというと、マーケティング戦略を練ります。セグメンテーションをして、ターゲティングして、ポジショニングをする。でも、もはや空いているポジションなんてないんです。それでも企業は、差別化しようとより細かな消費者欲求に入っていってしまう。従来品に比べてこれこれが数パーセント良くなった…といったことを広告しますが、そんなことはほとんど消費者に認知されないんです。
スペックを突き詰めて良いものを作り過ぎても、マスを捉えられないんですね。実際にマスで売れるものの多くは、すごくわかりやすいものです。細かく小さな欲求ではなくて、もっと大きな欲求を捉えたものです。

──ではなぜ、企業はマーケティング戦略を駆使して、より狭いほうへと進んでしまうのでしょうか。

赤松 ある企業でヒット商品が出た後、次の新しい商品を出す際に、経営陣から「あの商品ぐらいヒットするのか?」ってよく言われることがあります。経営者はとにかく、ベンチマークを知りたがります。でも、その商品がどれだけ売れるかなんて、本当のところはわかりません。実際にヒットした商品だって、最初からそこまでヒットするなんて、誰が予測していたのかと。
そこで、数値目標を作りやすくするために、「いまある商品ブランドのラインアップを1つ増やせば1.2倍ぐらいになります」というような企画しかできなくなるんです。
これはつまり、商品ブランドの価値がわかっていないということだと思うんです。だからこそ、「このブランド売れてるんだから、このブランドでいろんなラインアップを出せば売れる」と、そのブランドの元々の価値を見失った商品までいっぱい出す。これだと、最初はいいんですよ。でも、だんだん売れなくなり、ブランド自体もグダグダになってしまいます。

「生活者発想」のゴールは “生活者を今より幸せにしてあげる”ということ

──ブランドの価値とはどういうものなのでしょう。

赤松 結局、価値というのは、人がこれいいなと思うかどうかだと思います。つまり、人の気持ちです。それが人をどう変えてくれるのか、どんな気持ちにさせてくれるのかということが、ブランドではないかと思っています。
生活者発想ということを博報堂ではフィロソフィーにしています。生活者発想のゴールは、“生活者を今より幸せにしてあげる”ということです。なので、商品自体に課題があるのではなく、生活に課題があり、それを解決するのが商品というように考えます。人は、幸せになること、生活がもっと良くなると思えるものにしかお金を払いません。だから、私がクライアントへ赴く際には、「生活が良くなるような発想」を提言します。それが事業の一番根幹であると思っています。

──実際に企業のなかで、商品企画や開発の際に、どのようにして「そもそも」の発想を持てばいいのでしょうか。

赤松 結局は何を問題提起するかなんですね。白紙に問いを書くところから始まります。その時に持つべき視点が「そもそも」です。「その商品で今、人は幸せになっているの?」という視点。仮にその商品が成熟しているとしたら、それを使っている人たちは、すごく幸せなはずだと。でも、「本当にそうなの?」という疑問を持ってみて、今はまだ幸せになっていないなら、まだまだやれることはあると考えることができます。
そうやって発想していくと、多くが「この商品いる?」っていうところから議論が始まります。でも、世の中からなくなったら何か悲しいねっていうような感覚にこそ本当の存在意義があるように思います。

与えられたフレームの中だけで考えていたら 「そもそも」の発想には到達できない

──多くの企業では、イノベーションを旗印に事業変革に取り組んでいます。

赤松 イノベーション推進室とか、次世代プロジェクト何々なんていう部署を設けている企業はたくさんありますが、その多くはプロジェクトで言えばゼロフェーズです。イノベーションするのは賛成、でも何がイノベーションかわからないんですね。イノベーションの定義付けは、経営学のなかでも一生懸命やっていますね。イノベーションとマーケティングはどう違うのか、イノベーションを起こす手法には○○がある、などといくらやったとしても、実際には何の実践にもつながりません。だから、定義する必要もないと思っています。SWOT分析なんかもそうですが、そういう枠にはめていくフレーム発想というのは、何となくやった感じにはなりますが、結局はどこかで見たようなものになります。それでは、「そもそも」の発想にはなっていないんです。

──「そもそも」の発想において、何か具体的な例などありますか?

赤松 そもそもデザイン推進体所属のアートディレクターが担当する企業に、トロフィーを作っている会社があるんですが、トロフィーというと何となく斜陽産業のイメージがありませんか?トロフィーなんてなくてもいいっていう人もいるんじゃないかと思います。コンサル時代の私であれば、「もうトロフィーは市場として下がる一方だから、トロフィーを作る技術力を生かして何か別のカテゴリー、例えばアクセサリー市場に参入しませんか?」って提案していたでしょう。
でも今は、「トロフィーがなくなったら、人類はとても大きな何かを失うのではないだろうか?」って考えます。トロフィーって、上位の者を決めて「ほめてつかわす」というような上目線があるように思います。しかし一方で、上位かどうかはさておき、すごく頑張った人とか、良いことをした人をほめることって、人にとって幸せなことです。その証拠に、相手のことをほめるとき、ほめられる側はもちろん笑顔ですが、ほめている側もすごい笑顔なんです。そこから、その会社は、(「ほめてつかわす」ではなくて)「ほめるをつくる」会社になると宣言しました。そうすると、世の中の人が受け取る“価値”が全然違ってきます。実際に、「ほめるをつくる」企業だと打ち出した後、これまで全くコンタクトもなかった業界から面白いと言われ、提携の話も来たりしました。商品も金銀銅という序列でだけでなく、いろんなほめ方があることが伝わる、カラフルなものなど、色も形もさまざまなトロフィーもできました。事業の存在意義は何か、という認識ひとつですべてが変わってくるんです。

──会議の場などで、よくそもそも論をする人がいます。しかし、そういう人は煙たがられることも多いように思います。

赤松 いますね。「そもそもターゲットが明確じゃないよね」というように、否定する文脈で「そもそも」って言う人が多いですね。でも立ち返って考えてみると、人は存在意義がないものは買いません。存在意義というのは、人にとってプラスのもの、もしくはマイナスがなくなるものなんです。そもそもこれがダメっていうのは全部否定です。そうではなくて、そもそもこれがいいよねとか、そもそもこれが大事だよねと「肯定するそもそも」が本当のそもそも論だと思います。

玉川堂の事例に見る、固有の価値の見つけ方

──「そもそも」を求めようとすると、企業ごとに全く違った方法が必要になるのでしょうか。

赤松 コンサル会社にいた頃は、ナレッジの共有ということで企画書なども、みんなで共有していました。でも、クリエイターは誰も共有なんてしません。一生懸命に絵コンテや企画書を書きますけど、書いては捨てて、ストックなんてことはしません。毎回向き合う商品は違うので、そこにしかないという固有の価値を見つけたいという思いがあるからです。固有の価値を見つけるには、固有の事実に当たるしかない。
新潟県の燕市に、200年続く鎚起(ついき)銅器の玉川堂(ぎょくせんどう)という会社があります。1枚の銅板を職人さんがたたいてたたいて酒器や茶器をつくるメーカーです。その社長さんからブランド力を高めたい、と相談を受けました。こういう時によくあるのが、茶器とか酒器などはあまり売れないから、その技術力を生かして、新しい市場に進出しましょう(トロフィーの会社と同じですが・笑)。アクセサリー市場に参入したらどうですかという提案です。
話を伺って、伝統工芸とか人間国宝がおられるとか、200年の歴史を持つと聞いて、良いものだとは思いましたが、自分は個人的には手が出ない商品だなと思いました。でも、玉川堂の本店に伺って、100年使い込んだ銅器を見せていただいた時、その使い込まれた銅器がものすごく深く艶のある色になっていて、それを欲しいと思ったんです。社長さんに、「使い込んでいる方は売ってもらえないんですか?」と聞いたところ、満面の笑みで、「これはお売りできません。代々大切に使い込んできたものなので」とおっしゃった。その時に、「あっ」と思いました。それって、つまり「時間」は買えないということなんだと。普通は、新品が一番美しいんですが、そうじゃないんですね。
200年の伝統、無形文化財と聞くと、過去に価値があるように見えますが、100年経っても美しいという、実は「未来」に価値があるんです。この銅器は、100年かけて美しく育つ。そういう時間を過ごした証しになるということなんです。これは、「美しさの価値観を変えるブランドだ」と提案させていただきました。私が考えた玉川堂の「そもそも」は、本当の美しさというのは時を重ねながら育ち続けるものであるということでした。玉川堂の銅器を手に入れるということは、未来により美しくなることを誓う生き方を選ぶことなのだと。新品が一番で、その一瞬のきらびやかさに目が向くのが今の世の中の常ですが、玉川堂はそうではなくて、本当の美しさは未来にあるということを訴えているブランドなんですということを伝えました。
その着想のもと、ロゴやパッケージも変え、結果的にこれまでは伝統工芸の良さをわかる人たちしか来店しなかったのが、雑貨好きといった一般層の人たちにも広がり、ブランドの価値が伝わったんじゃないかと思っています。

──「そもそもデザイン推進体」の今後について、どのようなことを考えていますか?

赤松 私たちがやっている仕事って、別に私たちがいなくても企業が自分でできることなんです。ある意味、おせっかいです。でも、良いおせっかいをしてくれたと言われたい。その時に初めて、僕らの存在意義があるのかなと思えるわけですから。