博報堂DYアイ・オーは株式会社博報堂の特例子会社「博報堂アイ・オー」として1989年に設立されました。2006年10月1日に株式会社博報堂DYホールディングスの特例子会社となり、障害者雇用の促進をはかり、主に博報堂DYグループ内のシェアドサービス領域の業務を行っています。

今回は、博報堂DYアイ・オーの社員として働きながら、プライベートで映画監督として活躍している牧原依里に話を聞きました。自らも聾(ろう)者である牧原は2016年、聾者の音楽というテーマを追求した映画『LISTEN リッスン』を発表し、各方面から高い評価を受けました。 そしてこの10月、初めて買い付けを行った映画『ヴァンサンへの手紙』の公開が決定しています。そんな多忙を極める彼女が、映画、会社、周囲の人々との向き合い方について話してくれました。

牧原依里(まきはら えり)
聾者(聴覚障害者)。博報堂DYアイ・オーに2009年に入社。入社以来9年間、グループ会社の経理関連業務、また取引で発生する書類などを回収・整理・管理業務に携わってきた。その間に「ニューシネマワークショップ」にて映画制作を半年学ぶ。2016年に「聾者の音楽」をテーマにした雫境(DAKEI)との共同監督作品『LISTEN リッスン』が、第20回文化庁メディア芸術祭 アート部門 審査員推薦作品、第71回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞 ノミネートなど高い評価を受ける。2017年には東京ろう映画祭を立ち上げ、聾・難聴当事者の人材育成と、聾者と聴者が集う場のコミュニティづくりに努めている。
10月には、本人にとっては初の買い付け作品である『ヴァンサンへの手紙』の公開が決定した。 2018年4月より現所属部署の広報担当となり、仕事に、映画制作に多忙な日々を過ごしている。

―社会人としての将来に、大きな希望を抱けなかった

私は小学3年生で聾学校から普通の小学校に転校し、聴者(健聴者)の世界に交わりました。その頃からまわりの人たちとの差異を感じ、人間という存在自体に関心を抱くようになり、大学では臨床心理学専攻科に進みました。
学外では全国のろう学生の集まりに参加し、さまざまな経験を重ねる中で社会人の聾者の方々からお話を伺う機会がありました。ですが、先輩方のお話を伺うにつれ、社会人になることに希望を持てなくなったのです。たとえば昇進を期待することができなかったり、企業の中では、数少ない聾者として我慢しなくてはいけない環境だったり。その後、就職活動を始めてもセミナーなどは聴者向けのものばかりでしたし、聴者に比べて満足に情報を得られない状況にありました。
そんなある日、ここ博報堂DYアイ・オーを訪問したのです。まず手話でコミュニケーションができることに驚きました。それまで訪問した会社には手話ができる方がいなくて筆談で会話していたので。社員の考え方も自由な感じがしましたし、働きやすく居心地のよさそうな空気がここにはありました。

―職場では、聾者も聴者も、積極的に手話を使っている

博報堂DYアイ・オーは聾者が多く、聴者もできるかぎり手話を使ってくださいます。聴者が使う手話は、聾者が使う「日本手話(聾者の間で言語として形成された手話)」ではなく、日本語に添った「日本語対応手話(日本語の言葉を手の表現に置き換えて伝える手話)」です。手の動きなどは似ているので誤解されがちですが、異なる言語の手話なので、どうしても伝達にズレが生じることもあります。ですから複雑なことはそのまま受け取るのではなく、筆談で二重に確認することもあります。場合によっては日本手話ができる手話通訳士に来ていただき、聾者と聴者がより正確にコミュニケーションができるようにという配慮がなされています。
聾者は日本語を、聴者は手話を学ぶなどお互いに努力し、聾者と聴者が、お互いに歩み寄る姿勢があることが博報堂DYアイ・オーのよいところだと思います。

―働きやすい職場は先輩たちが作ってきた

今では障害者が働きやすい職場ですが、最初から聾者と聴者のコミュニケーションが円滑だったわけではなかったと聞きました。今では退職された聴者の先輩に伺ったことですが、ひとりの聾者の方とうまくいかずに悩んでいたそうです。ある日、その聾者の方に本気で怒ってしまった。すると翌日からその聾者の態度が変わり、関係がよくなったのだとか。その聾者の方にしてみれば、相手が本音でぶつかってきてくれたので、対等に見てくれているということがわかり、自分も本音を言えるようになったのだと思います。
また、社内でさまざまな研修も行っています。例えば、会社のよい面とよくない面について一人ひとりが思っていることを付箋に書いて壁に貼り、自由に話し合うという研修がありました。自分が感じている、会社のよい面もよくない面も俯瞰で客観視できるので新たな気づきがあったり、異なる視点で捉えられたり。こうしたことを通じて社員の意識が高まっていますし、社員の意見を会社が受け入れて、変えていけるところは積極的に変えているところがいいと思います。
先輩方がお互いを尊重してコミュニケーションを図ろうとしてきたから自由な雰囲気があるのでしょうし、あたりまえのように配慮されていることも、みんなの意見やアイデアが取り入れられてきたからなのでしょう。一人ひとりが働きやすい環境が、社員の努力で作られてきたことが素晴らしいと思います。

私は2009年に入社し、今年で9年目を迎えます。 8年間ずっとグループ会社である「博報堂プロダクツ」の経理関連の業務を行ってきて、この4月から広報担当になりました。現場にいた時は、ルーティンワークが主で、業務を推進する中で「こうしてほしい、こうした方が良くなります」といった風に、さまざまなことを会社に提案することも多く、また組織で動くということを学んできました。それが広報担当になってから会社の関係各所から、外部に対してこんなことを発信したい、知らせたい、といった提案や要望を受ける立場になり、企画力が求められる環境に変わりました。あとチームプレイでありながら、企画をたてたり、と個人でじっくり考える作業が増えました。以前は、現場と映画関連の仕事が異なる分野だったので、ある意味頭を切り替えられてリフレッシュにはなっていたんですがそのギャップがストレスでもありました。今の業務は、映画制作の一環としてやっている宣伝とかPRといった作業とすごく似ています。今までのスキルも活かせて自分に向いているかも(笑)。また8年間現場で学んだ組織での動き方も映画祭関連などの運営の面でとても参考になっていて全て繋がっているなと思いましたね。

会社で初の「フェロー」に

自分でやりたかったこととはいえ、会社の業務と映画監督の両立は容易なことではありませんでした。
2016年、映画『LISTEN リッスン』を製作していたとき、物理的にも精神的にもいっぱいいっぱいになってしまい、もしかしたら両立できずに会社を辞めなくてはならないかなと考えた事がありました。フルタイムで勤務し、終わった時間で映画関連の仕事をするという生活だったのです。当時の社長に相談をしたところ、博報堂にある「フェロー制度」のアイ・オー版の検討と導入を適用しましょうか」と逆にご提案をいただきました。その頃、会社にはフェロー制度はなかったのですが、悩みに真剣にむきあってくださった結果、博報堂DYアイ・オー初の「フェロー」として雇用いただくことになりました。それをきっかけに働き方にも変化がでて、今も継続できています。例えば、時にはまとまって不在にすることもあるのですが、部署のみんなで連携しあい、カバーしてもらっています。

映画『LISNTEN リッスン』の後と前 裏で支える力の大きさをより強く感じる

作品を監督してみて、自分に変化がおきましたか?とよく聞かれますが、私自身はそれほど変わってないと感じています。でも敢えていうと、沢山の方々に支えられているからこそ、今の私があって、この活動ができる、「人との繋がり」というものの存在をより強く感じるようになりました。実は今まで「他人のために」と考えて動いてきたことがなかったので、どうしてこの人たちはそこまで私のためにしてくれるんだろうって疑問に思ってきたんです。でも今、他のプロジェクトや映画配給などに関わらせていただいていて、だんだんその理由が分かってきました。ああ、応援してくださっている人は『LISTEN リッスン』に未来の可能性を見いだしてくださっているんだなって。そしてそれは「他人のために」ではなく「自分のために」でもある、と。映画を製作している時はそこまで考えていなくて、ただ探求したい、その一心だったのですが、結果的に聾者と聴者の境界を越えて、多様性とは何かという問いにも繋がっていた。「映画は社会を変えられないが個人を変えられる」というのが私のモットーなんですが、その個人の単位が増えれば増えるほど、社会を変えられる可能性もあるのかもしれない、というのを『LISTEN リッスン』を通してとても感じました。

ヴァンサンへの手紙』は、“配給すべき映画”

ヴァンサンへの手紙』の背景について説明させていただくと、実は聾者の子ども達が学校で手話を使うことは、世界ろう教育国際会議で130年間禁止されていて、ほんの8年前に解禁されたばかりなのです。
この映画は、手話より声を出すことをろう学校で教えこまれた子どもたちの後日譚ともいえるお話です。手話が差別されてきた事実を知らない聴者が多いのですが私も小さい時に手話ではなく声で話せと聾者のアイデンティティを否定されて育てられてきた一人で、ほとんどの聾者は私のような経験を持っています。この映画を配給させていただいた理由の1つとして、手話が禁止されていたという歴史的事実や、聾者が置かれている状況を広く知らせたいと思ったからです。フランスだけの話、と誤解を受けがちなのですが、聾者の歴史は不思議なことに日本も含めてどの国も似たような歴史と文化をたどっているのです。
あと、この映画にはさまざまな登場人物が出てくるのですが、全員、私そのものでした。私がなかなか言語化にできなかった感情がそこに映し出されていました。聾のコミュニティーも実に多様性に満ち、色々な考えをもって生きている豊かな世界であるということや、また、私の母語でもある手話という「言語」が持つ美しさや文化もこの映画を通して伝えたいと思いました。
そして重要なことは、この作品は聴者が撮っている。異文化の共生そのものだと感銘を受けました。共同配給のアップリンク代表浅井 隆さんとも話していたのですが、映画にも儲けるための映画と、儲けは関係なく配給すべき作品と2つあって、これは後者だよね、と。もちろん、ビジネスとしてペイすることは必要ですが、それを社会に還元したいと思い、買い付ける決心をしました。

正解はひとつではない、聾者と聴者お互い違う存在として歩み寄る

誰が/どちら側が正しい・間違っているということではなく、正解ってひとつでは決してないんです。聾者コミュニティ内も、聾者と聴者の間もそう。お互いが違う存在として歩み寄ることができれば、と思っています。
現在、テクノロジーはめざましい進歩を遂げ続けていますし、例えば聴者がしゃべることをその場で文字化できるようになったりすることも当たり前になってきています。将来はどこに行っても全て文字化されたり手話で情報提供されるということも決して夢物語ではありません。マイノリティである聾者がマジョリティの聴者の基準に全て合わせていくということも、時代によってすこしづつ解消され、マイノリティにとって生きやすい世界になっていくのではと思うのです。聾者がありのままに自分らしく生きられる世界は、他のマイノリティやマジョリティにとっても生きやすい世界だと思いますし、その実現が多様性の受容なのではないかと。
博報堂DYアイ・オーはそういう姿勢がある会社だと思います。聾者が全社員のうち3分の1を占めていますので手話を知らないマイノリティという形で異文化をデビューする聴者もけっこういます。今まで当たり前のように受け取っていた価値観が実はそうではなくて、色々な価値観があるんだという風に経験する人も多いと聞きます。その経験には人間を豊かにする力があり、多様性の受容の一歩となるのではと思います。
日本の社会全体にも様々な価値観を持つ人が当たり前のように混じる文化が根付いてほしいと願っています。これからは、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け障害者に対する関心も高まり、新しい発明やテクノロジーが生まれてくる絶好の時です。社会が大きく前進すればいいな、と今私は期待しています。