THE CENTRAL DOT

FOR2035来るソロ社会の展望を語る – vol.5後編/ゲスト:大阪学院大学経済学部 森田健司教授「自己は不定形。『確固たる自分』があるというのは誤解」

2017.10.20

第5回のゲストは、大阪学院大学経済学部の森田健司教授です。森田先生は江戸時代の経済・社会思想史を専門に研究するかたわら、瓦版や錦絵から江戸時代の庶民思想を紐解かれています。単身世帯が多かったとされる江戸時代を生きた人々と、現代の私たちとの間にはどんな共通点があるのでしょうか。これからのソロ社会を生きていくにあたり、江戸時代から学べるヒントとは――。前編はこちら。

「恋愛の到達点に結婚がある」という幻想

荒川:僕は一貫して「結婚は経済生活だ」と言ってるんですが、講演などで大学の学生さんたちにそれを言うと非常にショックを受けるんですよ。まず恋愛があって、その延長にあるのが結婚だと信じていますから。

森田:そうでしょうね。そうした幻想も、数十年くらいの、ある一定の時期の常識に過ぎないわけですが、やはりいろんなメディアを通じて我々にはひとつの結婚観が刷り込まれてしまっている。社会学者などの分析によると、特に50~60年代、アメリカのホームドラマ的家庭像がドラマや映画などを通じて入ってきてあっという間に戦後の日本に広がり、そこからニュータウンの幻想、そして最終的には結婚への幻想も生まれた。恋愛の到達点の一つが結婚であるという風に“思わされて”しまっているんですよね。

荒川:そういう幻想が、いまの未婚化、非婚化の一因になっているかもしれない。

森田:全くその通りだと思いますね。たとえば江戸時代の265年間、恋愛の先に結婚があるなんて思っていた人はほとんどいなかったと思うんですよ。結婚は本当に経済的な理由のもとに行われています。家をつくり、セーフティネットをつくり、一人であれば収入が少ない人でも二人になればどうにか生きていける。子孫を残すためということも言われますが、どちらかというと「家の名を残すため」ですね。家名が残りさえすればいいので、実子かどうかというのはあまり問題ではなく、養子をとるケースも非常に多かった。いずれにしてもいまの恋愛至上主義といいますか、恋愛の末に結婚があるという考え方は、少なくとも江戸時代の日本に限ってみれば非常に異質な考え方ということになります。

荒川:最初からそういう風に割り切って考えれば、結婚という制度にも十分メリットが感じられるので、みんな結婚するんでしょうね。こんなこと言ったらアレですが、女性が言いがちな「愛した人じゃないと結婚できない」というのと、「でも年収はいくらじゃないとだめ」というのは、相当矛盾しています(笑)。

森田:先ほども言った、50年代くらいから日本に広がっていた「ピュアな恋愛感情があり、愛情を感じる人と一緒になることが理想の結婚である」と思わされている状態が、60何年経ったいまも続いているだけと考えたほうが正解なんです。そうした結婚観が足かせになって、結婚しない、あるいはできないという状態の人が増えているとも思えるし、さらには結婚しないという選択が社会的にも認められず、追い詰められるような気持ちで生きている方も多いと思います。
その点江戸時代は、意外と支配的な価値観からの逃げ場というのが結構あった。たとえ独身だから肩身が狭いと思ったとしても、じゃあ社会の外に出てみようか、違う価値観で生きていこうか、ということが可能だったんですね。たとえばお寺や宗教もその一つで、虚無僧という立場になると、いわゆる法の外に完全に出ることになる。通行手形なしでどの藩にも移動することができました。いい意味でのアウトローになって、自由な生活を手に入れていたんです。あるいは道端でモノを売って商売をしている人や、芸能に携わる人など、世の中の支配的な価値観から逃げたいがお金は必要なので、とにかく何かで食べていこうとした人たちがたくさんいた。そして江戸の社会には、そういう人々を許容する懐の深さがあったんですね。実は荒川さんのご著書を読んで感じたことが、江戸時代とは異なる、そうした現代の“許容性のなさ”でした。

荒川:そうなんですよね。統一性と標準性をすごく求める風潮というか。高度経済成長期くらいまでは、それでよかったんだと思うんですが。

森田:話は少しそれますが、面白いことに、いま我々が当たり前だと思っている学校の風景というのもやはり、明治以降にかたちづくられたもので、江戸時代の寺子屋というのは我々がイメージする学校像とはものすごく違います。まず毎日生徒募集中みたいなものですから、親に連れられてきてその日に入ったばかり、というような子がたくさんいましたし、クラスもないので生徒同士の人間関係も開かれていた。かなり自由な空間だったわけです。

荒川:ある大きな支配的な規範のもとで空気を読みながら生きていくというのは、一見日本の伝統のように見えて実は違っていたんですね。むしろ日本人は、いまよりずっと自由で、割といい加減だったというか。

森田:そうですね、ある意味無茶苦茶だったと思いますよ(笑)。

荒川:とはいえ、別に超個人主義で「自分さえよければいい」という社会でもなかった。きちんと自立した一人一人が共同体を形成していて、それぞれが互いに助け合おうとする精神――「情けは人のためならず」を実践していたんですね。
先ほどの逃げ場の話もそうですが、生き方の選択肢がいろいろとあり、他人の考え方をいちいち拒否したり排除したりしなかったんでしょうね。仏門に入っていようが八百万の神は信じるといった、日本のいい意味でのいい加減さというか(笑)。異質なものを許容する、受容するというのが、かつての日本人だったんでしょうね。

森田:おっしゃる通りです。私の専門である石門心学は、江戸時代の、主に町人に向けてわかりやすくまとめられた生活哲学なのですが、すべての宗教を織り込んでつくられたものとも言われてもいます。何か既存の思想を否定するのではなくて、さまざまな宗教を全部うまく混ぜて、いいとこ取りをして生まれた思想です。これはこれですごく日本的だと思うんですよ。クリスマスだってハロウィンだって、宗教色はなるべくなくしてしまって、とりあえず祭りとして楽しんでしまおうという精神がありますよね。ああいうところに、江戸時代のおおらかなモードがまだちゃんと残っているような気がしてるんです。

自己は不定形。「確固たる自分」があるというのは誤解

荒川:最近はメディアでも芸能人のスキャンダルが話題になったりしていますが、ああいう話題に対しては江戸の庶民はどんなリアクションをしてたんでしょうか?

森田:瓦版では、スキャンダルが報じられることは武士階級に関してはほとんどなくて、一般の人の心中などが話題になることはあったようです。ただ「どこの誰それが不倫をしました」なんてのは、当たり前すぎてニュースにならない。たとえば女性が浮気して間男と逃げたのを、夫が追いかけて二人重ねて四つに斬り、敵討ちを果たした……なんていうくらいインパクトがあったら読みものになったかもしれない(笑)。もともと恋愛と結婚は別だと考えているので、恋愛は婚姻関係の外でやるわけですね。あまりにも当たり前なのでニュースにもならないし、聞いても別に面白くもない。だから何?という感じで。ちょっと不謹慎だったり、辛辣な皮肉、ブラックユーモアだったり、笑えるようなものや納得してひざを打つようなものであれば、価値があったんです。

荒川:最近のスキャンダルでは、不倫の話題でもなんでも反応が過敏ですよね。めちゃくちゃたたく。いまのように、みんなして袋叩きにするなんて風潮は江戸時代にはあったんでしょうか。

森田:江戸時代の文化を考えるときのキーワードでもあるんですが、江戸っ子に関していうと、まず「粋」であることが何より重要だったんです。どういったことが粋とみなされたかというと、たとえば権力を風刺したり、強い相手に向かって弱い者が挑んだりする場合ですね。ですから、悪いことをしてすでに社会的制裁を受けているような人に対して、さらに集団でたたくというのは確実に粋ではない、無粋です。江戸っ子の美学に反します。この美学というのが、私は、ある意味江戸時代の日本人にあっていまは失われたものかもしれないと思っているわけです。美学は言い換えれば「かっこつけ」でもあります。寒くても寒いといわないとか、ぬるい水でも「ひゃっこいひゃっこい」と言って飲むとか。
結婚の話に戻ると、結婚したくてできないもどかしさがあったとしても、江戸時代ならその気持ちを表に出さなかったんじゃないでしょうか。そして、「いや、俺ははなから結婚したくないから一人なんだよ」なんて言ってたでしょう。形というのは内実に反映されていきますから、そう言っているうちに本当にそう感じるようになっていき、変に卑屈な感じはなくなっていくと思うんですよね。

荒川:確かにそれはありそうですね。社会人でも、出世して立場が変わると、その立場に応じた人格になっていったりする。逆のパターンも当然あります。やっぱり環境に左右されるんですね、人間って。

森田:そうなんです。だから、特にいまの若い人なんかが、自己はすでに確立していると思っていたりするけれども、かなりの誤解だと思います。就活でさんざん「自己分析」させられるからかもしれませんが……。私は自己は不定形だと思います。まさに私が研究している石門心学にも「形によるの心」という言い方があって、状況によって人間の「心」は変わっていくとしています。その「心」を「自己」と言い換えれば、人は亡くなる直前まで自己を変質させていくものだと思う。それだけ人にはさまざまな可能性があり、環境や状況次第でどうにでもなる部分はあると思うんです。
特に若い人の多くは、おそらく結婚に対しても、前提として「確固たる自分」があると思っているのでしょう。だから、「ぴったり合う理想の相手がどこかにいるはずだけど、探しているうちにこんなに歳をとってしまった」とか、「自分はちょっと変わってるから合う人なんているはずない」と思ってしまったりする。そんな風に卑屈になってしまうと、社会としても、結婚しないたちの生き方を認めないという方向に行ってしまう気がするんです。ある程度の世間的なプレッシャーを感じつつも、卑屈にならずに自分の生き方を貫く人たちが増えていけば、正しい意味での近代というか、個人個人の生き方が尊重され、生きやすい社会が成立していくと思いますね。

主観ではなく客観によるマッチングシステムができたら

荒川:実は僕がいま本当に興味があるのが、AIを使って、見た目や年齢ではなく、純粋に人の内面だけをマッチングさせてみたら人はつながれるのか、ということなんです。たとえば友人から誰かを紹介する、と言われて会ってみたら、「見た目が好みじゃないから結構です」という話になっちゃうこともある。でもネット上でその人の発言を見ていたり、会話をしてみたりして、何かこの人価値観が合うなと思ったら、多少見た目が好みではなくともうまくいくということはあると思うんです。

森田:なるほど、それはまさに江戸時代の結婚と似ていて、面白いアイデアですね。見た目というより、その人の人となりを知っている近所の人とかが、「あの人とあの人はいいじゃないの」なんて話して、実際に見合いを勧めたりする。

荒川:すごく客観的な視点で見ているから、ある意味正しいんですよね。

森田:互いの顔を知らないわけですし、それで比較的社会はうまく回っていた。もしかしたらそういう結婚の形がいま求められているのかもしれないですね。

荒川:いまいくつも婚活サービスがありますが、ああいう方式の問題点は、すべてが自己申告であることだと思うんです。写真だって自己PRだって、やっぱり相手によく見せたいから嘘が入ってしまう。そうすると、嘘だらけでマッチングされることになってしまって、うまくいくわけがないんですよ(笑)。お互いの情報が最初から間違っているから。

森田:面白いですね。相手の顔とか、主観的な情報を排した状態で、完全なる第三者がマッチングさせるわけですよね。言い方は極端ですが、たとえば「まあいいから3年くらい付き合ってみたら」なんていう感じのほうが、案外うまくいくのかもしれない。社会全体で見たときに、そういった考え方のほうが幸せに生きられる人が増えるかもしれないですね。

荒川:そうなんです。昔のお見合いだって、初対面では「何この人?」と思った人だっていっぱいいたと思う。でもやっぱり人は変わっていく。互いに相手の影響を受けるようになる。それこそそれまで「本当の自分」だと思っていたことが、付き合う相手によって根底から覆ることもあると思うんです。それこそ就職先についても同じことが言えるでしょうね。自分も会社員の手前大きな声で言えませんが、会社だって、無理やり自己PRを書かせるのはやめたほうがいいと思います。本当の自分なんてわかっているはずがないんだから。

森田:本当にそうかもしれません(笑)。
海外に行って考え方が変わったという方はたくさんいますが、実は自分たちの国の過去を振り返ってみるだけでも、たくさんのことを学べるし、目からうろこが落ちるような体験もできるんじゃないかと思います。学校で習ったことがすべて事実だと思わずに、最新の調査・研究結果もたくさんあると思いますから、少しでも歴史に興味をもって、その中から学んでほしいと思いますね。

荒川:知らないことを知るということは、本当に重要ですね。今日はたくさん面白い話をいただき、ありがとうございました!

森田健司(もりた けんじ)

1974年兵庫県神戸市生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。現在、大阪学院大学経済学部教授。専門は社会思想史。特に、江戸時代の庶民文化・思想の研究に注力している。著書に『江戸の瓦版』、『明治維新という幻想』(いずれも洋泉社)、『石門心学と近代――思想史学からの近接』(八千代出版)、『石田梅岩』(かもがわ出版)、『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『外国人が見た幕末・明治の日本』(彩図社)など。近刊に、作家・原田伊織氏との対談『明治維新 司馬史観という過ち』(悟空出版)がある。

荒川 和久(あらかわ かずひさ)

博報堂「ソロもんLABO」リーダー
早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。

※「ソロ男プロジェクト」は、これまで「ソロ活動系男子(通称:ソロ男)」の研究活動及び企業のマーケティング活動をしてまいりましたが、この度、研究対象を、独身男女や離別・死別に伴う高齢独身者も含めた独身生活者全般に拡大しました。それに伴い、2017年9月26日に名称も「ソロ男プロジェクト」から「ソロもん*LABO」(*ソロもん=独身生活者という意味)と変更いたしました。

★アーカイブ★
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/series/solo/

FACEBOOK
でシェア

X
でシェア