お知らせ

「第37回東京広告協会 白川忍賞」 授賞式開催 チーフクリエイティブオフィサー宮崎 晋が受賞

2018.02.27

2018年2月22日、公益社団法人東京広告協会の定期総会にて「第37回東京広告協会 白川忍賞」の授賞式が行われ、当社チーフクリエイティブオフィサー、宮崎 晋が受賞し、下記コメントをいたしました。

(写真左から)東京広告協会 大平 明理事長、博報堂チーフクリエイティブオフィサー 宮崎 晋

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本日は、栄えある賞、白川忍賞をいただきまして、誠にありがとうございます。
また、私を推薦して頂いた方々、審査をしていただいた方々に心より御礼申し上げます。

私はチームで仕事をしてきたので個人でこういう賞をいただくというのはあまりないのですが、今日はこういう席なので私がどうやってクリエイティブの仕事に携わってきたかお話したいと思います。
私は1969年、デザイナーとして博報堂に入社しました。学生時代から広告が好きで、入社した時代は、広告が全盛の時代でした。世界には良いお手本がたくさんある。Yシャツにネクタイがなんとも居心地のいい世界に入ったというのが第一印象でした。

入社して2カ月ぐらい全体研修を受け、楽しく迷うことがなかったのですが、制作の研修が始まってすぐショックを受けました。というのは一緒に研修を受けている中に、すごく上手な絵を描く同期がいたんですね。そして洋服もセンスのよいものを着ている。いろいろ話していると住宅や家庭環境も自分と全然違う。その時気がついたのは、センスというのは絶対に追いつけないということです。10年20年では無理で、世代が変わって何世代か変わっていかないと難しい。経済は追いついてもセンスというのは簡単に追いつけるものではない、ということを痛感し、ショックを受けました。そこで考えたのがアイディアを出すということ。自分でどういう風にすればアイディアを出せるか、ということを考えました。例えば、朝、喫茶店に行ってコーヒーを飲むときに「お、美味しそうだな」と思うのではなく、「コーヒー」と思わないようにする。パッと見た時に、「お、サンバのリズムが聞こえてくるぞ」「ブラジルのカーニバルだな」と想像するだけでコマーシャルができる。見たものそのものでなく違うことに置き換えていくことが広告の新しい形になると思い、最初は置き換えるという方法をつくっていきました。

配属されたチームは、予算の少ない仕事が多く、ロケにも行けない。これはやっぱりアイディアがいる。新商品をみながらアイディアを考え、提案し続けるということを学びました。

30代に入り、2人の新入社員を預かることになりました。チームを持つようになった時に隣のチームの先輩から「君がどんなに優秀でも4~5社の仕事しか出来ない。君がだめでもチームで20~30社の仕事をしてくれた方が会社は喜ぶよ」と言われ、すぐ感化される方なので、チームの在り方を考えてみようと思いました。チームでどう仕事をするか、そして楽しむか、いろいろ方法を考えてやりました。チームで進化しながらたくさん仕事をしました。今振り返ると30代、40代が一番忙しいけど楽しい時代だったかな、と思います。
話しは変わりますが、1978年の宣伝会議に白川忍さんの記述が載っていました。その中で白川さんが「広告部員10数名で一杯やりながら議論するのがとても楽しかった」と語っていました。自分と考えが近く、白川さんもチームがすごく大事で議論することを楽しんでいたんだと思うと、この賞をいただいたことがまた一段嬉しくなりました。

そして、50代、60代、70代となって残された時間もあと僅かですが、少しでも若い人の手本になるよう、青臭く現場の仕事をやりたいと思っています。
私をここまで自由にさせてくれた博報堂に御礼を申し上げるとともに、私の我儘に付き合ってくれた仲間と、クライアントの皆さま、本日ご列席の皆さまに厚く御礼申し上げて私の挨拶とさせていただきます。
本日はありがとうございました。

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