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ブランドたまご 第25回 / 祖父の代からオープンイノベーション!銅の街・高岡で生まれたインテリアブランド「tone」

2017.09.14
#イノベーション#ブランディング#博報堂ブランド・イノベーションデザイン
海外のクリエイティブブティックを思わせるおしゃれな外観、momentum factory Oriiの工房前にて。左から今回取材にご協力いただいた折井宏司さん、博報堂ブランド・イノベーションデザインの岡田庄生。
「ブランドたまご」とは、生まれて間もない、まさにこれから大きく羽ばたこうとしている商品ブランドのこと。中でも、伝統を活かしながら革新を起こしている魅力あふれるブランドに注目し、その担い手に博報堂ブランド・イノベーションデザインのメンバーが話をうかがう連載対談企画です。
第25回に登場するのは、高岡銅器の伝統的着色を活かしたインテリアブランド「momentum」(モメンタム)を展開しつつ、新たに「tone(トーン)」というブランドを立ち上げた、momentum factory Orii(モメンタムファクトリー・オリイ)の代表取締役折井宏司(おりいこうじ)さん。富山県は高岡市、加工業を営む着色所3代目として生まれた折井さんが、自ら「ものづくり」を始めた理由、そして、外部デザイナーとプランド「tone」を立ち上げた背景とは―。聞き手は、博報堂ブランド・イノベーションデザインでブランドたまご編集長の岡田庄生です。

技法と薬品のコントロールが生み出す、独創的なOriiカラ―

momentum factory Oriiは、昭和25年、「折井着色所」として創業しました。宏司さんの代で加工業からものづくり業へ転身、以降、建築部材やクラフト作品等を展開しています。
「tone」は、そのmomentum factory Oriiが手がけるインテリアブランドです。折井さんが生み出したオリジナルの着色技術を用いた深いカラーと銅本来の色味を活かしたシンプルなデザインが特徴で、時計やトレイ、ペンダントライトなど、暮らしの道具にラインナップを拡げています。
このブランド、実は地元富山大学出身のプロダクトデザイナー・戸田祐希利氏とのコラボレーションで生まれたもの。現在、オンラインショップ、全国のインテリアショップ等で販売され、人気を博しています。

「tone」の商品たち。左上から時計回りに「clock」、「mirror」、「bucket_ice pail」、「tray」、「tray_SQUARE」。

<今回の対談、まずは工場見学から始まりました。>

折井:銅の色は、様々な素材・薬品を用いた化学変化によって生まれています。これらの組み合わせやコントロールによって、豊かな色のバリエーションを生み出しているんです。
うちの代表色がこのコバルトブルー。オリイブルーとも呼ばれています。青白く緑青を反応した銅板にアンモニアガスを当てると、一瞬でこの色になる。
他には、金属に大根おろしをまぶして煮る「煮色」、日本酒や食酢などでつくった液体を焼き付ける「おはぐろ」なんかもあります。いずれも伝統的な着色技法のひとつですが、着色技法の研究を経て試行錯誤の末あみだした、1.0㎜以下の薄い銅板を発色させるオリジナルの技法があります。

岡田:とってもきれいですね。私たちに身近な素材も使っているとは驚きました。

折井:そうでしょう。温度や時間のちょっとした差で模様は異なるので、すべてが一点物。同じ柄にはならないんです。うちはこういった伝統手法を用いながら、圧延板という薄い銅板を使って、クラフトや建築部材等を展開しています。

岡田:なるほど。工房には、若い職人さんもたくさんいらっしゃいますね。

折井:はい。私が継いだときには5人の従業員だったのが、今は12人です。今年も2人新しく入りました。平均年齢は35歳。この業界は平均63歳位ですから、かなり若いです。女性も多いんですよ。

オリイカラ―の着色風景を見せていただきました。従業員のみなさんは、「momentum factory Orii」オリジナルTシャツを着用。好きな色が選べるそう。
着色された圧延板。

会社、そして高岡の発展のために…「ものづくり企業」へ脱皮を決意

岡田:工房、大変興味深く拝見しました。momentum factory Oriiはもともと銅器の着色からスタートしたのですね。

折井:高岡銅器の産業の特徴は、分業化されていることです。問屋、鋳物屋、彫金屋、色付け屋…。各工程、高い技術を持った職人が受け持つ仕組みです。
うちは「着色所」として創業し、当初は火鉢や鉄瓶、高度成長期にはブロンズ像の着色などを担ってきました。図書館や企業の玄関先に裸婦像を見かけたことがあるでしょう?当時はこういうものを置くことがステータスだったんです。でも、バブル崩壊以降急速に需要を失い、現在の高岡銅器の市場は、ピーク時の3分の1を切っています。

岡田:なるほど。伝統産業共通の悩みですね…。そんな中折井さんは96年、家業を継ぐため東京から地元高岡に戻られたと伺いました。

折井:はい、26歳の時です。でも、長引く不況の影響もあり、直後から会社は赤字に転落。当時本当に暇でした。つくられたものに色をつけてお返しするのが仕事だから、発注をひたすら待つしかないんですね。悩んだ挙句、自分で稼ぐには脱下請けしかないと一念発起し、ものづくりを勉強するため高岡銅器の技術者養成スクールに入学しました。色付けだけでなく、研磨、彫金など銅器づくりの全プロセスの知識を得ようと思ったんです。入ってみれば、スクール仲間は同業の若い後継ぎも多くて大変刺激を受けました。みんな「高岡の伝統工芸をなんとかしたい」と思っているメンバーで、「もっと若い世代に届けたい」「僕らが頑張らないと」なんて連夜熱く話しましたね。

岡田:自分の会社だけでなく、高岡や伝統産業を元気づけたいという思いがみなさんの中にあったんですね。

折井:そうそう。現会社名「モメンタム」の由来も、このときのメンバーにあるんですよ。当時勝手に自分たちをチーム化して「モメンタム」と呼んでいた。「勢いのある」「はずみのある」という意味です。
彼らと切磋琢磨する中で、自分は何をしようか考えていた時、得意領域の着色に特化しながら、ホームセンターでも買える銅板を使って、みずからプロダクトを作ることを思いつきました。そして作った初めてのプロダクトが、テーブルです。ちなみに、第一号はこれなんですよ(対談時のテーブルを指して)。

岡田:まさに、このテーブルなんですね!味わい深い色合いですね。でも、なぜテーブルだったのですか。

折井:「自分が本当に欲しいもの」を考えた結果でした。若者は置物や銅像なんて、要らないでしょう。自分だったら何が欲しいかを考えて、家具、特にテーブルが欲しいと思い、作ってみました。
あと、銅素材を使った家具のクラフトって、これまでの高岡の仕事とは全く違うジャンル。だから、同業者の領域を犯さなかったんです。
そこから細々と提案していく中で、「高岡に面白いやつがいるぞ」と口コミが拡がっていった。有名になったきっかけはインテリア・建築系の雑誌での特集記事と、ハイアットリージェンシースパリゾート箱根のラウンジ内に設置された、暖炉ダクト・フードへの発色です。この事例はいろんな雑誌にも取り上げられましたね。10年以上前の話です。

有名デザイナーより、地元の若手デザイナーと組みたい―「tone」立ち上げの物語

岡田:そうしてOriiは「ものづくり業」にシフトし、発展されてきたのですね。ピンチをチャンスに変える折井さんの姿勢、素晴らしいです。
ここからはいよいよ「tone」のお話をお聞きしたいと思いますが、外部のデザイナーとの協業は初めてとのこと、まずはデザイナーとの出会いからお教えいただけますか?

折井:2011年の冬に、いきなり彼(戸田祐希利氏)が訪ねてきたのがきっかけです。「鋳物で作った自分のプロダクトを作りたいから、色を着けてほしい」ということでした。
ところが打ち合わせが終わっても、なかなか帰らないんですよ。僕のことや着色のことを根掘り葉掘り聞いてきて。「熱心だな」と思いながら彼と話す中で、彼の身の上に話が及びました。
聞くと彼は高岡短期大学、今の富山大学芸術文化学部出身なんですね。卒業後富山の家具工房で職人として働いていた。その後家具メーカーのデザイナーとして数年間勤務し、でも、プロダクトデザイナーになりたいという思いを捨て切れず、会社を辞めてフリーランスで自分の商品を販売したいと考え始めた時期だったそうです。
「僕こんなものを作りたいんです」と熱く語って、「折井さんのところで商品化できませんか」と言ってきた。おもしろい子だなと思って、どこかと契約しているか聞いたところ、「まだです」と。「じゃあうちと契約しようよ」と伝えました。

岡田:なるほど。最初はそんな出会いだったんですね。

折井:そうですね。
僕はそのとき、自分がデザインしたクラフトを展開していたのですが、正直ちょっとネタ切れしてきたタイミングだったんです。デザインといっても、丸いものか四角いものか、そんなシンプルなデザインのものしか作っていなかった。なので、どこかのタイミングでデザイナーと組みたいと思っていたんです。
とはいえ、有名デザイナーと組んで、その人の知名度で売るという考えは全くありませんでした。できれば地元出身で、今は無名だけれども、これからから羽ばたこうとしている真っ白で若いデザイナーとコラボして、互いに相乗効果を生みたいと思っていたんです。だから、戸田さんとの出会いは願ってもない縁でした(笑)。
一番最初にお題を出したのが、「ランプシェード」です。「ヘラ絞り」という技法を用いたランプシェードを作りたいからデザインしてほしいとお願いしました。

岡田:tone最初の商品はランプシェードだったのですね。

折井:それと、バケツです。バケツについては、彼からの提案でした。翌年の2月にプロトタイプを発表、秋には製品として展示会に出展しました。
展示会で、知り合いの記者がたまたま取材に来たんですね。toneを指して「折井さん、テイスト変わりましたね」って。「そうそう。うちも初めてデザイナーを起用したんです」という話をしたら、僕そっちのけで彼に取材が群がった(笑)。
その記事を受けて、翌月だったかな、彼は『ELLE DECOR』の記事にも出ました。富山の会社をプロデュースしている戸田祐希利ですって出たんです。正直しめしめという気分でした。
僕、最初から彼に言っていたんです。「tone」での仕事を出世作にして、自分の名前をどんどん売ってくれていいからって。彼にはどんどん有名になっていってほしいと思っていたんです。

岡田:折井さんから見た、戸田さんの魅力はどんなところですか。

折井:彼はすごく繊細で、女性的なセンスも持ち合わせているんですよね。僕は、見てのとおり、よくしゃべるし、荒っぽいし、どっちかというと職人肌。全然タイプは違うんですよ。お互いにないものを補完し合って製品を生み出しているので、よく「いい関係だね」と言われます。
彼のデザインを信頼しているので、今まで彼にダメ出ししたことはないですね。

岡田:ブランドを作るとなると、どうしても企業側がすべてを管理したくなりますが、折井さんのお話しを聞いていると、職人として唯一無二の着色技術は磨きながらも、toneの世界観はデザイナーを信頼して任せているんですね。

人が輝くきっかけをつくりたい―折井さんのオープンマインドは、創業者・祖父の影響?!

岡田:では、今後のtoneについてもお聞かせ下さい。

折井:彼も有名になってきて、うち以外の会社も手掛けるようになり、忙しくなってしまったのですが(笑)、今後もtoneは暮らしの道具を軸に、アイテム数を増やしていきたいですね。今は10数種類ですが、50、100と拡げていきたいです。
買って下さるお客様も、個人の方だけでなくアクセサリー屋さんやレストランなど、お店からの注文も増えているので、両方のスタンダードを目指して、今後も育成していきたいですね。

岡田:なるほど。そういう意味では、toneが加わって、Oriiの製品の幅が広がったんですね。

折井:そうですね。toneがきっかけで、逆にOriiが得意とする建築部材等の発注をいただくことも増えてきました。また、素材としての銅への注目も、少しずつ集まってきているように感じます。
最近、大変だったけど家業を継いで良かったなと、常々思うんですよ。うちの会社がきっかけで、跡継ぎがいなかった高岡の同業者に息子が帰ってきて、「Oriiみたいになりたい」「高岡も捨てたものじゃないぞ」と一念発起する若者も出てきた。うちからみれば競合他社が増えたわけですが、嬉しいですよね。高岡が盛り上がるためには、自分だけが良くてもだめですから。

岡田:お話をお聞きしていて、折井さんは周囲の人を巻き込むのがとても上手だなと感じます。私たちも、これからのブランド作りには、「属」すなわちコミュニティを作る力が欠かせないと思っているのですが、折井さんが周りの人たちを巻き込む原動力は、どこから来ているんですか?

折井:そうですね、知り合い同士を紹介したりすることはすごく好きなので、生まれつきの性格かもしれませんが…。もしかしたら、祖父の影響もあるかもしれませんね。高岡の企業は、昔から親戚だけで経営して、「技術は門外不出」という工房が多いんですけど、うちの会社はじいさんの時代から積極的に情報公開をしていたんですよ。外部の弟子を受け入れて巣立たせたり、技もほぼ全部見せていた。そういう原体験があるから、自然とオープンな環境が好きなのかもしれませんね。
あと、とにかく自分がいいなと思ったら、どんどん人を人に紹介するようにしています。そこから生まれたものが形になって、世の中に一石を投じたら嬉しいじゃないですか。

岡田:なるほど。toneもしかり、きっかけをつくって、その人が輝くのが折井さんの喜びなのですね。

折井:はい。そのきっかけを作り関われたことが、私の喜びですね(笑)。

若い人が職人にあこがれるスタイルをつくる―。折井さんの挑戦

岡田:最後に、momentum factory Oriiとしての、展望をお教えいただけますか。

折井:伝統産業は儲からない、という世の中の意識を変えたいですね。僕、入社したての若者にも、この業界ではありえない給料を出していると思ってます。自分が東京から戻ってきた当時は月収というか、小遣いが7万円くらいだったけれど、そんな思いはさせたくない。だって、みんなで頑張って会社に利益が出れば、給料をしっかり払えるわけじゃないですか。
お金以外でも、ユニフォームだったり、働き方だったり…きっかけは何でもいいんですよ。もちろんそんな甘いものじゃないということも教えながら、育てていく。その上で、ステップアップしたり、独立するなら応援したいですし。ある程度成功した今だから言えるんですけどね。

岡田:なるほど。若い人が職人という仕事に対して、「クリエイティブだし、ちゃんと稼げる」という風に思う環境を作ることが、折井さんの大きな目標なんですね。
最後に、折井さんにとって「ブランド」とは何ですか?

折井:難しい質問ですね…。うーん。「ブランディング」でもいいですか。

岡田:はい、もちろん。

折井:「ブランディング」というのは、人が知らなかったことや今までなかったことを、「ふつう」にすることなんじゃないか、と思っています。

岡田:新しい「ふつう」にすること、ですか。

折井:そう。誰も見向きもしなかったものが、徐々に広まっていって、いつしか新しいスタンダードになる。そのための活動が「ブランディング」かな、と思うんです。

岡田:なるほど、銅で作るインテリア・クラフトを、高岡の新しい産業に育てることそのものが、折井さんにとってのブランディングなんですね。新しいふつうを作る。あまり考えたことがない言い方だったので、すごくはっとしました。今後のOriiの「ブランディング」が、ますます楽しみです。今日は本当にありがとうございました!

■ご参考
「モメンタムファクトリー・Orii」 http://www.mf-orii.co.jp/
「tone」 http://tone-orii.com/

【撮影協力】竹島咲

ブラたまEYE ~編集後記~

博報堂ブランド・イノベーションデザインでは、これからのブランドには「志」「属」「形」の3要素が不可欠だと考えています。「志」はその社会的な意義、「形」はその独自の個性、“らしさ”、「属」はそれを応援、支持するコミュニティを指しています。(詳しくはこちらをご覧ください)
今回は「志」の視点で、「tone」から読み取れるこれからのブランド作りのヒントを考えてみたいと思います。

【志】ブランド作りの真ん中には、新しい「ふつう」がある。
取材の最後に「ブランドとは何ですか?」という質問を投げかけた時に、折井さんからいただいた「新しい『ふつう』にすること」という答えは、正直、予想外でした。
取材で印象に残ったエピソードは、自身の原点は外部に対して非常にオープンだったおじいさまにある、という話です。当時小さかった折井さんは工房に遊びに行くのが好きだったそうで、色々な人が出入りする、今でいう「オープンイノベーション」な工房だったようです。
現在では、「tone」ブランドがきっかけで、インテリア業界、植物業界(バケツの縁)、建築デザイナーなど、様々な外の人が次々に高岡の工房へとやってきます。折井さんも積極的に異業種の世界に顔をだします。むしろ、同業者の古い団体の集まりにはあまり出ないそうです。
ですから、折井さんにとって「ブランディングとは仲間作り」といった答えが返ってくるのかと思っていました。
ところが、折井さんが考えるブランディングとは、新しい「ふつう」を作ることだと言います。
私なりの解釈をすれば、折井さんにとっての新しい「ふつう」とは、高岡に若者が憧れるような、銅を使ったクリエイティブな産業を根付かせることであり、それに近づくためのすべての活動が「ブランディング」である、ということだと思います。
高岡に変わった事をしている奴がいるぞ、という評判から、今の地位を自ら築いた折井さん。
同じ高岡の同業者にベンチマークにされても、悪く言う事はありません。むしろ「真似されてなんぼ」という雰囲気すら感じます。それは、同業者の活躍もまた、折井さんが目指す新しい「ふつう」に必要な要素だと考えているからです。
ブランディングを通じて、どのような新しい「ふつう」を作りたいのか。
この問いに対する答えが、ブランドの志を考える上で重要なものではないでしょうか。
当たり前でいて、つい見失いがちなブランドの本質を、折井さんに教えていただいた気がしました。

>>博報堂ブランド・イノベーションデザインについて詳しくはこちら

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