HAKUHODO SOCILA ACTION

共創する力を活かす / 東北復興支援

被災地の想いをつなぎ、東北の復興を継続的に支援する

インタラクティブデザイン局

鷹觜愛郎

盛岡で東日本大震災を経験して

僕は岩手県出身で、盛岡博報堂(※当時。2012年に東北博報堂に統合)在籍中、盛岡のテレビ局で打ち合わせ中に被災しました。
すぐに、盛岡博報堂の営業メンバーと東京本社から来てくれた有志とともに、自主的に活動を始めました。日本中から内陸部に続々と到着する支援物資が、沿岸部の被災地に行き届かない・届いたときには被災地のニーズと齟齬が生じているのを目の当たりにして、自衛隊の方々のような活動は到底できないけれども、せめて求める人に求めるものを届けることをできないか考えました。

地域を守るために仕事をつくる「浜のミサンガ」

被災地に居続けて、被災の規模から到底10年では復旧しないだろうと実感したとき、とにかく仕事をつくらなくてはと思いました。
沿岸部の被災地は過疎・高齢化で適齢期の女性が少なく、漁師さんの奥さんには海外から嫁いでこられた方が多いんです。そして兼業の漁師さんが多いんです。震災直後、奥さんたちは子どもを連れて国に帰ると言い、漁師さんたちは東京に出て働くしかないと言う。それでは地域から人が離れてしまう、地域が消滅すると思いました。とはいえ、仕事がないまま被災地に留まっていては精神的に参ってしまう。2、3年にわたってなんとか収入を得られる仕事をつくるしかないと思い、立ち上げたのが「浜のミサンガ」です。
カットのむずかしい漁網を漁師さんたちがカットし、その漁網で奥さんたちがミサンガを手作りして販売する。2011年6月25日に初めて封筒に現金を詰めて手渡したとき、涙ぐんだ方もおられました。有識者にもアドバイスを得て、いずれ地場産業が復活したときには自然に本業に戻っていけるように、働く環境に配慮しながら続けること2年半。2013年12月の活動終了までに、約1億2千万円が浜のお母さんたちの収入になりました。僕は仕事をしてきて、これほど感謝されたこともないですし(笑)、協力してくださったすべての方々にとても感謝しています。

東北の過去と未来をつなぐために
キャンドルをともす「ともす東北」

中越地震の被災地を訪ねたときにも思ったのですが、時間が経つほど継続支援がむずかしくなります。そこで「ともす東北」を立ち上げました。「神戸ルミナリエ」が、阪神淡路大震災の犠牲者の「送り火」として、また、復興・再生の夢と希望を託して1995年に始まったように、東日本大震災という過去を想い、これからの被災地の未来を想うメモリアルなアクションとして、月命日の11日にキャンドルをともしています。
大手メーカーの協力を得て、オリジナルのキャンドルもつくりました。東北大学・農学部は、塩害に強いアブラナ科作物を栽培して被災水田の復興を目指す「津波塩害被害農地復興のための菜の花プロジェクト」を行っています。「ともす東北」のキャンドルはそのプロジェクトでつくられた菜種の油を使用し、売上の10%を東北大学に還元しています。輸入原料との価格差などで動きにくい被災地の菜種油の売上に少しでも寄与できればと思います。

被災地の情報が人々に届きにくくなっています。やっと再生のフェーズに入った東北の方々の情報を、いまこそ多くの人の中につないでいくべきだと思います。 僕には、被災地で一緒に修羅場をくぐった仲間もいますし、「ごちそうとぼうさい」などの活動を積極的に行っている吉田裕美さんをはじめ、志の近い仲間がいます。博報堂社員が取り組む被災地支援を「ともす東北」として発信し、被災地をみんなでサポートすることを継続させていきたいと思います。

「津波塩害被害農地復興のための菜の花プロジェクト」で採れた菜種油を使ったキャンドル。

「ともす東北」は、2017年4月より活動の紹介範囲を拡大し、「ともすJAPAN」としてリニューアルいたしました。
2016年に起きた熊本地震を筆頭に、被災地の復興、防災、減災の必要性は、東北だけにとどまりません。これまで継続的に行ってきた活動の経験を、これからの防災・減災に活かしていくために、情報をアップしていきます。

ともすJAPANウェブサイト http://www.hakuhodo.co.jp/tomosu/

東北の想いをつなぐために、月命日の11日に東京・渋谷区の代々木VILLAGEでキャンドルを点灯している。