博報堂DYグループは、広告会社として、スポーツ領域における事業展開、アスリートキャスティング事業などを推進しています。博報堂DYスポーツマーケティングでは、プロ野球投手として活躍する和田毅選手のマネジメントを行うと同時に、社会支援活動に対するサポート活動も行っています。和田選手に、社会支援活動への想いや来季への意気込みなどについてうかがいました。

■仲間を信じて投げればいい
■高校時代のケガで、投手のあり方を知った

今シーズン、おかげさまで15勝5敗の成績を上げることができ、パ・リーグ最多勝と最高勝率のタイトルを獲ることができました。ただ、163イニングに登板しましたが、シーズン終盤の左肘のケガがなければ、もっと投げられていたはずです。個人的には決して満足いく結果とは言えない、不完全燃焼のシーズンではありました。そんな中でも、野手のおかげで勝たせてもらった試合がいくつもあって、チームメイトには本当に助けられたと思っています。
野球は、極論を言えば三振を27個とれば試合には負けませんから、投手以外にキャッチャーさえいればいいということになる。ただ当然ながらそんなことは絶対にあり得ません。投手が試合の勝敗を背負っているようなイメージもあるかもしれませんが、実際は野手が後ろを守ってくれて、キャッチャーがリードしてくれて初めて試合が成り立つもの。自分の調子がよくないときは味方が打ってくれたり、逆に味方打線の調子がよくないときは、僕がゼロに近い数字で守り競っていけば、勝つチャンスは広がっていきます。そうした投手と野手の持ちつ持たれつの関係が大前提なんです。
僕自身、それを深く認識したのが高校2年のとき。ケガをして試合に出られなかった時期、ベンチにも入れずにバックネット裏で試合を見守るしかなかったのですが、それまで気づかなかった野手やキャッチャーの動きを俯瞰で見ることができた。野手は一球一球をこういう風に投げるんだ、内野ゴロの時はキャッチャーもライトもセカンドもこういう風にカバーに動くんだ……ということを改めて見て、知ることができたんですね。それ以来、自分1人でなんとかしなくちゃという考えから、仲間を信じて、自分は投げることに集中しようと思えるようになりました。

■“察する”文化のないアメリカで
■自分の考えを積極的に言葉で発信することを学んだ

2012年シーズンから渡米、メジャーに挑戦し、その後2016年シーズンに拠点を再び日本に戻しました。アメリカで過ごした経験から、日米の選手の考え方の違い、また共通点など、感じたことはいくつかあります。まずアメリカにいたときは、監督やコーチにも自分の考えをどんどん言うようにしていました。日本では、ひたすらに黙々と練習している姿にも敬意が払われますが、アメリカには日本のような“察する”文化はありません。積極的に言葉で伝えていかなければ「あいつは何を考えているかわからない」というだけで評価してもらえなくなります。ですから周囲に自分という人間を知ってもらうためにも、思ったことはしっかりと言葉にして伝えることを意識していきました。そうすることで、当初はただのアジア人だったのが、少しずつ、日本から来た和田という選手であるということを知ってもらえるようになりました。しばらくして、地元ファンの方がどこかで聞きかじったような、ちょっと怪しい日本語で話しかけてくれたときはすごく嬉しかったです(笑)。
選手としての役割についての考え方も異なりました。日本だと、チームが勝つためには自分はどういうパフォーマンスをすべきか、という考え方で臨みますが、アメリカでは、自分のポテンシャルを十二分に発揮することが、チームの勝利につながるという発想をします。いわゆる“個人プレー”と紙一重なところがあるのは事実。ただ、スタイルは違えど、いずれも勝利のためにどう貢献するかを考えるという点ではまったく同じ。環境や文化面での違いは当たり前ですが、野球というスポーツにおいての本質は変わらないんだということを、行ってみて改めて実感しました。

■プロ3年目からスタートさせたワクチン支援活動
■自分の活動を通して、より多くの人に世界のことを知ってほしい

プロ3年目にスタートし、いまも大切にしている活動に、「認定NPO法人 世界の子どもにワクチンを 日本委員会」(JCV)を通したワクチン支援活動があります。高校時代から「社会人になったら何らかのチャリティ活動をしたい」という思いを持っていたので、プロになったころから自分ならではの活動が何かできないかと考えていました。そんなときたまたまJCVさんの活動を知って。世界には、日本にいると当たり前のように受けられるワクチンを、さまざまな事情から受けられず命を落とす子どもたちが大勢いるという事実に衝撃を受けました。そこで僕は、JCVさんを通し1球の投球につき10人分(10本)のワクチンを寄付するというルール――「僕のルール」をつくって、支援活動を始めたんです。勝利投手になれれば20本、完投できたら30本……という風にルールもアップデートさせていきました。これはシーズンにおける大事なモチベーションでもありますし、自分の成績を客観的に振り返る良い目安にもなっています。渡米中は中断していましたが、帰国後再開しました。これまで合計でワクチン約38万人分、金額にして約2,000万円を寄付することができました。
野球選手として、試合で結果を残しチームに貢献することはもちろん大前提ですが、こうしてたくさんの皆さんに自分のことを知っていただける立場になって、改めて社会貢献活動を続ける意義を感じていますし、情報発信のプロである博報堂DYスポーツマーケティングさんにマネ-ジメントをしていただきながら更に広げていきたいと思います。僕の活動をさまざまな形で広く知ってもらうことで、ファンをはじめとするより多くの人に、世界にはそういう事実、課題があるということを知ってもらい、さらなる支援につながればいい。僕が発信することで、一人でも多くの子どもの命を救えるのならば、これ以上のことはありません。

■1年1年が勝負の、終わりのない戦い
■ケガをしない体を目指してトレーニングを続けたい

今季から日本球界に復帰したわけですが、このシーズンは、自分にそこまで期待をしていないかもしれない人たちに対し、「どうだ」と見返してやる気持ちで臨みました。その結果、幸い最多勝と最高勝率という結果を残すことができましたが、来季は来季で、今年がまぐれと思われないように頑張らないといけない。そういう意味では終わりのない戦い。まさに1年1年が勝負です。
僕もいま35歳で、日々のトレーニングやケアにはこれまで以上に気を付けているつもりです。昔のようにただがむしゃらにやればいいというわけにはいかなくなりましたから(笑)。ケガをしないような筋肉の使い方ができるよう、これからしっかりとトレーニングを重ねていき、来季にそれが確実に実を結ぶといいなと思っています。

◆プロフィール

和田毅(わだ・つよし)
福岡ソフトバンクホークスに所属。

1981年生まれ。島根県立浜田高等学校では2・3年時に甲子園に出場。早稲田大学では東京六大学野球奪三振記録を大きく更新し、2003年にプロ入り。その後も新人王や最多勝、MVPなど多くのタイトルを獲得。日本屈指の左腕として、アテネ、北京両オリンピックや2006年のWBC日本代表選手としても活躍。メジャーリーグへの挑戦を経て、日本球界復帰後初となる2016年のシーズンは、最多勝利、最高勝率の2冠を獲得した。